31 再戦キングスコーピオン
「浮揚の加護」
ドットがライオネッタへ向かってそう唱えると、重たい鎧を着こんでいるはずの彼女の身体が風船のようにふわりと地面から浮かび上がった。
「こいつは……なんとも不思議な感覚だな」
「水上歩行の派生形の魔法ですね。私も使う事は出来ませんが、存在は知っています」
「どうですか? ライオネッタさん。通常通り歩行等は出来ると思うので、ちょっと色々と感覚を確かめてもらえると」
ドットの使用した魔法は浮揚の加護という神聖魔法の一種で、対象を地面や水、果ては底なし沼や溶岩ですらその地形の影響を一切受けずに移動する事を可能にする魔法である。
見た目は空中浮遊だが、あくまで少し浮かせるだけの魔法であるため、空中に放り出されれば落下してしまう。
ドットの考えたサンドスコーピオン対策の一つがこの魔法で、地面の振動を頼りに敵との距離を把握するサンドスコーピオンであれば、地面に接触していない状態ならばその位置を気取られる事が無くなるだろうというものだ。
とはいえこれはあくまでサンドスコーピオンとの戦闘時に前衛を張るライオネッタの正確な位置を割り出させないためのもの。
あまり視覚に頼っていないとはいえ、見えているのも事実であるので視覚は霊の帳で保護する必要がある。
これで奇襲の準備は大方整ったが、大前提としてこの浮遊状態は浮いてはいるもの普通に歩行する事もできるため、肝心の地面から伝わる振動というものがキングスコーピオンに気取られないかどうかが一番肝心な部分になってくる。
とはいえこればかりは事前に通常個体相手に確かめる方法が現状無いため、今一度ライオネッタが実験台となって逃げる事を大前提にキングスコーピオン相手に行う他無い。
浮揚の加護状態での歩行や攻撃等も地上に足を付けている状態と大差ない事も確認できたため、一行はすぐにリプレ村へもう一度向かった。
大きめの木の裏で念のため全員に浮揚の加護と霊の帳を使って対サンドスコーピオン用の完全隠蔽を行い、ライオネッタが一人皆から離れるように村の中へと向かう。
キングスコーピオンの姿が見えるまでライオネッタは周囲を警戒しながら歩を進め、視界に捉えるとライオネッタは意外にも歩幅を広くした。
もしこれで地面へと振動が伝わっているのならサンドスコーピオンを召喚するか、急速にライオネッタの方へと近寄ると予想したため、ライオネッタもすぐに走り出せるようにすることと、わざと音が立つような歩き方をしたのだ。
結果は……少年の情報通り攻撃が届かない距離を保ちながら横を歩き抜けてもキングスコーピオンは気付く素振りすら見せなかった。
『これで奇襲自体は可能になったわけだな……』
悠々と廃村の中を彫像のように身動き一つせずに動き回るキングスコーピオンの方へ視線を送りながらライオネッタはそんな事を考えたが、カニ歩きのように横を向いたまま移動するキングスコーピオンの背後から斬る事も可能であったが何もせずにドット達の方へも戻ってきた。
前回までならライオネッタはこのチャンスを逃す手は無かったが、その自らの経験則による驕りが原因で慣れない敵の上に混沌の魔獣という存在相手に不覚を取ったという事実を重く受け止めていた。
故に混沌の魔獣の持つ混沌の力を打ち消す事の出来るドットが正常な判断が可能な状態であれば、ドットの判断に任せる事にしたのだ。
「ドットの読み通りだ。音も出てないし姿も見られていない。こうなれば後はいつも通り、混沌の力を引っぺがしてただの大型魔物の討伐の土俵に引きずり込むだけだ」
「ありがとうございます。では浮揚の加護の効果時間はさほど長くは無いのでかけなおしたら作戦実行と行きましょう」
そう言ってドットは活力剤を一つ飲み干し、今一度全員に浮揚の加護を使用するとワワムの背中にしっかりと身体を固定した。
キングスコーピオンの姿を探しだし、正面の位置へライオネッタ、そこから後ろにアンドリューとマリアンヌ、ワワムはキングスコーピオンの後方へと回り込み、後は彼女のタイミングに合わせて戦闘開始となる。
