51 反乱
〈
少年部屋のドンナとベックが、聖務に赴くことになったのだ。
聖務――つまりは、殺しの仕事だ。
旅立つ2人を見送って、俺はとうとう反撃の狼煙を上げる決意をする。
決行は、ミサの日だ。
今回のミサは、同時並行でいくつかの聖務が回っているそうで、ドンナとベック以外の御使いもかなりの数が
その一方、幹部連中の多くはミサに出席するために塒に残っている。
強力な戦闘能力を持つ幹部たちがいるのはしんどいが、取り逃すおそれがないという点では理想的だ。
また、大多数の御使いがメスカリンの影響下にあるため、万一彼らが敵対するようなことになっても、まともに戦うことはできないだろう。
俺は仲間たちと緊密に情報交換を行いながら、ミサの日を待った。
そしてミサの日、俺は仲間たちにメスカリンとレプチパ草への耐性薬を配り、作戦を何度となく確認した上で、礼拝堂へとやって来た。
いつになく礼拝堂がピリピリしている感じがした。
はじめ、俺はこれから起こす行動のために自分や仲間たちが緊張しているせいかと思ったのだが、どうも、ガゼインをはじめとする幹部連中もまた、いつになく張り詰めているような様子だった。
今日は特別なミサだということで、メスカリン入りの葡萄酒はいつもの杯より大きなゴブレットで配られた。
耐性薬は必要量より多めに配ってあるから大丈夫だと思うが、冷や汗をかいた。
ここ最近、塒はどこか落ち着きがなかった。
同時並行で執行に移された聖務、そのくせ、幹部連中は聖務には赴かず、塒で待機している。
まるで、これから起こる何かに備えているかのようだ。
まさかとは思うが……こちらの計画が漏れて……?
しかし、何度探りを入れてみても、そのような兆候は見つからない。
ただの恐れで計画を延期することはできないので、俺たちは覚悟を決めて今日を決行の日と決めたのだ。
が、それは杞憂だったようだ。
ミサがはじまってすぐ、ガゼインの説教を飛ばす形で、いきなり教主さまのご招聘が行われた。
前も見た、長さ3メートルの青白い青年の顔が現れた。
念のために【鑑定】してみるが、やはりガゼインの【幻影魔法】で生み出されたもので間違いない。
幻影は、実に数分もの間、一言も発さずに、ただ瞑目したまま浮かんでいた。
しわぶきひとつ躊躇われる空気が醸成され、葡萄酒を飲んだ(オロチ派でない)御使いたちの中には、気分を悪くしてしゃがみこんでいる者もいる。
たっぷりと焦らしてから、おもむろに、幻影は言葉を紡ぎはじめた。
《御使いたちよ……ついに時が来た。
わたしたちの手で、悪神モヌゴェヌェス様の地上王国を築くのだ……》
それは、決起を促す言葉だった。
なるほど、幹部たちが残っていたのは、このためか。
しかしそれならそれで、他の聖務を中断してでも全員を集めればよかったんじゃないか?
