ひっそり静かな生活(主観的には)***そのに
「いやいやいやいや……トカゲってお前」
「私たちだって竜を直接見たことなんてなかったでしょう。誰が思いますか。竜がおつかいしてるとか……。目撃されている白竜だって、魔獣を狩ってるから竜だと思うんですよ。それとおつかいトカゲが同じだなんて思いませんて。あのあたりはまだ白竜の目撃情報ないですし」
「トカゲだからか……」
「ええ、トカゲですから……」
ギルバート・サザンランド国王、酷薄そうな怜悧な美貌とは裏腹に、慣例を破り側妃も持たず王妃殿下ただ一人に熱情を捧げる王。跡継ぎはエドワード王太子殿下のみである以上、王族の義務ともいえる血を継ぐ役割を放棄していると謗られかねないにも関わらず、その姿勢は逆に民からの支持を得ている。
側近候補として幼い頃からともに育ってきた。すでに賢王としての片鱗が伺えるほどに優秀な幼子であった彼は、けれど畏怖されこそすれ慕われる王にはなりえないと思えた。それほどに才ばかりが突出していた。
変わったのは、婚約者である公爵令嬢と寄り添うようになってから。利害のみで取捨を選択する男は、溢れんばかりの情愛を注ぐ対象を見つけた。
生来の冷徹さはそのままに、彼女の望みを叶えるために、彼女の悲しみを拭うために、慈悲ある選択を考慮するようになる。彼女を得て、彼は血の通った王になったのだ。
主君の婚約者に抱いていた私の淡い恋情は、いつしか敬愛する二人の主君を支えるという生き甲斐と使命感に変わっていた。
「あの娘はどうしてる」
王妃殿下の姪であり、王太子殿下の婚約者であった公爵令嬢シャルロットのことを、王はもう名で呼ばない。愛妻によく似たシャルロットを、王は確かに娘同様に可愛がっていたにも関わらず。
「……トカゲの話は、村を経由して王都に行商にきた商人からもたらされたものです。その男が直接見たのはフードを深くかぶった小柄な人間だったようですが、トカゲの飼い主は普段から特に姿を隠してるわけではなく、黒髪で紫の目をもつ少女だと村人から聞いたそうです。名をシャルロットと」
「あれは、ささやかで静かな生活をしたいと言ってなかったか」
「隠れる気はさらさらないんでしょうね。こちらが手を出さなければ、その生活は可能なようですし、現に保たれています」
「普通なら名を変え隠れ住むだろうにな―――計算だと思うか」
それはそう、だろう。
王都の安全を揺るがす白竜を連れ出して、追手がかからないなどとどんな馬鹿でも思うまい。言葉のとおり、誰に脅かされることもない生活が欲しければ、名を変え姿を変え、人里から離れるか、逆に人に溶け込み目立たないよう神経を張り巡らせることだろう。
何をどうしたって、辺境とはいえ隣国との交易路としてある程度栄えている村で、己の特徴もそのままに堂々と白竜を連れまわすはずもない。……トカゲとして認知されてはいるようだが。
「何を狙っているのかはまだ不明ですが、こちらがおいそれと手を出せないであろうと計算はしているんでしょうね。王国各地で魔獣の脅威を取り除いた白竜は、今は救いの竜として噂になってきています。禁呪の森の主のことを民は知りません。下手に国が手を出すのは民の反感を煽りかねない」
王は小さく罵りの言葉を吐き、椅子に深く背を預けた。
禁呪の森の結界は未だに魔獣どもを閉じ込め続けている。恐れていた最悪の事態にはなっていない。伝承通りであるならば、とうに崩壊して王都は魔獣に蹂躙されつくしていたことだろう。
そもそも結界は白竜がつくりだしたものであるという伝承が誤りであったのか、それとも白竜が何らかの意図をもって結界を維持しているのか。そうであるならそれはなぜなのか。慈悲なのか。
―――シャルロットを抱え込み怒りを露にしていたあの竜が、己の宝を傷つけ続けていたであろう我らに慈悲?
