おとぎ話が終わりはじめる。
才色兼備の公爵令嬢は、幼き頃から王太子の婚約者。
才に溺れず、分け隔てなく、慈愛に満ちて臣民問わず慕われて。
奇抜に思える発想は公爵領のみならず、王国の経済を潤し民の生活を豊かにさせて。
例をみないほどの魔力量と斬新な魔法構築を武器に、王太子やその側近らとともに織りなす冒険譚は、王国の子どもたちの瞳をもれなく輝かせる。
平民には縁の無い絢爛な王宮や高貴な者が通う魔法学園で、見目麗しい王太子が一途に捧げる愛とそれに戸惑い恥じらいつつ受け入れていく公爵令嬢の恋愛物語は、王国の淑女や乙女の心を甘く締めつける。
誰もが慕い憧れ敬愛する公爵令嬢を溺愛する王太子は、幾人もの恋敵を退けた辣腕で公務を捌いて臣民を導き王座についた。
王国民が誇る賢王と賢妃。
ああ、あの尊き方々がある限り、この王国は安泰だと。
そんな、幸せな、おとぎ話みたいな。
◇◇◇
「シャルロット・マクドゥエル公爵令嬢!身分を笠にきた所業の数々、もはや王太子たる私、エドワード・サザンランドの婚約者としてふさわしいものではない。今この時をもってこの婚約を破棄とする!」
父親譲りの端正な彫りの深い顔立ちと母親譲りの少しきつめの鋭い眼差しが、時に人を萎縮させることもあるけれど、家族や親しい者にはふにゃりとした笑顔を向けるような人。
王妃様を伯母にもつ私の、従兄でもあり私が産まれた時に定められた婚約者だ。
そんな彼はびしっと空を切る音でもしそうなほどまっすぐに人差し指をこちらに突きつけ、その生真面目な性格をよく反映している眉間のしわをいつもの2割増しほど深くきざんでいる。
ぱんっと張り詰めた音を立てて扇を広げる。
最近気に入りのこの扇はとても、とてもいい音をたててくれる。
王太子殿下の肩を若干跳ねさせるくらいに。
さて。
さくさくと茶番を終わらせましょう。
私、シャルロット・マクドゥエルは、唇に差した紅がつかない程度に扇を口元に翳し、軽いため息を隠す。
建国以来の繁栄を謳歌するこの国で、王族や貴族間の派閥争いも目立ったものはなく、その証拠に定期的に開催される国王陛下夫妻を囲む側近や重臣たちの親睦を深める晩餐会で使われる小ホール。
いつもであれば和やかに交わされる談笑の声もなく、ただぴしりと空気が固まっている。
真正面にたつ王太子殿下の背後にちらちらと覗くピンクブロンド。そっとつまんでいるらしき殿下の袖に皺が寄っている。その斜め後ろを守るのは宰相子息に騎士団長子息。
同じ構図は私の右手側にもある。国王陛下に宰相、騎士団長、魔術師団長。違うのは陛下に腰を抱かれつつも凛と背を伸ばす美しい女性か。ピンクブロンドな男爵令嬢とは格が違う。ええ。男の庇護など必要としない我らが王妃殿下ですから。
艶やかな黒髪に鮮やかな紫の瞳。真白な肌と薔薇色の頬。姪である私も同じ色を持つけれども、私と同じ年の息子がいるとは思えない艶やかさと賢妃と謳われるにふさわしい気高さの前には、所詮色だけでは並べない。並べると思うことすらおこがましいだろう。
惹かれずにはいられない。陛下に忠誠を誓う側近たちですら、若かりし頃一度は彼女に秘めた恋心を募らせたというのだから。次世代である私ですら知っている秘密らしい。全然秘めてない。
元祖逆ハーレムチームを挟んでさらに右手側には、黒髪と紫の瞳をもつマクドゥエル公爵一家。当主は王妃殿下の弟であり私の父。母は暖かな栗色の髪と青い瞳だけれど、兄と妹はやはり私と同じ色。由緒正しい公爵家は血が濃い。
その他居並ぶ重臣たちも水を打った静けさを保っている。議会中の口角泡を飛ばす姿が嘘のようだ。黙りつづけることができたんですねあなたたちも。
「……何かないのか」
びしっと私を指さす姿勢そのままに呟いた殿下に視線を戻す。
ああ、いけない。すっかり観客気分に浸ってしまっていた。まだ私もこの茶番の出演者だというのに。
「はい。婚約破棄ですね。承りました」
「は?え?いや婚約破棄だぞ?わかってるのか」
「『身分を笠にきた所業の数々、もはや王太子たる私の婚約者としてふさわしいものではない。今この時をもってこの婚約を破棄とする』」
「……繰り返さずともよい」
「失礼いたしました。で、婚約破棄のみでよろしいのですか」
