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第72話 春休みのお出かけ(2)


 行き先は鎌倉だ。


 ルートは小田急線と江ノ島電鉄を乗り換え。シンプルだが隣県まで行くだけのことはあって、走行距離はけっこう長い。


 各停から急行列車に乗り換えた碧たちは、女子二人を空いた席に座らせ、話に花を咲かせていた。


 春休みとはいえ平日ということもあり、車内はそこまで混み合ってはいない。普段は使わない路線だからか、聞き慣れない駅名の読み上げや乗り換え案内のアナウンスが日帰りとはいえ旅の始まりを予感させ、気持ちを浮き立たせた。


「ホワイトデーの贈り物、あれにしたんだな」


 吊り革を掴んだ湊斗がくるみのネックレスをちら見してから、そっと耳打ちしてくる。


「柄じゃなかった?」


「まあ。色気のない碧ならもっと実用的なものを渡すと思ったから。機内でも安眠できるように耳栓とアイマスクのセットとかな」


「人のことなんだと」


「あれ渡してまだ告白してない臆病者」


 内緒話なのと電車の音で、本人に届かなくてよかった。


「……他人事だからって。確かにずっと見てたいとは思うし、なんなら見惚れてるけどさ」


「そこまでご執心か。もう相当好きじゃん。それもはや恋だろ、恋。ほたるちゃんもいるし両手に花だよな」


「ほたるはただの従姉弟(いとこ)だって」


 くるみと恋とかそんなのあるのか、と咄嗟に思う。


 綺麗で愛おしい表情や仕草にずっと見惚れてはいるが、自分にだけ都合のいい烏滸がましい妄想をする気はない。


 それに万一告白して結ばれたところで、卒業したら日本と海外で離れ離れだし、くるみ自身も相当数の告白を受けて恋人が居ないということは、身持ちが堅いだけじゃなく、彼女なりの事情があるのだろう。


 碧がじと目を向けるも、湊斗は華麗に無視をして女子二人に違う話題を投げた。


「あれ、ふたりとももしかしてイヤリングお揃い?」


 つばめが誇らしげににまりと笑った。


「そうだよ! この間一緒にショッピングしていたときに見つけたのがすっごく可愛くて、お守りとして一緒に買ったの。私のはピアスだけどね」


 つばめの焦げ茶の髪からのぞく耳に目を向けると、確かにネモフィラの花を(かたど)った小振りのピアスがきらりと光って揺れていた。先ほどくるみの格好を見たときに気づけなかったのは、ちょうど髪で隠れていたからだろう。今見ると、確かに亜麻色の隙間に輝くベビーブルーが見え隠れしている。


