第三十六話 ファンタジー世界でまたたびーるとねこじゃらしのお粥
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戸板に車輪をつけたような形のむき出しの荷車の上で寝っ転がっている俺を表面を涼しい風が舐めた。風はそのまま通り過ぎ、俺達が今通っている道路の両脇に地平線まで広がるねこじゃらし畑を切り裂くように浸透していった。茎の先に穂が垂れ下がるねこじゃらしは風を受けてゆらゆらと揺れ、かさかさと囁くような声を出していた。
ねこじゃらしの花穂は金色で、太陽に照らされて輝いていた。通称ねこじゃらし、エノコログサは粟の原種と呼ばれ、その実は食べることが可能だ。この世界ではコムギやイネにトウモロコシがあまり広がっておらず、この地域ではこのエノコログサが貴重な穀物、そして主食として扱われている。
だが、文化・技術レベルは想像以上に高い。ねこじゃらしの畑の向こうでは水車小屋が絶え間ない水を受け続け、水音を鳴らしており、さらに別方向の丘の上には風車が存在し、風を受けては脱穀を続けている。まぁ、なんていうか……この辺りの住民らしいといった感じがする。
ガタリと音を立てて少し荷馬車が傾いた。俺は不審に思って御者である女性のような何かを見てみると、俺達の進行方向から別の荷馬車が近づいてきているのが見えた、簡単なことだ、ど真ん中を動かしていたので端に寄っただけである。
そうして、毛むくじゃらで目のパッチリした牛とも馬ともロバとも似つかない生物……リャ、リャアマ?リャマだ。リャマが引く荷車には160cmほどの生物が座り、リャマを動かしていた。御者はやはり毛むくじゃらで目のぱっちりした……うつらうつらと眠そうにしている人型の猫であった。
異世界のグルメ 第三十六話 またたびーるとねこじゃらしのおかゆ
本来、この手の世界ではたとえ異国の商人であっても、すれ違う際には手をあげて挨拶を交わすのが普通である。だが、このズ・ズーズズ大陸ではあまり気にしなくても良いというか、結構な頻度で御者が寝てる。いいのかそれで、と思うことはあるが、彼らカタウス族はいかにサボるかに心血を注いでおり、風車や水車の発明も他の種族から何百年も早くに発明したと言われている。肉球であっても手先の器用さはヒューマン達とそう変わらないというのが不思議なところ。
俺の横を通り過ぎていった荷車の荷台には、俺と同じように藁の枕持参で眠っている人型の猫共、カタウス族が3人も居た。
「……にゃっ!おい!起きろお前ら!馬車が通り過ぎたぞ!交替だ!」
「にゃー。」
「うにゃー。」
「なーご。」
「猫の真似してんじゃねえ!御者の交替だって言っただろ!」
あぁ、小学生が帰り道にランドセルを持たされてやる奴やってるのか……。
この世界でも猫は居る。類人猿ならぬ類人猫という扱いで、ヤマネコがほとんどだ。それにしても完璧にただ大きくなっただけの猫だというのに、オーバーオールを着ているだけで一気にファンタジー感が高まっていく。こういう種族を見るたびに俺は異世界に居るんだなと意識させられる。彼らに抱きつくともふもふしていてすごい抱き心地が良いんだ、猫臭いけど。
また荷馬車がガタリと音を立てた、今度は縦方向なので、何か踏んだのだろう、そう思いながら寝転んでいると水分を含んだ涼しい風が俺の顔を撫でた。今度は、川だ。車輪はガタガタと規則正しい雑な木琴をかき鳴らし、橋を進んでいく。川向こうにはエノコログサの畑は存在せず、白煙が登っているのが見えた。ようやくズ・ズズーズじゃない、ズ・ズーズズ大陸のカタウス族の町の1つ、ひだまり町へと到着したようだった。
ひだまり町には簡単な堀と野生動物避けの柵があるが、それ以外には特に防御設備は存在しない。敵対的な勢力は存在するが、彼らは基本ゲリラ戦術で戦う種族なので守りに入った時点で負けである、なので防御設備は存在しないと言っている。……ただたんに防御設備を建築するのが面倒くさいとかそういう話では無いとか言うが、嘘臭い。
ひだまり町は舗装された土の道に土壁と藁の屋根で構成された家屋がほとんどだった。しかし、街路の端には猫が寝転んでいる。うにゃうにゃ。俺は類人猿って正直好きになれないのだが、類人猫は彼らと同じく好意的な気分である。
しかし……ちょっと腹が減ったな。先ほど気になったのだが、白煙が登っているのは民家や宿屋だ。つまり、今は食事時ということで、今から客に会うのは少々失礼に当たるだろう。先方も飯を食ってる時に来られちゃたまったもんじゃないだろうし、カタウス族はそこまで仕事熱心というわけでもない。先に腹ごしらえでもしておくか。どうせ約束の時間は昼飯時を過ぎた辺りと相当アバウトだ。
