46 対話
俺たちは、最初に一度下り、それから上って戻ってきた道を引き返し、もう一度巣の奥へ向かって下っていく。
親火竜の空けた大穴を通っていくことも考えたが、いまだに四方の壁が赤熱してるような空間を、人間は「道」とは呼ばない。
こうして見ると、さきほど仔火竜が空けた外への穴など、子どもだましもいいところだ。
直径が倍以上違うし、何よりあっちは数分もしない内に壁面は冷えて固まり始めていた。
たしかに、この程度の火力では、まだこれほど大きな巣を作ることはできないだろうな。
もっとも、それですら、ベックの【防禦】がなければ即死するだけの火力を持っているのだが。
俺たちは、今度は【忍び足】を使うこともなく下って行くが、今度も緊張感なしでとは言えなかった。
なにせ、後ろから仔火竜が監視するようについてきているし――その上、この先にはエレミアが確認したという親火竜がいるのだ。
俺たちは〈
そこから親火竜の棲処までは一直線だ。
棲処には、いくつもの篝火が焚かれていた。
【暗視】がなくても十分に明るい。
揺らめく炎に照らされて、親火竜の巨体が視界に入る。
ここからでは、大きすぎて胸のあたりまでしか見られない。
それだけでも、既に仔火竜の倍くらいの大きさがある。
誰かが息を呑む気配を感じた。
エレミアかドンナかベックか、それとも全員か。
「で、でけぇ……」
ミゲルが呻くように言った。
仔火竜が、俺たちの背後で「グギャア」と啼く。
それに答えるように、親火竜が低く喉を鳴らす。
おそらくノックと、「入れ」という合図だな。
俺たちは火竜の棲家へと足を踏み入れる。
「ふ、ふわぁ……」
ドンナが、親火竜を見上げて声を漏らす。
親火竜は、体高7メートルほどか。
首を伸ばせば、おそらくランズラック砦の城壁から頭が出るくらいの高さになる。
そしてその首には、ワイバーンが一匹、咥えられていた。
食事中、というわけか。
火竜は、ワイバーンを後ろに向かって放り出し、理性を感じさせる黒い瞳を、俺たちの方へと向けた。
《火精どもが落ち着かぬと思ったら、予期せぬ客人があったようだな》
親火竜の声が、脳裏に響く。
口もわずかに動かしてはいるが、言葉と口の動きはちぐはぐで、まるで外国映画の吹き替えを見ているかのようだ。
「と、共食い……?」
ドンナが口を抑えてそう言った。
小さな声だったが、火竜の耳には届いたようだ。
《共食いだと? これは異なことを言う。
こやつらは我らの家畜ぞ。
我らの庇護下にあって安楽な暮らしを営む代わりに、時として我らの餌となることを
「そ、そうなのか……」
俺は、戸惑いながらつぶやいた。
食われてもいいから守ってくれというのは正直よくわからない感覚だが、そうだと言われればそうですかとしか言いようがない。
牛や豚だって、人間から逃げようとはしないもんな。
《さて、人間たちよ。
聞いておかねばならぬことがある。
我と我が仔は、ここが人里離れた場所であることを確かめた上で、移住を決めた。
なぜ、お主らはこんな場所にいる?
この付近には人の集落があったのか?》
「はい。ここから遠くない場所で、地下に居を構える人間の集落があります」
《なぜこのような不便な場所に住む?
