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第三十七話 ファンタジー世界で魚ラーメン

よろしくお願いします

 湿地帯、その場所はそう形容する他に言葉を持っていなかった。水はおよそ腰が浸かるほど深く、そして茶色に濁っている。ふと正面を見れば木の根っこが盛り上がり、濁った泥から逃れようと顔ならぬ根を覗かせていた。そして目の前にはマングローブが広がっている。木々が密集しているせいで5m先を見通すことも危うい。


 そんな場所を、俺はスーツの上に胴付長靴を着込んでぐっちょぐっちょぐっちょぐっちょと歩いていた。もう帰りたい。一歩歩くごとに一日かけて50cm動くという川の底に積もり積もった泥に足がとられて転けそうになる。なんだってこんな場所に住んでいるんですかね。理由はよくわかるけどほんともう面倒くさい。


 ぐっちょぐっちょと歩き、プールでウォーキングをしてダイエットをする女性の気分になりつつ俺はこの沼地を歩いて行く。ところが、懐に入れていたマナーモードのPDAが強く振動したので俺は足を止めた。メールや電話が来るような世界では無いが、ポータル港から電波が届くことはよくある。ただ、この振動の仕方はそうではない。近くに何かが居るのだ。

 

 周囲を見回してみると正面に見えていたやや開けた水場で気泡がぷくりぷくりと上がっているのが確認できた。これはワニが潜んでいる証であると、湿地帯の歩き方の勉強会で教えてもらったので、今の不味い状況がよく理解出来た。ひっじょーに不味い。もしこのまま進んでいたらわにさんの今日の昼飯は俺の踊り食いであっただろう。


「ってことは、一旦戻って、少し横に動いてまた前進ってことですね……。」


 うんざりだ。ただでさえ歩きにくいというか、明日……いや明後日が筋肉痛になりそうなぐらい負荷がかかっているのに目的地がまた遠のいた。いっそボートでも使おうかと思ったが、入り組んでいて使えないのがここの嫌なところ。


「あ、声がすると思ったらやーん!ゲンちゃんじゃなーい!」

「え、へ!?」


 女性の声がしたが、360度見回しても姿が見えない。


「こっちよこっちー。」

「上か……あー……えーと……。」

「知り合いじゃないわよー、初めまして!私、スキュラのカサンドラ!アクセサリー仕入れてきたのよね!」




 異世界のグルメ 第三十七話 -魚ラーメン-




「あぁ、持ってきたよ。マキナ王国というより、更に北にあるドワーフ達の細工品だけど人間の作るものより綺麗さ。」

「やったー!あ、ほらほら!そんなところをねちょねちょ歩かないで、触手に捕まって!」


 下半身がイソギンチャクの触手、上半身が女性の姿をしたスキュラのカサンドラは俺の返答を待つこともなくぐるんぐるんと俺の体とダッフルバッグを触手で包み上げ、木の上へと持ち上げた。


「じゃ、スキュラ特急便いっきまーす!ひゃっほーい!」


 触手を前方に伸ばし、木の幹に引っ掛けるとターザンのアクションめいて一気に前へ進み、その勢いを殺すことなく触手を外して次の幹へ、とまるでゲームで見るロープアクションみたいなことをやりながら俺達は進んでいった。


「ダッフルバッグの中身はアクセサリーなんだぞ!?気持ちはありがたいがぶつからないように気をつけてくれ!壊れたら元も子もないだろ!」

「文句つけると食べるわよ!」


 これだからスキュラは嫌なんだ……。北の王国と戦争になるのもよくわかる。




 ここはマキナ大陸、の南にある湿地帯である。マキナ大陸という名前の通り機械文明が発展しており、マキナ王国の近衛部隊ともなるとなんと、俺の母世界に存在するブローニングM1918自動小銃とまったく同等の自動小銃を持っているのだ。この世界はちゃんと自力でそこまで開発にこぎつけており、古代文明技術の発掘もしながらではあるが技術レベルは相当のものだ。


 なお、マキナ大陸と海を隔てた先にある西方のマジカ大陸を眺めるとサバンナと呼ばれる乾燥地域にエルフという名の巨大バオバブ、もとい世界樹がうっすらと確認出来ることもある。魔法と銃器が共存する世界って不思議ね。そしてどちらもドラゴンをぶっ飛ばしている。


 それで、マキナ王国はここから北の草原・平原が目の届く領地で湿地帯にはあまり興味が無いのだが、それでもスキュラはマキナ王国とは完璧に対立している。そしてこの湿地帯はマキナ王国を通るか、超巨大人食い脊椎爬虫類、通称「かめ」の仕切り場である海を通っていくしか道がないため、彼女達は基本孤立している。そして、彼女たちは敵対してはいるが、マキナ王国で扱われるようなアクセサリーが欲しくてたまらないということで、俺はいつも通り人類を裏切ったわけだ。




