第三十四話 ファンタジー世界の山奥で温かいスープと生魚
よろしくお願いします
右手には閑散とした森が広がり、左手には眼下に広がる色は白。あ、雪うさぎが跳ねた。さらにそれを追いかけるように雪イノシシも跳ねてうさぎを追いかけていく。
俺は赤々と輝きながら炭を空煮している深鍋へ新たに薪を突っ込んで、幌馬車の暖房を維持する作業を終えた。日干し煉瓦で舗装された道路でもあっても馬車はガタゴトと揺れ、気をつけていないと鍋から火がこぼれて荷物が燃えちまう。馬車は木製なのに防火性がばっちりだから問題無いとはいえ、一応レンタル馬車なんだから電気ヒーターの1つぐらいほしいよ。
第三十四話 ほかほかの刺し身
舗装された道路にはうっすらと雪が積もっているがいくつもの轍が連なっている。先ほどからすれ違った馬車や亜人が引く荷馬車は両手で数えられる数を超えた。そろそろ第三の腕を移植しなきゃダメかな?触手も便利そうだ。
ガタゴトと馬車は揺れながら門の前で歩みを止める。門番は4名、どいつもドワーフで、2名は俺よりも大きい、2mほどはあるハルバード──小さな斧の刃がついた槍──を掲げ、残りの2人はジャベリン──投げ槍のこと──と盾を持っている。
「ようこそ、ケラトナスへ。」
フェスタリット大陸の古いドワーフ語で旗を意味する言葉、もう顔なじみのほうが少なくなってしまった。
このケラトナスという要塞はかなり開拓民を受け入れたようだ。鍛冶場の白煙はもうもうとあがり、遠目ではわかりにくいが、門から畑の存在も確認が出来る。休眠状態なのでほとんど雪が積もったままだが。
馬車は上空から飛んで来るハルピュイアやドラゴン対策のバリスタなどの脇を通り過ぎ、今回は交易商向けの宿屋へと馬車を止めさせた。長逗留するつもりは無い。
さて、俺は幌馬車の中で懐の巾着を確認する。銀貨が複数枚、一部に銅貨。雪が降るから肌寒くて毛布にくるまっているというのに、懐だけは懐炉よりも温かい。
馬車から降り立ち、白煙とは無煙、もとい無縁の工場へと歩いて行く。レンガの壁に藁の屋根。木の板の窓は開放されており、中では女性のドワーフやヒューマンが細々とした何かを作っていた。
今日はドワーフ達が作る銀製のアクセサリーを買いにきた。精巧さはエルフよりも劣ることはあるが、生産量や細工の華麗さはそう馬鹿にできたものじゃない。いつも通り、別大陸向けの商品だ。それに他の石細工の品も悪く無い。ほんと、よく育ってくれた。感慨深いものだ。
「こんにちはー!タローだが、頼んでおいたアクセサリーはできているかな?」
「あぁ、タロー。出来てるよ、奥から取ってくるから確認しておくれ。」
そういって恰幅の良いドワ……ヒューマンの女性が早足で奥へと向かい、すぐに木箱を持ってやってきた。
「さぁ、確認しておくれ!頼まれていた銀のアクセサリーさ。」
そういって見せられた木箱の中身はネックレス、ペンダント、イヤリングに指輪。蛇のように巻き付く腕輪にティアラの類。俺は絹の手袋を身につけると、木箱の中から1つ、小指の爪ほどのサファイアが土台に乗せられた銀の指輪を手に取り、宝石鑑定用のルーペでチェックする。仕事柄よくこういうことはするが……実際、そこまで細かな違いに気がつけるほど俺は年季も目も良いわけじゃない。
だが、舐められないのが大事だ。ルーペを通した光景には他の工員達は手を止め、固唾を呑んで俺の一挙手一投足を見守っていた。だから俺は「良いね」と小声で隣にいる女性に聞こえるか聞こえないか程度の声で呟いた。
「じゃ、代金を確認してくれ。」
「あ、あぁわかったよ。」
そういって俺はリスの模様が描かれた銀貨をジャラッと巾着袋から出して、手渡した。彼女は慎重に銀貨を1枚1枚数え、頷く。
「ピッタリだよ!まいどあり!」
「あぁ、どうも。次もまた頼むよ。」
持ってきたアクセサリー入れに品物を移し替え、俺は工場から出た。周囲にもくもくと立ち上る白煙を背にしてこう思うのだ。
「腹減ったな。」
適当に何か、宿屋の食堂で食べるとしようかな。そうして俺は馬車で大人しく待つ御者に荷物を預け、交易商人向けの食堂へと吸い込まれていった。
床も壁もテーブルなどは全て木製で、それぞれのテーブル席にはいくらかの香辛料入りの陶器が置かれている。場所によってはガラス製の花瓶が置いてあり、そこにはよくわからないけど花が飾られていた。客の大半の要望にすぐ答えられるよう、カウンターの上には蛇口月のタルが1つ置いてある。中身はエールだな。
「はいソーダジョッキお待ちー!」
エールじゃなくてソーダになっていたようだ。
たまには酒を飲みたいところだが、ここは出す量がドワーフナイズされているのが大問題。酔いを治す万能薬は割りと高価だし、異世界を酔っ払ったままで活動するというのは避けたいところ。
