第四十一話 ファンタジー世界でホットケーキ
よろしくお願いします
ガタゴトと揺れる荷馬車はむき出しで、冬でありながらぽかぽかとした日差しを浴びることが出来て日光浴には最適である。顔がいまいちわからない御者の女性らしき何かはダッフルコートを着こみ、必要も無さそうだが防寒対策をきっちりしていた。
俺は、というとダッフルコートなんて持ち込んで良いとは思えなかったので、熊1頭丸々使った毛皮のきぐるみ……もといコートを着込んでいた。頭までしっかりついているので、横になって寝ていると完全に獲物と化した熊を輸送中にしか見えないだろう。まぁ別に良い。水筒もとい水袋からストローを伸ばし、キンキンに冷えたオレンジジュースをチュイと吸い込む。
「ぷはっ。」
そして水袋を揉んで、別のストローを袋から伸ばし、チュイと吸い込んで真水をごくりと摂取した。体がほっかほかなので冷たい飲み物が体にしみる。オレンジジュースは趣味。
整備された道は雪がうっすらと積もってはいるが小石が少々落ちているくらいで木製の車輪も順調である。そして、周囲に広がるのはサトウカエデの森。葉は全て落ち、白と茶色の寂しい風景となっていたが、それでも背景にはちらほらと緑色が動いていた。
「はぁーい?観光?いえ、商売ねー?ようこそようこそー。」
「あぁ、商売さ。良い琥珀のアクセサリーを卸しに来たんだ。」
「あら、うれしいうれしい!期待してるわー。」
そう言って、緑色の葉が頭に茂り、毛皮のコートを着込んだ女性、ドリアードの労働者はまたサトウカエデの樹液採取に戻っていった。
第四十一話 ホットケーキ
ここはモネティ大陸、ヨラ・モネティ湖近くの森である。この辺り一帯の沿岸はドリアードの縄張りだ。先ほど出会ったように、ここでは右も左もサトウカエデが生えており、貴重な砂糖の生産地である。というか、メープルシロップの生産地だ。
俺が借りた荷馬車が移動しているこの奇妙なほど舗装された道はメープルロードと呼ばれている。この大陸には他にも様々な種族、国が存在しているが、砂糖をここまで安定して生産できているのは今だドリアード達だけである。サトウダイコンとかサトウキビの類は見つかっていないらしい。となればまぁ、メープルシロップを求めてお偉いさんやらお金持ちやら商人がここにやってくるわけだ。そりゃメイプルロードと呼ばれるわけである。海を隔てた島や別大陸にも輸出しているらしいので、ドリアード達は大金持ちだ。
それだけ金になるのであれば戦争になりそうなものだが、意外とそうはならなかった。どこもかしこもその利権を狙ってはいるが、もし攻め込めばそれを理由に別のグループが逆侵攻を仕掛けてくるのは分かりきっていた。ドリアード自体も屋外戦闘に向いている魔法使いなので、戦争で奪い取るより大人しくお金を落としたほうが一番儲かるということで案外平和である。
平和は良い、装飾品等がよく売れるんだ。それで今回俺は琥珀の装飾品を頼まれて持ってきたのだった。
サトウカエデにバケツが取り付けられた道を荷馬車が通り過ぎていくと、水の匂いがした。彼女達、ドリアードの縄張りであり、貴重な水源でもあるヨラ・モネティ湖が近づいてきたんだ。射殺された熊の死体ごっこから蘇生して真上からぐるんと正面へ視線を向けると、ちらほらと大きな丸太小屋の姿が見えた。その丸太小屋には煙突が2つ、1つは白煙、もう一つは黒煙が上がっていた。
