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97 二重殺人

 俺とデヴィッド兄さんがイーレンス王子とコルゼーさんから切り裂き魔(リッパー)についてブリーフィングを受けた2日後の2月17日、恐れていた切り裂き魔(リッパー)第四の事件が起こってしまった。

 俺はイーレンス王子から連絡を受けて、死体の発見された現場へと向かった。デヴィッド兄さんとは現地で落ち合うことになっている。

 俺は王室探偵助手としての身分証(リボンの付いたバッジのようなものだ)を見張りの巡査騎士に見せて、事件現場へと通してもらった。見張りの騎士は目を瞠って俺の顔とバッジを見比べていたが、話は通っていたのだろう、余計な問答もなしに現場へと入ることができた。


 現場は――なんと、王城の一画だった。

 といっても、前世日本風に言うところの本丸ではなく、二の丸に当たる区域の人通りの少ない城壁の隙間である。

 現場には既にイーレンス王子とデヴィッド兄さんが到着していた。王子は当然王城に住んでいるし、デヴィッド兄さんも図書館迷宮にほど近い場所に司書用の寮がある。


「小さな助手さんが来たようだ」


 と、先に俺に気づいたイーレンス王子が言った。


「子どもに見せられるような現場じゃないけど……見るかい?」


 王子の言葉に頷いて、俺は切り裂き魔(リッパー)が人を殺したという現場へと踏み込んだ。

 衝撃は……思ったよりもなかった。先日の説明で絵図を見せられていたからかもしれないし、【不易不労】の「精神的に疲れない」という性質が絡んでいるのかもしれない。

 しかしえぐい現場であることに変わりはないので、グロが苦手な方は次の段落を飛ばされることをオススメする。


 現場は城壁の角の部分で、城壁の上へと登るための木造の(やぐら)の根本に当たる場所だった。

 そこに――人間の身体がバラバラになって転がっていた。

 血と内臓の海。切断された頭部と四肢。そして、城壁に血で描かれた無数の「X」。

 転がっている頭部を覗きこむと、犠牲者は10代の少女のように思えた。少女の頭には血に汚れたホワイトブリムが載ったままになっている。ホワイトブリムからステフを思い出してしまい、俺は顔をしかめた。〈魔法戦士〉となったステフを殺せる者などそうはいなくなったはずだが、万一切り裂き魔(リッパー)にステフを殺されていたらと考えると心臓が締め付けられるようだ。そして実際に、足元に転がるこのメイドの少女にも彼女を心配している家族がいるだろう。こんな事件は、一刻も早く終わりにしたい。


「――エド、何か気づいたことは?」


 デヴィッド兄さんが聞いてくる。

 俺は静かに首を振った。

 すると、兄さんは少し意外そうな顔をした後、ちょっと失望したような表情になった。

 ……あれ? 何かを見落としているのか?


 俺が再び現場に目を戻して兄の表情の意味を探ろうとしていると、背後から女性がわっと泣き崩れる声が聞こえた。

 その女性の相手をしているのはコルゼーさんだった。

 コルゼーさんは忍耐強く女性を励まし、死体の頭部を確認してもらっていた。女性は青白い顔のままコクコクと首を縦に振った。


「殿下、探偵殿、助手殿。被害者の身元がわかりました」


 コルゼーさんが様子を見守っていた俺たちに話しかけてきた。


「被害者の名は、メリー・ロートレット。イルフリード第一王子付きのメイドです」


 俺とイーレンス王子は小さく息を呑んだ。

 思わぬ大物の名前が出てきたからだ。


「ロートレット男爵の次女で、行儀見習いのために王城に出仕、真面目な働きぶりが評価されて、去年よりイルフリード殿下付きとなっています」

「エリートメイドだったってことか」


 俺がつぶやくと、コルゼーさんが頷いた。


「その通りですな。小柄ながら人一倍よく働くと仲間内でも評判だったそうで、イルフリード殿下からの信頼も厚かったとのことです」

「そのイルフリード殿下は?」


 デヴィッド兄さんが聞く。


「竜騎士団の定時哨戒で外出中です。厩舎番の竜騎士に伝言を頼みましたから、戻り次第やってこられるかと」

「メリー嬢のことは、僕も見知っている。兄さん付きのメイドとしてよく働いていたよ。兄さんも彼女のことをしきりに褒めていた。将来はいい相手を探してやろうとまで言っていたくらいだ。彼女が殺されたと知ったら、さぞや気を落とされることだろう」


