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ひっそり静かな生活(主観的には)***そのいち

ほんっと蛇足ですけど、ざまぁもないですけど!


 才色兼備の王妃が概念を提唱し、導入された制度は数多い。

 戸籍の整備、初等教育の義務化、医療福祉の充実など、一朝一夕で整うものではなかったが、王太子の婚約者時代から二十年以上たつ今では、王国の繁栄を築く礎として確実に根付いている。

 その数ある制度のうちの一つである【働き方改革】により、王城内を始め、法務部や行政部ひいては軍部に至るまで、労働環境はより合理的に、より機能的に、そして労働者の健康に配慮されるよう管理されていた。

 ここ十年ほどは残業時間の上限規定を超える者などほぼいない。


 その存在その生活そのもの全てが、公務であると言って差し支えない国王であっても、充実した私生活を確保できていた―――つい二ヶ月前までは。


「……もう一度言ってくれ」


 特に例年と違うことがあったわけでもない。

 行事も外交も天候も、予定通り計画通り想定の範囲内に全てが収まっている。

 禁呪の森の結界対策については、機密事項でもあり、王妃を含む限られた人員のみで行われている。


 これほどまでに睡眠時間を削り取られる要素はないはずだというのに、現にサザンランド国王は睡眠不足の目をしばたかせていた。頭痛を一箇所に集めるかのように眉間を親指の先で強く押しながら、宰相に問い直す。


「全国各地で目撃されていた白竜ですが、現地で警戒されていたS級の魔獣のみを狩っているのが確認されただけで、拠点も行く先も不明であったことは先日報告した通りです」

「そうだな。去って行く方向すら分からず、目撃地点も国の端から端と距離がありすぎて拠点候補地も絞り込めていなかった」


 雲間からさす一閃の日射しのように急降下で現れ、瞬時に獲物とともに舞い上がり雲の上へと消えていく。決死の覚悟で組まれた討伐隊が、起きた出来事を咀嚼したときにはもう雲ひとつない澄み渡る青空だけが広がっていたらしい。

 全国各地からあげられるそんな報告から時系列を整理してみれば、例えば南の海でクラーケンを狩った一週間後には北の山脈でケルベロスを、その三日後には西の砂漠でキンググリフォンを狩っている。ほぼ二か月前から始まった目撃情報は、週に一、二度あるかないかの頻度で不定期に発生していた。


 妥当な取引材料も提示できずに、半ば苦し紛れの懇願として申し出た貢物は欠かさず毎日行っていた。いや、まだ行ってはいる。すでに森に竜はいないと予想されていても、貢物は魔獣に食い散らかされているのみと察していても、いまだ『結界』は存在しているからだ。


 確かにあの娘は森に住み続けるとは言わなかった。ただ貢物を置く場所を指示しただけだ。貢物の意図も、それ以上強硬な態度をとることは不利だとこちらが悟っていることも、理解した上でそう答えたのだろう。


 ―――あれから調べなおさせた『王妃教育』の内容は、過去受け継がれてきた内容をはるかに凌駕して広範囲かつ高度なものだった。この俺に怯むことなく、引き際を見誤ることなく、自らの望みを明示していった。何を目指していると問いたくなるような教育を、十二分にモノにしていたのだろうと、王は歯噛みする。


