53 詰み
「甘いのは、あんただよ、首領。
――ドンナ、ベック!」
俺の背後に立っていた元御使いたちの中から、小柄な人影が2つ進み出た。
人影は顔を隠していたフードを外す。
もちろん、ドンナとベックだ。
「――殺しには、絶対に殺せる算段をつけてから臨め。
あんたが口を酸っぱくして言ってたことだ」
そう言って俺はふてぶてしく笑ってみせる。
が、ガゼインの反応は、俺の期待に外れたものだった。
「ふん、その2人がどうしたってんだ?
不意でも打つならともかく、まともに出てきて勝てるとでも?」
「おいおい、首領さん。
この2人がここにいる意味がわからないとは言わせないぞ」
俺は、ため息をついてからそう言った。
「この2人がここにいる意味だと……?」
「この2人は、本来ならば、お前の命令通り、今頃人を殺していたはずだ。
だが、2人は今ここにいる。
そのことの……意味だよ」
俺の言葉に、ガゼインの顔からさっと血の気が引いた。
「なっ……ま、まさか……!
お、おまえっ! 俺の悪神との取引を知って……!?」
「そういうことだ」
俺は、うろたえるガゼインを【鑑定】する。
《ガゼイン・ミュンツァー。状態:悪神との取引(悪神モヌゴェヌェスとの取引により、強力なアッドを得ている。取引条件:期限までに子ども100人を暗殺者に仕立て上げ、それぞれ最低5人を殺させること。達成度:98/100、期限:
あの夜――フォノ市のキュレベル子爵邸が襲われた時から、俺はずっと、この【鑑定】結果のことを気にしていた。
時々、【データベース】で確認しては、何とかしてこれを阻止できないかと考え続けていたのだ。
ガゼインが【幻影魔法】で俺に「やられて」見せた時に、俺は思わず「【幻影魔法】か」とつぶやいてしまい、すぐに失策だったと気づいたのを、覚えているだろうか?
これはもちろん、俺がガゼインのステータスを【鑑定】で覗くことができることを気づかれたら、悪神との取引のことを思い出される可能性があったからだ。
さいわいにも、ガゼインの中でこの取引は片付いたものにされていたようで、あの一瞬で俺の意図まで勘づかれることはなかった。
そして、今日。
すべてがあつらえたようなタイミングだった。
ミサと、ドンナ・ベックの初聖務と、ガゼインに課せられた期限。
もちろんガゼインも、期限ギリギリにするつもりなどはなく、ドンナとベックは予定であれば一週間前にターゲットを暗殺しているはずだった。
そして、今日から数日後に、ドンナとベックはこの塒に戻ってくる予定だった。
2人は既に洗脳を克服している。
俺は、2人にそのまま騙されたフリをしてもらい、任務に出発してから、付き添いの御使いたちを拘束した上で、塒へと戻ってきてもらった。
薬物の専門家であるドンナにとって、油断しきった御使いを無力化するなんて造作もないことだ。
もちろん、そのまま塒に戻っては見つかってしまうので、メルヴィにゲートを使ってもらい、妖精郷で待機してもらった。
ちなみに、少年班のうち、幼すぎて自衛能力のない子どもたちも、メルヴィに頼んで妖精郷で預かってもらっている。
セセルとセセラにフルーツバスケットやケイドロを教えておいたから、今頃夢中になって遊んでるはずだ。
これがあるのだから、ガゼインと無理に戦う必要はなかったとも言える。
もちろん、御使いたちの洗脳解除を決定的なものとするために、ガゼインを負かす必要はあったが、絶対に必要かと言われるとそうでもない。
俺はどこかで、ガゼインとは戦って決着をつけたいと思っていたのだろう。
その思いは、ガゼイン側から裏切られてしまったが……これもまた、ひとつの「戦い」だったとは言えるだろう。
「あと38……37秒。
それで、おまえは終わる。
なんとか間に合ったと、胸を撫で下ろしてたんじゃないか?
最後の生贄を捧げ終えたと。
思えば、火竜の巣から俺たちが戻ってきた時の、あんたの浮かれっぷりはおかしかった。
あんたは、悪神との取引条件を満たすために、俺やエレミアやミゲルではなくて、ドンナとベックを、絶対に失うわけにはいかなかったんだ。
一度は絶望視されたドンナとベックが戻ってきた。
そして、無事に二人を聖務に送り出すことができた。
あんたは安心した。
だが、その油断が命取りだったな。
輪廻することすら許されず、魂まで悪神に喰われて消えろ、ガゼイン・ミュンツァー」
「バ……バカな! そんな……バカな!」
「バカも何もあるか。
おまえが結んだ約束なんだろう?
最後まで、ちゃんと責任を取るんだな」
「ぐ……、うおおおお……っ!」
ガゼインは頭をかきむしって喚く。
そして、血にまみれた手で俺の後ろにいる子どもたちを指さし、
「おまえら! 今からでも遅くねえ!
その辺にいる奴らを殺せ!
いいか、5人だ!
5人殺さねえと、おまえらはみんな悪神に地獄に落とされるぞ!
おまえらの親どもも一緒だ!
それが嫌だったら、すぐに殺すんだ!」
子どもたちが、ガゼインの剣幕にびくりと震える。
子どもの1人が、「ナムアミダブツ……」と小声でつぶやいたのが聞こえた。
「何を言ってるんだ、ガゼイン・ミュンツァー。
地獄に落ちるのはおまえじゃないか」
「ぐっぞおおおおおおおお……っ!!」
ガゼインは壁際にいた子どもに飛びつき、その手に無理やりナイフを握らせる。
あいつは、特殊なスキルがあるとかで、少年部屋にはいなかった子どもだな。
そのせいで、俺の後ろにかばうことも、メルヴィに頼んで事前に妖精郷に預けることもできなかった。
「お、おまえだ、おまえが殺せ!