「ペアアクセなんて仲良いんだな。なんか女子高生っぽい」


「ふっふっふ。ゆくゆくはお洋服でシミラールックにも挑戦したいと思ってる」


「お前はちびだからきっと丈の調整がたいへ——いたいいたい腕へし折らないで!」


「誰がちびなのかナ? どっかの誰かさんが無駄にでかいだけなんじゃないかナ?」


「いだいッ! 碧、助けてくれ!!」


「……悪いけど僕も今日ばかりはつばめさんの味方なんだよね」


「普段いじりまくった報いをこんなところで受けるなんて! 楪さんこいつに何とか言ってやってくんない?」


「確かに碧くん、私のこともからかって反応見て遊んでるんです。……その、返事しづらいことをストレートに平気で言ってくるとか」


 もじもじ言いづらそうだが、まさかくるみが乗ってくるとは思わなかった。


 案の定、湊斗は真っ青になる。


「いや楪さん相手に恐れ知らずすぎだろお前。ちょっとは()の振り見て我が振り直せ。って、こないだも同じこと言ったら俺の足踏んできたよな」


「えっそうなんですか! 何だかごめんなさい……」


「それは湊斗がうざいからでしょ。くるみさんも放っておいていいから」


 湊斗の突っ込み待ち発言はともかく、くるみが碧のやっかみをまるで自分ごとのように謝るのが、何だかくすぐったかった。


 それにしても、碧には出会ってすぐに敬語を止めたのに湊斗には続けているのが不思議だが。その辺の判断基準はよく分からない。


「……やっぱそういう掛け合い出来るところが」


「何か言った?」


「なんでも? なーつばめ?」


「うんうん!」


 幼なじみ二人組が言葉にせずとも意思疎通してしまうので肩を竦めながらくるみのほうを見ると、彼女も彼女でほのかに頬を赤くしながら電車の広告あたりを見つめていた。


 その後も、残りの春休みの予定だとか課題に手をつけたかなどを浮き足だった気持ちで語り合い、到着した藤沢駅で江ノ島電鉄に乗り換えた。


 湊斗は意外にも今日をばっちり楽しみにしていたようで、昨日はうまく眠れなかったらしいく、シートの角でうつらうつらと舟を漕ぎはじめる。それをつばめが柄にもなく優しい眼差しで見守っていて、碧までほっこりとした気分になった。


 がたんごとんと心地よく揺れる電車は、四人を遠いところに運んでいく。


 高校一年生の終わりへ。高校二年生の始まりへ。


 十六歳と十七歳、その狭間の、束の間の安息へ。


 走り出してしばらく経って、車内の誰かが声を上げた。


「あ、見て見て! 海が見える!」


 振り向くと、真っ白で眩い光が目を刺す。


 陽光による視界いっぱいのホワイトアウトがおさまった頃——窓の外には七里ヶ浜の絶景が広がっていた。


 定規で引いたみたいにまっすぐな水平線は、砕いたサファイアを散りばめたみたいにきらきらと、鮮やかな紺碧を真っ二つに分けている。


 子供がちぎって浮かべたみたいなわたあめ雲が、空と海の境界でぶつりと、三月のカレンダーの終わりのように途切れている。


 降り注ぐ春の優しい日差しに波間が煌めいて、それを鏡のように映したくるみの瞳も、同じくらいに光り輝いた。


「わぁ……」


「すごーい。すっごく綺麗! あ、写真取らなきゃ。ほら湊斗も起きなよ!」


 つばめが湊斗を揺り起こしてから、息をするようにスマホを構える。


 彼女に倣ってか、隣でくるみもぱちりとカメラのシャッターを切った。それから構えていたカメラを下ろし、風に揺られる鈴の音のような声で呟く。


「本当に、海に連れてきてくれた。……叶えてくれたのね、あの時の約束」


「このお出かけ提案したのはつばめさんだけどね」


「もう、そこは黙って自分の手柄にしていいのに」


 どこか希望の光を灯した眼差しを、また窓の外へ向ける。


「……碧くん。海って広いのね」


 そんな当たり前みたいなことを、とは言わなかった。


「僕も初めて海を見たときは、似たようなこと思ったんだろうな。この向こうに別の国があってそこで人が暮らしてるって、ちょっと信じがたいよね」


「うん。私はずっとあの街にいたから余計にそう思えるのかも。でも、そこから連れ出して見つけてくれた人がいる」


 ひたすら穏やかに言い切ったくるみに、照れ隠しとして一つどこかで知った雑学を置いておく。


「ここから水平線まで、歩いてたったの一時間で行けちゃうんだって」


 隣で相槌を打つ気配がする。


「ものすごく遠くに見えるけれど案外近いんだよ、知らない場所って。その気になって一歩踏み出しさえすればね」


「……行ってみたいな、いつか。あの水平線を越えて外国へ」


「くるみさんなら行けるよ。どこへだって」


 明るく切り取られた車窓の陰で、席の上に投げ出した手が、そっと誰かに握られたような気がした。


 窓が少し開いているみたいで、生ぬるい潮の香りがはたはたと、忙しなく迷い込んではすぐに出ていく。



 ——誰かのかぶった帽子が、海風にあおられてふわりと浮き上がる。

 これから始まる一日も、この海と同じくらい眩いものになればいいなと思う。


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