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98 不可能犯罪

「――それで、切り裂き魔(リッパー)の手がかりはあったのか!?」


 切り裂き魔(リッパー)事件の特別捜査本部となっているイーレンス王子の研究室に戻ってしばらく。

 イルフリード王子がノックもなしに研究室に踏み入ってきたかと思うといきなりそう叫んできた。


「落ち着いてください、兄上」

「これが落ち着いていられるか! 俺付きのメイドが殺されたんだぞ!?」


 イルフリード王子がイーレンス王子の胸ぐらを掴み上げて叫ぶ。

 身長190センチはありそうなイルフリード王子が170そこそこのイーレンス王子を掴み上げると、イーレンス王子の足が床から浮きそうになる。

 しかしイーレンス王子はあわてず、冷ややかな視線を兄へと向けてこう告げた。


「……切り裂き魔(リッパー)の犠牲者は他にもいます。そして、それぞれの犠牲者に、それぞれの死を悼む家族や友人たちがいるのです」

「ぐっ……」


 イルフリード王子はそう唸って弟の襟から手を離す。


「それもそうだ……身内が殺された時だけ熱くなって、関係ない奴だったら他人事なんてのは、将来王たるべき者の取るべき態度じゃなかった」

「情に厚いのは、兄上のよいところだと思いますけどね。だからこそ、配下からも慕われる。私などは全く及びもつきません」

「そんなのは、胸襟を開いて話していれば、自然とそうなるもんだろ。俺はいつでも冷静なおまえが羨ましいけどな」

「やれやれ……兄上は自分の才能に無自覚でおられる」


 イーレンス王子がまだ少し苦しそうにしながら肩をすくめた。

 たしかにイーレンス王子の言うように、胸襟を開けばすぐに人から慕われるなどというのは生まれ持った素質だろう。いわゆる将器ってやつだな。とはいえ、イーレンス王子だって、将器でこそないものの、軍師や参謀に向いた素質の持ち主のように見える。それこそ、イルフリード王子が王となり、イーレンス王子が王室としてその補佐に当たるというのは、この国にとっては最良の組み合わせかもしれない。……イルバラ姫は……うーん。


「それで、今回の事件で、切り裂き魔(リッパー)の目処はつきそうか?」


 自分付きのメイドが殺されて目処も付かないなんて許さないと言わんばかりの様子で、イルフリード王子が言った。


「まずは状況を整理しましょうか。兄上、昨晩切り裂き魔(リッパー)に殺されたのは、メリー嬢だけではないことは既にお聞き及びでしょう?」

「あ、ああ……新市街でも死体が発見されたんだろう」

「ええ。現場の状況から見て、こちらも切り裂き魔(リッパー)の仕業として間違いはないでしょう」


 イーレンス王子は、切り裂き魔(リッパー)事件の現場に見られるいくつかの特徴――喉と腹を裂かれていること、子宮が暴かれていること、壁に「X」のような印が無数に残されていること――などをイルフリード王子に説明した。

 が、


「そんなことは知っている!」


 竜騎士団長であり第一王子でもあるイルフリード王子は独自に捜査情報を仕入れていたようだ。意外に抜目のない人なのかもしれない。

 イーレンス王子は冷静な態度でイルフリード王子に頷き、話を続ける。


「今回の事件で、切り裂き魔(リッパー)の目処はつきそうかとのお尋ねでしたね? その答えは――残念ながら『否』です」

「……なんだと?」

「怒らないでください。私は事実を述べているだけですから。『否』と言いましたが、実のところそれ以上に悪いのです。今回の件で、謎がいっそう深まってしまいました」

「どういうことだ……説明してくれ」


 イーレンス王子がデヴィッド兄さんにアイコンタクトを送る。

 兄さんがそれに応じて説明するのかと思いきや、兄さんはなんと王子からのアイコンタクトを俺に向かってスルーパスしてきた。

 え? 俺が説明するの? 怒りで唸ってる感じのイルフリード王子相手に?