王妃殿下の結界対策は、禁呪の森の結界を人の手で再現する魔道具―――結界装置の開発だ。王都に食い込み寄り添うように広がる禁呪の森は広大で、従来のそれでは覆いつくすことができないし、閉じ込められている魔獣を抑えつづける強度もない。
開発自体は王妃殿下の提唱により二十年前から始まっている。
ただ、次々と発案される新たな生活魔道具の研究と開発に押され、計画半ばにして停滞していた。
「結界対策班の研究者どもは、まだやる気をみせんか」
「……当初より手を抜いてる様子はありません」
「はっ、この緊急事態に定時で帰宅し続ける態度のどこが」
「今月の残業上限規定時間に達したからだそうです……我々が厳しく制定した規則ですよ」
「災害時の特例法があるだろう」
「まだ災害は起きていないんです。そして起きるかどうかも不明です。白竜のことも、シャルロット嬢のことも、公にはできないのですから」
あれは、どこをどう見ても醜聞だ。婚約破棄に貴族籍剥奪の茶番をよりにもよって王族が主導し、何の非もない公爵令嬢を貶めた。
もちろん緘口令は敷いている。王太子婚約者である公爵令嬢は、特殊な才を発現したため神殿預かりの身となったこととした。それに伴う婚約の円満解消。そう公式に発表されている。けれど人の口に戸は立てられない。
詳細は語られていない。
それでもなお、突然公爵令嬢が公の場から姿を消した事実が、王城で働く者たちを静かに揺すぶっていた。
「建前ですよ。シャルロット嬢の出家と同様に、彼らも就業規則を建前にしてるんです」
魔道具開発は、王妃殿下の華々しい業績のうちの多くを占める。現在の組織体制になった当初から王妃殿下が率いていたといって過言ではない。王妃殿下を慕う臣下たちの筆頭といってよかった。働きすぎはよくないのだと、王妃殿下自ら諫めても、それが研究者というものだと時計を気にして働く者などいなかった。
それがいつしか世代交代されていた。盲目的に忠実であった研究者たちは、当時でも年配だった者が多く、次々と新たな理論や技術が展開される現場からは一歩引かざるを得なくなっていた。今は若手の研究者が中心となっている。
勿論、命じられたことは粛々とこなしている。勤務態度は変わりなく良好と言っていい。若いとはいえ、現在の魔道具開発の主翼たる優秀な者たちだ。
『でも誰も意見のひとつも言ってくれないの……』
王妃殿下が現場で活躍していた時代には、いつでも身分の上下に関わらず活発な議論が交わされていた研究室。
そこから執務室へ進捗の報告とともに戻った王妃殿下が、そう眉を下げて呟いたのは結界対策を再開させてすぐのこと。
彼らが、沈黙をもって反感を示しているのだと、その時は上層部である我々の誰もがわからなかった。
妙に煩雑に増えた業務の合間を縫って、調査を進めていけば、陰で囁かれているのは不信と猜疑に満ちた言葉だった。
―――どれほど身を粉にして結果を出したところで、全て手柄は横取りされる。
―――表面にでてくることのない地味な作業を積み重ねても、それを評価するものはいない。
―――受けるべき評価が受けるべき者に下されるべく、執務宮を駆け回っていた公爵令嬢はもういないのだから。
肩書が低ければ低いほど、身分が下であればあるほど、その声に込められた憤りは強いものだったという。
「崩壊の危機は結界に限ったことではないとはな。無害な小娘と侮ったツケか。……いつでもあの娘を確保できるようあらゆる準備を整えておけ」
それは場合によっては強硬手段も辞さないという命令。
あの竜が怒りの咆哮をあげる様は、陛下、あなたによく似ていた。
あれは自分の宝以外を視界にいれたりはしない。興味も執着も全てがただ一人に向かっている。
それに手を出す危うさを、誰よりもあなたが知っているはずだろうに。
「結界装置の完成は近づいている。トカゲは万が一の時の備えだ」
万が一が起きぬよう、我らの足元を固めなおさなくてはならない。
◇◇◇
びたーんっ
ぴしゃーんっ
雲一つない青空に雷鳴が響いたのは、シルヴァの尻尾が地面に叩きつけられた直後だった。
「な、なんだ!?雷!?この天気で!?」
「近いぞ!どこに落ちた!?」
