<< 前へ次へ >>  更新
53/186

53 詰み

「甘いのは、あんただよ、首領。

 ――ドンナ、ベック!」


 俺の背後に立っていた元御使いたちの中から、小柄な人影が2つ進み出た。

 人影は顔を隠していたフードを外す。

 もちろん、ドンナとベックだ。


「――殺しには、絶対に殺せる算段をつけてから臨め。

 あんたが口を酸っぱくして言ってたことだ」


 そう言って俺はふてぶてしく笑ってみせる。


 が、ガゼインの反応は、俺の期待に外れたものだった。


「ふん、その2人がどうしたってんだ?

 不意でも打つならともかく、まともに出てきて勝てるとでも?」


「おいおい、首領さん。

 この2人がここにいる意味がわからないとは言わせないぞ」


 俺は、ため息をついてからそう言った。


「この2人がここにいる意味だと……?」


「この2人は、本来ならば、お前の命令通り、今頃人を殺していたはずだ。

 だが、2人は今ここにいる。

 そのことの……意味だよ」


 俺の言葉に、ガゼインの顔からさっと血の気が引いた。


「なっ……ま、まさか……!

 お、おまえっ! 俺の悪神との取引を知って……!?」


「そういうことだ」


 俺は、うろたえるガゼインを【鑑定】する。


《ガゼイン・ミュンツァー。状態:悪神との取引(悪神モヌゴェヌェスとの取引により、強力なアッドを得ている。取引条件:期限までに子ども100人を暗殺者に仕立て上げ、それぞれ最低5人を殺させること。達成度:98/100、期限:39秒後(・・・・)。)》


 あの夜――フォノ市のキュレベル子爵邸が襲われた時から、俺はずっと、この【鑑定】結果のことを気にしていた。

 時々、【データベース】で確認しては、何とかしてこれを阻止できないかと考え続けていたのだ。


 ガゼインが【幻影魔法】で俺に「やられて」見せた時に、俺は思わず「【幻影魔法】か」とつぶやいてしまい、すぐに失策だったと気づいたのを、覚えているだろうか?

 これはもちろん、俺がガゼインのステータスを【鑑定】で覗くことができることを気づかれたら、悪神との取引のことを思い出される可能性があったからだ。

 さいわいにも、ガゼインの中でこの取引は片付いたものにされていたようで、あの一瞬で俺の意図まで勘づかれることはなかった。


 そして、今日。

 すべてがあつらえたようなタイミングだった。

 ミサと、ドンナ・ベックの初聖務と、ガゼインに課せられた期限。

 もちろんガゼインも、期限ギリギリにするつもりなどはなく、ドンナとベックは予定であれば一週間前にターゲットを暗殺しているはずだった。

 そして、今日から数日後に、ドンナとベックはこの塒に戻ってくる予定だった。


 2人は既に洗脳を克服している。

 俺は、2人にそのまま騙されたフリをしてもらい、任務に出発してから、付き添いの御使いたちを拘束した上で、塒へと戻ってきてもらった。

 薬物の専門家であるドンナにとって、油断しきった御使いを無力化するなんて造作もないことだ。


 もちろん、そのまま塒に戻っては見つかってしまうので、メルヴィにゲートを使ってもらい、妖精郷で待機してもらった。


 ちなみに、少年班のうち、幼すぎて自衛能力のない子どもたちも、メルヴィに頼んで妖精郷で預かってもらっている。

 セセルとセセラにフルーツバスケットやケイドロを教えておいたから、今頃夢中になって遊んでるはずだ。


 これがあるのだから、ガゼインと無理に戦う必要はなかったとも言える。

 もちろん、御使いたちの洗脳解除を決定的なものとするために、ガゼインを負かす必要はあったが、絶対に必要かと言われるとそうでもない。


 俺はどこかで、ガゼインとは戦って決着をつけたいと思っていたのだろう。

 その思いは、ガゼイン側から裏切られてしまったが……これもまた、ひとつの「戦い」だったとは言えるだろう。


「あと38……37秒。

 それで、おまえは終わる。

 なんとか間に合ったと、胸を撫で下ろしてたんじゃないか?