 しかし周囲を見回しても他に該当者はいそうにないため、俺はため息をついて説明を始める。


「これまでの事件で争点となっていたのは、切り裂き魔(リッパー)は新旧両市街のどちらにいる人物なのか、ということでした。切り裂き魔(リッパー)事件は、1、2件目は新市街で起きていますが、3件目は旧市街の貴族の邸宅で起こりました。そして、便宜上4件目と呼んでいるメリー嬢殺しは旧市街で、5件目と呼んでいるもう1件の殺しは新市街で起きています」

「……それがどうしたというんだ?」


 あまり考える様子もなく、イルフリード王子が言う。


「これまで我々の中で有力と見なされていた仮説は、『1、2件目の時切り裂き魔(リッパー)は新市街にいて、3件目の時には旧市街にいた』というものです」

「それはそうだろう。両市街を自由に行き来できる者など、竜騎士くらいしかいないのだから」


 あっけらかんと、イルフリード王子が言った。

 おいおい……あんた、その証言がどれほど重大かわかってるんだろうな。


「しかし、今回の事件――4、5件目の事件によって、この仮説は見直しを迫られることになりました」

「なぜだ?」

「4件目のメリー嬢殺しと5件目の女給殺しは同じ夜に起きているからです。切り裂き魔(リッパー)は昨晩、旧市街でメリー嬢を殺し、その後、新市街に渡って女給を殺したのです。あるいは、逆かもしれませんが」

「……っ!?」


 イルフリード王子にも、ようやく飲み込めたようだ。

 俺はこれで十分だろうと思ってデヴィッド兄さんに視線を送る。

 デヴィッド兄さんは一歩前に出ると、決めつけるようにこう言った。


「――これは、二重殺人です、殿下。夜間モノカンヌス湖を渡る手段がないことを考慮に入れれば――これは不可能犯罪だということになるのです」

「不可能……犯罪」


 イルフリード王子が戸惑ったようにつぶやいた。

 イーレンス王子が言う。


「おかげさまで、捜査はふりだしに戻ることになってしまいそうです。切り裂き魔(リッパー)が一夜のうちに湖を渡る手段を持っているのだとすれば、『3件目の当夜に旧市街側にいた人物』に焦点を絞って行ってきた捜査が、意味を成さないことになってしまうのですから」


 ちらりと研究室の隅に立つコルゼーさんを見ると、疲れた顔で深い溜息をついていた。

 コルゼーさんは研究室の隅に置かれた大きな台車に腰を預けるような形でもたれかかっている。台車の積み荷はイーレンス王子の実験機材のようだ。……いいのかな、もたれてしまって。


 イルフリード王子が言う。


「し、しかし、実際に起こっている以上、不可能なはずはないだろう!」


 その言葉に反応したのはデヴィッド兄さんだった。


「その通りです、殿下。『実際に起こっている以上、不可能なはずはない』――額に入れて飾っておきたい言葉です」


 真顔でデヴィッド兄さんが言うが、相手はそんな物言いを楽しめる精神状態ではなかった。


「お、おまえは俺をからかっているのか!?」

「いえ、とんでもありません。殿下のおっしゃるとおりなのです。どこかに、不可能を可能にする手段があるのですよ」


 冷静なままの兄さんの言葉に、イルフリード王子が落ち着きを取り戻して言う。


「……そもそもの最初からして、俺には切り裂き魔(リッパー)という存在のことがよくわからんのだ」

「よくわからない……? どのような点が、でしょうか」

「そんな人間がいるということが、だ。人を殺して楽しむという手合いは、戦場に出ればいないこともない。しかし、喉を裂き、腹を割り、子宮を暴き、四肢をもぎ取る。こんなことをする奴が何を考えているのかが理解できない」


 イルフリード王子の感覚は健全なものだろう。実際、多くのモノカンヌス市民が同じことを感じているはずだ。


「中でもわからないのは、殺してからバラしていることだ。戦場で、相手を傷めつけた上で殺すという者はたしかにいるのだ。これは、相手に苦痛を与えることで、己の優位を確信し、日頃の鬱憤を晴らしたいという動機に基づく代償行為だ。おぞましい行為ではあるが、理解不能なわけではない。俺だって、敵を散々に傷めつけてやりたいと思うことはあるし、またそのような攻撃性がなければ、騎士など務まるものではない。

 だから、軍を率いる者は、大量の凶器を率いているのだと思わねばならぬのだ。油断すればこの凶器は敵のみならず自分自身をも傷つける。この国では俸給をもらう専業の兵士のことを『騎士』と呼んで徴募兵と区別している。これは、身分を保障してやることで、騎士に騎士たる自覚をもたせ、戦場で身勝手な振る舞いをさせないための方策だ」

