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カーテンコールはお断り。

 ―――はぁっはあっはっはっ


 耳の中で激しく脈打つ鼓動と荒い呼吸だけが響く。

 ざあざあと、数年前に視察で出向いた港町で初めて見た海鳴りを思い起させるのは、密集する分厚い葉をかき分ける音。

 指も手も腕も足も、切り傷や擦り傷で血まみれで。

 肌触りもよく動きやすい上質な仕立ての衣服は、とっくに泥と汗と血で見る影もない。


 断続的にきぃんと響く耳鳴りと、背後から追ってくる低い唸り声。


 痛い

 苦しい

 怖い

 嫌

 助けて


 誰か助けて



◇◇◇



「今どき高位貴族が魅了魔法などに惑わされるわけもなかろうに」

「これも王妃殿下が開発されたアミュレットのおかげですな」

「わたくしは前途洋々たる若者の未来が奪われるのを見過ごせなかっただけですわ」

「実際、二十年前までは各国で被害が散発してましたからなぁ」


 時折現れる魅了魔法の使い手が高位貴族や王族に取り入り国を乱すというのは、その使い手の能力によって規模の差はあれど問題視はされてきていた。

 アミュレットはあれど、それは歴史ある国のみ、しかも王族クラスの中でも王や王太子程度しか持ちえないほど希少なものだった。

 ここで登場するのが才に優れた王妃殿下。独自の魔法構築による魔法陣の圧縮と希少素材の省略により、各国首脳陣が常備できる程度にまで生産可能とさせた。

 我が国においては、高位貴族、伯爵位以上の者は持たねば特権者としての意識に欠けるとさえ言われるほどに浸透している。


 まあ、それで色恋で道を踏み外す者が全くいなくなったかといったら、それはそれで別の話ですけども。


 なんでぇええぇえぇぇぇえぇぇとやまびこを響き渡らせながら、アンナが退場になった小ホールでは、さきほどまでの緊張感はすっかり霧散して、重臣たちの昔話と捕り物劇の感想で僅かばかりの高揚感をもって賑わっている。


 王太子殿下には、不正や横領、詐欺などの疑いがある男爵の摘発とその証拠確保が課題。

 王太子妃候補には、王太子殿下がその課題遂行のために接触した男爵令嬢が起こすであろう醜聞への対抗が課題。


 ―――王太子殿下はともかく、私への課題は少し意味がわからないだろうが、国内外問わず社交界では欠かせない醜聞やそれへの対処能力を試されている、らしい。

 王妃殿下も、婚約者時代に今回同様現れた魅了魔法の使い手に見事対処している。開発したアミュレットをもって。もっともその時は今回のように一族絡みの犯罪ではなく、魅了魔法の使い手単独犯で能力も低く、単純に玉の輿狙いだったようだけれど。

 どうしてこう魅了魔法の使い手はみんな逆ハー狙うのかしらねぇと、王妃殿下は昔ころころと笑いながら言っていた。


 高位貴族はすべからく魅了魔法の対抗手段を持っているし、それを知っている。勿論私も知っている。

 魅了魔法で操られることはほぼありえないといっていい。けれど恋に目が眩む者がいなくなるわけではない。むしろ操られることがありえないからこそ、不義理が発生すればそれは自発的なものだと考えざるを得なくなる。


 だから、課題に適しているそうだ。


 仲睦まじく切磋琢磨していたはずの婚約者の裏切りに心乱すことなく、学園や社交界での好奇や同情、嘲りの含む噂への対処、足を掬われないよう品位を保ち貴族社会での規範となるべく振舞うこと。