 イーレンス王子がそう補足した。


「しかしですな……メリー嬢については、解しがたいことがひとつあるのですよ」


 コルゼーさんが眉をひそめ、声を落として言った。


「王室探偵は、これまでの事件について、同じご質問をされていましたな?」


 コルゼーさんが何のことを言っているのか、俺にはよくわからなかった。

 イーレンス王子が短く叫んだ。


「まさか……!」

「ええ、そのまさかなのです」


 コルゼーさんがそう言ってデヴィッド兄さんを横目で見る。

 デヴィッド兄さんは「ふむ……」と言ったきり、顎に指を当てて考えこんでしまった。


 ……置いてけぼりにされたのは俺だ。

 ええっと、兄さんの同じ質問?

 そうか!


「メリー嬢は妊娠していた……」


 もう一度現場へと近づき、吐き気をこらえながら、目的のものを探す。

 あった。身体の近くに転がっているのが「それ」だ。

 切り開かれた子宮の奥には――


「……っ」


 さすがにこらえきれず、俺は目を逸らした。

 いつの間にか近づいてきていたデヴィッド兄さんが俺の目を手のひらで覆い、俺を他の人のところまで連れ戻す。

 デヴィッド兄さんが言った。


「コルゼーさんは、以前の現場も見ているのですよね? 今回の現場を見て、どう思いましたか?」

「どう思った、ですか」

「感想で構いません」

切り裂き魔(リッパー)は調子に乗っている。あるいは抑えが利かなくなっている。そういうことでしょうな」


 コルゼーさんの言葉にイーレンス王子が頷いた。


「これまでは1ヶ月周期だったのに、今回は前回から半月しか経っていない。その上――今回の2件は死体の損壊が一段と激しい。まるで凶悪な魔物にでも襲われたかのような惨状じゃないか」


 あっ……そうか。

 イーレンス王子の言葉に俺はようやく気がついた。

 切り裂き魔(リッパー)はこれまで喉と腹を裂くだけで、死体をバラバラにしたりはしていなかった。連続猟奇殺人犯である切り裂き魔(リッパー)が死体をバラバラにするというのは、俺の中でイメージが合いすぎていて、おかしいと気づけなかったのだ。現場の惨状に感覚が麻痺してたせいもあるかもしれない。兄さんのさっきの微妙な表情もこれのせいか。