人間は交易がなければ快適な生活が送れぬと聞くぞ。
わざわざこのような場所に住むということは……他の人間から排斥された、何かやましいところのある者達ではないのか?》
「それは……」
事実そのとおりなので、答えに詰まってしまった。
《ふむ……》
火竜がつぶやくのと同時に、なんと【鑑定】が飛んできた。
俺は反射的にそれを弾く。
が、俺以外の4人は【鑑定】されたことにも気づいていない。
エレミアだけは、ピクリと身じろぎをしていたが、何をされたのかまではわからなかったようだ。
火竜は、4人のステータスを確認しているのだろう、小さくうなずきながら、何度か喉を鳴らしている。
人間であれば、「ふむふむ」とでもつぶやいているところかもしれない。
火竜の思考は、そう長くはなかった。
《おおよそのところは、察しがつくな。
最も危険なのはおぬしか。
よもや、我が【鑑定】を弾くとはな。
見た目通りの存在と侮っては、痛い目を見そうだ》
火竜が俺を観察しながらそう言ってくる。
「いや、見た目通り、正真正銘の10ヶ月児だぞ?」
「「「「いやいや!」」」」
少年班4人が声をハモらせてつっこんだ。
仲いいなおまえら。
《――それから、そこに隠れている小さき者。
害意がないのならば、姿を見せよ》
火竜の目は、俺の肩に止まっているメルヴィに向けられている。
あちゃあ。
『……どうする?』
『しょうがないね』
俺がうなずくと、メルヴィが姿を現した。
突如現れたメルヴィに驚いたのは、火竜ではなく少年班の4人の方だ。
「――わたしはメルヴィ。見ての通り妖精よ。
今は訳あって、エドの旅の供をしているわ」
「よ、妖精さん……!?」
ドンナがびっくりした様子で、メルヴィと俺とを見比べている。
「まだそんな隠し球があったのかよ、オロチ同志」
とはミゲル。
「悪いな。〈
「幹部の人たちには、妖精が見えないの……?」
エレミアが、驚いたように言った。
エレミアは、さすがダークエルフというべきか、「妖精は悪人には見えない」という話を知っているようだ。
顔色を見るに、ドンナも知っているみたいだな。
「どちらにせよ、妖精には人を害することはできないから、〈
面倒を避ける意味でも、姿を隠してもらった方がいいと思ったんだ」
我ながらちょっと言い訳っぽいか。
「なるほど。
オロチ同志が時々ひとりごとを言ってたのは、メルヴィさんとお話してたからなんだね」
エレミアが納得したように言う。
ごめん、エレミア。
それは単なるひとりごとなんだ。
メルヴィとは【念話】してるからね。
《本来であれば、我らは無闇に人の子を襲うことはないのだがな》
「ああ、それはわかってる。
今回のことは、無断で巣に踏み込んでしまった俺たちが悪い。
やむをえなかったとはいえ、あんたの子どもを傷つけてしまったことについても謝罪する」
みなを代表して、俺がそう答える。
《妖精を連れた者の言葉だ、疑う必要はあるまい》
そう言って火竜は、俺から視線をそらし、少年班4人を代わる代わる見据えていく。
ミゲルは虚勢混じりに睨み返し、エレミアとドンナはそっと目を伏せ、ベックは恐怖に耐えかねて目をつむった。
《ふむ。おぬしらからは、邪な気配は感じぬな。
〈
火竜がつぶやき、思案するように沈黙する。
が、その言葉には、驚くべき内容が含まれていた。
「火竜、あんたは、〈
俺がそう問い返すと、火竜は俺の表情を見定めるように観察しつつ、
《……とぼけているようには見えぬな。
もとより、いかな我とて、種族の異なる者の表情を完全に読めるとは言えぬが》
「エドの言ってることは本当よ。
と、わたしが証言すれば、賢明なる火竜様には、そのことの意味はお分かりいただけるのではないかしら?」
メルヴィの言葉を、火竜は噛みしめるように喉を鳴らした。
《――妖精は嘘をつけぬ、か。
小さき者の言うことを疑うことはできぬが、ことの真相とは、ただ嘘か嘘でないかのみで判断できるものではない。
嘘をつかずに巧みに他者を騙す者も存在する》
「ずいぶん慎重だな。
あんたは圧倒的な力を持っているのに」
《……妖精を連れた者よ。
我には、疑うに足る理由があるのだ。
疑惑を晴らしたければ、我が【鑑定】を受け入れよ》
「……いいだろう。
だが、俺のステータスについてはあんたの胸の中にとどめておいてくれ。
それから、俺の方でも
《ほう。弾くのみならず、自ら使えると申すか。
よかろう、好きにするがよい》
俺と火竜とが、互いに向かって【鑑定】を使う。
俺に隠れてメルヴィも火竜を【鑑定】しているな。
――グルルルォ!
