第四十七話 包みうどん
よろしくお願いします
深呼吸を1つ、雨上がりの森の香りと空気が俺の肺へと充満し、全身が浄化されたような気分だ。中世ファンタジーは良い、車などの排気ガスが無いから空気が綺麗なのが最高だ。水は割りと汚染されていて飲めないのが困るところだが。
俺はタグト大陸の内陸にある森を馬車に揺られながら移動していた。雑木林は10m先も見えないほど生い茂ってはいたが、馬車は舗装されていない道を通っていた。ここは交易路。ドワーフ達の住む山の麓へと至る道だ。
それにしても緑色はほっとするが……まずい。
「ちょっと脇に停めてくれ。トイレだ。」
「かしこまりました。」
俺はファンタジー用にあつらえた革製の背負い鞄の中からさらに革袋を取り出し、さらにその中に入っていたチャック付きのビニール袋を取り出して、袋の口を開け、中から芯を抜いて潰したトイレットペーパーを取り出した。
それを片手に馬車から降り、小走りで茂みの裏へと入り込んで……済ませた。
俺の母世界で作られたとっても手触りの柔らかいトイレットペーパーで拭き取り、拭きとった紙を地面に捨てた。
そして、懐から消毒用アルコールが入ったスキットのを取り出し、紙の上に少しぶちまけた。そしてスキットを仕舞い、次にマッチ箱を取り出してマッチをこすって火をつけ、先ほどの紙に火をつけた。
異世界へトイレットペーパーの持ち込みは比較的自由だ。必ず現地民に見つからないよう処分する、というのが大前提だがそれでもこれはありがたい。正直な所、俺の軟弱な肌は木べらやおがくずを使って拭くのには慣れてない……。羊毛や綿などで拭くという方法もあるらしいが、それはそれで何か嫌だし、現地民に羊毛でケツを拭く富裕層と思われるのもバツが悪い。
紙が完全に灰になったことと火が消えたことを確認して俺は馬車へ戻った。
「いいぞ、出してくれ。」
「かしこまりました。」
ガタガタと揺れる幌付きの荷台に乗り込んで、紙に包んだ粉石けんと自宅から組んできた水道水のペットボトル(500ml)を先ほどの革の鞄とは別に用意したブリーフケースから取り出し、手を洗った。
幌馬車の中にかけてある洗濯紐から乾燥中のタオルを取って手を拭き、もう一度干し直した。こうやって洗濯紐で干していると、昔の自然教室のことを思い出す。4人の班で、夜間にはこうやって紐をかけて洗濯物を干したんだよなぁ……。子供の頃は自然教室なんて遊びの延長線上だったが、異世界商人をやっていると結構役に経つ技術もあるもんだ。その世界で数日旅をするというのにライター持ち込み禁止がたまにあるんだよね……。
火種を保管している金属の箱を見やり、残り38時間の旅路を思ってもう一度寝っ転がった。あー長い。異世界の人間が居ることがバレてはいけない、というのは理解できるが、帰りは自由に開いてくれるのだから行きも自由に開いてほしいな……。
そんなことを考えていたら、腹が減ってきた。懐中時計を取り出すと時間は昼になりかけているところだ。
「ベーコンでも炙って……ゆで卵を食うか。」
中華鍋をブリーフケースから取り出して、レンガを3つ横に並べた断熱材の上に載せる。そしてさらに木炭も2つとりだして鍋の中に置いた。続いてブリーフケースからオークの手作りベーコン、包丁、まな板、炙り用の串を取り出し……。
「源太郎様、宿屋が見えてきましたがいかがなさいますか。」
「……宿屋?」
女性のような何かに促されて進行方向を見てみると、確かに煙が煙突からモクモクと立ち上る大型の丸太小屋が見えた。あれは……交易路のサービスエリアかな?ちょうどいいじゃないか。
「あそこに停めてくれ。」
「かしこまりました。」
第四十七話 -包みうどん-
馬止めに馬車を止めさせ、ブリーフケースからムナツ銅貨の入った巾着袋と手帳を懐に、鞘に入ったミスルラ製の剣をベルトに留め、俺はスーツ姿のまま幌付き馬車を降り、宿屋へと向かった。
宿屋の外観は典型的な丸太だけで作られたログハウスだ。宿泊用の部屋もあるのだろう、2階建てになっており、入り口の脇には井戸もあった。ドアは木製に金属枠、ついでに銃眼のような穴も空いているものだった。
ドアノブは無いのでドアをそっと押し……右手側では開かなかったので左手側を押し……開かないんですけど。
「引き戸だよ!右に引っ張りな!野生動物が入ってくるから開けたら閉めてくれよ!」