 俺が密かに落ち込んでいる間に、王子が続ける。


「――そして奴はとうとう王城にまで現れた。まるで、自分はどこにでも出入りできると誇示しているかのように」


 イーレンス王子が吐き捨てるように言う。

 しかし、


「――それは、どうでしょうかね……」


 デヴィッド兄さんがぼそりとつぶやいた。小さい声だったので、俺以外には聞こえなかったようだ。


「おかげで、王城は上を下への大騒ぎですよ。中には今日の登城を自粛する貴族まで現れたとかで……」


 コルゼーさんが苦い顔で言う。……この人はたいてい苦い顔をしているような気もするが。

 そこに、


「――おい、どいてくれ!」


 聞き覚えのある大きな声が背後から聞こえた。

 振り返ってみると、そこには見張りの巡査騎士をかき分けてこちらへとやってくるイルフリード王子の姿があった。

 王子はずかずかと現場を横切り、被害者の頭部の前に、おそるおそるひざまずいた。そして、その顔を確認する。

 王子は地面に拳を思い切り叩きつけてから叫んだ。


「くっそ……許さんぞ、切り裂き魔(リッパー)! 必ずおまえを捕らえて、俺の槍で百舌鳥の早贄にしてくれる……!」

「兄上……」


 イーレンス王子が痛ましそうにイルフリード王子をながめ、つぶやいた。

 そこで、デヴィッド兄さんが俺の耳元へとかがみこんで聞いてきた。


「……エド、君から見て、さっきのイルフリード王子はどう見えた?」


 声を潜めて聞いてくる兄に、こちらも声を潜めて答える。


「どうって……心底から怒っているように見えたけど」

「……そうか」


 デヴィッド兄さんはそれきり黙り込み、顎に指を添えて何事かを考え出す。

 怒りを燃やすイルフリード王子、それを見守るイーレンス王子、そして考えに耽ける王室探偵。周囲の巡査騎士は戸惑った様子だったが、直立不動の姿勢を保っている。


 気まずい沈黙を破ったのは、新たに駆け込んできた巡査騎士だった。

 騎士は呼吸を整えるのもそこそこに、イーレンス王子に向かって叫ぶ。


「た、大変です!」


 狼狽した様子の騎士に、イーレンス王子が対応する。


「どうした?」

「リ、切り裂き魔(リッパー)です!」

「……何だと?」

「――新市街で、切り裂き魔(リッパー)によると思しき惨殺死体が発見されました!」


 騎士の言葉に、場の空気が凍りついた。



 ◇


 騎士の報告を受けて、俺たちは新市街へと向かうことになった。

 急遽馬車が用意され、イーレンス王子、コルゼーさん、デヴィッド兄さん、俺の4人で乗り合いになって新市街へと向かう。

 その途中、金門橋の検問で、デヴィッド兄さんが馬車を降り、橋塔の騎士を捕まえて質問した。


「昨夜、不審な人物が通行した……ということはありませんよね?」

「ええ、もちろんです。切り裂き魔(リッパー)が警戒されている今、ちょっとでも不審な人物は検問で弾かれますよ」


 騎士は胸を張ってそう答えた。

 デヴィッド兄さんは、橋頭の上から対岸へと斜めに走る「線」を指でさしてから聞く。


「あのロープウェイにも、異常はありませんでしたか?」


 金門橋の新旧両市街にある橋脚は、ロープウェイで結ばれている。ロープウェイと言っても、人が乗れるようなものではなく、手紙や荷物をやりとりするためのものだ。金門橋は古代遺物である機構が働くせいで、夜間は跳ね上げられて通行が不可能になる。しかしそれでは緊急時に困るので、ロープウェイを使って連絡が取れるようになっているのだ。


「ありませんでした」

「それは確かですか?」

「ええ……ちょうど今朝、点検がありましたから」


 騎士は念を押されたことに少しムッとしながらそう答えた。

 兄さんは騎士に頼んで、ロープウェイに使う荷籠を持ってきてもらい、その大きさを確かめてから騎士へと返した。


「……金門橋のロープウェイがどうかしたのかい、デヴィッド?」


 イーレンス王子が馬車の中から聞く。


「いえ、可能性を検証したかっただけですよ」


 デヴィッド兄さんの答えに、イーレンス王子が興味深そうに考え込む。

 そして、にやりと笑ってこう言った。


「ふぅん……? 目の付け所はさすがと言いたいところだけど、さすがにそのロープウェイを使って切り裂き魔(リッパー)が移動したというのは無理があるんじゃないか?」


 あっ! なるほど。兄さんはその可能性について考えていたのか。

 それを短時間で言い当てるイーレンス王子もさすがというほかないな。

 しかし兄さんは、涼しい顔のまま、王子にちらりと視線を向けてから言った。


「たしかに、切り裂き魔(リッパー)が相当に小柄な男と考えても無理でしょうね」


 ロープウェイは伝令書などを対岸に運ぶためのもので、最大でも小包くらいしか積めないという。これに乗って対岸に移動するというのは、切り裂き魔(リッパー)がどんなに小柄でも難しい……いや、はっきり無理というべきだろう。見た目8、9歳児の俺ですら厳しいと思う。