朝市の広場が騒然として、地面に広げられたゴザの前でしゃがんでいた私の周りの人らがきょろきょろと雷鳴の出所を探している。
私の横で同じくしゃがんでいるシルヴァは、もうお澄まし顔してる。
……びたーん、久々に聞きました。全く。シルヴァは元々穏やかな気質でめったなことでは怒らないというのに。村の防壁あたりでしょうか。死んだでしょうか。
「きゅっきゅ」
シルヴァが、ゴザに積まれた色鮮やかで複雑な模様の布をつついてみせます。遠い国の織物だというそれは、これから迎える冬に備えてちょうどよさげなケープでした。
「これ?似合う?」
「きゅっ」
胸にケープをあてて見せると、スピネルの瞳がゆるゆる輝く。ご機嫌に振られる尻尾。
んー、ちょっとお高い。
蓄えにまだゆとりはあるけれど、家の設備の初期投資にかなり注ぎこんでしまった。冬ごもりの準備にどれほどかかるか、まだ見当があまりついてない。散財は抑えたいところだ。
シルヴァがこの間お土産に持って帰ってきてくれた大量の毛を紡いでいるところだし、それを使って何か編もうと思っている。
うん、やっぱり要らないです。
商品を戻す私を覗き込むシルヴァに「お揃いのケープ、編むからね」と囁けば、ふしゅーっと鼻息を勢いよく吹いて尻尾の揺れる速度が上がりました。
光のあたる角度によって深紅から桃と橙にグラデーションがかる毛で編んだケープは、白銀の鱗をより美しく輝かせることでしょう。
広場の端のほうから、けが人はいないと自警団らしき男性達のやり取りが聞こえてくる。ふむ。警告ですませたということは、向こうに殺意はなかったということですか。そろそろ結界に綻びがでてきてもおかしくはない頃だと思うけれど。
薬草を薬師ギルドで買い取ってもらって、森へと向かう道をシルヴァと手を繋いで歩く。シルヴァのかばんには一週間分のパンと、切らしていた砂糖とブランデーも一瓶。
「ねえシルヴァ。干していた果物がいい感じになってきてるから、帰ったらパウンドケーキを焼こうか」
「くるる」
木の実もぎっしり詰め込みましょう。シルヴァの足取りがちょっと弾んでます。お菓子の類も好きなのよね。木の実のキャラメリゼを初めて食べた時のシルヴァは、可愛さが天井知らずでした。ぴきーんと直立不動のまま、尻尾だけをびったんびったんさせていた。
薬師ギルドの受付のおばさんに、冬ごもりの準備も教わった。森は雪に埋もれてしまうから、冬は村で過ごすよう勧められたけれど、シルヴァがいればなんということはないと思う。飛べますし。
「―――待て!そこのお前!」
明日は冬用の薪を拾いに行こう。どのくらい貯めておけばいいかは教わってきた……いやもしかして適当な木を一本切り倒してシルヴァに魔法で乾燥してもらえばそれで済むのでは?
「シルヴァ、切った木を乾燥させたりできる?」
「きゅっ」
「おい、待てと言っている」
「ほんと?燃やしちゃったりしない?」
「……きゅっ」
シルヴァの魔法は火力が強すぎて、時々制御に失敗したりすることもある。ちょっと目線を逸らされました。
「聞こえんのか!待て!」
さっきから後ろで叫んでいた男性が、目の前に回り込んで道を塞ぎます。いやですわぁ。聞き覚えのある声だったので、つい聞こえない振りしてしまいました。
深くかぶったフードから、その顔を伺うとやっぱり見知った顔です。どうやら向こうは私に気づいていないようですけども。
「何の御用でしょう」
「……お前、やはり人間だな?」
尊大な口調にふさわしく、ぴんと立ったふさふさの尻尾は手入れの行き届いた艶々の毛並みです。この辺境の地に接する隣国は獣人の国ですから村に住む者にも、出入りする旅人にも獣人は少なくありません。けれども多数派は人間です。そんな改めて問われるようなことでもないですし、記憶にある彼は王族らしい横柄さはあれど、種族が違うからと見下すような方ではなかったはずなのですが。
シルヴァの尻尾が少し苛立たし気に、シャッシャッと小さく揺れています。
「トカゲと偽っているようだが、俺の目は誤魔化せん。それは竜だろう。竜が人間に従うわけがない。隷属魔法か呪いの類でもかけているに決まっている」
俺 の 目 は 誤 魔 化 せ ん!!!