「東の国境近く、ルイガス村で普通に卵と牛乳を買っていたそうです」

「……竜が?」

「現地では『おつかいをする賢いトカゲ』と認識されてました」

「かしこいとかげ」


 王は、幼なじみでもある宰相の顔を胡乱に見つめ返した。


「カルロ、おまえ疲れているか?」

「疲れてますけどね……」



◇◇◇



 洗濯ロープにひっかけたシーツやシャツが爽やかな風に翻る光景に、満足して洗濯籠を小脇に抱えれば、天高く響く鳴き声が耳にとまる。きゅぅくるるるるは「ただいま」の声。


「おかえりシルヴァ!」


 ふわりと柔らかく降り立った白銀の仔竜は、お土産を両前足で捧げ持ちつつ、弾む足取りで駆け寄ってきます。

 得意げに勢いよく鼻を鳴らして差し出されたのは、一抱えの枕ほどもある肉の塊。厚みのある大きな葉数枚をつかって包まれていた。血抜きまで完璧である。

 シルヴァの器用さがとどまるところを知らない。


「うわああ、おっきなお肉……脂も細かく刺してて美味しそう……ていうか、シルヴァが持って来てくれるお肉はいっつも美味しいもんね。何のお肉かわからないけど」

「くっきゅきゅきゅぅきゅっくくくるくる」

「このお肉の名前?」

「くくくるくるきゅぅる」

「なるほど」


 シルヴァとの意思疎通はそれほど困らない。私の言葉は余すことなく理解してくれているし、シルヴァの言いたいことは汲めていると思う。多分。いつも満足そうにしてるし。

 ただ、こういう獲物の名前とかの場合はどうしたってわからないわけで。

 こんな時はちょっとシルヴァの言葉がわからなくて寂しくなったりする。


「きゅっきゅきゅぅうきゅ」


 つんつんと鼻先同士をこすりつけ、ちろりと唇を舐めてくれてから、我が家の玄関へと私をエスコートしてくれます。

 シルヴァはとても賢いから、私がシルヴァの言葉を理解していないことなどわかっている。

 だけどとても優しいから、まるでちゃんと私が理解しているかのように語り続けてくれるのです。

 スピネルの瞳をきらきらさせて、嬉しそうに満足そうに。




 古樹が密集する禁呪の森よりも、木漏れ日が明るいこの森は樹々が若いのだろう。ここらあたりを縄張りとする魔獣も比較的低レベルで、普通の獣のほうが多いらしいが、それでも人はあまり立ち入らない。

 そんな森の奥にある小さな一軒家を借りて住み始めてから二か月たった。

 家主は近くの村に息子夫婦と暮らす年老いた元冒険者だ。若い頃に採取と狩りの拠点としていた家らしい。




 禁呪の森を飛び立ってから約三か月。最初の一か月は国内外問わずにあちこち飛び回った。


 地平線まで続く鬱蒼とした密林を

 無数にそびえたつ岩山が織りなす断崖絶壁の荒野を

 満天の星屑がそのまま落ちてきたような砂漠を

 幾本もの虹に覆われた、落ちる先が見えないほどの大滝を


 古今東西、嘘か誠かもわからぬほどに伝え聞く程度の絶景ポイントにすら、シルヴァは悠々と連れて行ってくれた。


 実に有意義な観光旅行でした。




 小さな一軒家は、玄関を開ければすぐに居間兼食堂兼寝室で、まあ、広さこそそこそこあるけど一部屋しかない。部屋の奥に据えたベッドは衝立で目隠しした。いえ、来客があるわけでなし、シルヴァとは毎晩一緒に寝てますし、隠す必要性もあまりないといえるのだけど、なんとなく。

 そして台所や浴室、トイレと水回りは不自由なく清潔で使いやすく、ベッドと洗濯機と冷蔵庫は貯金をはたいて、いいものを整えた。洗濯機や冷蔵庫は、動力となる魔石の補充に維持費がかかるため、まだまだ贅沢品扱いだけれど、私は魔石に魔力を自分で補充できるので初期投資だけでいい。


 シルヴァは数日おきくらいにお出かけをする。長くても半日かからずに帰ってきてくれます。

 そして今みたいに嬉しそうにお土産をくれるのです。それは美味しそうな謎肉であったり、南国の珍しい果物であったり、綺麗な上に高い薬効のある花であったり、ぴかぴかに輝く石だったり、こう、見事な、枝?であったり。枝は本当に枝というかその辺に落ちてるような木の枝で、しかも何かこだわりがシルヴァ的にあるらしい。

 大切そうにくれるから、大切にとっておいたりしてたのだけど、何故か枝だけは入れ替わり方式なのか、前にくれた枝は捨てられてしまう。やっぱりちょっとわからないけど、可愛いからいいです。


 昔から遊びに来てくれる時には必ずこうしてお土産を持ってきてくれていた。ああ、でも一緒に暮らし始めてからは肉率が高いかもしれない。


 じゅうじゅうと脂を弾かせるステーキはレアで焼き上げ、ショーユソースで味付ける。シルヴァには私の顔くらいの大きさのを三枚。私は掌半分サイズのを一枚。朝ごはんだから味見程度。やはり口の中で蕩ける謎肉。美味しい。

 あとは裏の小さな畑で収穫できたナスや、森に生えてるキノコや木の実を適当にいれたトマトスープと、さくさくに温めたパン。


 身体の大きさからいって、今テーブルに載ってる量では足りないんじゃないかと最初は心配だった。でもきっと調理して私と一緒に食べてるのは、シルヴァにとってオヤツらしい。多分シルヴァのお出かけは食事であって、一番美味しいところを持って帰ってきてくれてる。残りは現地でそのまま踊り食い?なのでしょう。