「はいとーちゃくっ!」


 ロープアクションを続けて30分後、ようやくマングローブ域の奥深くにあるスキュラの集落へとたどり着いた。奥深く、といっても比較的流れのある川沿いに集落が作られており、到着した俺の姿に驚いてじろじろと眺めてきたのはスキュラ以外の種族も結構な数が居た。スキュラは好戦的な種族ではあるが、社交的な種族でもある。だからこそ、商談が出来たわけだが。


「ありがとうカサンドラ、だいぶ時間を短縮出来たよ。」

「でしょでしょ?今度からはさ、もうちょっと東から入ったほうがいいよ。あの辺りならアタシらが巡回してるから、見つけやすくていいじゃん?」

「そうさせてもらうよ。それじゃあ……まずは……。」


 朝からずっとぐっちょぐっちょぐっちょぐっちょぐっちょぐっちょと湿地を歩いてきたので、商品を見せにいく前に……腹ごしらえでもしておきたい気分だ。商談の約束は*今日から明後日まで*とだいぶアバウトである。1時間ぐらいは遅れても大丈夫かな。

 

「腹ごしらえかな、さっきは運んでくれてありがとうカサンドラ、それじゃ。」

「またねーゲンちゃーん。」


 大変フレンドリーなのは良いのだが、あの目や声色は家畜とかペットに対するそれと大差ない。種族の垣根はそうそう超えられそうにないな。




 さて、どうしたものか。周囲を確認しながら歩くと、比較的硬めの地面には日干し煉瓦と樹の枝の屋根で作られた建造物がある。あれは、スキュラの家じゃない。彼女たちの家は俺の頭の上、ツリーハウスのように木の上に作られているんだ。


 そして、その日干し煉瓦の建物には交易商人向けの宿屋兼食堂と書かれていた。


「とりあえず、あそこでいいかな。」


 俺はダッフルバッグを背負い胴付長靴を履いたままその食堂へと歩いていった。


 食堂はまぁ、そこそこ。テーブル席が4つ、カウンターにはイスが10個。リザードマンとオーク、ドワーフとヒューマン達がそれぞれテーブル席を占領し、ドラゴメイドや半魚人らしき人がカウンターにちらほらと座っていた。

 

 日干しレンガで固められた床を歩き……カウンターの裏でこちらをちらりと見たスキュラを確認してから俺はカウンター席へと座り込んだ。


「今日は魚ラーメンがうまいよ。」

「なるほど。とりあえずメニューでも見てます。」


 ふよふよとイソギンチャクのような触手を揺らしている店員スキュラを尻目に俺は木製の板に炭で書かれたメニューを眺めた。飲み物はスコッチもしくは水。食べ物は先程の魚ラーメンに加えて……。


「はーい、茹でガザミ6匹おまちどー。」

「お、きたきた!」


 俺の背中からバリ、ボリと大きな音を立てて何かを齧る音が聞こえた。振り向いてみると、先ほどのリザードマンがカニを殻付きで貪っている。


「お前は歯が頑丈だなぁ、まったく。」


 オークはそう言いながらカニの胴をぱかりと開き、そのまま器のようにしてじゅるじゅるとしゃぶりついていた。


 メニューに目を戻すと、茹でガザミ、アボカドとあるのが確認出来た。あの2人で6匹分のカニを食べるのか。結構大きいが……まぁリザードマンとオークだしな。炭水化物になりそうなものがアボカドぐらいしか存在しないので、必然的にラーメンになりそうだ。それと茹でガザミを1匹ってところで十分だろう。



「すいません、茹でガザミ1匹と魚ラーメン1つ。」

「まいど、1コパルに6コパルだから……1、2、3、4、5、6、7。7コパルだよ!」

「……あ、はい。どうぞ。」


 俺が巾着からコパル銅貨を7枚渡すと、また触手を降ろし、声に出しながら1本ずつ持ち上げて数えるという方法で数え始めた。俺達は当然のように暗算できるが、教育が行き届いているところなんて少ない異世界じゃ別に珍しい光景でもない。しかし触手で数えるというのはちょっと初めて見た。手を使って数えるという発想が無いらしい。


「はい、7コパル確かに!すぐ出すよ。」




・茹でガザミ -1匹1コパル-

 要はワタリガニを茹でた物。手のひらサイズだが、足の部分は食べにくいので胴体の身を食べる。味は調度良い塩味。結構安いなと思ったが、この辺りではガザミが山ほど取れるのでこのお値段。


・魚ラーメン -6コパル-

 、生きたドジョウを妙に濁った熱湯に突っ込んで殺した後、魚から取ったスープに放り込み、さらにその上に分厚い茹でれんこんを二切れ載せ、生のクレソンを散らしたもの。ラーメンて。ラーメン丼ではなくやや深めのスープ皿に入れられている。




