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第94話 真心とシュークリーム(3)


 ゴールデンウィークを間もなくというところに控えた、あるいはくるみのドイツ語勉強が順調に進んできた月曜日。


 その日は春の終わりに相応しいぽかぽかとした陽気だということもあり、くるみの試作した焼き菓子が振る舞われるついでに、つばめからのお誘いが現実となった。


 つまるところ、くるみと学校でお昼を一緒することになった訳だ。


「……で、先月の鎌倉小旅行の帰り道は、湊斗と一緒に江ノ島の水族館に行ってきたんだよね。夜が一番ロマンチックっていうからさ。ほら見てみて、ウミガメ!」


「ふふ。つばめちゃん嬉しそう」


「えーそうかなー分かるー? えへへへー!」


 今が見頃の藤棚の下のベンチで乙女な恋話らしきものを展開する二人を眺めながら、碧はくるみの昨日残していった料理を詰めた弁当をのんびりもぐつく。


 案の定というか、碧には怨嗟と羨望の視線が集まっていた。


 一人は皆には内緒にしているが現役モデルの美人で、もう一人はあらゆる分野にて巷で評判の天上人。そんな彼女らと一緒となれば多少目立つのはやむを得まい。横には湊斗がいるのだが、彼はつばめの幼なじみということで免責されているのだろう。


 ——お前そこ代われ! てか空気読め!


 ——なんで碧が誘われてるの?


 ——許されない!


 さっきからそんなハードな字幕がそえられそうな視線が、矢のように刺さってくる。


 新学期以降くるみに好きな人が出来たと取り沙汰されているのもあり、どれも鋭いものだが、碧は物怖じしなかった。


「碧すげえな。さすが何があっても動かざること岩の如しな男。略して岩男」


「だって、僕が悪いことした訳じゃないじゃん。てかその表現悪意ない?」


「何もしてないのにここにいるから目立ってるんだと思うけど」


「それはごもっとも」


 そう、学校で彼女の隣にいるには理由が求められるのだ。


 自宅では二人がよければそれでよくても、公衆の面前では誰かが指を差してくる。今はくるみの友達の幼なじみの友達、という遠回しな立場で最低限何とかなっているが、つばめと湊斗がいなくなれば成立はしなくなる。