《これは……!》
俺のステータスを無事見ることができたらしい火竜が驚愕しているが、まずは俺の方の【鑑定】結果を見てみよう。
《
アグニア・エーゲルンハイム(《灼熱竜》・〔剣ヶ岳の〕《東の峰の主》)
年齢 566歳
レベル 111
HP 33997/33997
MP 2692/2852
アビリティ
フレイムブレス ★★★★★
アシッドスプレー ★★★★★
飛行 ★★★★★
〔パッシブ〕解毒 ★★★★★
〔パッシブ〕強免疫 ★★★★★
〔パッシブ〕再生 ★★★★★
スキル
・伝説級
【精霊魔法】6
【鑑定】5
【念話】5
【防禦】3
・達人級
【竜言語発動】9(MAX)
【ブレス魔法】9(MAX)
【咆哮術】9(MAX)
【竜闘術】9(MAX)
【飛行戦闘】9(MAX)
【火精魔法】7
【タフネス】5
【立体造形】5
【見切り】4
【魔力制御】2
【魔力検知】2
【物理魔法】2
【メンタルタフネス】2
【治癒魔法】2
・汎用
【火魔法】9(MAX)
【魔力感知】9(MAX)
【遠目】9(MAX)
【竜鱗防御】9(MAX)
【竜爪技】9(MAX)
【竜脚格闘】9(MAX)
【夜目】9(MAX)
【威嚇】5
【地魔法】4
【指揮】4
《火精の注目》
《竜神の加護》(竜神シュトラヴルムの加護。竜関連スキルの習得・成長に中補正。アビリティの成長に中補正。)
》
驚きたいのはこっちだっての。
さっきブレスに干渉できなかったのは、火竜の【精霊魔法】のスキルレベルがメルヴィや俺より高かったからか。
割れ目の底に落ちた直後のブレスには干渉できたが、警告だった2度目のブレスは、こちらに干渉されないよう、【精霊魔法】で何らかの細工をしてたってことだろう。
《なるほど。アトラゼネク様の使徒だったか》
おい、ネタバレをするな! と思ったが、他の4人には聞こえていない様子だ。
『どうやら、【念話】を【精霊魔法】で中継してるみたいね』
と、メルヴィが解説してくれる。
なるほど。それなら、【念話】を習得していない相手にも、声を届けることができるな。
《アトラゼネク様の使途が、悪神を讃える教団にいるというのか?
おおかた、潜入しているのであろうが》
『そんなところだ』
と、こちらは【念話】で話しかける。
火竜が【念話】を持っていることが確認できたからな。
『この火竜さんは、悪しき存在じゃないわ。
わたしのことが見えてるし、【妖精の眼】で見ても、清廉な魂の持ち主よ』
メルヴィがそこまで言うのなら、信用して大丈夫だろう。
『この子たちは、各地から〈
そしてカラスの
俺は彼らと行動を共にしつつ、なんとか洗脳を解こうとしているところだ。
もちろん、〈
手短に、こちらの事情を火竜アグニアに説明する。
《……ふむ》
火竜は思慮深く頷くと、俺たち全員に向き直り、言った。
《――ならば、話しておくべきだろうな。
少し前に、この仔をさらおうとした人間がおったのだ。
そして、その中の何人かのステータスには、〈
「そんな!」
とエレミアが言ったところからすると、今度は全員に聞こえるように言ったようだ。
【念話】と【精霊魔法】を組み合わせるこの技術、めちゃくちゃ便利だな。
竜でなくても、【念話】と【精霊魔法】が使えればいいのだから、俺やメルヴィでも練習すればできるようになるはずだ。
塒に帰ったらメルヴィと特訓だな。
「ひょっとして……あんたの子どもが【忍び足】なんて覚えてたのも、そのせいか?」