「え、いや、あ、……おい「はくだつ、はくだつですっでんか」あ、そう、き、貴族籍の剥奪を」
「貴族籍の剥奪、慎んで承ります」
「うけたまわるのか!?」
「シャル!いやシャルロットおま」
端正な美貌が間延びしそうなほど目と口を縦にぱかりとあけたエドワード殿下にかぶせるように叫んだマクドゥエル公爵閣下へと身体ごと向きなおる。不敬ですわよ。黒子並みにセリフを囁いた宰相子息も大概不敬ですけれど。まあ、お父様にとっては甥でもありますし、我らが王妃殿下は身分の貴賤を問わない慈悲深さと寛容さでも知られていますから今更問題ともなりませんが。
「ただいまシャルロット・マクドゥエルは王太子殿下に婚約破棄並びに貴族籍の剥奪を申し渡されました。すべては私の不徳の致すところです。お父様、如何様にも処されませ」
「しょ、処す……申し開き、申し開きはないのか」
「さて、婚約破棄はともかくとして貴族籍剥奪となると絶縁勘当あたりが貴族令嬢としては一般的な処分かと」
「進言はいらん!申し開きだ!」
「これは出すぎたことを申し訳ありません。しかし由緒ある公爵家において忠誠を誓い続ける王族より処罰を受けるなど恥以外の何物でもありません。ましてや身分差別を厭う国王陛下夫妻の御代において、身分を笠に着た所業での処罰など。例えこれが末端貴族の娘であっても絶縁勘当はむしろ温情ある措置ではないでしょうか」
「そ、それは確かにな?お前がそのような所業を」
「絶縁勘当、確かに承りました」
「……お前は……どういうつもりだ。今まで何を学んだ」
何を?公爵閣下こそご存知なのかどうか私がお聞きしたいものです。公爵領地の経営、閣僚としての仕事、貴族としての社交と家族の団欒、親戚づきあいその他もろもろ多忙な公爵閣下にとって、私ごときがどのように過ごしていたかなど些末事以外の何物でもないでしょうに。
聞いたところで意味などないと、とうに知っているから聞きませんけども。
「お、お嬢様っ」
私の背後から抑え気味であれど切羽詰まった声色で一歩進み出たのは、幼い頃からともにそだった護衛兼侍従のエリック。城下で凍えていたのを拾い上げた子が、小刻みに震える手に載せた記録球を差し出した。
魔道具にセットしてあらゆる光景を記録できるそれは、鍛錬をかかさない骨ばった大きな掌に包まれて鈍い光を放っている。
「控えなさい。……不作法をご容赦ください。お前は己の主のもとにお戻り」
前に居並ぶ高貴な方々に詫びをいれ、侍従を公爵閣下のもとへ行くよう促せば、「お、じょうさ、ま?」と涼やかな目を見開き、その琥珀色の瞳を困惑に揺らがせた。
お前の目と同じ色ね、美味しいのよと飴玉を与えれば、照れくさそうに笑って喜ぶ顔が好きだった。
「僕の主は、お嬢様、です」
「いいえ。雇用主は公爵閣下です。それも主にお返しなさい。公爵家の財産なのですから」
王妃殿下が嫁ぐ前になした偉業で潤った、公爵家の財力があるからこそ用意できた魔道具と記録球。記録球は不要となった記録を消し上書きして使いまわせる。王妃様によればエコというらしい。
王太子殿下が言うところの
「まあ、シャルロット。その子はあなたがずっと可愛がってきた忠実な子じゃないの。その記録球には何が?」
王妃殿下の柔らかな声に、青ざめていたエリックが顔のこわばりを少し緩ませた。
お優しい王妃殿下にしては、その声に焦りがにじんでいるように思えるのは気のせいだろうか。そうだったらいいのにと思う。
湧き上がる衝動を鳩尾に押し込めることができたのも、まだそんな衝動が残っていたのかとの戸惑いを視線にのせずにいられるのも、王妃教育の賜物ではある。
嬉しくもなければ、感謝の念もわかないけれど。
「……具体的にはとある女性が自分の学用品を壊したり、わざわざ泉に飛び込んだり、転げ落ちたかのように階段下に座り込んで悲鳴をあげたり、まあ、そんな光景が記録されていましたわ」
「あらあら」
「―――っな」
王妃様は喜色に目元を綻ばせ、王太子殿下もその側近も、公爵閣下もほっと息をつき、ピンクブロンドは詰まった小さな悲鳴をあげた。
「消しましたけど」
「は?」
「消しました。その記録球は空っぽです」
え?え?とエリックが掌中の記録球をくるくる回したり翳してみたりしてる。いやそれじゃ中身があるかどうかわかりませんよ?
