32 旅の目的
ドット一行の三度目の凱旋に最早疑う者など一人も居なかった。
ギルドへと戻ればドット達の周りには当然のように人だかりができるようになっており、討伐の報が入れば最早魔王を討伐したのかというような大宴会が催される程にまでなっていた。
埋め尽くされる沢山の笑顔がドット達を温かく迎える反面、ドットの方は内心少し焦りが見えていた。
というのも、残りの混沌の魔獣の数は一体。
これを倒せば当初の目的であった自身の功績を世に広く知らしめる事は達成できるのだが、肝心のドット自身のステータスの固定化、そしてそれに深く関わっているであろう黒衣の魔導師の噂がとんと聞こえてこないからだ。
もしあと一体の混沌の魔獣を倒しても黒衣の魔導師が姿を現さなければ、もしかするとドットの現状のまともに戦闘する事ができないという状態がこの先永遠に蝕み続けるかもしれない。
そもそもあの魔導師と混沌の力の関係性自体が自分が立てた仮説であるため、無関係な存在だったのではないか?
考えないようにすればするほど、本来成すべきだったはずの混沌の魔獣全討伐というあと一歩まで差し迫った偉業が、一生このままではないのかというドットの焦りを加速させる。
もしそうなれば自身の目標や身分からもただただ冒険者を続けていられる程ドットの境遇は優しくはなく、同時にもし軍師として戦場を指揮する立場になったとしても太刀の一つも打ち込めない指導者に果たしてどれだけの人間が敬愛し、信頼を置いてくれるだろうか。
いずれは父のようにならねばならないという想いが、今のドットには正に重荷として再び圧し掛かろうとしていた。
宴も終わり、宿で皆が寝静まる中、ドットは一人夜風に当たりながら誰にも打ち明けられぬ心情を夜風の中に溶かしていた。
『ライオネッタさんとアンドリューさんは……聖堂騎士隊隊長と司祭様だ。混沌の魔獣討伐後も共に行動する事は難しい。マリアンヌさんにもサイラスさんという元々のパーティが存在する以上、自分のエゴの為に付き合わせるわけにはいかない。そうなると私とワワムの二人だけだが……やはりまだ成人もしていない子供を連れ回すわけにはいかない。彼女は絶対に反対するだろうが、それでも彼女にも故郷に戻ってもらうべきだ』
自然と思考はこの旅の後の事の方へと向いてゆき、短いような長いような旅の思い出が少しずつ蘇る。
『父上と母上に何と言って詫びるか……。出兵できない以上軍師となるか、内政を執り仕切るために座学に力を入れるか……』
憂鬱とした感情を宥める様に夜風が頬を抜け、ドットが思い出したのはあの宿屋の少年だった。
キラキラと目を輝かせ、自分のお宝である自作の図鑑を見せる少年の姿はドットにはとても眩しく見えた。
「僕ね、大きくなったらもっと魔物の事を調べて、学者になるんだ!」
信じて疑わない無垢な少年の瞳を見てドットが思ったのは、単純な憧れだった。
生まれた時からドットの周りには彼を慕ってくれる沢山の臣下が居て、何一つ不自由のない生活を送る事ができた。
だが、彼の描く夢には常に父の背があり、彼の一挙手一投足を見る臣下の期待があり、期待と嫉妬とを織り交ぜた領民達の視線があった。
決して自分の人生に不満があったわけではないが、だが同時に考えてしまうのは『自分にもそんな自由な選択肢があったのなら』という想いだった。
束の間の自由を謳歌するドットにとって、旅の終わりとは同時に自由の終わりを意味するからこそ、使命のない少年の夢は素直に応援する事も出来たが、同時に自分もそうだったらと夢想してしまったのだ。
『そうだな……もし、父上にも母上にも見放されたのなら……いくらでも物を増やせる能力を活かして薬師にでもなれば、多くの冒険者や父上達を間接的にでも救う事ができるだろうか?』
「あれ……? ドットまだ寝てなかったの?」
あれやこれやと夢想する内、ワワムが目を覚ましたのか寝ぼけ眼を擦りながらドットに声を掛けてきた。
「ああ、酔いを醒ましていただけだ。私もすぐ寝る」
『やはり夜は良くない。要らぬ事にまで考えを巡らせてしまう』
「ドット……泣いてるの?」
適当にワワムに言葉を返していたドットだったが、月明かりが照らしたドットの頬には一筋の涙が本人も気付かぬ内に流れていたようだ。
「ああ……どうやら目に埃が入ってしまったらしい」
まさか自分が急に涙を流すなど考えもしていなかったドットは自分の頬を指で触って確認し、取り繕うためにそう言葉を重ねた。