あれらはただの丸太小屋じゃない。シュガーシャック──シャック(Shack)は掘っ建て小屋を意味する──だ。ドリアード達の作業場であり、砂糖生成場で、観光業の1つでもある。交易商人達のお目当てもそれである。
「あぁ……メープルシロップの匂いがする。」
シュガーシャックではサトウカエデの樹液を煮詰める作業が行われている。白煙は樹液から蒸発させた水蒸気で、黒煙は温めるための燃焼している燃料から出ているものだ。この時期だけとは言わずこの辺り一帯は非常に甘い匂いがする。作業に従事しているドリアード達は言わずもがな、甘い甘い匂いがするんだ。
森のやや汚い空気を腹いっぱいに吸い込み──煙臭さにちょっと後悔しつつ──また荷馬車へと背中から倒れこんだ。熊の毛皮の中から抜け目ない肉食獣の目で本日運んできた琥珀の装飾品を最後に確認し、巾着袋に入れてあるこの世界の通貨の枚数を改めて確認する。ついでに女性のような何かの表情でも読み取れないだろうかと無駄な努力に勤しんだ。やっぱり無駄であった。
そんなアホなことをしながら荷馬車は進み、交易路の終着点である交易用の市場へとたどり着いた。
「いらしゃーいいらしゃーい、メープルシロップ1kgのガラス瓶が1本メイリーフ銀貨1枚だよー。100mlの瓶はメイリーフ銅貨12枚だよー。」
そう声を張り上げているのは全身が樹皮に覆われたような女性、つまりドリアードである。髪の毛はギザギザしたカエデの葉がついた蔓で出来ていて、もし彼女たちが背中を向けて止まっていれば木と勘違いするかもしれない。もっとも、先ほどのドリアードの労働者と同じように毛皮の服を着込んでいるので間違えようは無いな。
さて、到着したは良いがまだ約束の時間には早い。となればまぁ、軽い昼食でも食べて時間を潰すのが良いかな。
「荷物を見ていてくれ。飯を食ってくる。」
「かしこまりました。」
俺は熊の毛皮を脱ぎ捨て人間に戻り……少し冷えたのでスーツの上に茶色のダッフルコートを羽織った。内張りが首狩り雪うさぎの毛皮で作られていて、チクチクしないし、野営の時は毛布みたいに扱えるお気に入りの一品だ。剣呑な匂いがするらしく野生動物もあまり近寄ってこないのがいいところ。
俺がうろちょろとし始めた場所は半円形の広場である。小学校などのグラウンド半分ぐらいはある広さで、馬車を止めるための場所だ。その周囲にはシュガーシャックを兼用した食事処や宿屋がいくつも立ち並び、白煙と黒煙を上げている。広場に面しているシュガーシャックは7つ。どれもこれも道すがらに見かけたものより大きく、装飾もそこそこしっかりしている。
「ど・れ・に・し・よ・う・か・な、か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り、てっぽううってーバンバンバンっと。」
広場の中にある7つのうち、左端、ちょうど俺達が入ってきた道の出入り口に面したシュガーシャックを神様は選んだようだ。ま、どの店でも良いメイプルシロップが出てくるに決まってる。それを楽しむのはワッフルか、ホットケーキか。ホットケーキだな。2段重ねでバターを落とし、とろーりたっぷりのメープルシロップをかけちゃうんだ。
俺は少々上等な形の丸太小屋へと足を踏み入れた。そこで俺を出迎えたのは普通のドリアードである。
「いらしゃーいいらしゃーい、泊まり?」
「いや、飯、やってます?」
「やってるやってるよー、そこの椅子に座っといて。」
そう促されたのは小さな一人用の椅子とテーブルである。テーブルの上には名前のわからない植物がちょこん飾られていた。水耕栽培かな?