 だいたい、両岸の橋塔にはそれぞれ騎士が当直に立っているのだから、その目を盗んでロープウェイを使うこと自体が難しいはずだ。

 デヴィッド兄さんの思いつきは、残念ながらハズレだったようだ。



 ◇


 馬車は金門橋を渡ると左折し、モノカンヌス湖を左手に見ながら進んでいった。

 到着した現場は新市街の東の外れにある倉庫街だった。立ち並ぶ倉庫の向こうには湖が見える。東の外れなので湖の向こうには少しだけ色の濃い海がすこしだけ顔を覗かせていた。

 現場で俺たちを出迎えてくれたのは、意外な組み合わせの2人だった。


「デヴィッド様、エドガー様、こちらでございます」


 まず1人はポポルスさんだ。というのも、切り裂き魔(リッパー)事件の現場となったのが、この先にあるポポルス商会の倉庫だったというのだ。

 そして、もう1人。


「あれ、君はたしか……」


 俺に目を向けてそう話しかけてきたのは、


「シエルさん。その節はどうも」


 以前、魔物の群れの調査でバッティングした女子力勇者シエルさんだった。

 女性としては背が高く、褪せた金髪に空色のスカーフがよく似合っている。ミスリル製の白銀鎧には精緻な装飾が施されていて、相当な高級品らしいことがわかる。そのまま王城のパーティに紛れ込んでも礼装として認められそうなくらいだ。

 もちろんシエルさんのことだから、イケメン貴族と出くわした時に備えて日頃からオシャレに余念がないのに違いない。……そうとさえ知らなければ凛とした美人で通るのに、なんとも残念な人だった。


 シエルさんは手をポンと叩いて言う。


「ああ、思い出しました。キュレベル護国卿のお子様ですね。お父様はお元気ですか? 失礼ですけど奥様と別れたり、側室を持たれるご予定ができたりとかはしていませんか?」

「え、ええ……父は息災ですし、夫婦仲もいいですよ」


 本気で失礼なことを言い出す勇者に顔を引きつらせながら俺は答えた。

 まだ父さんのことあきらめてないのかよ。相手が妻帯者ですらあきらめないそのあきらめの悪さは、強力な魔物との戦いの時のために取っておいてもらいたい。


「それで、どうしてシエルさんがここに?」


 シエルさんはそこで、隣にいた巡査騎士にちらりと目をやった。

 巡査騎士が、俺とデヴィッド兄さんの身分を説明し、シエルさんに事情を説明するよう求めてくれる。


「へぇぇっ、王室探偵とその助手ですか」


 シエルさんの目がキラリと光り、デヴィッド兄さんをがっちりと視界に収めた。

 ……実はさっきからチラチラと兄さんの方を見ているのには気づいていたのだが、魂胆がまるわかりだったのでスルーしていたのだ。

 さすがの兄さんもこれには対応に困っているようだったので、話を本筋へと戻す。


「それで、シエルさんはどうしてここに?」

「ああ、簡単なことですよ。私が死体の第一発見者なんです」


 シエルさんはそう言いながら、倉庫の奥の方へと進んでいく。

 俺たち――俺、デヴィッド兄さん、イーレンス王子、コルゼーさん、ポポルスさんがその後に続く。


「――あそこです」


 シエルさんが指差した一画は、ぐちゃぐちゃに荒れていた。

 これまでの現場同様、血と内臓が飛び散っているのに加え、倉庫に積んであったらしい陶器が多数割れていて、辺りにその破片が散らばっていた。そしてその奥にある倉庫の壁には例の「X」のような印が無数に書きつけられていた。

