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ひっそり静かな生活(主観的には)***そのさん

 初めてマクドゥエル公爵令嬢と出会ったのは二年前。

 我が国とサザンランド国、両国親睦のための舞踏会だったと、ルルーシア国第三王子ダリルは思い浮かべる。


 獣人が治める我が国は、さほど他国との交流に力を入れてはいない。文化や慣習の違いから、下手に交流を深めて軋轢を産むよりも程よい距離感がよしとされているからだ。この村のように経済的な交流はあれど、国家レベルでは深い縁を持つことはない。大昔には各国との諍いもあったらしいが、ここ数百年は大きな戦もなく大陸の中で中立を貫いている。獣人の身体的特性を生かした高い戦闘能力ゆえに可能なことだ。

 それでも鎖国しているわけでもないので、ある程度は親善のための行事も行う。その舞踏会は、そんな行事のうちのひとつだった。


 サザンランド国王太子の婚約者として紹介されたのは、その艶やかな黒髪も、澄んでいるのに深みのある紫の瞳も、それは美しく品がある非の打ちどころのない令嬢だった。

 慎ましく物静かな佇まいは次期王妃として少し大人しすぎるかのように思えたけれど―――


「つまりそちらのお国では、月竜と呼ばれる守護竜の伝説があると。で、それがこのシルヴァと」


 なんかどっかで聞いたことある感じですわよねぇ、と白けた表情で呟いて。


「ねえ、シルヴァ、シルヴァがその月竜なの?」


 己を抱きかかえた白い竜の首に両腕を回しながら、竜の瞳を覗き込んで。


「心当たりないそうですわよぉ?」


 互い違いの方向に首をかしげた竜の代弁を、竜の額に頬ずりしつつ囀って。

 こちらに愉しげな視線を流して。


「ふふふっ……あはっ、あははははははっあーっはっははあはあああ」


 ―――誰が少し大人しすぎるって?

 浮いた足先をぱたぱた泳がせ高らかに笑い声をあげる姿に、自分の記憶を疑った。


「あー、本当に―――人って見たいものだけを見たいように見るものですわよねぇ」


 すぅっと生気を失ったかのように、人形じみた表情と虚ろな瞳がほんの一瞬よぎる。直前の明け透けな笑顔との落差に息を小さく呑んでしまう。


「……シャルロット嬢?」


 何を問うかも纏まらないまま、つい名を呼べば貴族らしい内心を伺わせない微笑みが返ってきた。


「あ、あー、そういうが、先日我が国に突然発生したキマイラを一瞬で狩ったのは、確かに月のような白銀の、いや、残像と言ってもいいくらいではあったんだが……その竜のように輝いてて、だな」


 百年に一度現れるか現れないかと言うキマイラが、王都にほど近い草原に現れたとの報を受け、一個師団を率いて駆け付けた。曇天に向かって火炎を吹き上げるそれは遠目から見ても過去の記録より倍は大きく、体高は目算七メートルを下らない。

 我が国一の機動力を誇る先陣の足を止めさせるべく指示を出そうとした。

 とても一個師団では足りないと、そんな時に―――雲間が切れたのだとしか思わなかった。


 降り注いだ一筋の白銀の光がキマイラを貫いたのだと、そう認識した時にはもう、だらりと後ろ足を力なく伸ばしたキマイラと、白い尾の先が雲の上に姿を消すところだった。


 国に厄災が訪れると現れて救いをもたらす月光の竜。

 我が国が信仰する月の女神の使いは、しなやかに風をはらむ翼と優美に揺れる長い尾を持つという。名だたる画家がこぞって描いた幻想的かつ崇高な姿の数々。


 と、それらを思い起こして、はたと。


「まあ、確かにシルヴァは美しいですもの。そう思うのも無理はありませんわ」


 納得したとばかりなシャルロットを抱き上げている竜は、その鼻先を彼女のうなじに埋めて喉を鳴らしていて―――シャルロットより低い体高、前足はその体躯の割に彼女を抱えられるぎりぎりの長さ、発達した後ろ足は抜群の安定感があるが、シャルロットを縦抱きにしてるのはおそらく腹が


「いや……」

「なんですか」

「いやぁ……改めてよく見ると随分というか、思ってたより」

「なんですか」

「丸い、なと」

「―――まっ!?」


 もしかして俺の勘違いなのか?ちょっと大きめのトカゲで間違いないのか……?と、第三王子の自信が揺らぎ始めた。村で遠目に伺っていた時には、確かにあの月竜の輝きだと思ったが。


「んまあああああああああああああああああ!なっなんですのその目は!?シルヴァはまだ仔竜なんです!この愛らしさがわかりませんの!?」


 今にも地団駄を踏みそうなほどに頬を薔薇色に紅潮させてくってかかってくるけれど、あまりフォローになっていない。なんなら丸さを愛しんでるのすら窺える。

 ローブの上からはあまりわからないが、確か豊かであったと思われる胸にひしっと抱き込まれている竜は、鼻先をその胸にすりつけ、尻尾を軽やかに弾ませている。どう見てもご機嫌だ。


 いやいやいや、これが獣人の畏怖と敬意を一身に集める月竜?伝説の?