「きゅ」


 数日前にとってきてくれた甘い果実をひと切れ、爪にひっかけて、私の口元に差し出してくれる。

 バターを切るように木の幹を切り倒す鋭い爪は、けして私を傷つけない。

 爪ごとぱくりとくわえて食べさせてもらえば、シルヴァのしっぽがぴーんと立って、尾の先だけくるくる回してる。器用。


「ねえ、シルヴァ。シルヴァがお出かけの間に薬草摘んできたの。そろそろパンもなくなるし、村に行こうか」

「きゅーう」


 しっぽはご機嫌にゆったりと左右に揺れている。



◇◇◇



「きゃっふぅうう!」


 木々の間隔は禁呪の森より広いけど、シルヴァの駆けるスピードでは視界が狭まってスリルが増します。

 私を抱き上げてくれるシルヴァの首にしっかりと腕を回してしがみついて、縦横無尽に駆け跳びはねる爽快さに嬌声もあがるというもの。シルヴァ専用の肩掛けカバンも私のお尻の下で弾んでいる。肩掛けといってもシルヴァは肩がないので首掛けですが。


「あはっあはははっあー面白かった!」


 平原からいきなり立ち上がるこの森の端からは、近くの村を囲う壁が見える。いつも通り降ろしてもらって、手を繋いで歩き出します。シルヴァが少し背伸びして、私のローブのフードの端をちょいと咥えてかぶせてくれようとするのを、屈んで手伝った。ありがとと言えば、くるると眉間をちろり舐めてこたえてくれる。


 公爵家からは勿論、城で与えられていた部屋から持ちだしたものはほとんどない。昔シルヴァがくれたお土産と、こっそり貯めてた給金で買った平民服や旅装くらい。

 今日も編み上げ襟の綿シャツとゆったりめの女性用トラウザーズに、ショートブーツと身軽な平民服に膝までのローブを羽織っている。薬草採取などで森を歩くには、スカートは少し危険だし、このほうが動きやすくていい。


 公務といっても、あくまで王太子や王妃の補佐であって、しかも教育の名のもとに行われていましたから、手当などありませんでした。婚約者としての予算はありましたが、それはあくまで公務を行うためのもの。私が自由に使えるお金ではありません。控えめにいってうんこです。この言い回しは村のおばさまが教えてくれました。


 哀れに思ってくれたらしい資料室のおじさまが、補佐や研修生でもなく婚約者でもない『平民で見習いのシャルロット』を雇ったものとして給金を出してくれるようになりました。小遣い程度にしかならなくて申し訳ないと言ってくれましたけど、とんでもない。それがこうしてシルヴァとの生活する資金になったのですから。

 政務を行う執務宮には、そうして陰ながら私を助けてくれる人が何人かいました。ポケットに隠しやすい飴や個別包装された焼き菓子を選んで、お茶にそえてくれた助手の方。持ちこまれる書類をいったん抑えて、うたた寝できる時間を作り出してくれた伝令役の方。

 彼らには、シルヴァがくれた魔石を使って作ったお守りをこっそり渡してきました。そこそこいい出来ですので、役には立っているはずです。疲労回復とか魔物除けとか色々。ああ、見つかったら意味のないような魔物除けじゃないです。シルヴァの魔力も入ってますからね、それはもう。


「よう、シャルロットちゃん、買い物かい?」

「こんにちは。パンを買うのと、薬草を売りに来たの」

「……肉は?」


 門番のジムさんが、少し屈み気味に声を落とし訊いてきます。今朝シルヴァがとってきてくれたお肉の三分の一ほどが、シルヴァのカバンにはいっているのですけど、よい勘してますね。シルヴァは新鮮なお肉じゃないと見向きもしないので、食べきれない分は時々村の食堂に売ったりします。謎肉なのに人気だとか。

 「ちょっとだけ」と答えると、よしっと拳を握って気合をいれてました。


 最初にこのルイガス村を訪れた時には、さすがにちょっと騒然としたものだけど、今ではなんということもありません。


 村と言っても、町よりの村というか、国境近くの辺境地の割に大き目のこの村は、隣国が獣人の国なだけあって獣人が割と多い。そして魔物使いという職種は獣人に多く、この村では従魔を連れている者が珍しくない。なので、シルヴァを連れていても平気だろうと思いました。竜を直接見たことある人なんてそういないだろうしと。


 甘かったです。すごい勢いで遠ざかられました。


 でも、令嬢力を奮い起こして、平然としたまま手を繋いで買い物を続ける私たちに、危険はないとそのうち判断してくれました。トカゲの変異種だと思われてるようですけど、シルヴァも気にしてないからいいです。強き者は些末なことなど気にしないのです。


「お裾分けありがとよ!」


 ジムさんが気軽に頭を撫でても、一向に気にしないシルヴァ。私はちょっと気になるので、ぺしっとその手を払いました。私は弱き者なのでいいのです。いつものことですし、シルヴァは私だけのですし。

応援いただいたのが嬉しくて木に登ってみました。

次の更新時期は未定ですけど、多分します。気長に見守っていただけると嬉しいです。

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