 俺は、前回の反省からいくつか要点を絞って確認する。

 まず、死体の状態。喉と腹を裂かれ、子宮らしき臓器が切り開かれているのはこれまでの事件と共通。しかし、首と手足が切断されており、死体はバラバラになっていた。手足は付け根から断ち切られているので、肘と膝はそのままだ。肘と膝は、死後硬直の影響か、折れ曲がって「く」の字になっている。

 次に壁の「X」。印のある高さの上限は、3件目のヴィステシア邸やさっきの現場と同じく、成人男性の頭くらいの高さまでだ。切り裂き魔(リッパー)はやはり小柄な男と考えるのが自然なのだろうか。もちろん、手の込んだ偽装工作であり、切り裂き魔(リッパー)は長身という可能性も否定はできない。

 とにかく、総じて言えば、4件目――王城で発見されたメイドのメリー嬢の死体とほぼ同じ状況と見てよさそうだ。


「私が日課の早朝の走りこみをやっていると、風に乗って血臭が漂ってきたんです。不審に思って覗いてみると、倉庫の敷地内が血まみれになっていて……」


 シエルさんがそう説明する。

 シエルさんはモノカンヌス湖に沿う形で新市街側を北から南へとジョギングしていたそうで、その最後の段階でポポルス商会の倉庫へとたどり着いたようだ。

 しかし、モノカンヌス湖に沿って走っていたというが、この湖は南北で十数キロはあったはずだ。朝一でやるトレーニングとしてはハードな気がするが、シエルさんのレベルは95。女勇者の日課としてはおかしくない。

 ……それにしても、湖面を横目にしながらの早朝ランニングか。さぞかし気持ちがいいことだろう。俺もトレーニングメニューに取り入れてみたいくらいだ。でもそうすると、毎朝この疲れる人とエンカウントすることになるのか。そいつは御免被りたいな。


「被害者は、10代後半くらいに見えますね。その年代の女性としては小柄な方でしょう。着ているのは女給服ですな。新市街の酒場を中心に洗わせれば、そのうち身元が判明するでしょう」


 コルゼーさんがそう言って配下の騎士たちに指示を飛ばす。

 それを尻目に、デヴィッド兄さんが俺に囁いてくる。


「さて、エド。何か気づいたことはあるかい?」


 うっ。前のことがあるだけにプレッシャーだな。ていうかこの人絶対わかっててやってるだろ。前から薄々思ってはいたが、デヴィッド兄さんはドSすぎる。

 俺は絞り出すように答えた。


「えっと……4件目と同じく、死体がバラバラにされてる」

「ほう。なるほど。よく見ているね」


 もちろんこれは皮肉だろう。誰でも現場を見ればそれくらいはわかる。

 ……さっきの現場で気づけなかったのは、凄惨な現場に動転していたからだ。決して俺の注意力が散漫だからではない。

 兄さんはさらに聞いてくる。


「他には?」

「例の印の高さは、これまでの現場に残されていたものと一致している」

「他には?」

「ま、まだあるの……?」


 俺は兄さんの視線から逃れるように現場を見る。


「……つ、壺が割れてる」

「ほう、いいところに気がついたね」

「……皮肉?」

「いや、そんなことはないよ。壺が割れている。大事な事実だ。他には?」

「……ぐぬぬ」


 俺が言葉に詰まると、鬼畜眼鏡は呆れたようにため息をついた。


「検証する前に不確かなことは言いたくないのだけれど、ともに捜査に当たる助手さんに、ひとつだけ重要な事実を指摘しておいてあげよう」


 兄さんは現場へと歩み寄り、被害者の切り離された脚部のそばにしゃがみこむ。


「エド、ここを見てごらん?」


 俺は同じくしゃがみこんで被害者の足――ふくらはぎのあたりを観察する。

 と、


「あれ? 縄の跡?」

「そう。ここにも」


 兄さんはそう言って同じ足のももの部分を指さした。たしかにそこにも縄の跡がある。縄目が同じだから、同じ縄で縛られた跡なのだろう。

 俺はハッとして言った。


「……ひょっとして、被害者は監禁されていた……?」


 他の手足も確認すると、それぞれに同じような縄の跡があった。

 ふくらはぎともも、二の腕と手首の下がそれぞれセットになっている。

 胴体の部分は……ぐちゃぐちゃに切り裂かれているせいか、縄目を見つけることはできなかった。


 じゃあと思って縄の方を探してみると、2本の短めの縄が手足のそば、1本が足の下敷きになっていて、1本が少し離れたところに落ちていた。目につく範囲では他に縄は落ちていないようだ。