「……竜騎士団長である兄上からしても、切り裂き魔(リッパー)の残虐性は異常だと?」

「そもそも、切り裂き魔(リッパー)は残虐なのだろうか? 俺の知る残虐とは、敗残兵や悪質な傭兵団の行う略奪のようなもののことだ。切り裂き魔(リッパー)は被害者を殺してから腑分けをしているのだろう? 切り裂き魔(リッパー)は泣いて許しを請うわけでもない『ただの死体』を解体して、何が愉しいのだ? それが、わからぬ」


 イルフリード王子が考え込むように沈黙する。


「……なるほど、含蓄のあるお言葉です。切り裂き魔(リッパー)は何が愉しくてこんなことをしているのか……ですか」

「よせ、王室探偵。俺の言葉に深い含蓄などあるものか」


 デヴィッド兄さんの言葉にイルフリード王子が首を振る。

 今度はイーレンス王子が言った。


「そういえば、コルゼー。第五の事件の被害者は特定できただろうか?」


 コルゼーさんは、もたれかかっていた台車から立ち上がろうとしてその場で転んだ。その拍子に、台車から実験機材が倒れて床に転がる。


「お、おい、コルゼー!」


 イーレンス王子があわてて近寄り、コルゼーさんを助け起こす。


「す、すいやせん……」


 コルゼーは倒れた機材――大砲用の砲弾を台車へと戻しながら王子に謝る。

 イーレンス王子が半ば呆れたような、半ば心配そうな調子で言った。


「このところまともに家にも帰ってないと聞いてるよ? 気が急くのはわかるが、たまには奥さんや子どもの顔でも見て、心身ともに休養を取らないと。切り裂き魔(リッパー)事件は長丁場になるかもしれない。今のままでは身体が持たないのではないか?」

「……返す言葉もありやせん」


 コルゼーさんはたしかにだいぶ疲れているようだった。

 切り裂き魔(リッパー)が出ない日でも、「切り裂き魔(リッパー)が出た」「切り裂き魔(リッパー)を見た」という通報が巡査騎士団に入らない日はないという。そのすべてを確認しているというのだから、疲れても当然だ。


 そこで、研究室にノックの音が響いた。一同を代表してコルゼーが扉を開くと、そこには1人の巡査騎士がいた。


「コルゼー団長、第五の事件の被害者の身元が判明しました」


 敬礼しながらそう告げた巡査騎士に、研究室にいる全員の視線が集まった。

 王子2人を含むそうそうたる面々に見つめられ、騎士は緊張したようだったが、コルゼーに促されて報告を続ける。


「被害者は、キャロル・アネットという、新市街の酒場の女給です」


 それは、俺たちにとって予想通りの言葉だった。

 死体は女給服を着ていたのだから、それが切り裂き魔(リッパー)の工作でない限り女給だと考えるのが普通だろう。


 しかし騎士の言葉に、激しい反応を示した人物がひとりいた。

 ――イルフリード王子である。


 イルフリード王子は騎士の言葉にびくりと震えたように見えた。

 もっとも、直後には動揺を押し殺し、元通りに戻ったようだったが……。


「……どうしました?」


 デヴィッド兄さんも気づいたらしく、イルフリード王子に聞いている。


「……いや、なんでもない」


 イルフリード王子は首を振って、コルゼーさんに向かって聞く。


「それにしても、よく身元がわかったな? 死体は激しく損壊されていたと聞いたが」

「顔は無傷でしたから、画家に似顔絵を描かせて現場周辺の酒場や食堂の聞き込みをさせたんです」


 コルゼーさんが巡査騎士をちらりと見る。


「はっ。被害者は周辺では美人で有名な女給らしく、身元はすぐに判明しました。女給――キャロルを雇っていた酒場の主に依頼して確認してもらい、間違いなくキャロル・アネットであるとの証言を得ました」

「確認……というと」

「はい。被害者は切り裂き魔(リッパー)に首を切られていましたので、頭部のみを確認していただくことになりました……」

「う……」


 イルフリード王子は顔を青白くして立ち上がる。


「……すまん。気分が優れない。続きはまたにしてくれるか……?」

「もちろんです。どうか、ご安静になさってください」


 イルフリード王子が、やってきた時とは打って変わった様子で捜査本部となっている研究室を後にする。

 その背中をイーレンス王子が無表情にじっと見送り、デヴィッド兄さんは研究室の壁が取り払われた一面から外を眺めつつ、事件について思案しているようだ。

 俺は意外な反応を見せたイルフリード王子のことと、被害者だという女給のことについて思いを巡らせてみたが、今揃っている材料だけでは結論らしきものは何も導けないようだった。

次話、明日です。

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