 ——まあ僕は()()()()()()から、みんな何考えてるか分からないけど。


 なんて本当は手に取るように分かるくせに、大衆の意見を揚げ足取りに開き直りながら、呑気にくるみ手製の卵焼きをかじってつばめ達に訊ねる。


「……ところで、つばめさんと湊斗ってもうつきあってるの?」


「「え!?」」


 予想外に驚かれた。実はそうなんだよねーという返事を期待していたんだけど。


「だって水族館のそれってデートなんでしょ?」


「ちちち違うよまだだよ! あっまだって別にそういう意味じゃなくて……」


「俺たちはそういうんじゃないから!! ありえないって」


 二人が同時に喋るので訳わからないことになりかけたが、どうやら否定しているらしい。


 その辺は幼なじみというか仲睦まじさが透けていて微笑ましいのだが、湊斗の方がかなりきっぱり異を唱えていたので、つばめはショックを受けたようにしょんぼりとしていた。


「湊斗は、私とそういう風に思われるのってやっぱり迷惑?」


「え? や、別に迷惑って訳じゃないけど。むしろ光栄というか」


「……ならなんで嫌がってるの」


「逆につばめが嫌だろうなって思って。撮影現場に格好いい奴いくらでもいるじゃん」


「……! 今日の日誌に湊斗がアホでしたって書いてやるから!」


「クラスが見るやつに私情を挟むな!」


 わちゃわちゃと(じゃ)れあい始める。


 両方意識はしてるみたいだし、押せば後一歩ってかんじはするけどな、と眺めているとスマホが震えた。


〈今日無理に誘ってごめんなさい。やっぱり視線気になるよね……?〉


〈それは大丈夫なんだけど、関係がばれないか心配かな〉


〈私たちの関係が知られても……私はいいのに〉


〈僕もそういうのどうでもいい。けど、くるみさんに迷惑かかるでしょ〉


〈気にしないのに〉


 文字を打ちながらくるみは悄然としている。


 そんな表情を見たくなくて、碧は少し考えてから、くるみには内緒にしていたはずの覚悟を文字にして送ってしまった。


〈……じゃあいつかは関係打ち明けるつもりでいる〉


〈ほんとう?〉


〈僕が堂々とくるみさんの隣に立っても誰にも指図されなくなるようになったらね。

 いつになるかは分からないけど、いつかはそのくらい格好よくなるよ〉


 ぱちり、と交錯した視線は、今度は明るい輝きに彩られていた。

 スマホをぬいぐるみ代わりのように抱きしめ、ヘーゼルの瞳がふにゃりと細められる。


 問題は——その後だった。


「Du bist bereits ...... gutaussehend……(碧くんはもうすでに……かっこい……)」


「!?」


 覚えたてのドイツ語で誉められたので、お茶がへんなところに入りそうになった。


 直接励ましたかったが周りに聞かれたら一大事なので、折衷案でドイツ語を採用したのだろう。げほっと咽せながらくるみを見ると、自分でも恥ずかしくなったのか赤面しながらうつむいている。


 ていうか、格好いいなんて単語教えた記憶がないんだけど。

 自分で調べたのだろうか。


「くるみんその外国語もしかして? いいねー教えてもらったんだ♡」


 つばめがむぎゅっとくるみに抱きつく。周りが眼福だと言いたげに二人を眺めつつ、聞き慣れない外国語を話せるくるみに敬服の眼差しを送っているので、唯一その本当の意味を知る師匠こと碧は、弟子の成長に鼻が高いやらむず痒いやらで忙しい。


 と、その時。ぶぅんという嫌な羽音が一瞬だけ耳朶を掠める。甘い香りに釣られたのか、一匹の蜂が迷い込んだようにくるみに近寄るのが見えた。


「!」


 咄嗟の判断でくるみの肩を引き寄せ、手を振ってぶんぶんと飛ぶ蜂を追い払う。

 くるみは突然の出来事に驚き、固まっていた。


「蜜蜂すごい飛んでたから。平気?」 


「あ、ありがとう。うん……大丈夫」


 騒ぎの元凶がどっかに飛んで行ったのを見届けてから、掴んでいたくるみの肩を離す。


 学校で急接近してしまったくるみが頬を染めているのは仕方ないとはいえ、湊斗とつばめまでドラマのキスシーンでも見たときのように真っ赤になってこちらに見入っているのはちょっと度し難い。ただ助けた、というか蜂を追っ払っただけなのにリアクションがオーバーすぎる。


「えーすごい。初めて見た。そっかこれが……」


「これだから碧は……」


「何?」


「なんでもなーい!」


 生温かいふたりぶんの視線でにまにまされて居心地が悪いが、それを吹き飛ばす発言。


「Tun Du……das keinem …… anderen an.」


 羞恥にか細く震えている声は、また辿々しいドイツ語。今度は『他の人にはしないでね』と言ったらしい。


〈いくら周りには通じないとはいえあんまやると怪しまれるよそれ〉


〈じゃあ……ほどほどに誉めておく?〉


〈やめるって選択肢はないんですね〉


〈だって私だけいつもみたく話せないって……寂しいし〉


 碧はくるみのこういう表情に、弱い。儚げに瞳を揺らすくるみに駄目とは言えず、親指を迷わせた挙句にスマホをしまった。


「……Jawohl(分かった)」


 小声で承諾を下せば、くるみは上機嫌そうに、天使のように甘い笑みをぱっと零した。


 遠巻きに眺めていた生徒たちがざわめきだすのを、むず痒さと共に見守る。


 ——なにやら今後の学校生活が危ぶまれそうな気がする。


 何が困るって、自分の勘は大抵当たるのだ。


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