第十六話 世界樹の麓で豚の丸焼き
よろしくお願いします。
暑い。容赦なく照りつけてくる太陽は日本の夏以上に暑い。太陽から放たれた熱線は俺を丸焼きにしようとスーツを貫いてくる。乾季というだけあって、カラッカラに乾いた空気は口内の唾液や鼻の粘膜を乾燥させようと容赦がない。
一歩歩くたびに革靴に感じるのは乾いた土の感触とカサカサに乾いた細長い枯れ草。たまに地面の表面がひび割れ、ささくれだっているが歩くのに支障は無い。
乾燥した鼻には熱と、少々の獣臭。地平線の先で動いたのはおそらくシマウマか何かの群れだろう。大型の肉食獣や毒蛇の姿は周囲には見当たらないが、念のため藪は避けて歩いている。食われるのはごめんだからな。
俺は今、地平線まで黄金色に輝く大地、サバンナと呼ばれる気候のような場所を歩いている。視線の先には巨大な幹に青々と茂る巨大な木。
「あの世界樹って奴は一体どれぐらい歩けば近づけるんだかね。」
第十六話 豚の丸焼き
2時間半も乾燥地帯を歩き、革に覆われて偽装された折りたたみ水筒つき背嚢、ハイドレーションパックだかハイドレーションバッグだかの中身も1リットルほど飲み、残り半分になった辺りでやっと目的地にたどり着いた。
「おっと、ヒューマンのお客さんか。ようこそ、世界樹<エルフ>のキャンプへ。」
そういった大男は豚鼻で、緑色の肌にビール腹とキラリと口元から覗かせる巨大な犬歯。わかりやすいオークだった。
「あぁ、まぁ一応コレも仕事なんで言わせてくれ、あんたはこう思ってるはずだ、世界樹の名前がエルフだってのに俺達管理者はオークじゃないかってね。これは世界樹のほうが先で、クソエルフ共は勝手に自分たちのことをそう名乗ってるのさ。で、俺はあんたら旅人への案内人。何か御用は?」
「め、飯が食えるところ……。」
「だろうね、そんな軽装でよくサバンナを歩いてきたな。すぐそこに見える馬が止まってる酒場の裏に屋台がいくつかあるからそこで食うといいぜ、バンティーナって名前の屋台なんだ、世界樹の実も扱ってるし、俺の兄貴がやってるんだ。」
「わかった、どーも。」
俺の目線の先にはシマウマが止まっている2階建ての巨大なログキャビン。木製の建物はそれぐらいで、ほかはほとんどが獣の皮を使った簡易テントが何十と並んでいる。どのテントにも豚や角を落としたシカのような動物が繋がれていた。
「プギー!!!」
斧を落とす大きな音と共にそう獣の悲鳴が周囲に響き渡った。屠殺だろう。
「ほら!血の一滴もこぼすんじゃないよ!動物の血はエルフの涙と同じだからね!」
「はいかーちゃん!」
この、エルフの涙というのは菜食主義者達のことではない。世界樹の朝露という意味なのだ。ダチョウの涙じゃないらしいしライオンに足を食いちぎられたという逸話も存在しない。
俺は本来の目的を忘れ、そんな牧歌的光景を眺めながらスパイシーで香り高い肉の匂いに釣られふらふらと丸太小屋の裏へと歩いて行った。
裏には毛皮で作られた雨除けと粗雑な作りの屋台が見えた。屋台のすぐ脇では焚き火と、焚き火の上には炙られたと思われる丸焼きで虫食い状態の豚がいた。きっとあれは豚の丸焼き。
「いらっしゃーい!今なら豚の丸焼きとパンがすぐ出せるよー!」
赤子を背負った、ヒューマンの俺から見てもおばちゃんと思われるオークがそう俺に声をかけてきた。肝っ玉カーチャンって奴だろうか。兄貴がやってるんじゃなかったのか?
