第57話 嘘と隠し事(2)
リビングで寝そべる湊斗を置いて外に出た碧は家主として一階のエントランスまで見送り、車に乗るのを見届けてから部屋に戻った。
湊斗はカウチソファに体を預け、まるで俺が家主だと言わんばかりに寛いでいる。
「……あえて聞くけど、さっきのどういうつもりなの?」
碧が尋ねると、湊斗は悪びれもなくへらっと笑った。
「どうもこうも婚前の挨拶以外にないだろ」
「何度も聞くようだけど湊斗ってそんなに恋愛話好きだったっけ……」
「最近はドラマの相関図をSNSにあげつつリアルタイム実況したいと思ってる」
「結構ガチなの笑う」
冗談を言いつつ、碧のことを想ってくれているんだろうなというのは伝わっていた。
碧は性格上誰とでも仲良くする人間だが、この学校では敢えてそうはしなかった。悪目立ちしたせいもあるし、その他にも一つ大きな理由がある。そのせいで友人は湊斗と颯太くらいしかいなかったので湊斗は親友としてそこを心配していたのだろう。
いい奴なんだよな、と思う。
「碧っていつも楪さんのこと家まで送ってんの?」
「まあ、日が沈んでからのときは大抵。女の子一人だと危ないし」
「送り狼すんなよ」
「ほんとどっからそういう言葉仕入れてくるの?」
十中八九、彼の店に来る客からだろう。
「で、何さ。話したいことって。さっきの爆弾のことって訳でもないんでしょ」
ソファに座ると、湊斗は思いがけず真面目な面持ちで切り出した。
「碧ってさ、猫は飼わない主義じゃなかったっけ?」
「は? 猫? いや、飼わない主義っていうか……うちマンションだし」
「じゃあ別の質問。碧は楪さんとの今の暮らしをいつまで続けるつもり?」
本当にデートの話をするとはさすがに思っていなかったにしろ、てっきり春休みの予定くらいのもうちょっとかろやかな話をされると思っていたので、真剣なトーンに面食らってしまった。
「いつまで……か。考えたこともなかったよ」
「まあ普通の高校生ならな。けどお前は違う」
「特別扱いなんて買い被りすぎじゃない」
「秋矢碧をそんじょそこらの高校生と一緒にしちゃ駄目だろ。先を見ている男だから」
なんだか調子が狂う。
「そりゃあいつかは終わるんだろうけど。たとえばくるみさんがもう関係を終わらせたいって言えば僕はそれを受け入れるつもりでいるし——」
「そうじゃないだろ?」
辿々しく紡いだ言葉は、ぶつりとさえぎられる。
湊斗はいつになく真剣な眼差しで、碧と向かい合い。
「お前が高校卒業したらまた日本を旅立つってこと、楪さんはちゃんと知ってんのかって聞いてるんだよ」
そうして放たれた鉄槌のような言葉を、碧はただ受け入れるしかなかった。
冗談でかわすには重すぎて、逃げるにしても真剣すぎるその問いかけは、碧に答える以外の行為を許そうとはしない。
だから碧は、苦々しく呻いて考え込んだ挙句、静かに応じるしかできなかった。たとえ湊斗の言葉に責めるような調子が一切なかったとしても。
「……いや、言ってない」
「それは高校卒業まで関係が続くとは思っていないからか? けど楪さんはさっき任されてくれたぞ、お前のこと」
「それは湊斗が勝手に言ったことでしょ」
「まあ、ちょっとお節介が過ぎたかもな」
思わず、視線をテーブルの上に残ったグラスに移ろわせてしまう。
「まあ……そういう考えもあったよ。けど今は違う。ただ、二年以上も先のことなんて遠すぎて考えられないだけだよ。そもそも大学だって、みんな違うところにいくって考えるのが自然でしょ。人によっては実家出て一人暮らしする人もいるだろうし、進学先によっては関東を出る人もいる。だからくるみさんもこれはどんなに長くても卒業までって分かってるだろうし、わざわざ、そんな先の話なんかするまでもないだけ」
言い終えて、数秒。沈黙がずきずきと蝕むようだった。
湊斗はこちらをじっと見つめ、それから少し考え込んでから、最後に夕暮れの端っこみたいに寂しげに笑った。
