ひっそり静かな生活(主観的には)***そのろく
「……エドワード殿に会ってきたんだ」
非公式だからこっそりとだけどな、と第三王子は続けます。
それはそうではある。いくらお忍びといってもというか、流石に隣国の王族が王都に入ってきて挨拶もなしとかそういうわけにもいかないでしょう。元々が月竜だとかいうもののことを調べに来たわけで、国境をまたいでそんな存在が自由に行き来しているとなれば、双方情報共有はしたいところですし。
でもそれは常ならばの話であって、第三王子、ルルーシア国側としては、もうすでに月竜がシルヴァだとわかったからには、わざわざサザンランド国王都まで出向く必要はなかったようにも思えるけれど。
だって、有益な情報を先に手にしたわけだか……ああ、なるほど。
「何か益になる情報は得られまして?」
もうこの緩やかに楽しい生活に慣れてしまって、すっかり頭がのんびり仕様になってしまったみたいだ。
そうねそうね、シルヴァが月竜であったことはそれとして、何よりもこの私がシルヴァとともに、こんな辺境にいるんだもの。知りたいですよねそこのとこ。
ちょっとおかしくなって、問いながらにっこり笑ってしまった。
ばつの悪そうな顔をする第三王子は、まいったなと呟きつつ降参とでもいうように両手を挙げる。
「別に妙な駆け引きやら探り合いをするつもりはないぞ。俺の領分じゃないしそういうのは兄上たちに任せてる。ただ、わかるだろう?神殿預かりの身となったと公表されているはずのシャルロット嬢がこんな国境の村にいて、しかも月竜様を従えているなどと、何の裏も取らずに報告などしたら親父に吊るされる」
「あー、ルルーシア国王陛下はなかなかに厳しいとは聞き及んでますわ。で、どうでした?怒られずにすみそうですの?」
自由闊達な気風のルルーシア王国で、王子王女たちは特に争うこともなく己の得意分野で能力を発揮していると評判です。あそこ子沢山なんですよね……。
シルヴァの口元に頬をすり寄せて、そのすべすべさを堪能する私を、第三王子は微妙なお顔で見つめました。
「エドワード殿は馬鹿なことをしたもんだ……後悔してたよ」
「あら、あらあらまあまあ、正直に話してましたの?」
「お前は知らんだろうが、俺らはそれなりに仲は良かったぞ前からな……なんだそのしょっぱい顔」
「失礼」
つい崩れてしまった表情を、頬を撫でることで整えました。
いやだって、友好国とはいえ国外の者に内情を晒すなど……いやですわー王太子教育どうなってますのー嫁の教育より息子の教育を先にしてほしいですわーもう関係ないですけどもー顔のひとつふたつ崩れますわー。
「……随分印象が違うと、エドワード殿に言ったんだ。その、シャルロット嬢の様子がな」
そこですの?と、話の着地点がまた遠のいた気がしてきました。
私がここにいることは、さすがにもういい加減伝わってても仕方ないといいますか、伝わってなかったら一体何をしてるのかどこ辺りに誰がどう指令をだしたのかと疑うところですからいいのだけど。
シルヴァがもそもそと膝裏を探りだしたと思ったらひょいと抱き上げてくれました。きゅっと抱きしめ返す。
「その……あー、シルヴァ様とお呼びしてもっ―――って、ごめんなさい」
私をじっと見つめたまま、シルヴァがびたーんしました。
シルヴァをシルヴァと呼んでいいのは私だけなのです。でもちゃんと様呼びしたのは評価してあげてもよいでしょう。
第三王子が、シルヴァの様子を伺いながら「つ、月竜様」と呼びなおしました。シルヴァは知らんぷりしたままだけど、よしとされたと理解したようです。シルヴァは村の人にトカゲちゃんって呼ばれても気にしてないですからね。器おっきいのです。王子には教えないけど。
「月竜様といるシャルロット嬢が幼い頃と同じ顔をしてたって。元々シャルロット嬢はそういう子だったのに、成長したからとか変わったからとかではなく抑えてたんだと、ずっと気づかなかったことが申し訳ないって後悔してた」
「―――元々気の優しい人なんですのよ」
そう、ただちょーーーっとだけ素直すぎて視野が狭すぎて甘ちゃんすぎなだけで。
「その……いや俺はシャルロット嬢の決断はもっともだとは思うんだが、エドワード殿にもう一度、あ!いや違くて!すみません!ですよね!ごめんなさい!そうでなくて、その……確かにエドワード殿は愚かなことをしたけど!」
びたーんとともに、第三王子の足元にぱしんぱしんと小さな稲光が何本か走りました。
第三王子の尻尾が脚の間に入りたそうにしてるのは、指摘したら気の毒なので黙っておきます。
「そもそも王妃殿下が頭おかしくないか?」
「ぶふぉ」
やだこの人こんな面白かったかしら!?吹いちゃったじゃないですか!お腹痛いですわ!