人間に狙われたことがきっかけで、気配を隠すすべを身につけたのか、と思ったのだが、
《いや、この仔はかくれんぼが昔から好きでな。
竜にしては珍しく、気配を殺したり、逆に察知したりすることに適性があるらしいのだ。
その反面、火竜のくせにブレスが苦手と来ている》
そう言って火竜が苦笑した(のだと思う)。
自分のそばに控える我が子を見るアグニアの目には、優しい光があった。
しかしそれにしても、あれだけのブレスでも、火竜の中では苦手な部類に入るのか。
その代わりに、仔竜には斥候役としての才能があるようだが、あれだけの巨体が気配を殺して接近してくるなんて、人間からすれば、普通の火竜より何倍もたちが悪い。
「しかし、あんたらを襲うなんて、とんだ命知らずがいたもんだな?」
《我もそう思ったのだがな。
しかし、その人間どもはかなり図抜けた力量の持ち主ばかりであった。
この仔だけでは危なかったであろうな。
「その中に、ガゼインという男はいなかったか?」
《ガゼイン……思い出せぬ。
【鑑定】結果を記憶していられるほど余裕のある戦いではなかったのでな。
連中の中には、悪魔使いまでいた》
「悪魔使い?」
《うむ。我も長く生きてきて初めて見たのだがな。
北極に棲むという中級悪魔を数体同時に使役していたところを見ると、相当な術者であろう。
あれで全力とも思えぬな》
齢五百を超える火竜アグニアを向こうに回して、なお余力がありそうだったってことか。
「他の連中は?」
《ステータスに〈
その中に、ひとり図抜けた技量の持ち主がいたが、ひょっとするとそやつがおぬしのいうガゼインとやらだったのやもしれぬな。
その他に、悪魔使いの従者らしき黒いローブの魔法使いが数名おった。
そやつらも人間としてはかなりの使い手なのであろうが、我がブレスを防御しそこねてやはり半数ほどが死んでおる。
そして、悪魔使いの召喚した中級悪魔が数体いた他に――表現に苦しむ者どもが、やはり数人おった》
「表現に苦しむ者……?」
《なんといおうか、気配が狂っているのだ。
魔物とも、人ともつかぬ気配を放っておった》
「【鑑定】はしなかったのか?」
《むろん、したとも。
が、【鑑定】の結果は、まったく要領を得ないものだったのだ》
「は……? 【鑑定】の結果が要領を得ないだって?」
《おぬしも【鑑定】の使い手ならばわかるだろうが、【鑑定】とは、対象に内在する存在魔力に対し、『ピン』と呼ばれる探知用の微弱な魔力を発し、その反応を解析することで、対象の情報を推察するというものだ。
この解析や推察の精度や深度が、スキルレベルの上昇とともに向上していく》
へえ、そういうものだったんだ。
じゃあ、MPは消費しないと思ってたけど、「微弱な魔力」分くらいは使ってるということか。
その魔力が、【魔力感知】や【魔力検知】によって検出されると、【鑑定】がバレるということなのだろう。
《しかし、この表現に苦しむ者どもには、この解析や推察がうまく働かなかったようなのだ。
ステータス画面を、膨大なゴミ情報が埋め尽くし、その情報すら、時間とともに変化していく。
このような存在を、我はいまだかつて見たことがない》
たしかに、それは「理解に苦しむ」としか言いようがないな。
「そいつらは、強かったんですか?」
《いや、我はそやつらとは、あまり戦ってはおらぬのだ。
が、多少爪牙を交えた感触では、さして強いとも思えぬのだ。
むろん、その場にいた他の者どもが、相当な手練であったから、あくまでもそやつらに比べれば、という話ではあるが。