案内された席に座る前にダッフルコートを脱ぎ、椅子の背もたれにかけてから座る。先ほどのドリアードはまだ戻っておらず、小さなテーブルにはちょこんと植物が佇んでいるのみ。メニューが来るまで暇だな。
このシュガーシャックの入り口は狭い、ドアを開けるとすぐカウンターつきの部屋が見えるんだ。宿帳なものが見える辺り、あそこは受付だろう。そこから4歩ほど進むと俺が座っている部屋へとご入場。キッチンの類は見えないが、ちょっとした旅館のロビーといった心持ちで椅子と机以外にもカウチが2つ、大きなガラス窓の脇に置かれており、うたた寝するのにはちょうど良さそうである。
個人用の椅子と机は合計で6セット、大きなテーブルは椅子が4つついてで3セット置かれている。お一人様が団体様を囲むよう家具はに配置されていた。しかし、移動の邪魔にならないよう比較的隙間が空いている。もちろん受付からまっすぐ歩けるようになっていて、その先には上階段があった。
「はーい、こちらこちらメニューです。あ、お水は無料なんですが、飲みますよね?」
「えぇ、いただきます。」
「はいどうぞー。」
でんっとテーブルの上に中ジョッキが置かれ、じょばーっといわんばかりに水が注がれていく。豪快なサービスですね……と思ったが、ここはシュガーシャックである。この時期は常に火を絶やすこと無く樹液を煮詰める作業があるので、熱を少しワケてもらって水を沸騰消毒したり、水蒸気を集めて綺麗な水を毎日用意しているらしい。水源に関しては綺麗なヨラ・モネティ湖から水道を引っ張ってきているので豊富だ。
メニューのほうは、ホットケーキ、ワッフルが並び、遅れてソーセージ、ベーコン、スモークチキーンが並んでいた。あー……確かに甘いものばかりじゃうんざりしちゃうもんな。肉のアクセントは嬉しいかも。後はサラダ、魚の塩焼きやハニーパイがあったりするがこの辺はまぁいいかな。
「注文なんですが、ホットケーキとスモークチキンをもらえます?」
「あ、はいはーい。すぐ作るから待っててねーっと、前金だよ。メイリーフ銅貨を6枚になりまーす。」
俺は巾着袋の中からサトウカエデの葉が刻印された銅貨を6枚取り出し、彼女に手渡した。そっと触れた手は固く、一瞬のことではあったが肌は樹皮でできているのだなぁと思わされる。
「まいどまいどありー。」
そう言ってドリアードは奥のほうに引っ込んで行き、数分すると戻ってきた。
・ホットケーキ -メイリーフ銅貨3枚-
小麦粉に卵、牛乳、膨らましマジックパウダー──アルケミストギルドの秘伝の品──を混ぜてタネを作り、サトウカエデの樹液を煮詰めている機材の熱を流用して作ったオーブンで焼いた物。それが3段重ねになっている。そしてその上には丸く、スプーンで繰り抜いたような形のバターがてっぺん中央に置かれ、さらにその上からメープルシロップをたっぷりかけていただく。しかし、どうやら中に何か埋め込まれているようだ。
・スモークチキン -メイリーフ銅貨3枚-
鳥肉を燻製にした物を軽く炙って、切り分けたもの。量は5切れ。肉の部位はバラバラのようだが、ぷりぷりの皮がついているのがちょっとうれしい。当然だが、ホットケーキとは別の小皿に盛って出されている。
「じゃあじゃあかけるねー。」
そういってドリアードは小さなミルクピッチャー(20ml)をまだメープルシロップがかかっていなかったホットケーキの上にドバーッと垂れ流した。黄色がかった白いバターはシロップまみれになり、そこからこぼれ出る出口を探さんとシロップがおっとりと暴れ、めいめいにホットケーキの端から脱走を計っていくも全て一番下のホットケーキへと吸い込まれていってしまった。
「はいどうぞどうぞお召し上がれー!」
「じゃあ、いただきます。」
2段重ねと思いきや3段重ねだ。軽い昼飯のつもりだったがこの1枚は結構重く胃袋にのしかかってきそうである。こういうホットケーキを食べるときは右手にナイフ、左手にフォークである。俺はグッとフォークでホットケーキを固定し、ナイフで縦におもいっきり力を入れて木を切るのこぎりのようにグイグイと切断していった。
想像以上に弾力が弱い。そういえば、このホットケーキはかなり膨らんでいるというか、この世界にはベーキングパウダーが存在したはずである。あぁ、ふんわりホットケーキが食えるなんて最高だね。普段はめっちゃ硬いのしか食えない。