「馬車をそこの……酒場に停めてくれ。」
「かしこまりました。」
女性のような何かに声をかけるとリャマの荷馬車はガタガタと音を立てながら、ジョッキと魚が描かれた酒場へと止まった。
「ここで、飯食ってくるから待っててくれ、荷物を頼む。」
「かしこまりました。」
彼女たちが食事をしているシーンを一度も見たことがないが、気にしたところでいまさらだろうな。俺は軽く背伸びをしてから荷馬車を降り、[ミルクと青空亭]と書かれた酒場へと足を運んだ。
「いらっしゃいませー!にゃー、お一人様?それじゃあにゃーっと……カウンター席でいいかにゃー、あそこに座って。」
「どうも。」
簡素な茶色のワンピースに白いエプロンを身につけた女性の猫人に促され、俺はカウンター席へと座りこんだ。
酒場の中は猫が7匹。猫人が6名居た。猫はテーブルの足にごろごろと転がっている。それ以外は土の壁、屋根は藁で、カウンター席とテーブル席は木製。壁紙はミントグリーンで、床は木板。それ以外に内装らしい内装は特に無く、猫が内装の代わりになっている気がしてしょうがない。
「にゃー、お客さんヒュマーンだよね。アルコール飲みます?うち、無いんですよ。」
「あぁ、いや。飲まないよ、軽食で済まそうと思ったんだけど、もしかして無い?」
「にゃ、もちろんありますよ。やーうちのお客さん全員またたびーる飲んじゃってるから、酔ってるにゃー。」
ふむ、と思ってもう一度店内を見回してみても、赤ら顔のカタウス族は居ないというか、顔まで毛皮で覆われているのでわかるわけが無い。……またたビールなのにノンアルコールなのだろうか。
「アルコール無いって言ったけど、またたビールはビールじゃないのか?」
「にゃー、ビールっぽいからそう呼んでるだけでお酒じゃないですね。飲みます?ヒュマーンの人からするとピリっとしてる飲み物って言われてます。」「じゃ、とりあえずそれ一本。他には……。」
ちらりと*真っ白*の紙のメニューを眺めてみる。いくつかのつまみ、エノコログサのおかゆ。ふむ、ちょうどいいんじゃないか?小腹が減っているだけなら悪くない。
「この、鮎おかゆってのと……。」
「にゃ、ごめんなさい。今日は鮎無いんですよ。」
「あぁ、そうなのか。じゃあ、親子おかゆってのと、どんこの塩焼きを……。」
「にゃ、ごめんなさい。親子おかゆは大丈夫なんですけど、川魚は今日無くて。」
こういう時は何て言うんだったか……そう、ガーンだな。出鼻をくじかれたって奴だ。鮎にピンと来て、川魚を食べたかった気分になったのにこれだ。おかゆだけじゃ間違いなく腹は減るだけだろうし、何かもう一品ほしいところ。
「にゃー!そこのヒュマーン!わりぃね!漁師の俺が今日は休みの気分でさぁ!」
「そうそう!今日はおてんと様が元気だからお休みさー!」
今日は漁師が酔っ払ってるから川魚はなかったらしい、なんとも残念だ。
「つまみならあれよ!あれがいい!あれにゃ!あれ……ヒュマーン、俺、何を言おうとしてたっけ?」
「俺に聞かないでくれよ酔っぱらい。」
「まーだ酔ってないにゃー!なーごなーご!」
猫人から四足猫に退化しつつあるので彼らは明らかに酔っている。さて、どうしたものか。生姜の天ぷら……うーん、これは違うな。
「あの、これとかどうですかにゃ?最近この大陸に入ってきた珍しいものですにゃ。」
そう言ってウェイトレスの三毛猫人が指差したのは──魔導回路翻訳中──塩ゆで落花生。落花生かぁ。んー……まぁ、塩気が欲しかっただけだしこれでいいか。
「じゃ、それを1つ。後、またたびーるってのも頼むよ、ヒュマーンなら酔わないんだよな。」
「えぇ、ソフトドリンクです。親子おかゆ、塩茹で落花生、またたびーる……ジョッキ?」
「グラスで。」
「じゃあ全部で11ドグです。」
俺は巾着袋から銅で作られ、ゴールデンレトリーバーの顔の刻印がされたコインを11枚取り出した。元々は犬人が鍛造したコインだが、猫人達が犬人を滅ぼしたので、どうせだしとそのまま記念として使っている。
「にゃ、にゃ、にゃ、にゃ、にゃ!まいどありー。びーるはすぐに持ってきますー。」
・親子おかゆ -7ドグ銅貨-
生のエノコログサの実と、一口大に切った鶏の身を炊き、エノコログサが粥状になったところで溶き卵を落としてかき回し、卵に火が通ったところで鍋からおろして出来上がり。味付けは塩のみ。さらにおまけで塩漬けのカブの切り身と、塩漬けのカブの葉が小鉢でついてきた。
・塩ゆで落花生 -2ドグ銅貨-
塩をたっぷり入れた鍋で落花生を茹でたもの。茹で終えた後は塩湯につけっぱなしなので塩味が染みていて、お酒が良く進む。
・またたびーる、グラスで -2ドグ銅貨-