一瞬そう思ってしまったが、よく考えてみると、俺はその答えを知っているようだ。
それなら、計画を修正する必要はないな。
俺がひとりでうなずいているうちに、教主グルトメッツァの幻影は消え、代わって現れたガゼインが説教――いや、決起の檄を飛ばそうとしている。
「――今外に出てる連中が戻ったら……俺たちは、国を
ガゼインの宣言に、居合わせた御使いたちがざわつく。
「目標は、サンタマナ王国王都モノカンヌスだ。
国王ヴィストガルド1世はじめ、国の要人を片っ端から暗殺、混乱に乗じて王城を奪取する。
同時に王都に潜入させた宣伝工作部隊が、王都の民に対して硬軟取り混ぜた宣伝工作を行う。
もし、俺たちに逆らう者が出てきたら、そいつらは悪魔だ。
一人残らず暗殺する」
誰かが喉を鳴らす音が、やけに大きく聞こえた。
「悪神さまの導きだ。
同志たちよ、ついてきてくれるか?」
ガゼインの言葉に、礼拝堂に沈黙が下りた。
そして、
「――嫌です」
会衆席から歩み出て、俺が言った。
俺の背後には、少年班を中心に、俺の「同志」となった御使いたちがずらりと並ぶ。
大人の御使いが十数人、少年班からも何人かがこの場にいる。
「……何だと?」
ガゼインが、険しい顔で言った。
「嫌だ、と言ったんだよ、首領さま」
「貴様、首領に向かってどんな口を聞いている! ――《反省せよ》!」
横合いから飛び出してきた幹部――たしかガズローとかいう名前だった――が、「忠誠」の首輪の鍵語を口にした。
が――
カチャリ。
「……こいつの外し方なら、とうの昔にわかってるよ」
俺は外した首輪を指でぷらぷらさせながら言った。
「なんだと……!」
絶句したガズローに代わって、ガゼインが言う。
「……いいんだな、オロチ」
「何がだ?」
「これは明確な反乱だぞ。
俺がそうしたいと言ったところで、もう懲罰で済む話じゃねえ。
おまえは、引き返せないところに立ちつつある。
――それで、いいんだな?」
「ああ。
それに、これは俺だけの意志じゃない。みんなの意志だ。
暗殺教団なんていう虚妄には、これ以上付き合ってはいられない……っていうな」
俺の言葉に、ガゼインは改めて、俺の背後に立つ御使いたちに目を向ける。
「おまえ1人が、俺を殺そうとすることなら、ありうると思っちゃいたが……こりゃ一体どういうことだ。
おまえらは悪神さまを信じていたはずだろう?
どこでどう、心変わりをしたんだ?
いや、どうやったら心変わりをするというんだ?」
「たしかに、あんたのかけたあの手この手の洗脳は厄介この上なかったよ。
でも、最終的には、みな考えを改めてくれた。
もっとも、彼らはおまえに騙されて傷ついてもいる。
だから、彼らは新しい神を信じることにした。
俺が神なんて実在しないって言っても、聞いちゃくれなかった。
いや、彼らは、実在しなくてもいいと答えたんだ。
これ以上他人を犠牲にせずに生きていくためになら、信じられないような神でも信じてやろうと、そう思ったんだとよ。
――さあ、みんな、おまえたちが信じてる、新しい神の名前を教えてやろうぜ。
ナムアミダブツ!」
「「ナムアミダブツ!!」」
俺の背後に立つ御使いたち――いや、元御使いたちが、神の名を唱和した。
その大音声に、悪神のための礼拝堂がビリビリと震えた。
「てめえ、一体何をしやがった!?」
ガゼインが、俺を鋭く睨んでそう叫ぶ。
俺はニヤリと笑ってこう答えた。
「――俺は何もしていない。すべては仏様のなされたことだ」
「ふざけるな!」
「だいたい、俺みたいなガキに何ができるってんだ?
