ひっそり静かな生活(主観的には)***そのよん
騎士二人に護衛されながら、城仕えの使用人とともにざわざわと鳴る草むらにつけられた細い道を進んだ。
立ちはだかる森をもう一度見上げる。左手に見える白と茶の縞がある樹から五メートルほどのここが、お嬢様が指定した貢物を捧げる場所の入り口。
使用人が抱えた木箱には、肉や野菜、果物といった王城御用達の高級食材が溢れんばかりに詰まっている。
僕は手触りの良いタオルや肌着、シンプルだけど仕立ての良いワンピースなど、お嬢様のための日用品が詰まった革袋を背負い、公爵家で調理したサンドイッチやスープといった食事や焼き菓子が入ったバスケットを抱きしめていた。ほんのりとまだ残るぬくもりをできるだけ逃がさないように。
行くぞと剣に手を添え構えた騎士に続いて一歩踏み出せば、風に膨らんだカーテンを押すような僅かな抵抗を肌に感じた。
「なんなんだこれは!!なぜ!」
旦那様がゆうべ手にした分厚い書類が二組。
王城のものとわからないように偽装された馬車でやってきた使者が差し出した封筒には、宰相閣下の封蠟が施されていた。
もう一組は大きさもまちまちながら一つに束ねられている。公爵家の暗部が調べたそれは、王城からの調査結果を裏付けていた。
重厚な執務机に紙束を叩きつけ、載っていた領地の決裁書類も資料も一緒くたに薙ぎ払う。
「受け取っていたスケジュール表と何故こんなにも違う!これではっこれではシャルロットは食事もまともにとれていないではないかっ」
「……朝食は公爵邸でとれていました。昼食と夕食も城で用意はされていましたが、押された予定に追われ結局は軽食をかろうじてつまめた程度のものかと」
家令のジョルジュさんは通常通りの淡々とした口調だけれど、どこか苦み走った声色だった。
壁際に控えていた僕は、ふかふかの絨毯に散らばった書類をぼんやりと眺めている。
ジョルジュさんに伴われてこの執務室に来る前に、それらには僕も目を通していた。間違いはないかと、城でのお嬢様の様子と齟齬はないかと問われた。旦那様も同じように僕に問う。お嬢様について登城し付き添ったことがあるのは、今では僕だけだったから。
「僕が、僕がお嬢様にお供できたのは、十日ほどでした。講義の時間は入室を許されず、食事のお世話は城にいる侍女の仕事だと、言われて、僕が、御側にいられたのは、移動と休憩の時間だけ、で」
知らなかった。城で働くものはシフト通りに休憩も食事もとる時間が決められていて、僕もそれに従えと言われて。僕が食堂で食事をとっている時間に、お嬢様は与えられた部屋で食事しているものだとばかり思っていた。
知らなかった。いつも定まらない休憩時間は、予定されていたものではなかったことだなんて。予定されていたのはもっと充分な休憩も食事もとれるようにゆったりしたものだったなんて。
僕は学校で習ったのに。お嬢様のような淑女はお腹が空いたなどとははしたなくて口にできないから、従者が意を汲んで先回りするのだと習ったのに。
そもそも従者である僕が、お嬢様のスケジュールを把握できてないことがおかしいのに。
それなりに優秀な成績をあげながら、あの十日ほどの城でのことを思い返して、あれはおかしいことだったのだと、気づくことすらできなかった。
ただひたすらに目の前の課題をこなせば、お嬢様のもとに戻れるのだとそればかりで。
旦那様は資料をめくっては、どうしてこんなことになっていたのだと、何故気づくことができなかったのかと、声を震わせている。ジョルジュさんはそれにも淡々とした姿勢を崩さないまま答えていく。執務室に来る前、僕に細かく確認していた時に見せていた涙の滲んだ目やまだらに赤らんだ頬などの影もなく。それでもやはり声だけはいつもより低い。
「何故講師たちは予定通り進んでないことを報告していない」
「―――完全に善意だったそうです。王妃殿下ほどではなくても、あと少し多めに時間をとれば追いつくはずだと。超過時間分の報酬の請求もしていません」
講師達はみんな王妃殿下が子どもの頃に師事した研究者とのことだった。「王妃殿下と同じようにとはいきませんが、まあいいでしょう」と言いながら、長時間の講義だったにも関わらずご機嫌で退室していく姿を見た記憶がある。
「侍女はっ、食事もとれてないなど城の者たちが気づいてもいいだろう」
「王族付きの専属の者以外は、全てシフトで入れ替わり立ち替わり仕えています。……シャルロットお嬢様に専属はついていませんでした。二日続けてどころか、一日を通して同じ者がついたことすらなかったそうです。誰も、気づいていませんでした」
「公爵令嬢だぞ。しかも王妃の姪だ。そのシャルロットをほぼ丸一日拘束しておいて……この十年休みらしい休みもないではないか!」
「旦那様……それに気づかなかったのは私どもも同じでございます。少なくとも、休みも与えられていないことは」
「王妃がっ姉上が、城でエドワードと過ごすと! 娘と同じだからとっ……いや、言い訳だな。家族での休暇も過ごせないことにもっと疑問にも不満にも思うべきだった。だが誰が思う、教育や研修とは名ばかりの、これでは公務そのものではないか。姉上やエドワードの補佐どころではないだろう。婚約者や家族としての時間ではなく、姉上たちの公務の肩代わりをしていたなどと、誰が思うというんだ。将来の家族と言っていたのに、食事すら一緒にとっていないなどと誰が」