「今回の敵の持つ混沌の力ですが、私はあの身動き一つしない見た目自体が混沌の力で作られた擬態のようなものだと仮定しました」
「擬態? じゃあ本体は何なんだ?」
「本体もキングスコーピオンですね。サンドスコーピオンの召喚や鎧が前後から圧迫されていた形跡から事前情報との特徴が一致しているので全くの別物ではないでしょう。本体はガルーダのような見えない状態ではあるのですが、恐らく元のキングスコーピオンの姿が実際の行動に一致しない抜け殻のように残ってしまっているのが原因でちぐはぐな状態になっているのだと思います」
「つまり?」
「仮説ではありますが、恐らく前回ライオネッタさんがキングスコーピオンの鋏に挟まれた時、自分達から見て敵はこちらを向いているように見えていましたが、実際はどちらかの鋏のすぐそば……つまり斜め前ぐらいの方向を向いている時に出会ってしまったからいくらサンドスコーピオンの登場で動揺していたとはいえ、想定よりも早い鋏での攻撃を回避する事ができなかったのだと思います」
ドットの仮説を基にライオネッタが立ったのはキングスコーピオンの顔が向いている方向ではなく、現在進行している方向。
もしそちらがドットの言う通り正面なのであれば、鋏の攻撃は左右どちらかから来る状況になる。
ジリジリと距離が詰まってゆく中、ワワムが一気に距離を詰めてキングスコーピオンの側面、想定では尻尾があるであろう場所をドットの持つナイフが撫でるように当たるように腕を振り抜いた。
丁度中程でワワムの腕がバチンと見えない何かに当たり、それと同時に見えていた彫像のように動かないキングスコーピオンの姿が黒い靄と共に消え去り、代わりに突如ワワムに攻撃された事で動揺しているのか、ワワムの方へと振り返ろうとしているキングスコーピオンの姿が現れた。
キングスコーピオンの攻撃を受けるために低く構えていたライオネッタがその一瞬の隙を見逃すはずもなく、即座に距離を詰めて鋏の根元へと斬りかかった。
ガキンッと鈍い金属音が響き渡り、その一撃がキングスコーピオンに致命傷を与えるには至らなかった事を告げると、キングスコーピオンも自身の混沌の力の消失に気が付いたのか鋏の甲でライオネッタを殴り飛ばそうと振り抜いてきた。
「させるかよ!」
しかしそれよりも早く防壁魔法を鋏の少し上から斜めに覆い被さるように出現させ、勢いが乗る前に鋏の動きを封じた。
攻撃が通らなかったと分かった瞬間キングスコーピオンはサンドスコーピオンを自身の周囲に召喚し、すぐに自分の身を守らせようとしていたようだが、無数の氷の槍を浮かせたマリアンヌが不敵に笑って見せた。
「残念だけど、今度は私達の方が予定通りに事が進んだみたいね」
ライオネッタが横へ飛び退いたのを見送り、氷槍の雨がキングスコーピオンとサンドスコーピオンの群れ目掛けて降り注いだ。
魔法で生み出された氷の槍はライオネッタの鋼鉄の剣でさえ切り裂く事の出来なかったキングスコーピオンの甲殻すら容易く貫き、サンドスコーピオン諸共標本のように地面へ串刺しにしていた。
少しの間キングスコーピオンはその自らの身体を貫く氷柱群から抜け出そうと藻掻いていたが、暫くもしない内にその氷柱の温度にやられたのか、はたまた単に動けるだけの体力を失ったのかどちらにしろ動きを止め、身体の端の方からボロボロと塵になって崩れていった。
強敵の討伐により放出された大量の魔力が空へ花開くように浮かび上がり、そしてドット達の肉体へと流れ込んでゆく。
今一度ドット達は三体目の混沌の魔獣を討伐したという事実を噛み締め、新たに得たドットの能力の方特にドットに悪い影響を与えていない事を確認すると、そのままコストーラへとテレポートはせず、まずは宿へと向かった。
理由は二つ、その宿を利用する多くの冒険者達に無事を知らせる事でドット達の活躍を風聞してもらうことと……。
「ありがとう。君のおかげでリプレ村は救われたよ」
もう一人の小さな英雄に、感謝を述べる為だった。