「お一人様ですかー?カウンター席へどうぞ。」
「あぁ、今日のメニューは?」
「メニューがありますのでそれでご確認ください。」
俺は恰幅の良いヒゲつきの女ドワーフのウェイトレスに促されるままカウンターへと座り込んだ。しかし、本当に人が増えたものだ、知り合いに誰一人として会えていない。まぁ、暇をもてあましているようじゃそれはそれで困ったものだが。
さて、紙のメニューを拝見させてもらおう。前に来た時はこんなものなぞなかったがなぁ。メニューには中世ファンタジー世界とは思えない量が用意されている。グラタン、ステーキ、煮込みスープwith魚、ジャガマン──おっと魔導翻訳回路が間に合っていない──ジャーマンポテト、ポトフ、焼きソーセージ、バター付きのパン、パン粥、クランベリーのジャムにクランベリーのシャーベット。酒はフルーツワインにエール、ソーダ割りのウィスキーに様々なものが揃っている。
さて……どうしたものかな。この煮込みスープwith魚というのがひっかかる。この辺りに水源となる沢や地底湖は存在するが、沢はオタマジャクシが限界の水量で地底湖のほうは毒のある魚ばかりだ。海は……遠いし、魔法で冷凍して輸送は魔術師のコストと費用効果が見合っていなくて断念したという話があった気がする。いや、待てよ?この世界に魔法はあったっけ?
「ウェイトレスさん、この煮込みスープwith魚って一体なんだ?前は魚なんて出してなかっただろ?」
「あぁそれ?この間、男衆が掘ってたら源泉引き当てちまってさ、どうせなら風呂にしちまおうってんで工事をしていたらその源泉に住み着く魚が大量に居たのさ、それで獲って食ってるってワケ。」
「なるほど、面白そうだ。それじゃ注文良いかな、この煮込みスープとバターパン、焼きソーセージにクランベリーソーダをくれ。」
「まいどありがとうございまーす。」
・煮込みスープwith魚 -スクイール銅貨3枚-
牛の骨で出汁を取ったスープに軽く炒めた玉ねぎと白菜を乗せ、そこに温泉魚の切り身を突っ込んだもの。なお、温泉魚は火耐性が高く、マグマに漬け込んでも焼けることがないため、ナマの切り身が放り込まれている。ほかほか。
・焼きソーセージ3本 -スクイール銅貨1枚-
豚の腸に血と肉にいくらかのハーブを混ぜ込んで作ったソーセージを炙ったもの。すりおろしたニンニクがソースとして備えられている。
・パン2つ、バター付き -スクイール銅貨2枚-
手のひら大のパンに親指一本分のバターが2つずつ備え付けられている。
・クランベリーソーダ -スクイール銅貨1枚-
クランベリーというやや酸味がきついベリーを絞り、その果汁をエール醸造所の副産物である炭酸水で割った物。
「ごゆっくり~。」
「これは……。」
グラタン皿のような物に煮込みスープは入っていた。入っていたのだが、鮭のような色の切り身がぷかぷかと浮いている。これは俺の判断力が間違っていなければ、生魚だ。どっからどうみても刺し身が直接スープの中に入っている。そして、これがドライアイスでもなければスープからはホカホカと白い水蒸気が上がっているのが見て取れる。……温かい刺し身って不味いんだよな。
そもそも、魚には寄生虫がつきものである。生となればひどい目に合うのは分かりきっている話だ。さて、安全に食えるかどうか確かめるためにPDAのアプリケーションを起動し、スープをスキャンしてみた。
・[温泉魚][寄生虫の存在:ありえない]
炎耐性が完璧であり、通常の火で焼くことはもちろん、死んだ後も溶岩で焼こうとも焼けない魚。幼体は炎耐性が低いため、親は源泉の近くで卵を産み付ける。生まれたばかりの温泉魚は全長15cmほど、そのまま全長1mほどに成長するまで温泉の中を泳ぎ続け、成体となって溶岩を泳ぐ頃には全長5mにもなる巨大魚である。食事は主に温泉や溶岩などの無機物から摂取している。
「いただきます……硫黄臭そうだなぁ。」
もっとも、すでににんにく臭い。とりあえず煮込みスープを木のスプーンですくいあげ、口の中に流し込む。特に変哲も無い牛の骨スープだなぁ。次はたまねぎと白菜をスプーンの上で泳がせ、口の中へ。しゃきしゃき、やや香ばしい。スープのアクセントとしては十分だ。そして、異様な切り身をスプーンで掬いあげてみる。
サーモンの刺し身だ。どこからどうみても一切火が通っていないサーモンで、身が白くなったりはしていない。オレンジがかかった赤色だ。醤油をつけて食いたいなぁ……。スプーンの上のスープを全て器にこぼし、温泉魚の切り身だけを口の中へ放り込んでみた。
