第二十九話 海底都市で海亀のスープ
よろしくお願いします。
青く広がる空、黄色く輝く砂浜、そして水平線の先まで海。人の気配はほとんど存在せず、水面からイルカがパシャリと跳ねた。
「綺麗な海だな。」
俺はブリーフケースに入ったいくつかの雑貨をもう一度確認し、スーツを着たまま波打ち際まで歩いて行った。砂浜独特の感触が革靴を通じて足に広がる。そして湿った砂の感触。
波が押し寄せ、靴が濡れるのも気にせず俺はさらに歩き、海の中へと消えていった。
第二十九話 海亀のスープ
海の中は穏やかなものだった。整備された石段を下り、海底を歩いて行く。太陽の灯りを反射してキラキラと輝く小魚の群れが頭上を過ぎ去り、何らかの海草が水流を一身に受けて揺らめいている。俺はコポコポと鼻から気泡を吐き出し海底を歩いて行く。。
俺には水中防護魔法がかかっている。バッチリ決めたスーツはパンツの中までしっかり乾燥しているし、鼻や口、目にはシャボン玉のような膜が張っており、水中ゴーグルをかけた時のように視界はクリア、不思議なことに呼吸はきっちり出来ているが、今ほど酸素を吸って二酸化炭素を吐き出していることを意識していることも無いだろう。
この世界には大陸の名前が無い。というか、文明は地上ではなく水中に作られているのだ。もちろん地上には様々な人達が住んでおり、資源と覇権をめぐって争っている段階である。歴史書で言うならばきっとこう始まるだろう。今は昔、まだ人々が自らの名もわからず争っていた時のこと、と。
それぐらいまだ地上では争いが続いている。そして水中ではそんな争いは無く、平和らしい。ドルフィー達が制圧したとはいってるが、文字通り水面下での攻防は続いている。
「へーいお客さん!ジェリーのタクシーだよ!乗ってく?」
「あぁ、ありがたい。プラウナ・ペトロまで乗せてくれ。」
「はいはーい。触手のシートベルトはちゃんとしてくんなー!」
俺は畳3枚ほどの広さがある肉厚で半透明なクラゲの上に乗り込んだ。クラゲの傘を手で触るとむにょんむにょんしていて、上に乗っかって座り込むとクラゲのふわっとした傘が俺を包み込んだ。そしてやや長くて太い、俺の腕並に太い触手が両側から俺の体に巻き付いた。これがシートベルトだ。
そしてクラゲタクシーの運転手はドルフィーと呼称している会話出来るイルカだ。イルカなので体長は4m未満、腰?に布を巻きつけた半裸のセクシースタイルである。当然足は無くヒレと魔法に超音波で器用にいろいろとこなしている。彼らはこうやって巨大なクラゲ等を使役し、様々なことに利用している。
乗り込んで25分後、ヒレボールなるスポーツの話を延々と聞かされながらようやく目的地に到着した。ヒレボールはフットボール、サッカーに近いスポーツらしい。3次元機動でやりあうらしく……これただのブリッツボールじゃねえの?
