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第35話 妖精さんへの贈り物は(3)

 くるみとの約束当日、碧は京王線に乗り、ぼんやり車窓を眺めていた。


 通りすがる踏切のかんかんという警報という音も耳馴染んできたあたり、この街にもだいぶ慣れてきたらしい。

 待ち合わせは数駅となりの改札前。さすがに学校最寄りにあるショップに行けば柏ヶ丘高生に見つかる危険があったゆえの移動だったのだが——


「あっ……おい、お前」


 荒々しい呼びかけ。どうやら早速誰かに見つかったらしい。


 声の主を見ると、ひとり電車に揺られていた碧に声をかけてきたのはよりにもよって夏貴だった。


 扉の横に寄りかかるように立つ碧を見つけ、まるで鬼を見つけた桃太郎のように勇猛果敢に、吊り革も掴まずずんずん歩み寄ってくる。


 不運だな、と思う。


 夏貴のことは別に嫌いじゃないが、なぜか会うたび突っかかってくるので面倒だった。


 まさか休日にばったり出くわしてしまうなんて、広いと思っていた世界なんてものは案外狭くて小さいのかもしれない。


「えーと夏貴()()。こんな休日に何の用事?」


 ちっ、と荒々しく舌打ちをしてから睨んでくる。といってもこっちの方が身長があるのでどうしても見下ろす形になってしまうのだが。夏貴はそれにも苛ついているようだ。


「お前こそ何してんだよこんなとこで。おい、めんどくせえみたいな顔すんじゃねえよ」


「……聞いてもいい?」


「んだよ」


「何でいちいち僕に突っかかってくるの?」


「腹立つから」


 あまりに明け透けな受け答えだった。とは言っても心当たりが何もない。


 いくら碧の扱いが良くないとはいえ、ここまで牙を剥き出しにしてくるのは学年でもこいつくらいだ。


「僕は君とは仲良くしておきたいんだけどね」


 突っぱねられるだろうな、と分かりつつ友好の意を差し出すが、案の定知らんぷりされる。代わりに返ってきたのは全く的外れな問いかけだった。


「お前、何で隠すんだよ。そのせいで俺がどれだけ……」


「……? 何の話だ?」


 アナウンスとともに列車が丁度駅に停車し、扉が開く。


 夏貴が何か言いかけているようだが、ここで降りなければくるみとの約束に遅刻してしまう。自分から約束をしておいてそんな身勝手ではありたくない。


「だから、何でお前は……っておいまだ話は終わってねえぞ!!」


 よく分からないので置き去りにして電車を降りると、夏貴は縄張り争いする狐みたいに怒り(まなじり)を吊り上げながら追っかけてきて、碧をげんなりさせる。


「何、そっちもこの駅なの? それか僕の追っかけ?」


「ちッげえよ!! 俺が話してるのにお前が降りるからだっつの!!」


「悪いけどあんたに構ってる時間は——」


 夏貴を振り切るつもりで階段を降りて改札の前に来たところで、足が止まった。


 改札の向こうに、美しい亜麻色の髪の少女が所在なさげに佇んでいたからだ。


 まだ待ち合わせよりだいぶ早い時間だが、律儀にももう到着していたらしい。


 ルルルルと、遠くから発車ベルが不吉に鳴り響く。降車した人の雑踏が捌けると同時に彼女がこっちを振り向き、碧たちの姿を捉えた。


 いつもの待ち合わせの時みたいに淡く相合を崩したりはせず、そのまま困惑したように——それでいていつもの妖精姫として儚げに佇んでいるのは、碧のすぐ傍に見知らぬ男がいるからだろう。くるみからしたら恐らく同じ学校の人とも知らないはずだ。


「何であの人がここに……」


 後ろにいる夏貴もまた立ち惚け、白昼夢でも見ているようにぽつりと呟くが、碧はもう諦めて改札を出るしかなかった。後ろから、おい、と怒号が聞こえる。彼女と待ち合わせしていることは夏貴に知れてしまったが今さら言い訳も挽回もしようがない。


 くるみのもとへ寄ってから振り向くと、夏貴は改札内に踏みとどまったまま、じっとこっちを睨んでいる。


「碧くん……?」


 くるみは何か言いたげにこちらを見上げる。くるみにとって相手が誰か分からないことを踏まえ、場を読んで何も余計なことを言わない彼女の聡明さはありがたい。が、もうごまかすことはできないだろう。


 向こうで夏貴が吠える。


「おい自由人。お前、それどういうことなんだよ」


「見ての通りだよ。ただ学校の人には黙っててくれると助かるんだけど」


 改札越しに碧が返すと、夏貴は心底不機嫌そうに大きく舌打ちをした。


「また何でもかんでも秘密かよ。……本当のこと、言えばいいのに」


 きびすを返してホームへの階段を登っていく夏貴を見送り、ため息を吐く。そりゃあ彼女と友人だって堂々と言えればいいが、そうしたら双方に不都合なことが多すぎるのだ。


 これは週末下手したら親衛隊から東京湾に沈められる。


「……碧くん、何かあったの?」


 可憐な声で、止まった碧の時間がようやく再開した。隣を見れば、清楚なコットンシャツワンピにブラウンのダッフルコートという格好のくるみが、碧のシャツの裾を掴みながら、不安げにこちらを見上げる。


「気にしないで……とは言えないか。ごめんくるみさん。あれ同じクラスの人」


「なんだか睨み合ってたみたいだけれど……」


「気にしなくて大丈夫だから」


 碧にも理由が分からないのだ。説明しようがないし、余計な心配はかけたくない。


「……もし週明けから、学校の人に何か言われたら教えてください。なんとかする」


「なんとかって?」


「その人と友達になりにいけば万事解決」


「ふふ……すごく温和な策」


 まだ正直刺々しい気持ちが残っていたが、くるみが可笑しそうにくすりと笑ったので、心に穏やかさが戻ってくるのを感じながら、碧もまた優しく笑って見せた。



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