第139話
「来たか。」
俺は港町に配置した眷属からの知らせを受けて本体は『転移部屋』に移動しつつ、意識の一部を魔王会議のフォッグの方に向ける。
『霧王よ。期日一日前じゃが準備の方はどうなんじゃ?』
と、同じくログインしてきた雪翁が普段は絶対に見せないであろう焦りの色をほんの僅かに見せつつ俺に『超長距離転移陣』の準備具合を聞いてくる。
『多少俺の負担は増すが、何とかいける。というかこっちの方を心配する余裕があるなら自分の所を心配しろ。』
『言うてくれるのう。戦力不足なのはそちらも同じじゃろうに。』
今回の蛸王の襲撃は前回の襲撃の倍の規模。最初の襲撃の六倍であり、おまけに大ダコの上位種と思しきモンスターの姿もいくらか確認されている。
『まっ、何とかなるだろ。今回は前回、前々回と違ってダンジョンに居る人間も容赦なく全員徴兵して蛸王との戦いに回すそうだからな。それに……』
『それに?』
『イチコたちがとっとと蛸王を倒して帰ってくれば問題ねえんだよ。帰り道はイチコの長距離転移陣が使えるからな。』
俺の言葉に雪翁はやれやれと言った表情を浮かべる。
『蛸王を倒せることは疑っていないのじゃな。』
『ふん。配下を信じられないで何が王だっての。』
『ふぉふぉふぉ。なら儂も部下を信じて頑張るとしようかの。』
そして、俺が『転移部屋』に着いたところで雪翁も俺も意識を本体の方に戻す。
「クロキリ!」
『転移部屋』には蛸王のダンジョンに突入する予定の9人が腕に耐圧術式を装備して揃っていた。
「予定より一日早いが蛸王のダンジョン前にお前らを飛ばす準備はいいか?」
「問題ありませんわ。むしろ私たちは早く突入して蛸王を討伐してきた方がいいのではありませんの?」
リョウの答えに全員が同意の頷きを見せる。イチコたちの表情はやる気に満ち溢れていて何があっても目的を成し遂げる気概が漂っている。
「分かった。なら全員所定の位置についてくれ。それと突入手順の確認だ。俺が目標地点にゲートを開いた後、目標地点と『転移部屋』の圧力差で恐らくゲートからは大量の水が噴出する。その為今回はゲート周囲に耐圧仕様にした壁を作り、その中にお前らは入ってまずは待機。一分後に壁の中が水で満ちた後に突入してくれ。」
「分かっています。狐姫の耐圧術式は海中から空気を分離して、私たちの周囲に空気の膜を作るものですから、酸素の問題もありませんし、何の問題もありません。」
俺の説明を受けて9人が『転移部屋』中央に置かれた球体の中に入っていく。
「さて、俺も頑張らないとな。」
俺もそれを見て術者席に移動する。なお、座標指定用の席にはすでに記憶を読み取る術式等々をかけた半漁人を設置済みである。
そして、俺は詠唱を始めた。
■■■■■
球体の中は一切の光が射し込まない完全な闇が広がっていました。
「火、付けるよ。」
ムギが腰に付けたカンテラに≪狐火≫で火を灯して明かりにします。
その明りによって球体の中の闇が拭われますが、特に何かがあるわけではありません。まあ、何かが出てくるのはこれからですから当然ですけど。
「術式起動。」
私は右手の手首に付けた銀色のリングに込められた術式を起動。起動と共に私の周囲に薄い空気の膜が張られます。
そして、私以外のメンバーも私が術式を起動したのを見てリングを発動させます。
「~~~~~……」
「始まりましたか。」
外からクロキリの声が僅かに聞こえてきます。『超長距離転移陣』を発動するための詠唱です。
「以前聞いたものと詠唱が違いますわね。」
リョウお嬢様が私の隣にやってきて、話しかけてきます。
「詠唱が違うのは前回と今回で目標地点の座標や『転移部屋』周囲の環境情報が違っていて、それに合わせて詠唱を変えているからですね。」
「やはり複雑ですの?」
「複雑。と言うレベルではすみませんね。ずっと一緒に開発していた私でもこの部屋の意味と扱い方で理解できるのは半分以下ですし、この部屋と『超長距離転移陣』はまさにクロキリの血と汗と涙の結晶ですよ。」
クロキリ本人はこの部屋を作り上げたことを誇りもしなければ、何事も無かったかのように扱いますが、実際はそんな簡単な事ではないはずです。
この世界の深淵を覗きこみ、深淵に見られ返されるのも厭わずに自らに課した目標を達するための知識を探る。
何が安全で何が危険なのかも分からない中で自らの身を持ってそれを一つ一つ検証し、後に続く者たちの導となる足跡を付けていく。
5年以上普通の人間なら一文で気が狂って死ぬであろう魔術の深奥に触れ続け、それを我がものとして扱う。
クロキリ本人は自分の事をただの魔術師と称しますが、すでに魔導師とクロキリは名乗るべき力を持っています。そして、その領域はただの人では到達できない領域。魔術の才に恵まれ、その才を伸ばしたからこその領域。
この『転移部屋』という一つの研究の集大成を見ると比較対象こそ現状居ませんが、クロキリは十分天才と呼ぶべき存在なのだと思います。
尤もクロキリは今までの経験上、自分の事を天才なのだとは絶対認めないでしょうが。
「詠唱が終わりましたね。」
「来るよ!全員構えな!」
外から聞こえてくるクロキリの詠唱が途切れると同時に、球体の中心に黒いゲートが出現し、それと同時に大量の海水がゲートから噴出して球体の中を埋め尽くしていきます。
そして、球体の中が海水で満たされると同時に私たちはゲートに飛び込み、その先にある深海4000mに位置する蛸王のダンジョン『深淵の宮』へと突撃を開始しました。
ついに突入です。
07/29 脱字訂正