どうしてと繰り返す旦那様は落ち着きなく視線を彷徨わせ、震える右の拳を自ら抑え込んでいる。その拳を振り降ろす先にいるのが誰なのか、それは本当にその人であるのかと信じたくないようにも見えた。
◇◇◇
「埋めると春まで保存できますの?」
「そうよぉ。ここらの家はそうしてるわねぇ」
市場でよく会うおばさまたちから冬野菜の保存についてレクチャーを受けていた。
初めての冬を迎える私たちのことがとても気にかかるご様子。かぶを地中に埋めたら春までもつらしいのだけど、埋めたら冬の間はどうするのだろう。雪の下よね。あ、春まで保存って、冬は食べられないってこと?え、やだそれはちょっと私の欲しい情報と違いますわ。シルヴァに穴を掘ってもらって保存庫をつくるのがいいかもしれません。
シルヴァは少し離れたところで、昼間からお酒を嗜むおじさまたちの談笑の席に混ざっている。
卓を囲んでるおじさまたちが座る椅子の間にちょこんと座り込んで、何故か真剣な表情で話に聞き入って……ほんとに真剣ですね。話の内容までは聞こえてきませんが、どうもこう、ろくでもない内容な気がしてなりません。
ああ、でもシルヴァの真剣さがにじみ出ている後頭部が可愛い。
何に真剣なのか興味を惹かれてると、おばさまたちに「まだ早い」と止められました。何がですか。
「……早いというか、淑女には相応しくないだろうな」
うっすら呆れ顔が居並ぶおばさまたちの頭上に現れて、あらやだなんてちょっと頬染めたおばさまたちが道を彼に譲ります。私はと言えば眉間に皺が寄ってしまうのを抑えられない。
ここのところ顔を見なかったルルーシア国第三王子殿下が、どうしてまた湧いているのか。てっきりもう帰ったものだとばかり思っていたのに。
ぴくぴくと小刻みに揺れる三角の耳は、シルヴァのいるおじさまたちの集いの方角を向いている。総じて獣人は五感に優れているといいますし、彼にはあそこでの会話が聞こえているのでしょう。
「なるほど。興味深いですわ」
「待て待て」
シルヴァのほうへと一歩踏み出した私の前に、すっと腕が伸びてきた。触れないように間を開けているのはさすがに育ちがよろしい。平民服を纏っていても仕草がいちいち上品なのだけど、この人お忍びしてる自覚あるのかしら。どうでもいいですが。
行く手を遮る腕の向こうでシルヴァがこちらをにちらりと視線を寄こしたから、ひらひらと手を振るとぴたんと尻尾で応えてくれた。
「……お暇なの?」
「そんなわけあるか」
凛々しく端正な顔を苦々しく歪めた王子は、どこかそわそわしてるような空気を醸している。やだなんかやっぱりめんどくさそう。
「だってお仕事だってありますでしょ。だからてっきりお帰りになったものとばかり」
まだここにいるってことはつまり暇なのでしょうと言外にこたえてみれば、眉間の皺がますます深くなった。
「……ちょっと王都に」
「あらまあ!お兄さん王都行って来たの!」
さっきまで冬野菜の保存方法をレクチャーしてくれていたおばさまが、ぐいっと身を乗り出してくる。ちょっとのけぞっちゃいました。王子もびっくりしたのか、耳がぴんと前を向いた。
「商人には見えないけど、ねえ、面白い話とか仕入れてないのかい」
「あ、ああ? いやこれといって」
「ほらほら、王太子様の婚約破棄とか新しい婚約者とかさ!」
ピンポイントな話題の選択に、王子の頬が少し強張ったのがわかる。あちらの貴族作法はこちらより緩やかだそうですし、そう考えると私の顔色を窺ってみせないあたりはまだ上出来といえるでしょうか。
まあ、こちらも王妃殿下のおかげでそういった美意識は薄れ始めているらしいですけど、私は恩恵にはあずかってないのでなんとも。不用意に感情を見せようものならマナー教師にいびられましたし。
おばさまたちが隣国の王子にそれとは知らずに群がります。
もう婚約破棄してから結構たつっていうじゃないの
そろそろ新しい婚約者が決まったっていいわよねぇ
そりゃ王妃様までとは言わないけど、今度はぱあっと華やかな方がいいわぁ
前の婚約者は地味だったっていうでしょう
地味どころか実は身分を笠に着てて断罪されたって
それほんとなの
婚約破棄されるくらいだもの
修道院送りってきいたわよぉ
やだねぇ、それでもわたしらの税金で暮らしてるんだろう
それよ!役に立つのがおえらいさんの義務ってもんだろうに
囀るおばさまたちの包囲網で微妙にうろたえ気味な王子を尻目に、さっさと抜け出します。
王子に聞いてる体なのに、答える隙がないのが笑える。
とっとこ駆け寄ってきてくれたシルヴァは、私の両手をそれぞれ掴んで、くりんとした瞳で覗き込んできます。
やっちゃう?やっちゃう?ってきらきら瞬くスピネルの赤に、また笑いがこぼれた。
強き者は愚者に煩わされる必要などないのです。
つるつるの白い鼻先にちゅっと口づけて「かえろ」と言えば、尻尾は満足げにぱたんと地を叩きました。