ドアを開けると、ミートソースの香りが俺の全身へ襲いかかってきた。これはきつい。
中は木製のテーブルが4つに調理場、奥に上階段があるのが見えた。中に客はおらず、調理場に女性が1人。木製の床を歩いていき、俺は調理場で忙しそうにしている女性のほうへ向かった。
「用は何だい?酒?」
「何か食べるものはありますか?」
「あぁ……翻訳中──ラビオリだけだね。ミートソースが入ってるやつ。後はエール。」
「じゃ、ラビオリと……水は?」
「あるよ、3ムナツだ。」
「はい、どうぞ。」
「んじゃ適当に座って待ってな。っと、ほれコップ。」
空のコップを手渡されたが……。
「中身は?」
「自分で汲んできな。」
俺はすごすごと宿屋の外へ向かい、井戸に桶を落として水を汲んだ。ついでに手も洗っといた。
もう一度中に戻ると、女が何らかの生地を麺棒で伸ばしていたところだった。そして、その伸ばした生地を赤い何かが塗りたくられた生地の上に乗せ、包丁で成形するとトントントンと小刻みに切り始めた。
まるで蕎麦とかそういう細い麺を切っているように見えるんだが、俺の知ってるラビオリと違うなぁ……。そのパスタは大鍋で茹でられ、何かと和えて俺の目の前へ出された。
・包みうどん -3ムナツ-
ラビオリのように小麦粉を練って作った生地2枚の間にミートソースを挟んだ後、ミートソースが漏れないように生地の端を接着し、その後うどんのように太い幅を維持して切ってミートソースを生地に閉じ込めて茹でた後、オリーブオイルを和えたパスタ料理。
・水 -セルフサービス-
井戸から汲んだ水。
「いただきます……あー、フォークはあります?」
「食器?スプーンしか無いよ、素手でお上品に食べてくれ。」
「どうも。」
こういうのは久々だなぁ。俺は右手の小指と薬指を閉じ、親指、人差し指、中指を開いてうどんサイズのパスタを一本掴んだ。茹でたてでホカホカと少々熱いが問題はない。3本の指でクルクルとパスタをまとめ、口の中に放り込んだ。
小麦とオリーブオイルの香りが口に広がり、にんまり笑顔になる。うどんを噛むと濃厚な肉とトマトの味がするミートソースが溢れだした。美味い。遅れてバジルの香りもする。
もう一本、クルクルとパスタをまとめて口の中へ。正直、この調理方法って相当面倒な気する。普通にミートソース乗っけちゃダメなんだろうか。美味いからいいんだが。
もにゅもにゅとパスタをくるくる指でまとめながら食べていたが視線を感じる。食べて飲み込み、水を飲んでいると女店員がカウンター裏の調理場から声をかけてきた。
「あんた、変わってるねぇ。そんなクルクルやって面倒じゃないかい?上から落としこむように食べないのも珍しい、どこの生まれ?」
「……あー、南の方の港育ちです。」
「へぇ、潮の香りはしないけどね。」
そういえば、パスタの食べ方といえば手で無造作に掴んで、顔の上まで持ち上げて落とすように食べるんだったか。あ、そうか。だからミートソースをわざわざ包み込んで、手が汚れないようにしているのか。
オリーブオイルまみれのうどんを手に取り、クルクルとまとめて食べる。オリーブオイルで汚れはするが……こうしないと滑りが悪くなって食べにくくなるからしょうがないかな。
パスタを食べ終え、水でミートソースを流し込み、
「ごちそうさまでした。」
俺は平たい皿と木製のコップをカウンターへ返し、またどうぞの声と共に宿屋を出て行った。そして腹に手を当て……やっぱりパスタだけじゃ腹にはあまりたまらないな。馬車の中でバスケットから8枚切りの食パンにゆで卵潰してたまごサンドと、ベーコンを炭火焼きして、ついでにインスタントミルクティーでも用意しておくかな。
そんなことを考えながら馬車へ乗り込み、御者に促して道を進めさせた……が、すぐに御者が声をかけてきた。
「源太郎様、軽度の文化汚染が検出されました。食事マナーです。」
「……いや、ちょ、ちょっと待ってくれ。」
「本部で精査した結果、罰金5クレジットだそうです。預金から引き落とされ、領収書がオフィスへ送られましたが、イリエワニに食べられました。報告は以上です。」
「そう、どうも……。」
2,500円相当で済んで助かった……。まさか食事マナーまで文化汚染に引っかかるとは、恐ろしい。
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