44 火竜の巣
「……困ったな」
「うーん……」
「そうだね……」
「ああ……」
「お腹すいた……」
俺のつぶやきに、エレミア、ドンナ、ミゲル、ベックが生返事を返す。
ベックだけは、返事なのかどうかわからないが。
『エド、エド』
『ん? 何?』
『さっきの火竜は、だいぶ遠くまで行ったみたいよ』
『どうしてわかるの?』
『火竜の周りにいた、火の精霊たちの声が、聞こえなくなったからよ』
俺も集中して精霊の声を聞こうとしてみるが、たしかに近くに火の精霊はいないようだった。
『それができるなら、出くわす前に言ってほしかったな』
『あんたがやってないとは思ってなかったのよ。
それに、ブレスのせいで地中の精霊たちが混乱してたから、すぐそばに来るまでわからなかったのよね。
ブレスの後なら、火の精霊が多くてもおかしくはなかったし』
『しかも、なんでか知らないけど、あの火竜、【忍び足】を使ってたみたいだからな。
なんで竜がスキルなんか覚えてるんだよ……』
『あら、スキルは別に、人間の専売特許じゃないのよ?
妖精も竜も魔物も、しかるべき経験を積めばスキルを習得するわ。
火竜が【忍び足】っていうのは、ちょっと珍しいかもしれないけど』
『そうだったのか……』
『それはともかく、ここを出るなら今のうちよ?』
『でも、戻ったら出くわすだろ?』
『だけど、いつまでもここにいるのだって危険じゃない?
巣に入ったってことは、この辺にもブレスが飛んでくる可能性があるんだから』
『ブレスが飛んできたら防げる?』
『できるわよ?
さっき、入り口のブレスが逸れたのだって、わたしが火の精霊さんにお願いしたおかげなんだから』
『そうだったのか……メルヴィがいなかったら死んでるところじゃないか』
『そうよ。感謝なさい?』
どや、と胸を張るメルヴィ。
あれ? でも、たしかエレミアは、火竜の巣との位置関係から言って、あの場所にブレスが直撃することはないって言ってなかったか?
まあ、エレミアもそう自信がありそうな様子じゃなかったが……。
とにかく、こうなってしまってはやることは決まっている。
「――みんな、聞いてくれ。
ちょっと危険だけど、ここから《トンネル》を使って、地上までの穴を掘る。
いきなり崩れる可能性もあるが、火竜と出くわすよりはマシだからな」
《トンネル》に加え、硬化魔法《コンクリ》まで使えば、まず崩れることはないだろう。
後で他の御使いに詮索されるかもしれないが、手の内を隠すことと火竜から無事逃げ延びることのどちらを優先するかなんて決まってるからな。
俺は早速作業に取り掛かろうとしたのだが、
「――待ってくれ、オロチ同志。
俺は、その案には反対だ」
意外なことに、ミゲルがそう言い出した。
「おい、まさか、火竜と戦ってみたいなんて言うんじゃないだろうな?」
「いくら俺でも、さすがにそれはねーよ。
そうじゃなくて、せっかく火竜が巣から出て行ったんだから、巣の奥を偵察していくべきだと思うんだ。
もともと、今回の俺たちの任務は、
火竜がいるのは予想外だったけど――いや、だからこそ、この巣の規模くらいは把握しておかないとまずいと思う」
「うーん……」
ミゲルの言うことにも、一理はある。
この火竜を放っておいたら、カラスの塒はのちのち大変な危機を迎えることになるかもしれない。
塒の地下施設と、この巣とがつながってしまうおそれがあるかどうかを見極めるためにも、この巣の規模を偵察しておくのは理にかなっている。
「オロチ同志、ボクもミゲル同志に賛成だ。
火竜の巣には、複数の出口があると聞いたことがある。
だから、今火竜の通り過ぎていった方を避けて、奥の方に進んでいけば、別の出口から地上に出られる可能性もある。
そうなれば、オロチ同志が危険を犯して【地魔法】で穴を掘る必要もなくなる」
今度はエレミアが、ミゲルに賛同した。
《コンクリ》を使えば危険なく穴を掘れるのだが、最初に「崩落の危険がある」と言ってしまった手前、反論しにくいな。
「わ、わたしも、偵察に賛成。
みんなの住み処が、火竜の巣とつながっちゃったら大変だもん。
ちょっとくらい危なくても、様子を見ていった方がいいよ」
ドンナも偵察に賛成する。
かなり意外だったが、ドンナは少年班でも小さい子の面倒をよく見ている。
「みんなのために」は、ドンナを動かす魔法のキーワードだ。
「僕は、オロチ同志に賛成かな。
できたばかりの巣みたいだけど、他にもワイバーンのような魔物がいるかもしれない。
最初の情報が大きく間違ってたんだから、まずは撤退して、ネビル同志たちの指示を仰ぐべきだと思う」