「……ええぇぇ」

「だからなんですのそれ!そのキマイラ云々は存じません、が……キマイラ?キマイラって確か獅子と山羊の双頭を持つとかいう」

「あ、ああ、俺も初めて見たがな」

「……鬣とか体毛は赤でした?こう、角度で色味の変わる感じの」

「ん?遠目だったからそこまではわからんが、確かに赤かったな」

「討伐はいつ頃……?」

「先々週だったか。丁度こちらの国でS級魔獣を狩り回ってる白い竜の話も流れてきてな。これはと思い、ここまで商隊に紛れて忍んできたんだが……シャルロット嬢?」


 彼女は記憶を探るように視線を空に彷徨わせると、小さく頷き凛と姿勢を正した。


「美味しゅうございました」

「喰ったのか!?」


 いやほんと誰だ大人しい令嬢だとか言ったやつ。




◇◇◇



「お前、行くところがないのなら私のものになる?」


 両親を亡くし強欲な親戚に全て取り上げられてこき使われて逃げ出して、散々彷徨って座り込んだ路地裏で、そう問いかけてきたのは艶々した黒髪と曇りなく輝く紫の瞳をしたお嬢様。飾り気はあまりないけど手触りのよさそうなドレスの裾を膝裏にたくし入れ、しゃがんだ膝に顎をのせた小さな顔は整いすぎてて何を考えているのかわからなかった。


 連れていかれた大きなお屋敷は、住んでた村の役場よりもずっと大きかった。一家族しか住んでないとか嘘だろうと思ったけど、使用人も住んでると聞いて、そんなすごい金持ちはそういうものなのかと納得した。


 お嬢様が言うほど、すんなり僕が雇われたわけじゃないことは後から聞いた。本当なら施設に引き渡されるはずだった。お妃教育でお城に通い詰めてるお嬢様は、お屋敷にいる時間はほとんどなくて、専属の侍従も侍女もいなかった。だから専属の者を育てるのだと、そうお嬢様が公爵様に頼み込んでくれたらしい。どうしてそれが僕だったのかはよくわからない。


「だってエリックは誰のものでもなかったから」


 そしたら私だけのものになってくれるでしょ?と、抑揚のない語り口で答えてくれたお嬢様はやっぱり何を考えているのかよくわからない表情で。

 近所に住んでた女の子たちもよくわからないことを言ってたものだけど、それでも楽しいのかとか怒ってるのかとかくらいはわかった。でもその子たちとは違ってお嬢様はきゃあきゃあ騒いだりしないし、それどころかあまりおしゃべりもしない。


 昼間はお屋敷の先輩たちから、読み書きや従者の仕事を見習いで教えられて、夜に帰ってくるお嬢様とはほんの十分ほど、その日習ったことを報告する毎日が一年ほど続いた。誰も大声で怒鳴りつけたりしない。突然殴られたりしない。ごはんもきっちりお腹いっぱい食べられるし、清潔で温かいベッドで眠れる。文句なんてあるわけがない。

 引き取られた最初こそ、何故こんなによくしてくれるのかわからなくてびくびくしてたけど、お嬢様は夜の報告の時間には、不自由はないか、辛いことはないかと聞いてくれた。時々、透き通った琥珀色の飴玉をくれた。「お前の目と同じ色よ。綺麗で美味しいの」とほんの少しだけ形のよい唇の端を上げる小さな笑みに見蕩れた。


 ―――どうして気づかなかったのか。

 僕とお嬢様は一歳しか違わなかった。

 僕が子どもだったように、お嬢様だって子どもだった。




 公爵家での教育が進み、見習いの立場のままではあるけど、王城へ向かうお嬢様につき従う許可がもらえたころ。

 午後ひとつめの講義である魔法学が、いつものように長引いて、休憩をとる時間もなく次の魔道技術学が行われる研究棟へと少し足を速めていた時にその御方に声をかけられた。

 柔らかな午後の陽射しを煌めかせる黒髪と紫の瞳が未来のお嬢様の姿そのままであろうと思わせる美しく尊き方は、淑女の礼をとるお嬢様の後ろに控える僕にも優し気な笑顔をみせた。しかもその身を屈め、僕みたいな身分の低い者に目線を合わせて。


 何を問われてどう答えたのかもう覚えていない。

 公爵家当主である旦那様の姉君でもある王妃様は、当然ご結婚前は公爵家でお育ちになっていて、使用人はその頃から勤めていた者たちばかりだった。僕に侍従教育をしてくれた人たちは特に。

 誰もが敬愛している王妃様に失礼があってはならないと教え込まれていた僕は、ただひたすらにそればかりで頭がいっぱいで、だけど少しつっかえながらでも聞かれたことには答えられていたとは思う。多分。