 縄はどちらかというと細いものだった。縛られたのが力のある男性だったら引きちぎることができそうだが、被害者は小柄な女性だから、これで十分だったということだろう。


「第四の事件の被害者にも縄目はあったの?」


 ふと思いついて俺が聞くと、


「いいや、メリー嬢の手足には縄目はなかったよ。それから、どちらが第四の事件かはまだわからない点についても留意しておくべきだね」


 そういえばそうだ。発見された順で言えば王城内の事件が第四、ポポルス商会の倉庫が第五となるが、事件が同じ順に発生したかはまだわからない。


「もっとも、便宜上、メリー嬢殺害を第四の事件と呼んでおくことに差し支えはないと思うけどね。この際、殺された順番はさして大きな問題ではないし」


 殺された順番が問題じゃない?

 じゃあ、何が問題だと兄さんは思っているのだろう。


 俺が兄さんの頭の中について思いを巡らせていると、


「――しっ!」


 イーレンス王子がうとましげに言って、何かを手で払っていた。

 一同に注目されていることに気づいて、王子が言った。


「……最近妙にハエを見るね」

「死体発見現場ですからね」


 デヴィッド兄さんがややそっけなく言う。

 ……たまに思うんだけど、イーレンス王子はよくデヴィッド兄さんにキレないよな。デヴィッド兄さんは頭はすごくいいけど常識や感情の機微に疎いところがあって、前世の用語で言えば「空気が読めない(KY)」なところが多分にある(KYとか、あまり好きな言葉じゃないけどな)。

 そういう性格までわかった上で大目に見てくれているのだから、兄さんの肉親としては、イーレンス王子には礼を言わねばなるまい。


 イーレンス王子はハエを追い払いながら言葉を続けた。


「それもそうだけど、やけに絡んでくるハエなんだ。そのくせいつの間にかどこかにいなくなる」


 俺もなんとなくハエを目で負っていると……本当だ。〈仙術師〉で動体視力もよくなっているはずなのだが、俺まで見失ってしまった。虫の複眼は人間の目と比べて時間分解能が桁違いだという話を聞いたことがある。奴らからすると人間の動きなんてスローモーションに見えるんだと。格ゲーでは反応のいい奴のことを虫の反応と言ったりするが、スキルまでかいくぐってしまうのだから実際大したものだ。


 俺はデヴィッド兄さんとイーレンス王子のイケメン2人を、まるで獲物を見定めるハイエナのような目で見守るシエルさんに話しかけてみる。


「シエルさんほどの使い手でも、切り裂き魔(リッパー)を見つけることはできませんか?」

「協力したいのはやまやまですけど、捜査と腕前は別物ですからねぇ。あっ、それと、私のことをあまり強いみたいに言わないでくださいね?」

「……どうしてです?」

「だって、男性は一般的に守ってあげたくなるかよわい女性が好きじゃないですかー」

「う、うーん……」


 人それぞれだと思うけどな。たとえば、俺は格ゲーの筋肉質な女性キャラなんかは大体好きで、持ちキャラの半分くらいは女性キャラだ。

 まぁ、レベル95の女勇者を「かよわい」と思える男性なんていないと思うし、いたとしても出会いたくはない。


 さっきからそれとなく観察しているのだが、何気なく立っているようでいて、シエルさんにはまったく隙が見当たらない。どのタイミングでどの角度から攻撃しても、たやすくかわされ強烈なカウンターを食らわされるだろう。