そうだな、妖精を連れた者よ、おぬしであれば、楽勝とはいかぬまでも、負けはせぬであろう、という程度か》
意外に弱い……のだろうか。
この世界の標準に照らせば、普通の兵士や冒険者では危ない相手だということになるだろうから、それなりに強いとは思うが……。
ううん、本当に理解に苦しむ連中だな。
「そうすると、あなたの子どもを襲った連中は、総勢で15、6名程度ということですか。
〈
連中は、あんたの子どもをさらおうとして、あんたの反撃を受けて半壊、撤退したと。
それはいつ頃のことなんだ?」
《そろそろひと月になろう。
我は、その襲撃の後、この仔を連れて東の峰を離れ、新たな巣の適地を探すことにした。
そうして辿り着いたのがこの地であるが――よもやその地が、かの者どもの本拠に隣り合っていようとは、運命の皮肉を感じずにはいられぬな。
運命の神は皮肉屋であるという俚諺は、あるいは真理を突いておるのやもしれぬ》
火竜アグニアが喉を鳴らす。
たぶん笑ってるんだろうが、見上げるような巨体にそんな音を出されるとこっちは生きた心地がしない。
ドンナがビクッとしてるし。
「棲処を明け渡したっていうのか?」
《異なことがあるか?
我らは空を駆ける種族。
かりそめの巣を設けることはあるが、人の子と異なり、土地に縛られることはない。
ある場所が住みにくくなれば、他所に住み替えるだけのことよ。
何も好き好んで、虫の湧く家に住み続ける必要はあるまい?》
なるほど。そいつらのことなんて意にも介していないってわけか。
《もっとも、我らを崇める人の子も存在しておる。
我らが庇護を求め、その代わりに竜の爪には合わぬ細々としたことどもで我らに仕える部の民であるな。
連中がもし、この仔を諦めず、今後も拐かそうと考えるならば、まず危険が及ぶのは、我らに仕える部の民たちであろう。
「部の民たちは、見捨てられたと思うんじゃないか?」
《巣が落ち着いたら、この仔を遣わす予定であった。
今頃は移動の準備でおおわらわであろうよ。
――時に》
アグニアが、黒い瞳をミゲルに向けた。
「え? お、俺?」
ミゲルが慌てるが、俺もこれには意表をつかれた。
《おぬしは、我が民ズコルナーシュの血を引いておろう?
それがなぜ、〈
「なっ……えっ?」
《――答えよ》
「ぐっ……な、なんだよ、いきなり!
〈
俺は悪神様に仕える聖なる御使いだ!
だいたい、ズコルナーシュの連中は、母さんを逐いだしたって聞いてるぞ!」
ミゲルが顔を赤くして反論する。
やっぱり――そうだったか。
ミゲルのフルネームは、ミゲル・
フォノ市の冒険者ギルドで出会った
そして、モリアさんは
これだけ条件が揃っていて、同姓同名の別人だなんてことは、ありえないだろうと思っていたのだ。
《母親が放逐された――そうか、おまえはあの双剣使いの息子だったか》
「なっ……母さんを知ってるのか!?」
《おまえの母親は、部の民たちの禁を犯して、追放された。
我らには理解できぬが、群れる存在には、群れを維持するための法と秩序が存在すると聞く。
気の毒ではあるが、致し方のないことであろう。
事実、おまえの母親を憎んでいたのは、神官の一部のみで、他の者にはいたく慕われていたようであるな。
おまえの母親――名を、モリアと言ったか。
モリアは、我が仔の守り人を務めるほどの、卓越した使い手でもあった。
群れの者どもはモリアを引き止めたが、モリア自身が、罪の証を受け入れて、群れを去る決意をしたのだ。