ベックだけは、俺に賛成してくれた。
盾役として、パーティメンバーを守ることを期待されるベックらしい意見だと思う。
さて、多数決では3対2。
もちろん、俺がリーダーとしての権利を主張して、帰還を優先することもできなくはないが、ドンナはともかく、ミゲルやエレミアがそれで納得するとは思えないな。
「……わかったよ。
今なら火竜もいないんだし、巣の奥を偵察していこう。
そして、そこから別の出口を探して、脱出する。
――それでいい?」
俺の言葉に、4人が小さくうなずいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
俺たちは、万一火竜に追いつかれた場合の対応を決めた上で、火竜の巣穴の偵察に取り掛かった。
できたばかりの巣に他の魔物はいないと思うが、外で出くわしたワイバーンはいるかもしれない。
エレミアを先頭に、ミゲル、ドンナ、ベック、そして
巣穴の中は真っ暗だ。
みな、【夜目】のスキルを持っているが、俺の【暗視】とは異なり、光がまったくない状態では何も見えない。
だから、先頭と末尾のエレミアと俺が、それぞれ限りなく光量を絞った
ここら辺は、〈
砂色のマントは、闇の中ではかえって目立ってしまうので、最初の穴の中に脱ぎ捨ててきた。
他にも、ワイバーン用のネットなどかさばるものは捨て、身軽さを優先している。
エレミアが先頭にいるのは、もちろんその偵察能力を買ったためだ。
戦闘力の高いミゲルは、いつでもエレミアの背後から飛び出せるよう備えてもらっている。
最後尾の俺は、火竜が戻ってこないかを警戒し、もし戻ってきた場合にはありったけの魔法を使って時間を稼ぐ。
俺の前にいるベックは、持ち前の防御力でもって、いざという時に戦闘の苦手なドンナをかばう役割だ。
みんなからは見えないメルヴィも、精霊の声に耳を澄ませて、火竜の動きを探ってくれている。
背後からは、いつ火竜が戻ってきてもおかしくない。
かといって、あまり先を急いで、奥にいるかもしれない魔物に不意を打たれても危険だ。
じりじりとした行軍が続く。
【不易不労】のある俺はともかくとして、まだ御使いとしての経験が浅いドンナやベックはかなりしんどそうにしている。
エレミアは【疲労転移】のおかげで疲れていないようだが、近くにいるミゲルにはエレミアの分の疲労が転移されているだろう。
一応、エレミアとは距離をおいて進むよう言ってあるが、あまり離れすぎても、いざという時に対応できなくなってしまう。
そして、エレミアが不意に、足を止めた。
ハンドサインで後続の俺たちにその場で気配を殺すよう合図すると、【隠密術】に【闇魔法】まで併用して徹底的に気配を消し、角から奥を覗きこむ。
数秒後、最初にもまして慎重に、エレミアが俺たちの方へと戻ってくる。
もちろん、小石を蹴飛ばして音を立てるだとか、そういったたぐいのミスは犯さない。
「……いた」
エレミアの言葉は端的だった。
「いたって……何がだよ?」
ミゲルが声を殺して聞き返す。
エレミアの次の言葉に、俺たち全員が耳を疑った。
「
「……は?」
「火竜がいたんだ。それも、さっきの火竜より大きい火竜だ……!」
エレミアが、顔を蒼白にしてそう言った。
『……メルヴィ、感じる?』
『火の精霊のこと? ううん……いるとは思えないんだけど……』
メルヴィが困惑したように言った。
『メルヴィなら、気づかれずに近づいて、【鑑定】できる?』
俺よりスキルレベルは低いが、メルヴィも【鑑定】を持っている。
『どうかしら……。
火の精霊が集まっていない火竜でしょ……?
死体じゃないんだったら、火の精霊に語りかけて、そばにいないように言ってるってことになるわね。
巣の工事にでも、精霊たちを駆り出してるのかしら?』
『お、おい……それって、その火竜は【精霊魔法】が使えるってことか?』
『かも、しれないわ。
だとしたら、かなり老いた火竜でしょうね。
そういう火竜なら、わたしの【鑑定】に気づいてしまう可能性は否定できないわ。
むしろ、よくエレミアは見つからなかったものね』
『じゃあ、この場で話してることすら危ないかもしれないな』
『ええ。早くここを離れましょう。
もちろん、気づかれないように、細心の注意を払って』
メルヴィとの脳内会議を終えて、俺は少年班の4人に向き直る。
「……とにかく、ここを離れよう。
そんな大物がいることがわかったんだ。
偵察の成果としては十分だろう。
あとは、生きてこの情報を塒に持ち帰ることを考えるべきだ」
今回は、反対の声は上がらなかった。
が、
「でも、どこへ行くの……?