ドットにとって泣いたのはもう何年も前の話で、厳しい稽古に幼い時分だったドットが不満を漏らした時が最後だったと覚えている。
涙を拭っていると不意にワワムの手がドットの頭へと伸びてきて、いつかの時のように今度はワワムがドットの頭を優しく撫でた。
「元気になぁれ」
「ありがとうワワム。だが私はもう頭を撫でられて喜ぶような歳ではない」
「じゃあどうすれば元気が出る?」
「……大丈夫だ。もう元気になった」
ワワムは真剣にドットの事を心配しているのが分かる真面目な表情でドットにそう訊ねたため、すぐにドットは笑って答えた。
ドットが笑ったのを見てワワムは頭を撫でるのを止めたが、恐らくワワムの表情はドットがそれを本心で言っていないのを見抜いていたのだろう。
だがそれ以上深入りしてもいけない事を理解しているのか、ワワムは視線だけをドットの方へ向けて自らの床に戻る。
『……妙な所は鋭いな。だが、先の事を考えても何も変わらない。今出来る事に集中しよう』
暗闇に光るワワムの視線から逃れるためにもドットは余計な事を考えるのを止めて床に就いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「よぉドット。お前さんに良いニュースがあるぜ!」
「ニュースですか? どのような内容でしょうか?」
「前から黒衣の魔導師って奴を探してただろ? つい数日前になるが、何人かが似た容姿の奴を同じ場所で見かけたって情報が入ったんだよ」
「本当ですか!?」
宴の日から二日、最後の混沌の魔獣である『絶対零度の蛇人』討伐に向けてあれやこれやと情報収集や作戦会議と新たな能力の解明にと忙しなく動き回っている最中、ドットはギルドマスターから呼び止められた。
それはドット達がずっと探し求めていた黒衣の魔導師の目撃情報。
しかも一つのパーティからの情報のような不確かなものではなく、複数人が同じ場所で似た容姿の人物が洞窟の中へ消えてゆく様子を見たと証言しているため、その情報の信憑性は高い。
教えてもらったのは鉱山都市ライドからそう遠くない距離にある小さな廃坑。
既にめぼしい鉱石は採掘済みであり、魔物の増加と火山活動による定期的な振動によって崩落の危険性があるため今は魔物が住み着いている程度の場所だ。
定期的に周辺地域の増えすぎた魔物の群れの討伐依頼があるので目撃情報こそ多いが、先述の崩落の危険性や住み着いた大量の魔物を殲滅しながら進むにはあまりにも分が悪い為、内部の現状は分かっていない状況でもある。
「状況が分かってないダンジョン化した廃坑か……調べるにしてもかなりリスクが高いぞ」
「とはいえこれまで足取りすら掴めていなかった相手です。例え罠であっても殆どの混沌の魔獣が討伐された今、何かしらの行動を起こしてきたのなら手掛かりが掴めるかもしれません」
「私からも一つだけ助言するなら、ダンジョンはフィールドとは勝手が違うわ。接敵せずに内部を探索は事実上不可能よ。通常の魔物を相手にする時の立ち回りが最近は疎かになってきているから、挑むにしても一旦戦術を見直した方がいいわ」
「……そうですね。ライオネッタさんとマリアンヌさんにダンジョン攻略の知恵をお借りして、今一度狭い場所での戦闘を想定した戦術を組み立てなおしましょう」
元々熟練の冒険者だったライオネッタとマリアンヌから危険性を説かれたものの、この千載一遇の好機を逃す手はないとドット達はライドのすぐ近くにある廃坑の探索へ向かう方向で話を纏めた。
とはいえこれまでは可能な限り避けていた普通の魔物との戦闘は閉所故不可避であり、最初の頃に立てていた普通の魔物との戦闘ともまた状況が変わってくるのでそのための戦術を組み立てなおす事となった。
その折、新たに手に入れた能力である《MotionTest:Enable》の内容も確認はしたが……これまでの経験則からある程度文字の類似性に気が付いていたため、既に今回の能力に期待はしていなかった。
案の定その能力はその場で急に素振りをする能力だった。
これで武器を持って攻撃する事ができるのであればまだ役に立てる事も可能なのだが、武器を持って振ろうとした瞬間に納刀してしまうためどうにも活用する事の出来ない能力だった。
新たな能力の確認も含め、諸々の確認が済んだドット一行はドットのテレポートを使用して今一度ライドへと赴いた。