 王太子妃、次期王妃として、それが可能な器であると示せという課題。

 なぜなら現王妃も乗り越えた問題なのだから。


 傑物たる現王妃とまでいかずとも、シャルロット・マクドゥエルは現王妃の姪なのだから。

 現王妃の過去の偉業までいかずとも、シャルロット・マクドゥエルは確かに実績を積み上げているのだから。


 見事課題をこなした王太子とその婚約者を称賛し、次代のこの国も安泰だと、朗らかに語らう輪から離れて、王太子殿下がふにゃりとした笑顔を向けてくる。


「シャル、お疲れ様。よかったよ。気づいていてくれて。さすがに君を裏切っているかのような演技は辛かった」

「お前ならこなしきると信じてはいたが、まさかあんな意趣返しまでするとはな。肝を冷やしたぞ」

「僕は冷えたどころじゃないです、心臓が凍ったかと」


 公爵閣下も柔らかなまなざしで苦笑しつつ続き、護衛兼侍従はまだ少し震える指先を胸にあてている。


「ふふっ、私は心配してなかったわよ。だってシャルロットですもの」

「そうだよね。僕たちの中で一番伯母上にそっくりなんだし」

「兄さまっ王妃殿下でしょっおうちじゃないんだから」


 公爵夫人は閣下に寄り添い、公爵家嫡男は末の令嬢に窘められてちらりと舌を出す。


「だけど試験とはいえ、あんな慎みのない女性の相手はもうごめんだな」

「全くだ。よくあれでシャルロット嬢に対抗できると思ったものだよ」


 宰相子息に騎士団長子息が、苦笑とともに幼馴染らしいいつもの親しみを向けてくる。



「本当にお疲れ様、シャルロット。わたくしも伯母として鼻が高いわ」

「意外でもあったぞ。例え試験であることを見抜いていても、シャルロットならノってみせると思っていたしな―――昔の君を見ているようで面白かったよ」


 陛下は王妃殿下の腰をさらに抱き寄せつつ、こめかみにキスを落としては王妃殿下に軽くたしなめられている。

 王太子殿下が対抗でもしたいのかなんなのか、また距離を詰めようと歩み寄ってくる。





 ああ、


 あああ、


 あああああああ、どいつもこいつも―――





「お楽しみいただけたのなら幸いです―――いけませんわ。王太子殿下。平民にそのように近づかれては」

「シャル?」


 歩み寄られた分また後ずさる私の身のこなしは、なかなかに鮮やかだと思う。

 計算通りにたどりついたバルコニーへ続くガラスドアに後ろ手をかけて。


「貴族籍の剥奪、公爵家からの絶縁勘当により、この身はすでに平民故」

「何を」

「まさか高貴なるものの宣言が翻されるなどあってはならないことでしょう」

「いやいやいやいや、シャル、もうそんな冗談」

「シャルロットどうし……ああ、そうね。ほらエディ、あなたちゃんとっねっ」

「えっ」

「ほらっお芝居だとシャルロットもわかってたとはいえ、ね?女の子ですもの。よその娘に触れたなんて面白くないわよね。男の子でしょっしっかり甘やかしてっ」

「ふ、触れたって、母上っ言い方!」


 何言ってくれてるのこの人ら……いけない、こんな、あ、でももう平民だから令嬢言葉なんていらないわね。そうね。そうだわ。扇で口元隠さなくてもいいわ。もう。アルカイックスマイルもしなくていいんだわ―――すとんと表情筋から力を抜いて、ガラスドアを開け放った。


 春の陽ざしに暖められた心地よい空気が、そよ風のようにふわりとひと吹き流れ込む。

 部屋からは雲一つない青空が広がっているけど、薄い影がバルコニーにさっと走っていくのが見えて、知らず頬が笑みに緩んだ。


「貴族としての義務は果たしてきましたわ。でも仕方ありませんよね。剥奪されちゃったんだもの。絶縁勘当されちゃったんだもの」


 いつでも仲良しなみなさんが、やっぱり仲良くぽかんとした顔を並べているのを見渡して。

 それがとてもおかしくて、本当に久しぶりに肩の力が抜けて笑えた。


「あはっあはははっ楽しめましたでしょ?あとは親しい方々でお過ごしくださいな。あの哀れな令嬢も退場しましたし、端役も下がりますね?」






 柔らかな光が降り注ぐバルコニーへと一歩踏み出して


 指笛を甲高く響き渡らせれば


 きゅーくるるると頭上はるか高くから応える鳴き声とともに


 吹き込む突風


 裾が翻るドレスに覆いかぶさる影



 艶めく白銀の鱗にきらきらと輝くスピネルの瞳、しなやかな翼を広げて降り立つドラゴン。

 冷たそうにもみえるその鱗は、触れればするりと温かく滑らかで。

 額を撫でる私の手のひらに、もっととばかりに鼻面を寄せてはくるるくるると愛らしく喉を鳴らした。


「ごめんね待たせて―――帰ろっか」



◇◇◇



 王妃殿下の数ある武勇伝のうちのひとつ。


 王宮裏手に広がる禁呪の森には、身体欠損すら治癒するハイポーションの素材となる白竜石があるという。通常竜石は様々な希少薬の素材となるが、それはドラゴンを討伐して体内から取り出すしか入手方法がない。ドラゴンも最新の目撃情報は七十年前以上に遡り、その強さは師団級の布陣でやっと一体討伐できるほどのものと伝えられている。

 そんな竜石の中でもさらに幻とまで言われている白竜石が、禁呪の森の奥深くにある泉の底にある。

 禁呪の森にはドラゴンまでいかずとも難攻不落とされる魔獣がそこかしこに闊歩していて、それらが出てこないように結界をはってはあるけれど、内部に踏み込むことは死に直結する。


『大丈夫よ。秘密の抜け道があるの。泉まで直行なんだから』


 無垢な少女のように悪戯に瞳を輝かせる王妃殿下によれば、その抜け道をたどる限りは魔獣に見つからないのだと。それを使って手に入れた白竜石で、当時の王太后の命を救ったらしい。その時王妃殿下は十一歳。こんなエピソードすら、数ある武勇伝のうちのひとつなのだ。おとぎ話の勇者もかくや。