炭酸水にまたたびで味をつけたもの。辛味が強く、食欲増進の効果がありそうな気がする。気がするだけ。当然というか、猫人達はこれで酔っぱらうため、樽単位で作られており、ひだまり町はもちろん、他のカタウス族が居るところではよく飲まれている飲料水だ。
「はーいびーるです。おかゆとセットのカブ漬けもですー。」
黄色がかった透明な炭酸水に白い切り身と口にするだけで健康的になれそうな緑色の塩漬け葉っぱが目の前にコトンと置かれた。これがビールなら悪くなかったのだが、さて、びーるはどんな味だろう。
「いただきます。」
汗をかき始めたグラスを手に取り、軽く一口、乾きを潤すように飲んでみた。シュワシュワと強い炭酸が舌ベロを包み込み、遅れて鼻の奥がツーンとする辛味が襲ってきた。近いものは……ジンジャーエールだな。猫人達は辛味の強いビールを飲んでいるというわけか。面白いなぁ。
そして、フォークでカブを突き刺して、放り込んだ。一噛みするたびにカブの甘みと塩気が口の中に広がっていく。ポリポリ、コリコリ、この小気味よい歯ごたえも大事な味の1つなんだ。そして甘みを全て流しこむようにまたたびーるをくいっと、舌で転がすことなく喉へと流しこむ。先ほどは口内で緩和された炭酸が今度は直接喉をかきならしていく。人によってはこの感覚は嫌なものというが。
「ほぅっ。」
俺はこの感覚が大好きだ。ビールもコーラも、俺が炭酸水を好む理由はこれだろう。次にフォークでカブの葉、茎部分を掬い上げて、口の中へ。シャキシャキ、プチプチ、瑞々しい青臭さを一噛みするたびに強烈な塩気が押し流していく。カブの漬物で実と葉のどちらが好きかと言われると、実は葉っぱのほうが好きかもしれない。
「落花生とおかゆおまちどーでーす。にゃ。ごゆっくりー。」
ほかほかと湯気の立ち上るおかゆは、黄色い渦と白っぽい島の浮かぶ小さな箱庭が出来ていた。落花生のほうは、おそらくまとめて茹でてあったのだろう、湯気は出ていない。
レンゲを小さな海に沈める前に、少し観察してみる。エノコログサの粒はとても小さい。米粒1つと比べるとエノコログサ8粒ぐらいは違うだろうか。そもそも、ねこじゃらしが穀物だったなんて思いもしなかったな。
俺はレンゲを小さな木製のお椀に入れ、エノコログサだけすくった。そして口の中に流し込んでみた。塩水の味、そしてエノコログサの粒をむにむにと潰す。味らしい味は感じない。ぷちぷち、むにむに。少し鳥肉の香りがする。あまり味らしい味を感じない。
次に、火の通った溶き卵つきエノコログサをすくいあげ、口の中に入れてみる。温かい卵の味がした。ぺりぺりと卵を噛み砕き、鳥肉の香りがする。
レンゲをお椀に置き、小皿にちょいと盛られた殻付き落花生を一粒手にとった。親指と人差し指で殻を潰すともにゅりという触感と共に殻が切れ目から割れ、塩水がぷちゅりと溢れだして中から実が現れた。殻ごと茹でられているのだが、薄皮は殻にへばりついている。そのまま、吸い込むようにちゅるんと塩水と共に口の中へ迎え入れた。
冷たい塩水、むにゅりとした柔らかいゆで落花生にいくらか残ったコリコリとした落花生の食感。こいつは本当に喉が渇くんだよな。またたびーるを手に取り、グッと喉を潤した。落花生って奴は最高だね、どうしてこれを家畜の餌としてか認識できていない異世界が多いのはまったく理解できないよ。
お粥のほうに腹を戻そう。浮いていたレンゲを手に取り、3つも入っていた鶏肉の塊のうち1つをすくいあげ、舌の上に載せた。一噛み、ぷりぷりとした肉が弾力を持って跳ね返そうとしてきた。いい肉だ。しかし、エノコログサの味はしない。おかゆっていうか、鶏の水炊きを食べている気分だ。
またたびーるをくいっとやり、カブの漬物をぽりぽり、塩ゆで落花生をもにゅもにゅと食べ、またまたたびーる。これ、お粥要らなかったんじゃないかな。塩味だけのお粥を流し込みながら本当にそう思う。
「ごちそうさまでした。」
全部食べきり、そして最後に残ったまたたびーるをぐいっと一気飲み。
「ほぅっ。」
その一言とゲップを残して俺は席を立った。
「ありがとうございましたー。」
歩いて酒場を出ようとすると、またたびで酔っ払いすぎて地面に顎をこすりつけている猫化した猫人が掃除されていた。真っ昼間からこいつら酒を飲んでたんだよなぁ。随分と自由な種族だ。しかし、ちょいと自由すぎる気がする。
荷馬車へと戻ると、女性のような何かがきっちり本日の商品である猫の剥製を守ってくれていた。俺はどうかと思うよ、今日の商品。
「出してくれ。」
「かしこまりました。」
リャマがポクポクと歩き始め、俺はひだまり町の雑踏へと消えていった。
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