我は、群れを去る前に彼女の挨拶を受けている。
その腕には、生まれたばかりの赤子が抱かれていた》
「それって……」
ドンナが声を漏らす。
《おそらくは、おぬしであろう、赤髪の少年よ》
まさか、火竜とミゲルの母親が知り合いだったとはな。
こうなると、あのことも黙っているわけにはいかないだろう。
「ミゲル、俺は、おまえの母さんに会ったことがある」
俺の言葉に、ミゲルが驚いて俺を見た。
「というより、モリアさんは、俺の母さんとコンビを組んで冒険者をしてたこともあるらしい。
モリアさんは、ミゲルがいなくなったことを、今でも自分のせいだと言っていた。
今でも、ミゲルのことを探してるよ。
俺がフォノ市から誘拐された時、モリアさんはフォノ市にいた」
「母ちゃんが……あの時、あそこにいたってのか……」
フォノ市のキュレベル子爵邸が襲撃された時、ミゲルたち少年班もその場にいた。
つまり、あの時、モリアさんとミゲルは同じ街の中にいた。
《御使いとしての使命とやらが、親子の
が、おぬしの母親は、咎人とされてからも、常に正面からおのれの罪と向き合っていたぞ。
ズコルナーシュの血を引くおぬしに、同じことができぬとは、我は思わぬがな》
火竜アグニアは、そう言ってちらりと俺に目配せをした。
そうか、洗脳のことを知って、ミゲルの過去を知る第三者の立場から、揺さぶりをかけてくれたんだな。
さすが五百年も生きてるだけあって知恵が回る。
《――さて、かくのごとき事態となっては、ここも巣穴に適した土地ではなかったようだな》
「……行くのか?」
《〈
火竜の言葉に反応したのはドンナだった。
ドンナは俺たちの前に進み出て、両手を大きく広げながら叫んだ。
「だ、ダメっ! あそこには、みんながいるんだから!」
《しかし、そやつらは、我が仔を拐かそうとした連中の仲間なのであろう?
「そ、それは……きっと、なにか理由があったんだよ!」
《獣人の少女よ、では問うが、いかなる理由があれば、何の咎も無き我が仔を、我の元から力づくで連れ去るなどということが、赦されるというのだ?》
「う……それは……」
言葉に詰まったドンナの代わりに前に出たのはエレミアだ。
「――悪神さまは、時として、一見悪としか見えないことをやれとおっしゃいます。
しかし、それは必ず、深いご叡慮があってのことなのです。
火竜様、どうか悪神さまのご叡慮を信じていただけませんか?」
《そのような寝言を、おぬしら以外の誰が信じると申すのだ?
そもそも、一見して悪としか見えぬことを行っている者が悪でないというのならば、この世に悪などおらぬことになろう。
外見が本質を覆い隠すことも時にはあるが、一般的に言って、悪しき外見はやはり悪しき本質の現れであると捉えるのが筋であろう?》
「で、でも……悪神さまは……」
《なぜ、悪神のみを、その例外として捉えねばならぬ?
そこに合理的理由があるのならば述べてみよ。
悪神は、これまでに数えきれぬほどの悪人と魔物に力を与え、善良なる人々を虐げてきた存在なのだぞ。
信じるに足る根拠がどこにある?》
「そ、それは……」
エレミアが悔しそうに唇を噛みしめる。
《――我を説得出来るだけの根拠がないのであれば、時間の無駄だ。
我は塒とやらを灼き滅ぼし、ここを新たな棲処とすることにしよう》
「そ、そんなことをしなくても、仲良く一緒に――」
ドンナが泣きそうな顔で言うが、
《仲良くだと? 我が仔を拐かそうとした者どもとどう仲良くできるというのだ?