「それじゃ、食ってくか……。」
俺は4つほどあるテーブルを無視し、屋台の前にある椅子へと座り込んだ。すると先ほどの道案内のオークに似たオークが横から木板のメニューと、木製のコップに注がれた水を差し出してきた。
「いらっしゃい、水はエルフからの恵みさ。メニューはいくつかあるが、今日は豚の丸焼きが勧めだよ。」
「どうも。」
メニューには豚の丸焼き、平パン、豚の臓物スープ、焼きポテトチーズ、世界樹のサラダに世界樹ドリンクに世界樹ヨーグルトとある。ついでに水はおかわり自由、くみ取りは世界樹の湖からのものとも。
「この、豚の丸焼きってのは1頭丸々食えるのか?」
「いやぁ、いくらオークでも子豚じゃないと食いきれないよ。食べやすい量を切り取ってもってくるのさ、大盛りも出来るよ。」
「そうなのか。じゃあ、豚の丸焼きと平パン、焼きポテトチーズにヨーグルトを。」
「あいよ、パンと豚はすぐ持ってくるから水を飲んで待っててくれ。」
大男の背を見送り、たまらない匂いを肴にまずは一口ゴクリと飲み込んだ。無味無臭、湖から汲んだものだというのに、滝のふもとに居る気分を味わえるほど清涼な水だ。
他のテーブル席にはゴブリンの行商人と浅黒い肌をした行商人達。この辺りの部族なんだろうな、俺達の見守ってくれている世界樹は、実のところ高さ100m以上ある巨大なだけの普通のバオバブで、そこから採れる世界樹の実はこの辺りでは貴重な食料で、保存の効く乾燥食品である。
「はいよ!まずは豚とパンな!」
・豚の丸焼き -14コパル-
内蔵を取り出した後、香辛料などを塗りこみ一晩寝かせた後、焚き火で時間をかけて焼いた豚。香ばしい香りとパリパリの皮がたまらない。大盛りで注文はしていないが皿の上にこんもりと盛られている。
・平パン4枚 -4コパル-
小麦粉を水でこねた後、手のひらサイズに成形した後、発酵を待たず石に載せて焚き火の側において焼いた物。
「いただきます。」
もさもさと盛られた豚肉は現代で見るように綺麗に切られているわけではなく、雑にちぎった肉の塊のように見える。薄い物はこれこそ薄切り!という感じだが、分厚い物は厚み1cm程度はあるだろうか。丸々1頭かぶりつきというわけじゃあないが、それでもこれを食べるとなるとちょっとワイルドだな。
そう思いながらフォークを突き刺した肉は、皿の中で一番分厚くて、皮つきの肉。たまらないな。
焼けた肉を口の中に放り込むと、ホカホカした蒸気とツンと香る胡椒の香りがより強くなった。肉にギュッと噛みつくとパリパリした皮と焼けた肉の間から肉汁が舌の上に溢れだす。味付けは塩と胡椒、そして唐辛子のような何か。たったそれだけだというのにグレイビーソースつきのステーキよりも美味しいんじゃないかと錯覚してしまう。
いい肉だ、これはパンと一緒に食べないとな。そう思って手にとったパンは平たくて弾力が強かった。一抹の不安を肉の脂で振り払い、俺はパンにかじりついた。
硬い、弾力があってナンよりひどい。ナンてこった。発酵していないから生地がまったく膨らんでおらず、ダメなパンケーキの見本といえるだろう。というか半生でべちゃっとしていて、かといって端っこは焼けすぎて焦げているじゃないか。
これが残り3枚か。少々残念な気持ちを肉で癒やすとしよう。水でぐいっと飲み込んでいるともう2つの品が運ばれてきた。
・焼きポテトチーズ -13コパル-
茹でたジャガイモに焼き目をつける程度にガーリックバターで炒めた後、水牛のチーズを削った物を絡めてとろっと溶ける程度にちょっとだけ炒めた品。ホカホカ。
・世界樹ヨーグルト -5コパル-
世界樹の実はバオバブの実とほとんど変わらない。バオバブの実は栄養豊富で俺の世界でも免疫システムの増強とガンを含む様々な病気の危険性を軽減する成分を持つスーパーフルーツである。そんなバオバブはこの世界でも世界樹として慕われ、敬われ、人々の貴重な食料源である。そんなバオバブの実を粉にしたものをヨーグルトに混ぜただけの代物。