俺はどこにでもいるような、何の変哲もない11ヶ月児にすぎないぞ」
「こんな11ヶ月児がいてたまるか!」
怒られてしまった。
むしろそこだけは本当なのだが。
「言っとくが、ここにいる全員が、メスカリンへの耐性薬を摂取済みだ。
あんたの魔法だけじゃ、こいつらを操ることはできないぞ」
俺が言うと、ガゼインは大きく舌打ちした。
「くそっ……ガナシュのジジイまでそっち側かよ」
ガゼインは、頭をガリガリと掻きながら、俺を鋭く睨んでくる。
「ああそうかい。
っつーことは何か、俺はおまえにフラれちまったってことか?」
ガゼインが言っているのは、例の誘いのことだろう。
「悪いな。
だが、俺は信じてるんだ」
「何を?」
「俺を大事に思ってくれる人たちのことを、さ。
それに、居場所がないんだったら、自分で作ればいい。
信頼できる相手がいないからって、何も悪神なんかとつるむことはないと思うね」
「……ふん。
所詮は、世の中を知らねーガキだったってことかよ」
「世の中は必ずしも生きやすい場所じゃないが、マシな場所だって探せばあるさ」
「だったら好きに探してみろ。
だがな、どこに行ったところで、誰と出会ったところで、おまえのことを心の底からわかってくれるやつなんていやしねーぞ。
そして、どこにだって異端者を吊るしあげたくてしょうがねえ馬鹿どもがいるんだよ」
「そんなことはないだろ。
事実、あんたは俺のことをわかってくれてるじゃないか。
周囲と異質であること、常識から外れてること――そのことの悲哀と危険とを、あんたは俺に教えてくれたよ」
その時、俺の視界の隅で紫電が閃いた。
俺の仲間の誰かが、動こうとした幹部を、俺が教えておいた《サンダーボルト》で無力化したのだ。
それが引き金となって、あちこちで閃電が走った。
その後に立っているのは、俺たちの他には、ガゼインとそのとりまきだけだ。
もちろん、状況に戸惑い、どちら側にもつけないでいた御使いたちまで薙ぎ倒したわけじゃない。
状況に戸惑ってはいても、彼らとて鍛えられた暗殺者には違いなく、壁際へと下がって難を逃れた者が大半だ。
巻き添えになった御使いもいるかもしれないが、死ぬような威力では撃たないように言ってある。
非常時ということで勘弁してもらおう。
「――ちっ。
まさか、こんなとこでしくじるとはな」
ガゼインが苦り切った顔でそう言った。
しかし、ガゼインの顔に絶望はなかった。
俺を殺して組織を立て直せばいいと思っているのだろう。
ガゼインの顔に浮かんでいるのは、あくまでも苛立ちであって、焦りではない。
この程度ではまだ、〈
「――俺と戦え、ガゼイン・ミュンツァー」
「何だと?」
「これで、宗教指導者としてのあんたは俺に負けた。
だが、暗殺者としてのあんたは、まだ死んじゃいない。
みんなの洗脳を解くためにも、〈
「おいおい……本気で言ってやがるのか?
俺を誰だと思ってやがる?」
「そう思うなら、やってみればいいだろう」
「クソ面白くもねぇ……だが、一度おまえの思い上がった面を張り倒してやりてえとは思ってたんだ。
――おい、おまえら、手は出すな。
こいつは俺が仕留める」
そう言ってガゼインが一歩前に進み出る。
そして、黒装束の隠しから一枚の銅貨を取り出した。
「――この銅貨が床に落ちるのが合図だ」
「いいだろう」
俺の横柄な返事に鼻を鳴らし、ガゼインは銅貨を指で弾いた。
上にではなく――
俺はその銅貨を【サイコキネシス】で受け止めるが、その間にガゼインは元いた場所から消えている。
そして、俺の背後から振り下ろされる鋭い刃。
俺は左半身を前にずらすことで、左の肩甲骨と鎖骨の間の急所を狙った一撃をすれすれでかわした。
「【見切り】……だとっ!?」
ガゼインが愕然とつぶやいた。
俺と同じく疲れ知らずのエレミアとの秘密訓練で、俺の【見切り】スキルは既にカンスト目前になっている。