俺は運転手に帆立貝を削って作ったスケルプ硬貨を支払い、プラウナ・ペトロの入り口に降り立った。スケルプ硬貨は出来の良い物だと元の価値の20倍程度でポータル港に唯一存在するコイン買取屋が買い取ってくれるので、今支払ったのはあまり出来が良くない奴である。
プラウナ・ペトロは海底に作られた都市だ。残念なことにSFで見かけるような空気の含まれたドームは存在せず、海水にさらされたままで中東系を思わせる豆腐のような建造物がスカイツリーから眺めた東京都並に広がっている。高層ビルの類は存在しないが、地下20階建ての物が当然のように存在する。水圧?魔法でどうとでもなりますとも。そもそもドルフィー達はその程度の水圧はものともしない。
もっとも、海中にもふよふよと飛行船ならぬ不透明の遊泳クラゲが何百と浮いており、輝いている。あれは俺の世界でいうキャンピングカーのような物だ。貧困層は家が持てないのでああやってクラゲを住居にしているのだ。イソギンチャクに住み着くクマノミじゃああるまいし……。
海に沈んだ古代都市と思えば情緒あふれる光景かもしれないのだが、クケケとざわめくこの周囲ではそんな感情を持つ暇もない。ていうかドルフィー達が寄ってきた。PDAの魔導翻訳回路は動いているが、話し声は聞き取れない。しかしながら彼らの表情から察するに地上の猿は珍しいらしいことだけはわかる。君たちいい顔してるよ、鏡を売りつけてやりたいね。
懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する。余裕を持ってきたから約束の時間には程遠いようだ……。少し腹ごしらえでもしていこう。
俺はプラウナ・ペトロの町を歩き始めた。車の類は存在しないが、大荷物を運ぶためか大通りのようなところは存在した。町並みはサンゴなどで飾られているが植物は海草だけとあって、あまり綺羅びやかといった感じではない。建物は砂岩ブロックみたいなものだしね。
綺麗といえば周囲をふよふよと浮いているクラゲや小魚達は綺麗である。今も俺の目の前は鮮やかな黄色に輝く魚が通り過ぎ、隣を泳いできたドルフィーがパクリと食べた。
「おっと失礼、美味しそうだったんでね。」
……大通りを歩いていたら綺麗なちょうちょが飛んでいたので食べた、的な感覚だろうか。理解に苦しむ。
頭上はドルフィー達が泳ぐ中、大通りを歩き続ける。……そういえばこの世界には何度か来ているが、彼らは排泄物をどうしているんだろうな、どうして今そんなこと考えちゃったかな。
頭を振り、しょうもない考えを振り払う。そろそろ屋台街に近づく頃だ。
「ホタテー煮込みホタテアルヨー。」
「クケケケ、カニ!煮詰めたカニの甲羅たっぷりだよ!」
「クラゲと海草のサラダはいかがー。」
あったあった。どいつもこいつも海底火山で調理した物を保温魔法と防護魔法をかけて運んできた代物で誰でもホカホカの調理した食べ物が手に入るっていう貴重な場所だ。ドルフィー達は基本生食だから困る。さて、食べたい物は……。
・海亀のスープ -3スケルプ-
血抜きした海亀のヒレ(足とも言う)肉を海水でバッチリ塩漬けした後一口サイズに切り、器として使われている法螺貝に詰め込み、海底火山調理場で煮込んだ物。防護魔法がかけられているため海中であってもスープは外に漏れることが無いのでかなり大きなストローを貝の穴にぶっさして飲む。亀肉の他には少々の海草が入っており、貝のエキスと共にたっぷり出汁がでている。
・クラゲと海草のサラダ -1スケルプ-
その辺で浮かんでいるクラゲを切り刻み、海草農場で育てられているわかめと和えた物。なお、基本的にドルフィー達は薄味というか海水味しか味付けを知らないためこのサラダも素材の味がバッチリ楽しめる。ドレッシングが恋しい……。
「下品に手を使って食うんじゃねえぞー。」
「マナーを教えてくれてどーも。」
腰はあってもケツは無いドルフィー達の屋台には椅子という下賤な物は存在しない。俺は少し離れた場所に移動して、地べたというか海底に腰を降ろした。
「いただきます。」
さて、手を使って食うなとは言われたがスープもサラダも器は重みで沈んでいくため手で持たないといけないが、それは問題無い。周囲のドルフィー達も器は手で持ち、人差し指と親指で作った輪っか並に太いストローを器に突き刺してゴクゴクと飲んでいる。