フォークをポテトチーズの器に差し込み、男の一口サイズに切られた皮付きのじゃがいもを持ち上げるとチーズがとろ~りと伸びた。俺は思わずにんまりとしながらポテトを食べた、伸びたチーズは口の中に収まらず、はむはむと唇とフォークでチーズを巻き上げた。
「美味い。」
チーズにじゃがいも、そしてガーリックバターに塩コショウ。この組み合わせでマズく作る奴がいたらそいつはとんでもない不器用な奴だ。予想通りの味、期待通りの味、どんな世界でも芋とチーズは外れない。肉はたまにゴキブリとか食わされるからダメだ。
そしてこれに丸焼きの豚ちゃんを合わせるのだ。ベーコンやハムじゃないのが残念だがこれだって負けてない。肉の皿からポテトの皿に全て放り込むとフォークを使いながらもりもりと食べていく。
「美味い。」
残念なパンで口をリセットし、もさりもさりと肉とジャガイモとチーズを絡めながら体力を蓄えていく。またサバンナ超えが待っているんだ。ほんと肉と芋は美味いのにパンが残念だな……。
肉も、芋も、チーズもパンも貪るように食べきった。水をくっと飲み、口の中をリセットするとスプーンを手に取った。世界樹のヨーグルト、名前だけはなんて贅沢なものだろうか。木の器に入った白いヨーグルトの塊の上には何か白い粉がふりかけてあるようだった。これが世界樹要素かな?
小さなティースプーンでヨーグルトの山をすくうと、口に放り込んだ。酸っぱい。ヨーグルトの酸味というよりもどこか……柑橘系の酸味。舌の上でヨーグルトを少し転がして飲み込むと果物由来の苦味が俺を襲う。
これは……グレープフルーツか?グレープフルーツみたいだ。バオバブってこんな味なんだな。酸味に加えてほのかな苦味が確かに薬っぽい感じがする。もう一口。そういえばヨーグルトに砂糖以外を入れたことって記憶に無いな。学生時代以来かもしれない。
カツカツカツと世界樹のヨーグルトを食べきるとなんだか体に力がみなぎってきた気がする。見た目はバオバブだが、本当に精力増強の効果もある別種の、世界樹なのかもしれないな。
「ごちそうさま。」
屋台の店員のオーク達に軽く手を振り、代金の銅貨を渡して俺は店を立ち去る。本日の目的は世界樹の実を買って帰ることだ。
テントに樹皮製の物が増えてきたころ、頭上にはバオバブ特有の木をひっくり返したような姿、根っこっぽい部分は通常のバオバブより葉が多く、広葉樹のように生い茂っている。あれの若葉が世界樹の葉となるが、ここのはサラダとして食される程度で人を蘇生するような効果は無い。
世界樹の麓には大きな直径100m程度はあるだろう泉が広がっている。ちょいと水辺を覗いてみると透き通っており、水草の類や魚、エビや貝の類は見当たらない。この泉は世界樹が蓄えた何万トンもの水が溢れでたものだ。そのせいかはわからないがこのまま手ですくって飲んでも腹は壊さないという。
俺は熱帯気候にあるまじき涼しい風を泉のほうから受けながら世界樹の麓にある一際大きなテント、世界樹の実販売所へとやってきた。
「実をくれって……結構大きいな。」
「そりゃ世界樹の実だからな!1個1コパルだがいくつだ?」
実はグレープフルーツ程度、乾燥しており持ち運びしやすいだろうがこれを50個も持って帰るのか……。
「50個くれ。物はこれらの袋に詰めてくれ。」
そう俺は言うとコパル貨を50枚取り出し、相手はそれを確認した。
「まいどあり!」
50個を買っても尚屋台の裏には世界樹の実がうず高く、3mぐらいは高く積もっている。頭上にはたわわに実った実を取るために何十人ものハルピュイアが羽を羽ばたかせながら収穫している。値切ろうと思えば値切れたかな……。
そんなことを思いながら俺はサバンナへと消えていった。地平線の先にまで歩いて行かなきゃポータルが開けないんだよね……。現地民にバレたら面倒なんだからさ……。
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