『それにね、これもあればさらに安全!』


 持たされた王家の秘宝は、半径五百メートル内にはあらゆる魔獣を寄せ付けないというネックレス。森の中であれば樹々が視界を遮る相乗効果で、まず魔獣とは出くわさない。


『だからいってらっしゃい。エドワードの妃としての実績になるわ』


 そう言って一人送り出された十二歳の夏。




 ―――結論から言えば死にかけた。


 獣道すら見つからない肩まで届く繁みをかき分け、木洩れ日もわずかな薄暗さの中で、古樹が伸ばすすねまである太さの根に足をとられ、自分以外の湿った息遣いに追われながら一睡もできずに逃げ回った。


 無傷で生還できたのは奇跡の連鎖でしかない。

 闇雲に逃げ惑いながらも泉にたどりついた奇跡。

 泉にすまう白銀の仔竜に出会えた奇跡。

 その仔竜が傷を癒してくれて、森の出口まで送ってくれた奇跡。


 帰還予定時刻を三日も過ぎているのに、平時と変わらぬ佇まいの王宮にたどりついた。

 出迎えもないまま、婚約者に与えられている部屋へ一人戻り、隅に蹲って眠った。


 翌日身なりを整えて向かった王妃殿下の部屋には、どうだった?綺麗な泉だったでしょう?と笑顔の王妃殿下と、大丈夫だとは思ったけどやっぱり無事でよかったとふにゃり微笑む王太子殿下がいた。



◇◇◇



「シャル!離れろ!」


 騎士団長と護衛騎士がバルコニーと部屋を分ける壁となり、その後ろから王太子殿下が叫ぶ。

 重臣たちのあげる悲鳴を、国王陛下が一喝して抑えた。


 ぎらりと陽光を跳ね返す剣。

 射出は今かと待機する火球や氷礫。


「シャル……おいで、ゆっくりと、こちらにくるんだ」


 公爵閣下の静かで平坦な声は、差し伸べられた指先とともにほんのわずかに震えているけれど、脚は一歩踏み出ている。


「まだ仔竜ですのに、ものものしいこと」


 後ろ足で立つ竜の背は、私の鼻先までしか届かない。太くて長い尻尾を勘定に加えればその倍にはなるけれど。

 私の両腕でちょうどよく抱きしめられる首に右腕を回して寄り添えば、きゅうと小さな鳴き声をあげる仔竜は二股に別れた細い舌先で私の鼻先を擽ってくる。

 きらきらと潤んで透き通る深紅の瞳に映る私は、愉し気な笑みを浮かべている。


 一人泥と血にまみれて、痛みと熱で遠ざかる意識の中、孤独と恐怖に震えて絶望する私を救ってくれたのはこの仔だけ。


 よく鞣された皮よりも柔らかく滑らかな額に頬ずりをして、その温もりを味わう。


「禁呪の森の主か……?どうしてこんなところに」


 国王陛下のお声は戸惑いながらも深みのあるよいお声ですね。セクシーエロボイス担当なんですって。王妃殿下が小娘のようにはにかみつつおっしゃってましたわ。馬鹿じゃないのかと思いました。

 それはともあれ、禁呪の森の主とは初耳です。


「そうなの?シルヴァってば、あの森の主なの?」


 確かにこのサイズにも関わらず、シルヴァといれば魔獣は襲ってくるどころか近寄ってもこないけれど。なんなら貢物っぽく木の実やら獣肉やら置いて逃げていくけれど。あ、もしかして本当に貢物だったのかしらあれ。

 首を傾げてスピネルの瞳を覗き込めば、真似するようにこてりと逆に首を傾げる。知らないらしい。


「心当たりないそうですわ」

「いやいやいやいや……まだ幼生みたいだがその白銀の鱗は間違いないだろう。泉の白竜石は森の主が遺すものだと王家の伝承にある」


 ああ、なるほど。確かにそれならシルヴァの住処が泉にあるのも頷ける。というか、え?それなら。


「シルヴァ……それならお前、私と一緒に来れないの?」

「きゅいっ!?」


 シルヴァはその体格の割合としては短めの前足で、私の腰と太ももを抱き寄せて、首を左右にいやいや振りながら鼻先を胸にすりつける。


「な―――っシャルから離れろトカゲが!」

「グルァアアァ!」


 王太子殿下の珍しい罵声に、シルヴァの地の底から響くような咆哮が返された。

 太い尾が力強く床に打ちつけられ、衝撃でバルコニーの手すりが崩れ落ちる。また巻き起こるギャラリーの悲鳴。


 ふんっふんっと短い鼻息を鳴らして、不機嫌そうに尻尾を素早く左右に揺らしてはまたびたーんびたーんと床に打ちつける。


 ……可愛いがすぎる。


 よーしよしよしよしと両腕を首に回して抱きしめて全力で頬ずりしてると、王妃殿下の呟きが耳に入った。



「嘘でしょ……いまさら隠しキャラとか」




 不敬なので口に出したことはないけれど、王妃殿下はあのピンクブロンドととても気が合うのではないかと思う。意味不明な独り言が多いあたりがそっくりだもの。


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