「あ……」
「あ?」
「あはははははっあはっあははははははははっ」
「なっなんだ貴様!なにを」
「なにを!なにをって、あはっあはははははいやああああははははっ」
ひどいです。これはひどいです。笑いが止まりません。誤魔化せないって、トカゲなんて私言ったことないですし!隷属って!そんな全て見切ったかのように言われても!これあれですわね、ドヤ顔って言うんですわ知ってますわ私!
不敬だぞ黙れと、喚く彼の護衛なのか、いつの間にか辺りを数人の男が取り巻いている。平服を纏っていますが、身のこなしから騎士だとわかります。
笑いすぎて蹲る私に、呆れたような鼻息を吹きかけながら、シルヴァが抱き上げてくれた。
半円を描く様に尻尾をぐるっとひと回しして、この先に踏み込むなと威嚇も忘れません。
角の生えた豹型の魔獣と、小さな羽根をもった狒々型の魔獣を連れている護衛騎士が二人。獣人と従魔の関係は、人間とのそれと違って従属ではないと聞きました。それぞれ彼らの相棒でしょう。
それを昔教えてくれた目の前の彼は、屈辱を感じているのか真っ赤に顔を染めていた。
「相棒なのでしょう?それならその怯えをいたわってあげたらよろしいのに」
笑いの発作がようやくおさまってから、従魔を連れている護衛騎士に声をかける。ほら、しっかりと主の傍に寄り添ってはいるけれど、足先が忙しなく小さなたたらを踏んでるじゃないですか。本当は逃げ出したいのだろうにね。なんていい子たち。
「シルヴァ、シルヴァ、やめてあげて。あの子たちが可哀そう」
「……きゅーぅ」
渋々と、それでも辺りへのひと睨みをしてから、私を抱きしめる力を僅かに緩める。降ろしてはくれないけど。
元々シルヴァに自ら近づく魔獣はいない。魔獣同士でわかる匂いなのかなんなのか、それをどうやらシルヴァはある程度おさめることができるようで、護衛騎士たちの従魔が少し緊張をほどいたように思える。同時に怯えが勝ってきたらしく、控えめに自分の主らしき護衛騎士の裾を小さく引いている。やだ可愛い。シルヴァには敵わないけど可愛い。
びたーん
飛び上がる従魔たち。慌ててスピネルの瞳を覗き込んで鼻先にキスをした。もう、シルヴァが一番可愛いに決まってるのに。にやけちゃいます。
うふふと額同士こつんと当てれば、くるると小さく喉が鳴らされた。
「……まさか。人間が従魔と絆を交わせるわけが」
「まずひとつ、私はこの仔をトカゲだと言ったことは一度もありません。勝手に周りがそう思い込んだだけのこと」
「お、おう」
びしっと、人差し指を突きつけられて、隣国の王子がのけぞりました。
そう、この男性は隣国の第三王子ダリル殿下。狼の獣人だったでしょうか。確か。昔、親善のための舞踏会で王太子の婚約者として挨拶したことがあります。その時の雑談で、獣人と従魔の関係について少し教えてもらったのです。
「ふたつめ、この仔は別に私の従魔ではありません。よって隷属魔法なんて使用してませんし、呪いなんてとんでもないことです」
「いやしかし「みっつめ」っぐ」
指を三本立たせてつきつけてから、フードを後ろに払いのけました。
「お久しぶりでございます。ダリル殿下。ご挨拶が遅れたことお詫び申し上げます」
令嬢力大集合で笑顔をつくりあげて、形ばかりに小さく頭を下げた。ええ、シルヴァに抱き上げられたままですけれど。
「マ、マクドゥエル公爵令嬢……?」
「今は平民の身ですので、ただのシャルロットですわ。それでは御前失礼いたします」
しれっと立ち去ろうとしたのに、いやいやいやいやと引き留められた。めんどくさいですわぁ。
おかしい……なかなか人化しない、ですね……蛇の足が増えてる気がしてきますが全力で目をそらしています。