我が巣とカラスの塒は相いれぬ。
まして、〈
「う、うう……でもぉ……ぐすっ」
ドンナが本格的に泣き出してしまった。
そこで、火竜が俺にアイコンタクトを送ってくる。
――やっぱり、そういうつもりか。
どんだけ知恵が回るんだ、この竜は。
「――ちょっと待ってくれないか、火竜アグニア。
〈
仲間と言っても、御使いたちのすべてじゃない。
おそらく、あんたの子どもを誘拐しようとした痴れ者もあそこには混じっているんだろうが、教団の教えを信じてるだけの子どもたちもいるんだ。
その子たちまでまとめて灼き滅ぼすとしたら、今度はあんたが悪を為したことになる。
その子たちの親は、あんたのことを恨むだろう。
たとえ、元はといえば〈
《――なるほど。
仔を思う親の気持ちは、竜も人も同じだと申すか。
だが、わかっておるだろう。
我は、我が仔を害そうとした存在がすぐそばにいると知りながら、何もせずにおることはできぬのだ》
「あんたの気持ちはよくわかる。
俺だって、誘拐されて塒にやってきた。
俺の両親も、今頃すごく心配してるだろう。
いや、それどころじゃ済まないだろうな。
父さんも母さんも必死になって俺のことを探してるはずだ。
だから、あんたの気持ちは、全部ではないかもしれないが、想像はできるんだ」
《ではどうする?》
「――俺が、この手で、あんたの子どもをさらおうとした奴を捕まえる。
そして、その背後関係を暴いて、今後あんたの子どもに手が出されるようなことが起きないように対処する。
だから、俺たちに時間をくれないか?」
《ふむ……。
本来であれば、相手にもせぬところだが、妖精を連れた者の言葉だ。
それに、背後関係を洗い出し、〈
――よかろう。
今回の一件は、おぬしに預けることとしよう――エドガー・キュレベルよ》
そう言うと火竜は、俺に向かって片目をすがめてみせた。
ウインク、だろうか。
そう、今の一連のやりとりは、俺が火竜の作り出したシナリオに乗った、一種の芝居なのだ。
アグニアとしては、〈
塒ごと灼き滅ぼすのは、たしかに面倒のない手段かもしれないが、塒にいない御使いたちを取りこぼしてしまうおそれがある。
結果として幹部の一部を取り逃し、組織を再建されるような可能性も否定できない。
その点では、人間である俺が内偵を進めてからことを起こしたほうが、確実に〈
しかもアグニアは、洗脳を解きたいという俺の意図を組んで、外から見た〈
これは、俺の立場からはなかなかできないことだった。
いや、「第三者」がただの人間だったら、悪魔に誑かされているのだというお馴染みの理屈で否定されてしまっただろう。
だが、アグニアは齢五百を超える火竜で、その強さを、4人は身をもって知っている。
客観性という意味で、これほどわかりやすい「第三者」はなかなかいない。
さて、このお芝居も大詰めだ。
「――わかりました、火竜アグニア。
偉大なる父祖キュレベルの名にかけて、約束を違えることは致しません」
《うむ。
では、さらばだ、人間たちよ。
やれやれ、また一から巣作りをせねばならぬな》
アグニアは首を真上にもたげて、大きく息を吸い込んだ。
火の精霊の甲高い鳴き声が、竜の棲処を席巻する。
アグニアが、ブレスを真上に向かって開放した。
今日幾度となく見た赫い閃光が収まった後、ちかちかする目を開いて上を見ると、その先には青空と太陽が見えた。
火竜とその子どもは、翼を大きくたわませ、その巨体を宙へと持ち上げる。
もはや交わす言葉はないとばかりにアグニアが空へと舞い上がり、それに仔竜が続いていく。
仔竜は最後に、俺を睨みつけて「グギャアッ!」と啼いた。
なんとなく言いたいことがわかった。
覚えてろよ、と言うのだろう。
俺は返事代わりに軽くファイティングポーズを取ってみせた。
仔竜はそれを見て、フンと鼻を鳴らすと、翼を翻し、アグニアの後を追っていく。
火竜の棲処だった穴の底に残された少年班4人は、それぞれ悔しそうだったり、神妙だったりする表情を浮かべてうつむいている。
『はあ~。一時はどうなることかと思ったわよ』
『まったくだ』
メルヴィに【念話】で答えながら、疲れたはずもないのに、俺は思わずため息をついていた。
次話、金曜(1/30 6:00)掲載予定です。