◇◇◇
「―――これで、禁呪の森を囲む規模の結界を展開できると思うの。……どうかしら」
終業時間の三十分前に召集されたミーティングで、新たな結界装置の説明が王妃殿下によって行われた。
艶やかな黒髪が、はらりと肩から流れ落ちる。
手入れの行き届いた指先を絡めながら集まった研究員たちを上目遣い気味に見渡す姿は、とても十七歳の息子がいるとは思えない。
私のような末端の研究員にとって、雲の上の存在であるその方は、近くでこうしてみれば噂通り確かにあの少女によく似た面差しだった。
現場から遠ざかって久しいにも関わらず列席している所長は、そのためだけに来たかのように王妃殿下の案を褒めちぎっている。……彼がとっくに今どきの研究についていけなくなっているというのは周知の事実だというのに、王妃殿下が元教え子だという実績はいつまでも輝かしいものだと思い続けたいらしい。
日の入りが遅くなってきているこの季節、もう窓の外は薄闇が降りてきている。
「……では、明日から必要素材の算定と手配を開始します」
「え」
「お疲れさまでした」
かたん、かたん、と若手研究者たちが飾り気のない椅子から次々立ち上がる。高位貴族たちの作法など知ったことではない。研究所内にそういった作法は無用だと決めた本人がまさにこの場にいるのだから。
「お、おい君!これが喫緊のプロジェクトだと」
「私は今月の残業上限時間に達していますし、必要素材数の予算算定担当や手配担当などの各部署もすでに終業時刻を過ぎています。……災害時の特例法はまだ適用になっていません。ですよね?所長」
「そ、そうよね、私が急にこんな時間にきちゃったんだもの。先生、そんな元々今日明日でどうこうなるものでもないのだから、ね」
怒りのせいかみるみるうちに顔を赤くする所長を、おろおろしながら窘める王妃殿下の眉が頼りなく下がっている。
―――よく似た面差しのあの少女ならば、凛として明日の段取りを指示しただろう。そしてその段取りが滞りなく進むようたった一人で根回しに走っただろう。
より合理的に、より機能的にと組織や制度が組み立てられたとしても、所詮動かしていくのは人間だ。歯車のように勝手にかみ合って動いていってはくれない。イレギュラーに発生した業務であればなおのこと。
「……明日の午後には試作に着手できるな?」
「さて、どうでしょうか。在庫の確認もありますし、各部署に話が通るのは早くて夕方になるかと」
「はあ?何故そんなにかかる?!試作の分だけでも」
「勿論、その分のために通常かかる時間です」
「君はそういう雑務は得意だっただろう!」
「……雑務ですか。所長、私は所長の直属助手からもうすでに研究員に昇進しています。私にも自分の担当する研究が別にあるのですが」
「優先順位ってものを考えろ!」
だんっと拳を机に叩きつけた所長と、しらーっと椅子の背もたれに立ったまま寄りかかる私を、王妃殿下はやっぱり交互に見上げ続けるだけで。
「その頃と同じ雑務はできません。研究員になったとはいえそれでも私は下っ端ですのでね、根回しもなくイレギュラーな対応は無理です。各部署の上層に掛け合ってお願いしてくれる方がいなくては」
所長はあくまでも研究者であって、教育者ではない。
献身的といえるほどに熱心な講義ではあった。予定された時間を超えたとしても、それだけの価値がある教え子だと思ってあの少女に接していたのは知っている。
ただそれは十にもならない子どもにとって、常識的に消化できるはずもない内容と量だった。助手としてそばについていた私ですら、時に理解が追い付かないようなものだったのだから。
同じ年頃であった時の王妃殿下が、一度で飲み込み自分の持ち物にし得たというのが異常なのだ。
予定を超過した講義のせいで昼食もとれないまま、研修という名の公務へと向かう少女に私ができることなど、隙間時間に口を慰める程度の菓子を添えることくらいだった。
―――それが今でもしくしくと私の胃の裏を苛む。
「城中のあらゆる部署で実務を行う者たちの中から、よりその業務に適した人材を選出し、彼らが働きやすいようにスケジュールを調整して、必要とされる資材や資料を先読みして手配をし、各部署同士の衝突を緩和して、上層部に根回しを行う。イレギュラーな作業を実際に行ったものたちにささやかながらも手当や評価がいくようフォローして、そんな神業を一人で行っていた方がもういらっしゃらないので」
ああ、確かにその新しい結界装置は素晴らしいものだろう。
過去に研究半ばで停止していた土台があったとはいえ、天賦の才を持つものでなくてはこの短期間に成し得るものではない。例えそれに必要とする魔力が、現実的ではないほど大量だという欠点がさほど解消されていないにしてもだ。
突出したセンスも技能もない平凡な研究者である私にもそれは理解できるから、敬意を払おうとは思う。
けれどこのお守りほどではないと、革ひもで首から下げたそれを服の上から握りしめた。
「高位貴族である王太子妃候補として行う補佐だから、けれども王族でもなければ雇用されているわけでもなく、ただの研修であり教育の一環だからと命令権限も持たされないために、お願いして回るしかなかった公爵令嬢と同じ仕事は、凡人たる私にはできませんね」
喉の痛みを伴ってあふれ出てきそうなものを、早口でまくしたてた言葉にのせていなしていく。
今更こうしてこんなことを言ったところで、この痛みが消えるどころか増すばかりなのはわかっているのだけど。
「そ、そう!そうなのよ!あの子はとても優秀なの!わかってくれてる人がちゃんといたんじゃない!あの子ったら!」
「……は?」
それまで萎れていた花が息を吹き返したように、ぱあっと晴れやかに笑う王妃殿下に、つい目を瞬かせてしまった。
ばかなのかこのおんな。