俺もドルフィー式に口でストローを咥え、法螺貝の器に突き刺した。防護魔法がつながったのか、ストローを通じてホカホカとした蒸気とシーフードっぽい香りが口の中に広がってくる。そして思いっきり吸い上げた。
「ずぞぞ……あっついな。」
海の底は冷える。このスープは体の底から俺を温めてくれるようだ。スープの味は……貝だなぁ。そしてサラサラとした油が舌に絡みついている。もう少し吸い上げて、肉を食べた。
もぎゅり、もぎゅりと肉を噛み、味を確かめる。亀の肉、臭みがほとんど無いのできっと草食なのだろう。鶏というか、鳥っぽい。爬虫類ってそんな感じだよな。これでちょっと照り焼き風味だったりしたら嬉しいのだが、出汁の効いた塩スープ。温かいだけ良しとしよう。
ストローを海亀のスープから外し、両手よりは大きい何らかの二枚貝の皿にストローを突き刺した。ラップのように透明で頑丈な膜をストローは簡単に貫き、俺はずぞぞと吸いあげる。
もっぎゅもっぎゅ、こりゅこりゅ。口の中で小さな街角コンサートだ。ポン酢が欲しくなるが、海の中じゃ液体系ドレッシングの期待は出来そうにない。クラゲって海水の味しかしないなぁ。海草は……こんな感じ。なんかサンゴみたいな形をしたありがたいブーケ状の赤い奴がコリコリしてて歯ごたえだけは良い。
わかめをもにゅりと食べ、クラゲをコリコリと楽しむ。どうせならカニか貝の入ったオーシャンサラダにしておくべきだったかもしれない。
ストローを海亀のスープに戻し、ずぞぞぞぞと吸いあげてあたたまる。悪くはないが俺にはお魚生活は合わないらしい。これでせめて白米があれば大分違うのだが、ドルフィー達は穀物を摂取する必要も無いし陸上に畑を作るということも出来ないから残念だ。
「ごちそうさま。」
食べきった後、器の貝殻は屋台のほうに戻して終わりだ。さて、本日の取引相手の元へと向かおう。
「やぁドニー。」
「やぁゲンタロウ。」
俺は今、ドルフィー5匹に囲まれトライデントを突きつけられている。どうしてこうなった。
「ちょっと思ったんだがね、貝を払うより奪ったほうがお得だなって思ったんだよ。どうせ猿の替えはいくらでもあるしね。」
「そっかー、ぶんめいてきなかんがえだなー。」
ドラマで見るような麻薬の取引じゃあるまいし、どうして陶器の皿でこんな目に合うのか本当に理解出来ない。いや、確かに相場の10倍程度にはぼったくってますが。
「さすがに相場の10倍はぼったくりすぎじゃないかな、いくら私達が猿と取引していなかったとはいえね。」
「手数料の範囲内だよ。」
だってこの世界、貨幣の価値が微妙に低いんだよ。それでも営業スマイルは崩さず取引していたんだからすごいと思いませんかねという言葉は海に流した。仕方ない、こういうことは割りとよくある。さっさと帰りますか。
「ウィスキー。」
「ウィスキー?」
「ホテル、アルファ、タンゴ、マイク、オスカー、デルタ──。」
「……詠唱か!?殺せ!」
「エコー。」
<一体何が起きたんだシステム起動します>
音声認識をした俺の懐のPDAは瞬時に俺の表面に防護フィールドを展開し、半径5mに及ぶ強力な電撃、直視したら2分以上は前が見えなくなる閃光に耳栓必須の破裂音を出した。
「フォネティックコードで起動させるのはあんまりかっこよくなかったな。別のパターンを考えるか。」
周囲に居たイルカ達は皆ヒクヒクと痙攣し、血を吐いたりしてぷっかりと横倒しの状態で浮かび始めていた。
俺は手を振り、人間風のジェスチャーで彼らに別れを告げる。
「さようなら、今まで帆立貝をありがとう。」
この海底都市じゃもう取引は難しいかな。そんなことを考えながら俺はドニーの尻尾の付け根をひっつかみ、背負うようにしてゆっくりと歩きはじめた。行き先は町の外。
「万が一追手が来た時に人質の効果があるといいんだけど、どうだろうなぁ。」
閲覧していただきありがとうございました。
次回はR-18Gですので下記のURLのほうに投稿します。
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