見切るという名前とは裏腹に、背後から接近する目視できない気配ですら、このスキルによって把握し、紙一重でかわすことが可能だ。
続いて襲ってきたガゼインの蹴りも、蹴りの方向に沿って移動することで威力を完全に殺しきる。
俺からの反撃は、ガゼインの脚甲を【サイコキネシス】でつかんでの
「ぬっ……うおおおっ!?」
【軽功】のかかったミゲルですら対処できない、投げる側の人体の構造にとらわれない強引な投げを、ガゼインは空中で錐揉み状に身体をひねることで抜けてみせた。
マジかよ。
俺が驚いた一瞬のうちに、ガゼインは片手を床についてその反動で飛びすさり、俺から間合いを取ろうとする。
驚きから立ち直った俺は、ガゼインに向かって鋼糸を放つ。
ガゼインは懐から抜き出した短剣で鋼糸を斬ろうとする。
が、短剣が鋼糸と接触する寸前になって、あわてて短剣を引き、仰け反るようにして鋼糸をかわす。
狙いを外した鋼糸は、そばにあった柱にぶつかった。
鋼糸は、バチッと激しい火花を散らし、勢いを失った。
今の鋼糸には【付加魔法】で【雷撃魔法】を乗せてあったのだが……ガゼインは直前になって鋼糸に違和感でもおぼえたのか、短剣を引いていた。
おそらく、悪神にアッドされた伝説級スキル【危険察知】の効果だろう。
もちろん、いくら危険を察知しても、それを回避出来るだけの技量がなければ意味のないスキルだが、断るまでもなく、ガゼインにはそれだけの技量がある。
しかし、ガゼインの体勢は、無理な動きの連続で崩れている。
ここで俺は、切り札のひとつを切ることにした。
「
一瞬の詠唱で、《フレイムランス》が発動した。
手品の種は、魔文だ。
この二字を魔文として読み下して、「炒る/射る」の語を当てた。
もちろんこれは、マルクェクト共通語ではなく日本語だ。
日本語で魔文化しても、俺自身のイメージの問題だから、詠唱は問題なく機能する。
ちなみに、両方の意味を念じながら、発音するのは「イル」一回だけでいい。
俺の心の師であるアバドンが見たら、目を剥いて驚くような革新的な詠唱技法のはずだ。
が、
「うおおおっ!? は、早ぇっ!」
一瞬で発動した《フレイムランス》すら、ガゼインはその卓越した身ごなしでかわしてしまった。
しかし、それは問題ではない。
かわされたのなら、当たるまで撃ち続ければいいだけのこと。
俺は、イル、イル、イルと重ねて《フレイムランス》を刻んでいく。
弾撃ちは2D格ゲーの基本だ。
みっともなく逃げ惑うガゼインめがけて、白熱した火槍を矢継ぎ早に投げつけていく。
「調子に……乗るなッ!」
ガゼインが、手にした短剣を気合とともに一閃し、飛来した炎の槍を切り捨てる。
【鑑定】する暇はないが、何か魔法のかかった武器なのだろう。
俺はさらに《フレイムランス》を重ねるが、ガゼインは俺に向かって跳躍しながら、襲い来る炎の槍を片っ端から切り捨てていく。
そして、空中でトンボ返りを打ったガゼインの鋭いつま先が、俺の頭めがけて迫ってくる。
――が、それは俺の読み通りの行動だ。
「
それぞれ発音は、i、s、i、uだ。
これを、siuとiに分け、朱・為の漢字を当て、この漢字を漢文風に読み下した。
こんなことをしても、イメージが崩れないかぎり、魔文としては有効だ。
ジュリア母さんの《
また、閉鎖空間内で《
というわけで、《
俺の身体の前から噴き出した爆炎が、空中にいて身動きの取れないガゼインをまともに巻き込んだ。
いかなガゼインとはいえ、空間ごと灼熱の颶風に襲われては避けようがない。
ガゼインはなすすべもなく全身を炎に取り巻かれながら弾き飛ばされ、礼拝堂の床をバウンドしながら反対側の壁まで転げていく。
俺とガゼインの戦いを見守っていた御使いたちが息を呑んだ。
反対側の壁にぶつかったガゼインは、衣服を焼かれているにもかかわらず、身動きする気配がない。
「――やったか?」
俺のつぶやきが、静寂の支配する礼拝堂にこだました。
次話、金曜(2/13 6:00)掲載予定です。