第36話 真冬に咲く金木犀(1)
「それで、その人はどういうものが好みなの?」
ショッピングモールで、とりあえず雑貨ショップが入っているフロアに移動しようとエスカレーターに乗り込むと彼女が尋ねてきた。
「それが分かんないからくるみさんに頼んでるんじゃないですか……」
「え、相手の好きなものも知らないの?」
「……くるみさんだって僕の好み知らないくせに」
「今はあなたの好みは関係ないでしょ?」
ぼそっと呟いたつもりだったが、くるみの耳には届いていたみたいだった。確かにこの会話の流れでは正論なので、言い返せず口を結ぶしかない。なんとももどかしい状況だ。
「いいんです。くるみさんが好きなものを選んでくれればその人は多分喜ぶはずなので」
「なんだかとっても雑。まあいいわ、じゃあそこのセレクトショップを見ましょうか」
エスカレーターを降りて真正面にある、若い世代の女子が好きそうな可愛らしいアイテムが揃った店に踏み入れる。どこからともなくアロマの香りがして、碧は己の場違いさを強く意識した。
「ちなみに、その子とはどれくらい仲良いの? 好みが分からないくらいだから大した関係ではないと予想してるけど」
……それを本人から言われると、なんとも言えない気持ちになる。
「僕はそこそこ仲がいいと思ってるけど、向こうはどう思ってるか知りません」
「ふうん。けどなんだかんだ友達でいるなら、向こうも少なからずあなたのことを好ましく思っているのかもね。もしかしたらその子も、仲がいいと思ってるのは自分だけかも、って思い込んでるかもしれないし」
「……そうだといいんですけどねー」
声が上擦った。口許がふやけそうになるのを、必死に舌をかんで抑える。目を泳がせる碧にくるみが訝しむ眼差しを向けてくるが、ちょうど彼女の視線が棚のあるアイテムに止まったので、幸いにも問いただされることはなかった。
碧は嘘が下手だ。なのに最後の最後まで、自分だけが全てを知るというこのくすぐったさに耐えなければならない。それに、さっきの好ましいという発言。これで相手が実はくるみだと知った暁には、水面下で風船のようにふくらみつつある爆弾がはじけることになる。考えただけでも恐ろしい。
「見て。こういうギフトっぽいのは結構どの女の子にも喜ばれると思う」
そんな碧の焦ったい想いを知るはずもなく、くるみは商品棚から〈午後二時のそよ風〉という紅茶の箱を手に取った。
「夜にぐっすり寝たい人なら、こっちの〈午後十時の夢路〉がいいかも。リンデンフラワーとカモミールのブレンドですって。ちょっとお値段はするけど、全種の詰め合わせもあるみたいね。何よりパッケージのお花のイラストが可愛い」
「くるみさんはそれが欲しいんですか?」
「私? 確かにコーヒーよりもハーブティーとか紅茶が好きだけど、選ぶのはいつも決まったお気に入りの銘柄だから……」
「うーん、じゃあ駄目だなぁ」
肩をおとす碧に、くるみは困惑気味。
「あの、私じゃなくて、その子が喜ぶならいいんじゃないの?」
「くるみさんを女子高生の好みの基準として考えてるからいいんです」
「そうしたいならそれでもいいけど、私が女子高生の基準になるとは到底思えないわね」
前は否定してきたのに、と苦笑したが、確かにその通りだ。
くるみは妖精姫のあだ名に恥じぬほど人並外れた十全十美の才女様であり、尋常なる女子高生を逸脱している節がある。というか明らかにかけ離れている。
が、逆に言えば彼女の好みを探るにはその辺の女子高生を捕まえるのでは駄目だということだ。それなら本人に聞くしかない。
「他にくるみさんがいいって思うものはありそう?」
隣の棚に並ぶアロマキャンドルを一瞬見つめ、すぐに逸らしてからくるみは振り返る。
「碧くんからみて、その子はどんな子?」
「え、なんで?」
突然尋ねられたが、意図がわからず聞き返す。
「たとえば髪を伸ばしているならバレッタみたいなヘアアクセサリーとか、運動部をしている子ならスポーツ関連のグッズとか、色々な選び方があるでしょう?」
なるほど、と手を打つ。
「どんな子って……。えっと美人で、料理上手で、自分に厳しく努力を怠らなくて——」
馬鹿正直に二、三個ほど答えた辺りで己の重大な失言に遅まきながら気づき、やべっと口を噤んだ。首筋を冷や汗が流れる。
さすがにここまで特徴を出してしまえば怪しまれてもおかしくない。というかくるみの聡明さからして、気づかれて然るべきだ。もしそうなれば、なぜわざわざ隠そうとしたのか問い詰められるのは免れられないだろう。
恐る恐るくるみの方を見ると、
「……料理上手って、私よりも?」
放たれたのはか弱く、そしていじらしい響きの声だった。
「くるみさんさ。もしかして、拗ね——」
「てません」
野暮な言及を、くるみは一転してツンと刺々しい声で退ける。
ふと、生まれて初めて見た鏡に向かって毛を逆立てる子猫が思い浮かんだ。その光景が今のくるみにあまりにもぴったり合うのでツボに入ってしまい、口許がふにゃふにゃと踊ってしまいそうになるのをどうにかして堪える。
と同時に、もうちょっとだけからかってみたい気持ちが芽生えた。危ない橋を渡るようではらはらするが、余計な一言をつけ足す。
「ちなみにその人はものすごーく勉強できます。たぶんくるみさんと同じくらい」
くるみの長い睫毛が、ぴくりと震えた。
「……ふぅん。そんな人もいるものなのね。きっと全国でも指折りだわ。きっと日頃から頑張ってるんでしょうね。一度お話ししてみたい……かも、ね」
くるくると人差し指で髪を弄びながら、か細い声で言い終えると、腕を組んでから言葉とは裏腹に拗ねたようにぷいとそっぽを向く彼女。
——なにこの子可愛い。
碧が全てを知る立場にいるゆえか、その様子すら非常に微笑ましく愛らしく映り、柄にもなくよしよしと猫可愛がりしたくなった。そしてほとんど無意識のうちに彼女の頭に腕を伸ばしかけたところで我に返り、慌てて手を引っ込める。そんなことをしたところで、ただ嫌われるだけである、とすんでのところで気づくことができたのは僥倖だ。
尚も続くにやけを必死に押し殺していると、くるみが棘ある視線を向けてきた。
「……何笑ってるの」
「っ、いーえなんでも!」
さすがにずっとこんな調子でいるわけにもいかないので、自分の中に湧き出たくすぐったくも名状し難い感情をどうどうと宥めすかせた。