「でもこの子はわたしのものですから」


 だから、夜に僕と話すときよりも、少し硬いはっきりした声に驚いた。どんな流れでそんな言葉があげられたのか、もうわからない。僕と同じくらいの背丈なのに僕より一回り細い背筋がぴんと伸びているけれど、どんな表情なのかは見えなかった。

 ただ、王妃様は少し困ったような笑顔で、お嬢様を優しく言い聞かせようとしていた、と思う。


「いけないわ。シャルロット。人はものではないのよ。あなたが引き取ったのかもしれないけれど、それならそれであなたにはこの子が独り立ちできるまでの責任があるわ。……きちんと学ばせてあげなさい。学校に行かせてあげなくては」

「ちゃんとお父様の許しはもらいました。公爵家で侍従の教育もしてもらいました。この子は」

「この子が本当になりたいものになれるよう導きなさい。あなたが良き主になれば、自然と人はついてきてくれるのだから、今から勝手にこの子の将来をあなたが決めてはいけません―――それはあなたのわがままよ」



 わがまま。



 あまりにお嬢様に似つかわしくないその言葉は、頭に馴染むまで時間がかかった。

 だって、お嬢様が文句を言ってる姿なんて見たことがない。

 予定外に伸びた講義のせいで、用意されていた軽食のサンドイッチの表面がパサついていたって、何も言わずに口にしていた。本当なら僕が先に気づいてとりかえなくちゃいけなかったのに、食べ終わって二人だけになったとき「側仕えはね、出されたものの状態も常に確認しなきゃなのよ」と小声で囁いただけだった。


 それなのに、王妃様はお嬢様をわがままだという。

 僕が侍従になるのが、なんでお嬢様のわがままになるのかがわからない。

 僕のせいなんだろうか。

 僕がお嬢様の侍従になっちゃいけないんだろうか。

 僕の出来が悪いからなんだろうか。

 だからお嬢様が叱られるんだろうか。


 僕はお嬢様のものになるからつれてきてもらえたのに。

 お嬢様のものだから、このお人形のように綺麗で、口数は少ないけど優しい女の子の傍にいられるというのに。

 僕はそれが嬉しいのだから、侍従になりたいのだと、そう言いたいけど、高貴な人の許しなく声をあげちゃいけないと教わった。王妃様は今僕を見ていない。お嬢様だけを見て話しかけているから僕は口をだしちゃいけない。でも。


 なんとか無礼にならないように伝えられないかと、どうしたらお嬢様のわがままなんかじゃないとわかってもらえるのかと、ぐるぐると考えの空回る頭が熱を持ったように熱くなる気がしてきたとき。


「あなたは王妃になるのよ。傍におく者はそれにふさわしい能力を身につけていなくては、その者のためにならないわ。いい?これはあなたのためでもあるの。―――あなたのわがままは自分の身を滅ぼすのだから」









 足首ほどまでの草が、踏みしめるたびざくざくと湿り気のある音を立てる。

 王城の裏手、手入れの行き届いた林を抜けると境界線のように草地帯が左右に広がっていた。膝下まで覆う草は、さきほどまでと違い人の手が入っていないことを示している。眼前に立ち上がるのは禁呪の森。波打つ草地は燦々とした陽を受けて輝いているのに、樹々の間は暗く鬱蒼としていて、その奥は窺い知れない。

 絡み合う蔦と奇妙にねじくれた樹々は、侵入者を阻む壁のようにも、中にいるものの脱出を許さない牢獄のようにも見えて、知らず喉が鳴った。


 お嬢様。

 こんなところに十二歳のお嬢様が、たった一人で足を踏み入れたのですか。


 十二歳といえば、僕が執事や護衛等の上級学校に通い始めたころだ。高位貴族が使うにふさわしい技能を身に着けるための学校。その上級学校に平民が通うためには初等学校を優秀な成績で卒業しなきゃいけなかった。結局王妃様の指示通りに僕は初等学校で学ぶことになって、王城へ向かうお嬢様についていけたのは十日足らずだった。初等学校のうちは、最初の一年と同じに夜は話ができた。上級学校は全寮制だったから、休みの日の夜しか会えなかった。


 上級学校を首位で卒業して、公爵家でさらに教育を受けて、やっと。

 高位貴族との社交を補佐できるよう知識も教養も身に着けた。平民の僕がつき従える場所を増やせるように、必須ではない戦闘技術も会得した。公務を行うために必要な情報を得るために、公爵家子飼いの暗部にも師事した。


 お嬢様のためになると()()()()ことはなんだって学んだ。


 ―――そうして、やっと、やっとお嬢様の傍にいられるようになったばかりだったのに。

なろうコンで二次選考に残ってました!選考時期勘違いしてたから不意打ちだったです。びっくり。ありがとうございますありがとうございます。更新停滞表示させてる場合じゃないってばと慌てるなど。


ちょっときりの悪いとこですけど、長すぎたので切っちゃいました。次書いてからアップすればいいのに待てない子なんですよほんとに!

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