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番外編3・猫を飼ってはいかがか

二回目の人生、ジーナとフィリックス駆け落ち後のお話。


そういえば番外編にも入り切らなかった設定ですが、時を操る能力は王家の血に由来するもので、本来なら大災害とかがあった時にやり直すためのものです。やり直した際に記憶保持者がいないと二の舞になるので、王の血を継ぐ者は記憶を引き継ぐ事となります。なので記憶を持つユージーンは本当に王の血筋という証明が出来るのです。


魔法関係の設定は色々設定を詰められそうですが、本編で魔法の原理について必要性をあまり感じなかったので、こちらも削ってしまいました。




 貧民街のあばら家で一人、死んだ目で暮らす男がいる。伸ばしっぱなしの脂ぎった髪と、ところどころ白くなった髭。筵に横たわる彼が、一年前までマクガフィン王国の宰相だったと知る者はほとんどいない。世から捨てられた浮浪者に名を訊ねる余裕のある者など、貧民街には存在していなかった。


「猫を飼ってはいかがか」


 だからこそ、ウルフには理解が出来なかった。自分を罰し世から追いやった男が、なんの怨恨もなさそうな顔をして訪ねてくる理由が。


「……お前は、犬派だとばかり思っていた」


 帰れ、というつもりであった。既に何度か言った。トドメに無視するつもりだった。しかし、冷徹で心のないシュタイナー侯爵の口から出てきた意外過ぎる言葉に、ウルフは思わず返事をしてしまった。


「言われた事しか出来ぬ犬など、面白みの一つもない。予測出来ぬからこそ、仕え甲斐があるというものです」


「お前、ペットに仕えるタイプの飼い主なのか……」


「私は動物など飼っていません。貴方に向いていると思って進言したまでです」


「はあ……」


 するとシュタイナーは、大きな鞄を床に置き開く。するとその中から、ぴょこりと小さい三角の耳が飛び出した。


「これがサンプルです。その辺で拾った子猫ですが、おそらく健康体でしょう」


「サンプルって……はあ!?」


 ウルフが飛び上がり中を覗けば、月色をした瞳の子猫がこちらを向いた。真っ黒な体で鞄の影と一体になっているが、ニャアと鳴けば白い牙とピンクの口が見えた。


「せめてもの慈悲として、世話に掛かる費用は鞄に入れておきました。では、よろしくお願いします」


「いや、待てよ! 勝手に猫を連れ込んで、本当に何をしにきたんだお前!」


 ウルフは、罪人だ。監視対象であったフィリックスの国外逃亡を阻止出来なかった罪人である。そして、父親としても最低だった。駆け落ちなどと苦難の道をフィリックスに、そしてジーナに選ばせたのは、父として信頼が足りなかったせいなのだから。ウルフは、そう自分を責め続けていた。


「…………」


 無表情だったシュタイナーの眉間に、僅かだが皺が寄る。帰ろうとした足を止めた辺り、何か本当は別の用事があったのだろう。


「……陛下が」


「ユージーンが、どうかしたのか?」


 罪人として処刑されそうだったウルフを救ったのは、ユージーンである。ユージーンが減刑を望んだ事で投獄は逃れ、ウルフは貴族籍の剥奪と財産の没収、王都追放で済んだのだ。命の恩人とも言えるユージーンに何かあるならば、ウルフは力になりたいと考えていた。


「日に日に憔悴されておられる。最近は特に、食べてもいない食事を食べたと言い張ったり、終わっていない仕事を終わらせたと話したり……日付も気が付けば間違えているようで。『どうせ何をしてもやっていない事になるんだから、やったって無駄だ』と、無気力にベッドで横になるばかり」


「ジーナとフィリックスがいなくなったのが、そこまで辛かったのか?」


「それは、きっかけに過ぎません。本質的な問題は……」


 いつもズバズバと話すシュタイナーが言い淀む姿に、ウルフは嫌な予感がした。しばらく沈黙が続いたが、黒猫が鳴いた声をきっかけに、再びシュタイナーの口が開く。


「あの人面獣心の女狐が、陛下へ虐待を行なっていた事です」


「!」


「女狐は即刻処し、再発のないよう環境を整えました。しかし、陛下の状態は回復しません。私は……」


 苦悶の表情を浮かべ、手を震わせるシュタイナーに、ウルフは戸惑いを隠せない。こんな時、ウルフの考えるシュタイナーなら、ユージーンを縄で縛ってでも表へ引っ張り出すはずだ。だがシュタイナーは、宿敵だったはずのウルフへ頭を下げた。


「……私は、どうすれば陛下をお守り出来るのか分からぬ。陛下が信を置いていた貴方に、知恵を授けていただきたい」


 下げた頭には、ちらちらと白髪が混じっている。それがいつ出来たものかは分からないが、苦労の色に違いはない。


「……頭を上げてくれ。お前がそんな姿を晒したら、明日雪が降っちまうぞ」


 ウルフとて、二人の子を守れなかった身。そんな自分が教える事など、何もない。だが、プライドを捨て去っても乞おうとするシュタイナーを、放り出す気にはなれなかった。


「そうだな……ベッドで寝てるなら、一緒に横になったらどうだ?」


「……それは、不敬に当たるのでは?」


「ユージーンが嫌だと言わなきゃ、不敬じゃないさ。一緒に横になって、だらだら菓子でも摘みながら、他愛もない話をすればいい。それでユージーンが話したくなったら、否定せずに聞いてやるんだ」


「行儀が悪いにも程がある」


「時には、行儀より大事なものもある」


 ウルフの言葉に抵抗があるのか、シュタイナーの眉間の皺が深くなる。シュタイナーは乱以前からの貴族だったな、とウルフは思う。だが、教えを乞う立場であるのは弁えているのか、シュタイナーは否定をしなかった。