皿を回し、十字にホットケーキを切り分けた俺はホットケーキ1/4を持ち上げた。強い強いメープルの香りに負けない小麦の甘い匂いが鼻をくすぐってきた。とりあえず、最初の一口はお上品に吸い込むようにちょびっとパクリ。
せいぜい2cmの面積も無いであろうそれを口に含んだだけで、口内から肺に至るまで一気にメープルに汚染された。強い強い甘い香りである。二口目は大きく下品に正面から見れば喉が見えるほど口を開き、思いっきりホットケーキ1/4全てを口の中に入れた。
まるで子供のように俺の口の端からメープルシロップがちょっぴりこぼれるが、旅の恥はかき捨てである。ここには異世界商人の俺のことを知っている人は居ない。ましてや、現地の住民達からすればこのように食べることはマナーですらある。美味しく食え、それが正義。自分は貴族では無いのだから上品さを気取る必要は皆無。
ハムスターのように口を膨らませてホットケーキを咀嚼し、こぼれたシロップは親指でこそいで舐めとった。うん、美味い。小麦のほんのりとした甘みに、メープルシロップ特有の香ばしい甘みが絡みついて最高だね。これにバニラアイスでも乗っけたらさらに美味しそう。
無心に一番上の一番甘いところをいっぱい食べていき、まずは一枚目を完食。口の中が甘くて仕方が無い。水を飲み、軽くリセットをしてスモークチキンを一切れ突き刺した。そして、口の中へお誘い申す。
スモークチキンを舌の上に載せただけで強烈な塩気を感じた。それほどしょっぱいわけじゃないが、良いアクセントになっているのは間違いない。一噛みすると、ガラスを割って水があふれたかのように強烈な煙の風味が鼻から脳にまで広がった。強烈、そう言うしか無いな。もう一噛みすると肉汁がじっとりと溢れだし、今度は胃の中までスモーキーな香りが広がっていった。良い肉だ。本当にここ、ドリアードの村ですか?基本菜食の彼女達の作ったものとは思えないほど美味い。
さすがに、肉は食わないだろうしこれは輸入品かな。そんなことを考えながらホットケーキにむしゃぶりついた。ここはメープルシロップで栄え、自前で硬貨まで発行しているようなところだ。銅貨1枚で小さなミルクピッチャー1杯分のメープルシロップと交換出来ることが決められているのでメープルシロップ本位経済が成り立っている。そんなところなら定期的に観光・交易商向けで肉を大量に輸入することぐらい容易いだろう。
2枚目をもしゃり、もしゃりと食べていると妙にねっとりとした違う部位があることに気がついた。
「チーズか?」
グリルドチーズ、たまにそういうホットケーキは聞く。グリルドチーズとホットケーキの相性は抜群ではあるが……メープルシロップとはちょっと微妙である。スモークチキンにチーズなら良かったとは思うんだけどなぁ。
2枚目もむっしゃむしゃと食べていき、スモークチキンと水で一休み。
「3枚は……やっぱりちょっと多かったな。」
すでにバターも溶けきってしまった。こぼれたメープルシロップが皿の底へと流れているため3枚目には大量に染み込んでいる。ホットケーキ1/4をフォークで刺して持ち上げてみる……メープルブーストが切れた気がする。2枚で十分だったな。
じっとり、そう表現するしかなくなったホットケーキを1切れずつ食べていく。最初は子供のように楽しく食べていたが、そろそろ現実が見えてきた。メープルシロップがくどい。しかもホットケーキがヌルく、いや、冷めてきたせいで食べにくくなっている。水で流し込み、スモークチキンで塩気を補充だ。
スモークチキンってすごい、冷めてもうまいんだな。プルプルした鶏皮は温かいほうが美味いけど、それでもたっぷり内包されたうま味が噛む度に発散されていった。
「ごちそうさまでした。」
結局、最後は水で流し込むはめになった。3枚は多かったな、うん。俺は軽く伸びをし、膨れ上がった腹を2回軽く叩いた。あぁ食べ過ぎた。もう一度水を軽く口に含み、ゆっくりと胃の中へ流していった。
そうして背もたれにかけておいたコートを着こんで、食器を下げに来たドリアードに一言。
「美味しかったです。」
「ありがとありがとー、また来てねー。」
うむ、挨拶は良い気分になる。俺はメープルシロップと笑顔を口の端に残しつつ、荷馬車へと向かっていった。
閲覧していただきありがとうございました