第37話 真冬に咲く金木犀(2)
小一時間ほど見て回った後、碧とくるみは休憩がてらコーヒーショップに立ち寄った。
策は弄したつもりだったが贈り物選びは思いのほか難航した。くるみは確かに碧の架空の女友達のことを一番に考えてアイデアをくれるのだが、彼女自身それを欲しいかと聞けばそう言うわけでもないらしい。言ってしまえば物欲がないのだ。
——ただ一つの、引っかかりを除けば。
そしてその不確かは、手を伸ばして探らなければなるまい。
注文したカップを受け取ってから硝子窓のそばの席に座り、ちるちるとアイスラテをすする。くるみは隣でホットで注文したほうじ茶ラテのカップを静かにふぅふぅしながら、少しずつ傾けている。
こうしている間もやはり誰もが認める正統派の美少女であるくるみは人目を惹くらしく、あらゆる通行人の視線は隣の少女に吸い寄せられていた。
これは今に始まった事ではなく、買い物をしている時からずっとだ。あちこちから「あの子可愛い」「芸能人? 何者?」といったささやきが飛んできているが、当の本人はもはや慣れっこらしく、涼やかな表情を浮かべたままどこ吹く風である。
恐らくくるみの隣にいる碧にも嫉妬ややっかみや値踏みの視線が飛んできているだろうが、気にしたってしょうがない。
——にしてもまるでデートみたいだな……。
「まさかデートみたい、なんて思ってないでしょうね」
まるで心のなかを掬い取ったみたいに隣の少女がじと目でほんのり睨んできたので、碧は思わずアイスラテを咽せそうになった。その鋭さは世界平和のために生かした方がいい。
「誰もそんなこと言ってないでしょ」
「そう。思ってないならいいけど」
「……もし思っていると言ったら?」
一瞬狼狽えたそぶりを見せたくるみは、
「大人だからそれくらい別に、私は気にしません。私は完璧で余裕のある大人だから……そう、気にしないの。うん」
早口でそう自分を納得させた末に、熱々のラテをふぅふぅし出す。
彼女にも矜持があるので、その仕草こそ子供っぽいんだけどなとは言わなかった。
くるみは甘いものを好んでいるようで、ようやく粗熱の取れたラテを含んでは、ほわっと僅かに頬を緩めていた。その様子が何だか幸せそうで、碧は思わず尋ねる。
「くるみさんってほうじ茶ラテ好きなんですね。僕は味の想像つかないけど」
「うん。和風のミルクティーってかんじで美味しいの」
「へえ……いまいちよく分かんないな」
「気になるなら注文すればいいのに」
碧は外国に勇猛果敢に踏み込む以上同年代よりずっと冒険心のある方だと思うが、味に関しては保守的だ。
だから購買のメロンパンよろしくいつも何となしに決まったものしか選ばなかったのだが、くるみが穏やかに美味しそうに傾けるほうじ茶ラテを見れば、この日は何故かものすごく喉が鳴ってしまった。味に煩いくるみの選ぶものに外れはない、という信頼もあるだろう。
見られていることに気づいたくるみが、横髪をふあっと揺らして首を傾げる。
「どうしたの?」
「くるみさん、折角だしひとくち貰ってもいい?」
それを聞いたくるみが、分かりやすく氷の彫像になった。
「えっ? あ……その」
「嫌だったら別にいいんだけど」
「べ、別に嫌ってわけじゃっ」
おずおずと差し出される、半分になったほうじ茶ラテのカップを受け取る。
貰うからには交換だろう、と碧が代わりにアイスラテのカップを渡すと、くるみはまたもやぴたりと動きを止め、相剋するかの如く榛色の瞳を伏せてしばらく揺れるように碧の手許を見つめた後、自棄になったようにばっとカップを奪っていった。
「……これだから、海外育ちの碧くんは」
「何で僕いま貶されたの?」
「なんでもないですっ」
首を傾げつつも、碧は温くなってきたほうじ茶ラテをこくこくと含む。
重すぎないすっきりとした優しい甘さがじんわりと舌の上に広がり、その後にほうじ茶の煎じた香ばしさとほのかな苦味、そしてミルクのまろやかさが追いかけて来て、思った以上に美味かった。
勉強終わりにぴったりそうだし、くるみが好きになるだけのことはある。
ちらっと横目で隣の少女を見ると、両手で静かにアイスラテを持ちながら名状し難い表情で視線を手許に落としている。その頬はうっすら桜色に火照っていた。
「要らないの?」
「そういう訳じゃなくて……もう、どうして碧くんは平気なの?」
なぜ様子がおかしいのかと思ったが、少し考えて「ああ」と合点がいった。
「もしかして間接キスに照れてた?」
配慮もせずに直球で尋ねると、くるみの耳朶までもが一瞬で淡く紅潮した。
「そ、そういうの言わないでって言ったでしょうっ。……もう、不敬です」
「あ……ごめん。ていうかそれなら、回し呑みも嫌でしたよね。今度からは気をつけます。本当、もうしないから」
目の前の少女が恋愛方面においてかなり純真で初心なことをようやく思い出したので素直に謝罪する。するとくるみは、慌ててぱたぱた両手を振った。
「そ、そんなに謝らなくても。私は気にしてないから、ね?」
「けどまあ、ごめん。これ返します」
しかしほうじ茶ラテは受取拒否された。こちらの注文したアイスラテのカップを取られまいと抱えるように体を若干逸らし、横目で不服を申し立ててくる。
「いい。そのほうじ茶ラテは碧くんにあげる」
「でも」
「だって、いまさら返されても……その、困るもの」
「……気にしてるじゃん」
「うるさいです。ばか」
ぼそっと指摘すると、可愛らしい罵倒が飛んできた。そのアイスラテも僕が口つけちゃってるんだけどなと思いつつ、涙目で凄んでくる彼女に碧は頷くことしかできない。
そのまま意を決したようにアイスラテのストローを咥えるくるみを見て、平気だったはずの碧もいまさら意識しそうになるが、何とか振り払ってほうじ茶ラテを一気に呷る。
照れたような恥じらうような風情を視界に映したせいか、ほうじ茶ラテは先刻よりも温かく、そしてずっと甘く思えた。