 最後の生贄を捧げ終えたと。

 思えば、火竜の巣から俺たちが戻ってきた時の、あんたの浮かれっぷりはおかしかった。

 あんたは、悪神との取引条件を満たすために、俺やエレミアやミゲルではなくて、ドンナとベックを、絶対に失うわけにはいかなかったんだ。

 一度は絶望視されたドンナとベックが戻ってきた。

 そして、無事に二人を聖務に送り出すことができた。

 あんたは安心した。

 だが、その油断が命取りだったな。

 輪廻することすら許されず、魂まで悪神に喰われて消えろ、ガゼイン・ミュンツァー」


「バ……バカな! そんな……バカな!」


「バカも何もあるか。

 おまえが結んだ約束なんだろう?

 最後まで、ちゃんと責任を取るんだな」


「ぐ……、うおおおお……っ!」


 ガゼインは頭をかきむしって喚く。

 そして、血にまみれた手で俺の後ろにいる子どもたちを指さし、


「おまえら! 今からでも遅くねえ!

 その辺にいる奴らを殺せ!

 いいか、5人だ!

 5人殺さねえと、おまえらはみんな悪神に地獄に落とされるぞ!

 おまえらの親どもも一緒だ!

 それが嫌だったら、すぐに殺すんだ!」


 子どもたちが、ガゼインの剣幕にびくりと震える。

 子どもの1人が、「ナムアミダブツ……」と小声でつぶやいたのが聞こえた。


「何を言ってるんだ、ガゼイン・ミュンツァー。

 地獄に落ちるのはおまえじゃないか」


「ぐっぞおおおおおおおお……っ!!」


 ガゼインは壁際にいた子どもに飛びつき、その手に無理やりナイフを握らせる。

 あいつは、特殊なスキルがあるとかで、少年部屋にはいなかった子どもだな。

 そのせいで、俺の後ろにかばうことも、メルヴィに頼んで事前に妖精郷に預けることもできなかった。


「お、おまえだ、おまえが殺せ!

 そうだ、その辺にいくらでもいる使えない御使いどもでいい!

 とにかく5人殺すんだ!

 ――おい、そこの御使い!

 これは悪神様のご意思だ!

 俺のために、ここでこのガキに殺されろ!

 殺されてくれえええええええええええっ!」


 洗脳が解けていないはずの御使いたちも、さすがに戸惑った様子で、互いの顔を見合わせている。


 エレミアを人質にとっていたガズローもあきらかに動揺した。

 その隙をついて、エレミアがガズローの腕から抜け出し、逆にガズローの腕を取ってガズローを引き倒す。

 罵りの声を上げるガズローを、エレミアはてきぱきと拘束していく。


「殺せっ! 殺せよぉっ!

 いいから殺せって!

 殺さねえと悪神に殺されるぞ!

 (・・)が悪神に殺されるんだよ!

 ここまで〈八咫烏(ヤタガラス)〉を大きくしてやったのは、この俺だぞ!?

 てめえら今すぐ、隣にいる奴らを殺せ、殺せよおおおお……っ!」


「……そろそろだな」


《期限:5秒後。》


「4、3、2……」


「うおおおおおお……っ!

 おおお……、ぐおおおおおっ!

 殺せ、殺せコロセコロセコロセ、殺――」


「ゼロ」


 俺がつぶやくのと同時に、ガゼインの身体を黒い霧のようなものが覆った。


 いや――


「うがあああ……っ!

 が、ぐあああ……っ!」


 それは、よく見ると漆黒の蛇たちだった。


 ――かと思うと、今度はまた黒い霧のように見える。


 その黒いモノが変化しているわけじゃない。

 こっちが蛇だと思うと霧になり、霧だと思って見ると蛇に見える。

 そんな得体のしれないシロモノだ。


 それが、ガゼインの身体に纏わりつき、無数の「口」がガゼインの身体にかじりつく。


「ぐわああ……っ! ああああ……っ!