そうだ、その辺にいくらでもいる使えない御使いどもでいい!
とにかく5人殺すんだ!
――おい、そこの御使い!
これは悪神様のご意思だ!
俺のために、ここでこのガキに殺されろ!
殺されてくれえええええええええええっ!」
洗脳が解けていないはずの御使いたちも、さすがに戸惑った様子で、互いの顔を見合わせている。
エレミアを人質にとっていたガズローもあきらかに動揺した。
その隙をついて、エレミアがガズローの腕から抜け出し、逆にガズローの腕を取ってガズローを引き倒す。
罵りの声を上げるガズローを、エレミアはてきぱきと拘束していく。
「殺せっ! 殺せよぉっ!
いいから殺せって!
殺さねえと悪神に殺されるぞ!
ここまで〈
てめえら今すぐ、隣にいる奴らを殺せ、殺せよおおおお……っ!」
「……そろそろだな」
《期限:5秒後。》
「4、3、2……」
「うおおおおおお……っ!
おおお……、ぐおおおおおっ!
殺せ、殺せコロセコロセコロセ、殺――」
「ゼロ」
俺がつぶやくのと同時に、ガゼインの身体を黒い霧のようなものが覆った。
いや――
「うがあああ……っ!
が、ぐあああ……っ!」
それは、よく見ると漆黒の蛇たちだった。
――かと思うと、今度はまた黒い霧のように見える。
その黒いモノが変化しているわけじゃない。
こっちが蛇だと思うと霧になり、霧だと思って見ると蛇に見える。
そんな得体のしれないシロモノだ。
それが、ガゼインの身体に纏わりつき、無数の「口」がガゼインの身体にかじりつく。
「ぐわああ……っ! ああああ……っ!
痛ぇ! 痛ぇよ!
た、助けてくれ……誰か……!
誰か……」
「ガゼイン。
おまえは、これまでに数えきれないほどの人を殺してきた。
それなのに、自分の死は怖いのか?
それとも、自分だけは死なないとでも思っていたのか?」
「殺せ……殺してくれ……」
「まだ言うか。おまえが殺してきた人たちだって、そう言いたかっただろうよ」
「違う!
俺を……
あれはマジでヤバいんだよ!
ただ死ぬんじゃないんだ……
魂ごと、貪り食われるんだ――悪神に!」
「…………」
啼きわめくガゼインの姿に、みな声もない。
「……これでわかっただろ。
俺たちのあがめていた『悪神さま』の正体が」
俺の言葉に、御使いだった者たちが顔を伏せる。
女性の元御使いの中には、嗚咽している者もいた。
騙されたってのは、痛めつけられるよりも深く、人の心を傷つける。
このまま騙されていた方がよかったとすら思いかねないほどに。
俺はガゼインのことを、人を殺したという以上に、人を騙して利用したことについて、許せないと思う。
人が人を信じるってことは、とてつもなく、尊いことなのだ。
俺はそのことを、今生における両親から教えられた。
こんな異常な生まれつきの俺のことを、2人は無条件に信じてくれた。
それこそ、俺の側に悪意があったら、簡単に騙すことができただろうほどに、だ。
ガゼインは、教主を騙ることで、多くの人から信じられた。
人の恨みを買うことで緊張感を維持できるとガゼインは語ったが、人を騙すことでもやはり、そんな緊張感を得ていたのだろうか。
そんな奴に、人の居場所のあるなしを云々されるいわれはないと、言うしかないな。
ガゼインは、己の居場所を、他人を騙すことで作ろうとしていた。
自分が騙す側にいるかぎり、騙されることはない。
一方で、自分が誰かを信じようとするかぎり、騙される可能性はつきまとう。
ガゼインは、己の安心のために前者を選んで、その結果として、誰も信じることができなくなったのだ。
ガゼインの身体は、既に半ば以上、黒い靄に呑み込まれてしまっている。
どんな責め苦におそわれているのか、痙攣したように震えるばかりで、ガゼインはもう口を利くことすらできないようだ。
その様子を、俺は戦慄とともに呆然と眺めてしまったが、
『ちょっと、このまま悪神に喰わせるつもり!?』
メルヴィの言葉で我に返る。
そうだ、このまま悪神に喰わせてしまってはまずい。
ガゼインのステータスに加えられているアッドが、悪神のものになってしまう。
もっとも、メルヴィはおそらく、このまま喰わせるのはむごい、と言いたかっただけなのだろうが。
「ナム――アミダ――ブツ!」
手加減抜きで放った3つの魔法が、ガゼインの頭を黒い靄の中から弾き飛ばした。
オオオ――
悪神が恨めしげに啼く。
「じゃあな、首領。
これで卒業だ。
文句はないだろ……ちゃんと殺してやったよ。
この3ヶ月は――まあ、意外に楽しかった」
ガゼインの燃え残った片目が、俺をギロリと睨んだ――気がした。
そうだ、これだけは言っておかないとな。
「――南無阿弥陀仏。成仏してくれ」
ガゼインからの返事は、ない。
次話、来週月曜(2/23 6:00)掲載予定です。
(今週金曜は間隔調整のためお休みさせていただきます。)