ここまで、洞窟は一本道だったんだよ。
戻ったところで、最初の火竜にまた出くわすんじゃ……?」
エレミアが心配そうに言う。
「とりあえず、下り始める前の場所まで戻ろう。
そこに横穴を掘って、入り口を隠して、そこから地上まで穴を掘る。
それまでは……火竜に出会わないことを祈るしかないな」
「それなら、ボクが先行偵察するよ。
火竜の位置を確認して、すぐに戻ってくる。
もし近くにいるようだったら、オロチ同志の【地魔法】でまたやりすごそう」
偵察は必要だろう。
メルヴィがいるから火竜の接近はわかると思うが、奥にいた火竜のように火の精霊がそばから離れる可能性もないわけじゃないからな。
「わかった。
気をつけろよ」
「もちろん」
エレミアは、これまで下りてきた道を慎重に戻っていく。
残された俺とミゲル、ドンナ、ベックの3人は、ハンドサインを交わして隊列を変更し、エレミアの後を追う。
斥候役のエレミアが外れたし、小さい方の火竜がいるのは前なので、今度は俺が先頭に立って、ベック、ドンナ、ミゲルの順だ。
今のハンドサインといい、服のこすれる音すら立てない隠密行動といい、〈
俺は慎重に進みながら、メルヴィに話しかける。
『何かおかしいと思ってたけど、巣作りをしているのはその大きな方の竜だったってことか』
エレミアが大丈夫と請け合った場所にブレスが飛んできたのは、エレミアが地滑りの前に確認してきた火竜が小さい方だったからだろう。
小さい方の位置からは、あそこまでブレスが届くことはないが、大きい方はより深い場所にいるために、ブレスがあそこまで届いたのだ。
火竜は巣の奥にいるはずなのに、いきなり火竜(小さい方)と出くわしたのも、巣作りしている大きな竜とは別に、小さい方が巣穴に棲み着いていたからだ。
『たぶん、小さい方は、大きい方の子どもね。
小さい方に火の精霊が集まっていたのは、大きい方が小さい方を見守ってくれるように火の精霊に頼んだからなんだわ』
『見守るというのもあるだろうけど、単に目印だったのかもしれない。
大きい方が【精霊魔法】の使い手なんだったら、メルヴィと同じように、火の精霊の声を聞けば、子竜の場所がわかるじゃないか』
謎は解けたが、状況に変化はない。
しばらく進んで、最初に火竜に出くわした場所のそばまで戻った。
体感時間は行きよりも長く感じたかもしれない。
息を詰める行軍だったからな。
洞窟の先に、先行したエレミアの背中が見えた。
洞窟の奥からは、どすんどすんと心臓に悪い音が響いてくる。
間違いなく、この先にいる。
俺は後続の3人にストップのハンドサインを出して、その場に待機してもらう。
そうする間にエレミアがこちらに気づき、ハンドサインを送ってくる。
これは――リーダー・だけ・こちらに・来い、だな。
俺は【隠密術】を使ってエレミアに近づく。
(見て)
エレミアが唇の動きだけでそう伝えてきた。
俺は、角から半分だけ顔を出して、角の向こうを見る。
いた。
しかも――
『怒り狂ってるわね……』
メルヴィの言う通り、火竜(小)は怒り狂っていた。
火竜がいるのは、俺たちが隠れてやりすごした穴の前だ。
穴から出た後は、わざわざ穴を塞ぐことはしなかったが――失敗だったな。
火竜は穴に頭をつっこんで、俺たちの投棄していった砂色のマントやワイバーン用ネットなどを引っ張りだし、爪と牙でビリビリに引き裂いては踏んづけている。
騙されたのがよほど癪に障ったらしい。
『……同じ手は通じないかもしれないな』
ここから引き返して、途中に穴を掘ったとしても、火竜は次は騙されないだろう。
掘った穴を埋めるのは、もちろん内側からなので、外側からの仕上がりを確認することはできない。
おそらく、注意して見ればすぐに気づく程度の、違和感のある壁になっているはずだ。
そして、穴を掘る速度より、火竜が穴を見つける速度の方が、おそらく早い。
狭いから入ってはこられないだろうが、穴めがけてブレスを吐いてくるおそれは十分にある。
じゃあ、覚悟を決めてひと当てし、火竜の脇をすり抜けて、洞窟の出口の方に――って、出口は大きい方の巣作りブレスで埋まってるんだったな。
他のみんなに時間を稼いでもらって、その間になんとか《トンネル》を掘ることができるか?
火竜相手に、犠牲を出さずに?
こいつらならあるいはとも思うが、完全に賭けになるな。
俺が《トンネル》を掘るために先行するなら、火竜と少年班4人が戦っている場に、俺はいることができないことになる。
後になってから、誰それが死んだ、なんて聞きたくないぞ。
何か、いい手はないものか。
俺は、気配を漏らさないように注意しながら、火竜を鋭く睨み、頭を必死に回転させる。
そして、
――よし、それしかないな。
俺は角から顔を引っ込めると、エレミアに見張りを頼んで少し下がり、ハンドサインで後続の3人をそばに呼ぶ。
【風魔法】で声が火竜側に漏れないよう注意しながら、作戦を説明する。
『また無茶な作戦ねえ。
でも、それしかないかしら』
とメルヴィがコメントする。
少年班の4人も、驚きながらも、作戦に賛成してくれた。
「――よし、みんなで必ず、生きて帰るぞ」
俺の言葉に、4人が小さくうなずいた。
次話、金曜(1/23)掲載予定です。