 痛ぇ! 痛ぇよ!

 た、助けてくれ……誰か……!

 誰か……」


「ガゼイン。

 おまえは、これまでに数えきれないほどの人を殺してきた。

 それなのに、自分の死は怖いのか?

 それとも、自分だけは死なないとでも思っていたのか?」


「殺せ……殺してくれ……」


「まだ言うか。おまえが殺してきた人たちだって、そう言いたかっただろうよ」


「違う!

 俺を……俺を(・・)殺せ……殺してくれっ!

 あれはマジでヤバいんだよ!

 ただ死ぬんじゃないんだ……喰われる(・・・・)んだよ!

 魂ごと、貪り食われるんだ――悪神に!」


「…………」


 啼きわめくガゼインの姿に、みな声もない。


「……これでわかっただろ。

 俺たちのあがめていた『悪神さま』の正体が」


 俺の言葉に、御使いだった者たちが顔を伏せる。

 女性の元御使いの中には、嗚咽している者もいた。


 騙されたってのは、痛めつけられるよりも深く、人の心を傷つける。

 このまま騙されていた方がよかったとすら思いかねないほどに。


 俺はガゼインのことを、人を殺したという以上に、人を騙して利用したことについて、許せないと思う。


 人が人を信じるってことは、とてつもなく、尊いことなのだ。

 俺はそのことを、今生における両親から教えられた。

 こんな異常な生まれつきの俺のことを、2人は無条件に信じてくれた。

 それこそ、俺の側に悪意があったら、簡単に騙すことができただろうほどに、だ。


 ガゼインは、教主を騙ることで、多くの人から信じられた。

 人の恨みを買うことで緊張感を維持できるとガゼインは語ったが、人を騙すことでもやはり、そんな緊張感を得ていたのだろうか。

 そんな奴に、人の居場所のあるなしを云々されるいわれはないと、言うしかないな。


 ガゼインは、己の居場所を、他人を騙すことで作ろうとしていた。

 自分が騙す側にいるかぎり、騙されることはない。

 一方で、自分が誰かを信じようとするかぎり、騙される可能性はつきまとう。

 ガゼインは、己の安心のために前者を選んで、その結果として、誰も信じることができなくなったのだ。


 ガゼインの身体は、既に半ば以上、黒い靄に呑み込まれてしまっている。

 どんな責め苦におそわれているのか、痙攣したように震えるばかりで、ガゼインはもう口を利くことすらできないようだ。


 その様子を、俺は戦慄とともに呆然と眺めてしまったが、


『ちょっと、このまま悪神に喰わせるつもり!?』


 メルヴィの言葉で我に返る。


 そうだ、このまま悪神に喰わせてしまってはまずい。

 ガゼインのステータスに加えられているアッドが、悪神のものになってしまう。


 もっとも、メルヴィはおそらく、このまま喰わせるのはむごい、と言いたかっただけなのだろうが。


「ナム――アミダ――ブツ!」


 手加減抜きで放った3つの魔法が、ガゼインの頭を黒い靄の中から弾き飛ばした。


 オオオ――


 悪神が恨めしげに啼く。


「じゃあな、首領。

 これで卒業だ。

 文句はないだろ……ちゃんと殺してやったよ。

 この3ヶ月は――まあ、意外に楽しかった」


 ガゼインの燃え残った片目が、俺をギロリと睨んだ――気がした。


 そうだ、これだけは言っておかないとな。



「――南無阿弥陀仏。成仏してくれ」



 ガゼインからの返事は、ない。

次話、来週月曜(2/23 6:00)掲載予定です。

(今週金曜は間隔調整のためお休みさせていただきます。)


<< 前へ次へ >>目次  更新