 まるで、茹でた麺から水切りするかのように茹でたドジョウからも水を切っていた。そして目の前に出されたのは具入り魚のスープ。PDAの魔導翻訳回路はたまに珍訳というか直訳してくるから困る……。


「いただきます。」


 食器としてついてきた竹製の先割れスプーンを手に取り、まずは魚ラーメンの丼に突っ込んだ。先割れスプーンの先にはつい今しがたまで生きていたどじょうが突き刺さっていた。なお、当然のようにエラ、ヒレつきである。この時点でかなり嫌な予感しかしない。


 意を決してどじょうを口の中に放り込んでみた。なんだかぬめぬめしている……。白身魚の味と思いきや、やや魚醤風味でこくがある。そういえば先ほどの熱湯は濁っていたし、味付けも兼ねていたのだろうな。ただ、むにゅりむにゅりと噛み付いていると硬いものが刺さってきた。この食感は骨じゃなくて、ヒレだろうな。思わず顔がゆがんでしまった、こういう食事を邪魔する食感は好きじゃない……。

 

 コリコリとした骨を一通り楽しんだ後、丼を両手で掴みあげ、スープを口に含んだ。この鼻につく力強さを感じる味は魚の出汁ィ!って感じだな。でも濃いわけじゃなく、薄くて飲みやすい。温かい蕎麦に使うような汁を思い出したよ。ついでにスープの上に浮いていたクレソンを適度に吸い込んで楽しんでおく。……かいわれ大根でも浮かせておくのと大差ないんじゃないか。


 どじょうをむしゃりむしゃりとまた一匹食べ、浮いているれんこんを先割れスプーンで突き刺してひとかじり。シャキシャキしていて、れんこんの味にほのかに香る泥の味。コクがあるといえばまぁ、無いこともない。軽くスープを飲み、口の中へまたドジョウを流し込んでかぶりつく。

 

 そんなことを繰り返して、大体4分の3を食べきった。さて、カニちゃんと行こう。ガザミ、ワタリガニは比較的殻が薄いとはいえ、俺は柔らかい物を食べて育った現代人。リザードマンみたいに殻ごとバリバリとはちょっときつい。先割れスプーンを胴体の継ぎ目に突き刺し、ぱかりと2つに割った。中からは白い宝石が顔を覗かせ、ほんのりと茶色がかったかにみそもついている。ホカホカと立ち上る湯気にはカニ由来の香りがついていて、唾液腺が活性化させられて口の中に潤いが現れた。


 さて、むしゃぶりつくのもいいかもしれないがとりあえずは現代人っぽく先割れスプーンで身を少しほぐし、掬いあげた。口の中へ滑りこませるとぷりぷりとした食感に結構強烈な塩味とカニの味。カニって奴はソースが大事だ。普段はポン酢か醤油だし、塩味はこれぐらい濃いほうがむしろ好都合というものだろう。


 かにみそ、もしゃりもしゃりと行くがこの苦味はうーむ。酒でも頼んでおくべきだったかもしれないが、さすがに飲酒で商談はアバウトすぎる。軽く白身と混ぜあわせ、もにゅりもにゅりと食べていると悪くない。以前、俺の母世界でカニを食べた時にかにみそで失敗したのを未だに引きずっている気がしてきたぞ。別にこれは猫のションベン味じゃないんだ。


 半分ほどカニを先割れスプーンで比較的お上品に頂いた後は、残った半分を甲羅の皿の上でぐちゃぐちゃと混ぜあわせて一箇所に固めた後、口を近づけ甲羅も傾けた。


「ずずっ!ズズズ……ズズー!ちゅるるる……。ふはっ。」


 こういう食べ方って良い。




「ごちそうさまでした。」

 

 どじょうとれんこんスープもきっちり食べきり、器の上にカニの抜け殻をちょこんと置いたものをカウンターへさげた。そうしてダッフルバッグを背負い、店を後にした。


「そういやぁ、ダッフルバッグの中身を一応確認しておかないとな。」


 今までの行軍でアクセサリーが破損していなければいいんだが、そう思ってバッグを開いてみると一部の宝石が割れていた。あぁ、厳重に保護したつもりだったのだが、やはりスキュラの拘束もとい高速移動が想定外だったか。


 せめて、表の道を使えれば良かったんだけどなぁ……、そう思って振り返った先は北側、マキナ王国の見張り砦に哨戒用の小舟が何隻も出ている巨大な河と、水をせき止めてこの辺り一体がマングローブ化した原因の古代文明の遺産たる巨大ダム。普通に渡し船が使えた時は本当に良かったです。

閲覧していただきありがとうございました

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