「何故……?シャル、その、その記録はアンナのではないのか……?」
「―――アンナ?」
聞き覚えのない名前につい眉を寄せてしまったけれど、ピンクブロンドの「嘘ですっ」と鈴のころがるような可憐な声で、ああ、と気づく。聞き覚えがないというか忘れていた。あなたでしたね。そういえば。
「シャルロットは私をずっといじめていました!影では何度も脅されましたし、い、いたぶるように泉や階段から突き落として―――こ、怖かったんですずっと……信じてっエディっ」
ぷるぷると涙目で訴えるその姿は実に庇護欲をそそるものだけれど、部屋を見渡す限りそそられていそうな者はいなさそうだ。―――すがりつかれている腕を見おろしもしない王太子殿下しかり。あれほど仲睦まじくあられましたのにね。
貴族たるもの演技力は必須ですし、その頂点たる王族となれば髄まで磨き上げられているというもの。……さきほどから随分とぼろやら皮やらが剥がれ落ちているようですけれど。
あれですわね。ある意味この娘も被害者ではあるのでしょう。茶番の台本も知らずに舞台にあげられたのですから。だが同情はしないし、呼び捨てられる筋合いもない。
だって台本を知らされていないのは私も同じですし、そもそもこの娘は自らこの舞台にあがったのですから。雉も鳴かずば撃たれまいっていうそうです。こういうのって。
アンナは思ったような反応を王太子殿下から引き出せないことに戸惑い、その背後にたつ側近たちに縋るような視線をうつしたけれど、そちらもまたそれに応えてはいない。ただ困惑の表情で私と王太子殿下を代わる代わる見つめている。
「あ、ああ、他にあるんだな?シャル、君がそんな意味のないことをするはずが」
「いえ?なにも」
「そ」
「だって不要ですもの―――中身はもうみなさんご覧になってますでしょ?複製もお持ちでしょうし。ねえ公爵閣下。エリックはとても優秀でしたでしょう。これからもしっかり公爵家のお勤めを果たせますわ」
一拍おいて、ふふふっと軽やかな笑い声が転がった。
「シャルロットったら、やっぱりすっかりお見通しだったのね。流石だわ。しかもこんな意趣返しまで。驚いちゃった。ねぇ陛下」
「ああ、王太子妃、ひいては次期王妃としては少し大人しすぎるかと思ってたがな。アレック、お前まで転がされてたではないか」
陛下の愉快気な揶揄いに、アレクシス・マクドゥエル公爵閣下は安堵で肩を落としている。小ホールの緊張がゆるみ、「え?え?」ときょろきょろするアンナの手を鬱陶し気に振り払い、王太子殿下がふにゃりとした笑みで両腕を広げこちらに向かって歩み寄ってくる。やだなにそれまさか抱き寄せる気かしら。
「よかった。シャル―――シャル?」
素早く三歩後ずさる。
一歩また歩み寄る殿下。
また一歩後ずさる。
「シャル?」
そんなこてんとあざとく首を傾げられても。ほら、アンナがきゃんきゃん騒ぎ出した。
「エディ!?どうしちゃったのエディったら!」
縋りつこうとするその手を払いのけた王太子殿下が、小さく舌打ちする。
学園や王宮の中庭の隅で、木陰に隠れるようにしてアンナの頬を撫でていた表情は欠片も見当たらない。冷ややかな一瞥だけをくれて、王妃殿下に伺いをたてた。
「母上、もういいですよね。なんかもうぐだぐだですし」
「そうね。さっき
ああ、やっと幕引きのようです。
あちらというのは、男爵家のことでしょうね。騎士団が踏み込んで捕縛完了といったところですか。
王太子殿下がきりりと壁際の護衛騎士を見渡し命を告げた。
「アンナ・ルジオ男爵令嬢、王族及び高位貴族令息に対する魅了魔法の行使による不敬罪、ひいては国家内乱罪等により拘束する―――捕えよ」
「なっなんで、きゃあああああやめっ」
なんでなんでと金切り声をあげて暴れるけれど、騎士たちに敵うわけもなく。悪役令嬢だのヒロインだのよくわからない妄言を喚き散らしながら引きずられ退室していった。