「うーん。やっぱ嘘ついてんね、碧」
見抜かれていたことに対して、弾かれたように顔を上げる。
湊斗は、また笑う。
「ほんと分かりやすい奴だな。嘘を吐いてる時は絶対に目を合わせようとしないの、俺がお前と出会って二ヶ月くらいで見抜いてたぞ」
「それはまた……すごいな」
「本当はあの人をちょっとでも悲しませたくなかったんだろ? 碧が誰とでも仲良くする反面誰よりも仲良くなろうとしないのは、きっとそういうことなんだろうなって気づいていたよ。楪さんのこと住む世界が違うって初め切り捨てたのも、同じ理由だろ」
押し黙ると、湊斗は優しく目尻を下げる。
「楪さん、見たところ碧に相当信頼を寄せてるかんじだったし、多分あの人にとってすでに碧は他の友達とも違う、唯一無二の存在なんじゃないかな。そんななか二年後には飛行機で十二時間もかかるところに行っちゃうって……そりゃあまあ言えないよな。俺が碧の立場でもなかなか言えないよ。俺だって、そのこと知った時まだ出会って数ヶ月だったとはいえ、けっこう寂しかったもん」
「湊斗……」
彼の言うとおりだ。
碧はくるみに信頼を寄せているし、その逆もまた強く実感している。もう互いが、代替のきかない存在になっている。
だからこそ、言えずにいた。
不意に将来の話になっても、ずっとのらりくらりとぼかし続けてきた。答えるべきは今じゃない、と先延ばしにしてきていた。
そもそも碧は、日本に戻るつもりも初めはなかったのだ。
叶えたい夢————世界平和。
就きたい仕事————国連職員。
それが碧の考える将来の道だった。
志したのは十歳にも満たない幼い頃で、ある日を境に子供ながら進学のことや大学まで夢中になって調べた。
その夢がどれほどの茨の道であるか知ったし、日本人がその仕事に就くには海外の大学あるいは大学院に通うことがほぼ必須であることも知った。
どんなにクラスメイトに愚かと笑われたとしても、あの日に自己紹介で述べた世界平和、それこそが碧の揺るぎない信念そのものだった。
もちろん、その志や熱量は今もかわっていない。
だから日本で過ごすのに残された時間は、あと二年だ。
「ま、碧が楪さんのことを想った結果言ってないならいいんじゃないかな。ただし、何となく言い出しづらいまま、ずるずる引き延ばすのだけはやめておけよ。それじゃ却って可哀想だ」
「……分かってる。そんなことはしないさ」
湊斗が確かめるように頷く。
「碧は誠実だからさ、大丈夫だとは思ってるよ。俺はただお前らが幸せに仲良くしてるのを傍で見守ってたいだけ」
「ちょっとそれは何か勘違いしてない? 僕は別に——」
「僕は別にくるみさんのことを好きじゃない?」
「……その聞き方はずるくないか?」
「だな、ごめんごめん。けど一つだけ言わせてもらうと……お前は俺と話すよりも、つばめと話すよりも、楪さんと話している時の声が一番優しかった」
やけに浮かれたように笑う湊斗を見て、そういえばこいつとはいつも戯けた会話ばかりでこういう真面目な話をしたことってあまりなかったな、と思う。
「湊斗、僕のこと好きすぎでしょ」
「ったりまえだろ。ていうか今頃気づいたの? 遅くない?」
「うわあ……」
「つばめと同じ引き方は地味に傷つくからやめてください」
そうしてふたりはひとしきり笑った。湊斗が荷物をまとめて玄関にいくのを、名残惜しい気持ちで見送る。
「じゃあな、碧」
「じゃあね、湊斗」
差し込む夕焼けと逆光のなかで、大男は手を振って姿を消した。
投稿を忘れがちな私をどうか誰か叱ってください。
原稿は出来てるんですよ。出来てるんですよ。
けど仕事でばたばたしてるうちに投稿忘れちゃうんですよね。
私は自分の好きな物語を好きに紡いでいくだけですが、
今後も読んでいただけるとそれが何よりの励みになります!
どうぞよろしくお願いいたします。