生臭い…………そして温かい…………。味は魚で硫黄臭くは無いが……何で温めたんだろう……。ここはドラゴン寿司がある世界だ。魚の生食文化も根付いている可能性はあると思うんだが。
口直ししよう。ソーセージをフォークで突き刺し、とりあえずは何もつけずに噛みちぎった。やや、ザラザラしている。だけど噛みちぎりやすい肉が肉してる肉のソーセージだ。遅れて肉の味、少し臭みがあるようだが、バジルの香りが口内に広がることでしっかり打ち消されている。肉などにハーブを使うようになると、食事のステージがワンランク上がった気分になるね。良いよ、すごく良い。塩味の食事が多いから本当に嬉しい。
だが、そこに山盛りのすりおろしニンニクがソーセージのことを恨めしそうに見つめているんだ。まぁ待ってほしいニンニクよ。君もすぐに仲間入りさせるからな。そんなことをつぶやきつつ、爪が3本あるフォークの先でにんにくをほんのちょっぴり掬いあげ、黄色がかった白い塊を俺の指よりも太い肉の塊へちょんちょんと乗せてやり、こすりつけるようソーセージににんにくをつけた。
そのまま、フォークでソーセージをプツりと刺し、口の中に放り込む。ニンニクの辛味が肉汁と混ざり、臭みは打ち消され肉の良い味だけが残っていく。これだよ、にん肉って呼ばれるだけはある。最高の組み合わせだ。
……いっそ、刺し身もニンニクで食べてみるか。生臭さが相当緩和されるはずだ。ついでに、スープから出して冷やそう。刺し身なのに温かいから生臭くて食べにくいんだよ。
フォークで刺し身を突き刺し、揺らしてスープを少しはらう。そして冷ますために軽く息をふきかけた。二度、三度と繰り返し……大分冷めたんじゃないかな?といったところでニンニクをちょびっと乗せ、冷えた温泉魚の刺し身を口の中に放り込んだ。
くッッッッッッさ!!!!
なんだこれは!?全身に震えが出るほど臭い!生臭いんじゃなくて、硫黄臭くて全身がすくみあがってしまうぐらいまずい!これは仕方が無いから吐き出さないと……!
そう思って、口を開けた瞬間さらに臭みが増した。思わず呼吸をしてしまったせいで、肺の中にまで硫黄の臭みが充満したみたいだ。駄目だ。飲み込もう。急いで熱々のスープをスプーンで掬いあげ、口の中を満たして飲み込もうとすると、途端に臭みが消えた。あまりの状況に目を丸くしたが、舌の端にはまだ臭みが絡みついている。だからもう一度スープを飲むと、完全に消え失せた。
「あー、お客さーん。ダメですよ、温泉魚を冷やしちゃ。冷えると食えたもんじゃないですよ。だから温かいので出してるわけで。」
「よく、わかった。次はメニューにそう書いてくれていると嬉しいね……。」
「そうしときます。」
だから、温かいスープに切り身を入れて出しているんだな……。指で押すとふんわり元の形に戻るパンに切れ込みを入れ、そこにソーセージを乗せて即席ホットドッグにしながら食べていく。
こんな山の中で食える魚ってのは珍しいし、とりあえず食えるようにして出しているってところか。。俺の母世界だと山の中に輸送するには脂身で胴体が包まれて腐りにくいイルカやサメぐらいしか出来なかった、なんて話もあったぐらいだ。それに比べりゃ……いやーやっぱりあんまり美味しくない。
ケチャップもマスタードも無いホットドッグでも十分口直しにはなったが、とりあえずクランベリーソーダも飲んでおくか。そう思って目を向けた先dでは、ガラス製のグラスにはぱちぱちと小さな気泡が弾けつつ、半透明のピンク色の液体が満たされていた。
グラスを掴み、グイっと一口。比較的大人しい刺激に、酸味の強いクランベリーの味が相まって、良い味だ。こっちは瓶に詰めて売れるようになれば良い観光資源になるだろうね。
こうして、温泉魚との邂逅は非常に残念な結果に終わった。せめて焼ける方法さえ分かればもっと違う結果になると思うんだが……。
「電撃属性なんか良いんじゃないかな。」
全てを空にした器達の前でそんなことを呟いて、そもそも電撃なぞどうやって用意すればいいのだという点で躓きながら、俺は店を後にすることにした。
店の外へ出ると薄灰色の空には白煙や黒煙が立ち上り、山の麓から吹き上げる風は思わず体を縮こませるほど体に突き刺さる。エールの一杯でもひっかけりゃよかったな。御者が待つ馬車へと戻ると暖房の火は消えかけており、思わず顔をしかめ、火口と薪を放り込んで温かいスープを冷ますかのように息を吹きかけて、深鍋に火を灯したのであった。
閲覧していただきありがとうございました
次回の三十五話は下記のR-18G版での投稿を予定しております
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