 手練れなんて言葉が生易しく聞こえるほどの卓越した使い手だ。


 俺の視線に気づいたのか、シエルさんが真顔になって言う。


「――それに、それはこちらのセリフですよ、エドガー君?」

「えっ?」

「あなたのお父様もお強くてステキですけど、エドガー君はそれ以上(・・・・)に見えます」


 もちろん、アルフレッド父さんよりイケメンだという意味ではなく、父さんより強いのではないか? ということだろう。


「まるで――そう、超一流の暗殺者のような洗練された居ずまいです。その若さでそれほどの『強さ』を、いったいどうやって身につけたのです……?」

「…………」


 探るようなシエルさんの視線に、俺はうまく答えることができない。


「それから……()ましたね?」


 シエルさんの言葉とともに【鑑定】が飛んで来る。ステータスを見せるわけにもいかないのでしかたなく弾いた。

 そのうえで、にっこりと、子どもらしく笑いながら言ってみる。


「さて、何のことでしょうか?」

「ふふっ……とぼけるなら、それでもいいですけど。私のことも秘密にしておいてくださいね?」

「どうして正体を隠すんです?」


 正体を隠さない方が、それこそイケメンにもモテそうだ。

 シエルさんは俺の言葉にいたずらっぽく笑いながら答えた。


「ヒーローは正体を隠すものでしょう? それに――」

「それに?」

「男だと思われていた勇者アルシェラートが、実は可憐な乙女だった……とわかったら、ギャップに萌えると思いませんかっ!?」

「え、あー、うー」


 ぐっ!と拳を握りこんで言うシエルさんに、若干引きながら不明瞭な返事をする。

 シエルさんは俺の様子を見て、


「エドガー君にはまだ早いことだったようですね」

「……い、いや、そういう問題かな……」


 俺が曖昧に答えていると、シエルさんはふいに真顔に戻ってつぶやいた。


「――ひょっとして、彼になら託せますか? ……そう、資質が違うのね」

「……シエルさん?」


 シエルさんは半眼になり、片手を剣の柄に添えて黙り込んでしまった。

 あの剣は……情報が本当なら、聖剣〈空間羽握(スペースルーラー)〉のはずだよな。細身の優美なレイピアで、そうと知らなければ伝説の剣とは思えない。以前【真理の魔眼】で見たところでは知性を持つ剣インテリジェンスソードとあったから、ひょっとするとシエルさんは今、剣と会話をしてるのか?

 俺がシエルさんの様子を伺っていると、シエルさんは我に返ったように顔を上げた。


「ああ、ごめんなさい、エドガー君」

「いえ……」

「何の話だったかしら? ……そうそう、ギャップ萌えについてでしたね」


 それは思い出してくれなくてもよかった。


「でも、お父様もイケメン、お兄様もイケメンなのですから、エドガー君もゆくゆくは……」


 セリフの後半から、シエルさんの視線に妙な熱が入りだした。

 ゾゾゾッと全身に鳥肌が立つのがわかる。


「……エドガー君は年上のお姉さんはどうです?」

「い、いやぁ、どうもこうも子どもなんで……」

「うふふっ……大きくなって、年上の女性とお付き合いしたくなったら、いつでも言ってくださいね? もちろん、今からでもいいですよ? あっ、婚約しましょうか?」

「なんでこの流れで婚約することになるんですか! ああ、もう、事件について情報がないなら帰ってもいいですよ!?」


 と、思わず勝手に言ってしまったが、俺と女勇者のやりとりを途中から見ていたらしいデヴィッド兄さんやイーレンス王子にも異存はなさそうだった。

 結局、コルゼーさんと王子が巡査騎士に現場の保全と被害者の身元特定の指示を与え終えるのを待って、いったん旧市街へと戻ることになった。

次話、明日です(3日連続更新です)。


追記2015/09/10:

縄についての描写を追加しました。


累記2015/11/23:

倉庫周辺の描写を補いました。

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