「行儀とか仕事とか抜きにして、今は誰かと一緒にいた方がいいんじゃないかな。一人になると、悪い事ばかり思い浮かべちまうから」


「……その言葉は、一理あると思います」


「公務なんて、他の誰かに任せればいい。ユージーンは、休ませてくれ」


「参考にさせていただきます。ご意見、感謝します」


 感謝など、シュタイナーから聞いたのは初めてだった。答えを得るとシュタイナーはさっさと帰り、ウルフには子猫が一匹残された。置いていった鞄の中身を確認してみれば、そこには子猫一匹の世話代にしては多過ぎる金貨が入っていた。貴族だから、庶民の相場が分からないのだろう。今までのウルフならば、そう思い込んでいたに違いない。だが、ユージーンの現状に心をすり減らす姿を思い出せば、また別の意味もあるのかもしれないと思えた。


「こんな事にも気付けないから、俺は頼られなかったのかもな……」


 黒い子猫は、呑気に鳴いてウルフの手に顔を擦り付ける。合意もなく置いていかれた子猫だが、だからといって捨てる選択肢はなかった。


(こりゃ、簡単には死ねなくなっちまったな……)


 血の繋がった子どもすら救えなかったウルフだが、まだそんなウルフを頼りにしてくれる者がいる。そばにいる者を守るためならば、ウルフは強くなれる男だった。








 老猫は、寝ているばかりで動く気配がない。縄張りというものに関心がないのか、あばら家から、国一番の栄えた場である王城まで移動しても、特に警戒する事もなく鞄の中で寝ていた。


「飼い主に似て、図太い猫ですね」


 シュタイナーは、玉座の間に似つかわしくない、ボロボロの鞄を一瞥する。長い年月の間で、引っ掻いたり汚したりしたのだろう。しかしこれが気に入って寝床にしているのだから仕方ないと、ウルフはシュタイナーと顔を合わせるたびに話していた。


 子猫が老いるまでの間、国は少しずつ豊かさを取り戻していた。かつて反乱軍と呼ばれていた者達は、フィリックスの失踪により大義を完全に消失してしまった。利用価値がなくなった彼らを、隣国であるシェリズガーデン帝国がいつまでも保護するはずもなく、飼い殺しにされていた彼らはとうとう淘汰され、土地は帝国由来の貴族が支配下に置く事となった。


 多数の犠牲を出し、国土を半分失った『シルフィードの乱』。結局生き残ったのは、シルフィード侯爵の甘言に乗らなかった者達だけであった。


 やはり王は正しいのだと、シュタイナーは思う。先代王は、愚王であった。その王妃であったユリカも、また人面獣心であった。しかし、それでも簒奪は叶わなかった。それは王が、神に選ばれた存在だからだ。シュタイナーにとって、王とは信仰そのものであった。


 ユージーンもまた、選ばれた王であった。一時期酷かった記憶の混濁も、半年を過ぎれば落ち着いた。ユリカによって出来た傷にも屈する事なく、国王として立ち上がった。国土が失われても、時が経つにつれマクガフィン王国は強国と呼ばれるようになっていた。


「鞄はボロボロだけれど、毛並みはは綺麗じゃないか。ウルフが、可愛がっていた証拠だ」


 子どもの顔つきがすっかり抜け、玉座に座るのも様になってきたユージーンが、老猫を抱き上げてみる。空になった鞄の持ち手と底は、しっかり補修してあった。補修の跡は、かなり新しそうに見える。もしかするとそれが、ウルフの最期の仕事だったのかもしれない。老猫は、抱き上げられても寝息を立てるばかりで、目を覚ます事はなかった。


「この猫を、卿が引き取るのか? 本当に?」


「このような老猫、今さら引き取り手など見つからないでしょう。初めにあの者へ託した人間として、責任を取るだけです」


「……まさか、猫より早く逝くとは思わなかった。残念だよ。もう十年も経つのだから、そろそろ赦されてもいい時期だと思っていたのに」


 寒さによる体調不良。それだけの小さな病が、ウルフを帰らぬ人にした。早く病院へ駆け込めば、すぐに治るはずだった。あるいは倒れてすぐ、誰かが気付いて病院へ運べば大事には至らなかっただろう。だが、ウルフは自分を後回しにした。そして側にいるのは、老いた猫だけだった。多くの浮浪者が辿ったのと同じ道を行き、ウルフは帰ってこなかった。


「いえ、赦されても戻りはしなかったでしょう。あれは、そういう男です」


「私は悔しいよ。ウルフもまた、被害者だった。あの二人が、少しでも周りに目を向けてさえいれば、防げた事件だったというのに」


「性欲に頭を支配された馬鹿者共など、野垂れ死にしていればいい」


「ウルフはそれでも……二人の幸せを祈っているだろうさ」


 ユージーンは眠る猫を鞄の中に戻すと、立ち上がりシュタイナーへ鞄を返す。そしてシュタイナーの肩を叩くと、寂しげな笑みを浮かべた。


「卿がそんな姿を見せたら、明日は雪が降るぞ。寒いのはたくさんだ、顔を上げてくれ」


 絶対的存在である国王陛下の言葉だが、シュタイナーは俯いたままである。


「……ほら、さっそく雨が降ってきたじゃないか」


 二人と一匹の他に人はない玉座の間は、どこまでも静かだった。猫が目覚めて餌を求めるまで、雨ははらはらと降り続けた。


シュタイナーさんは信心深い平等主義者なので、出る杭はぶっ叩きますが、能力の割に評価の低い人間は引っ張り上げようとするタイプです(例・フリージオ)。


ちなみにシュタイナーのキャラモデルは、銀河英雄伝説のオーベルシュタイン+戦国武将の立花道雪だったりします。

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