3 非力
またしても何が起きたのかドットは何も理解できていなかったが、ラインハルトや周囲にいる兵士達の慌しさを見る限り、何かが起きた事だけは間違いなかった。
「本当に怪我の一つもされていないのですか……。奇跡としか言いようがない……」
「すまない。全く状況が分かっていないんだ。何が起きたのか教えてくれ」
「私自身未だに信じられないのですが、ドット様の打ち込みをただ軽く弾いただけだったのですが、まるでドット様の身体が砲弾にでもなったかのように急に後ろに吹き飛んで……この通り壁にひびを入れるほど強烈に叩きつけられていたはずなのですが……」
「……吹き飛んだ?」
正確に起こった事を説明しているだけなのだが、話しているラインハルト自身が半信半疑のような面持ちであり、当然それを聞かされているドットの方は更に意味が理解できなかった。
何をどう間違えばただの稽古で壁まで吹き飛ぶなどという事態が発生すると予想できるだろうか。
しかし意識すれば確かに背中には痛みのような熱ぼったさは感じはするものの、かといって石壁にひびが入るほど叩きつけられたはずなのに出血の一つはおろか服すら何ともない。
一先ず周囲の混乱はドットが無事である事を伝える事で収まりはしたが、結局スキルの謎は深まるばかりだった。
走ろうと思えば走る事ができ、素振りであれば問題無くできる。
改めて魔導師に習った初級魔法を唱えようとしたが、こちらはどうやら習得していたはずの魔法が無くなっており、知識としては覚えているのに使えないというあべこべな状態に陥っていた。
そこで更に気が付いたのが、覚えていたはずの剣技すら全てステータス上は無くなっており、どうも失ったのは数値上のこれまでの努力だけではなく、必死に努力して習得した技術も失っているようだ。
また先程起きた異常に関してもある程度理解が進んだ。
素振りや的当てならば何の問題も無く普段通り行えるのだが、それが例え模擬戦であったとしても"戦闘を行おうとする"とどうも数値通りになってしまうらしいということだった。
吹き飛ぶ前に意識が集中できなくなったのはそのせいであり、同様にドットの全力の打ち込みを受け、弾き返した動作の結果、赤子相手に全力で打ち返したような事になってしまっていたのが原因である事までは理解ができた。
それともう一つ判明している事が、恐らく非戦闘時であればステータスではなく、実際の肉体通りの影響となるのだろう。
『そういう仮定……とはいえ、ひびが入るほどの衝撃ならばいくら鍛えているといっても無傷では済まないはずだが……。結局謎は謎のまま。かといって城内には式に参列していなかった者も多数いる以上、無用な混乱を招く行為は避けるべきだな。大人しく司祭様が戻ってくるのを待とう』
一先ずその場の混乱の後処理はラインハルトが買って出てくれたこともあり、大技の練習をした結果加減が利かなかった、という事となった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「失礼致します」
「急に呼び出してすまない。悪いが全員席を外してくれ」
一連の騒動から既に二週間が経っていた。
そんなある日、ドットはクレースの執務室へと呼び出されていた。
荒くれを纏め上げた手腕のある彼女は表情にこそ厳つさはあるが、今は問題を抱えているせいで猶更険しい表情になっている。
「稽古の方はどうだ? 順調か?」
「芳しくはありません。素振りは欠かさず行ってはいるのですが、一向にステータス上での変化が無く……」
「……肝心のスキルの詳細もとうの昔に期限の一週間を過ぎた。結局はあの司祭のその場しのぎだったという事だろうな……」
「私にはあの司祭様がそんな事をする人には見えませんでした」
「善人か悪人かは今はどちらでもいい。結果として奴は期限を過ぎてもここに訪れていないという事実が問題なのだ」
そう言うとクレースは眉間を抑えて、深い溜息を吐いた。
「重ねて悪い知らせがある。どうも噂好きの侍女が口を滑らせたようでな……。既にお前のスキルの事についての噂が広まってしまっている」
「私も軽率な行動で城内で騒動を起こしてしまいました」
「ラインハルトから仔細は聞いている。多少狼狽えてはいるが不穏な動きはない。やはり人の口に戸は立てられぬ、か……」
話の本題はやはりドットの現状についてだった。
既にドットがスキルを授かった事も、それに伴いステータスがリセットされてしまった事も領地内の民衆の耳にまで届いており、そして噂故の悪目立ちをしている。
噂には尾鰭が付くもので、貴族への僻みも含まれているのか寝たきりになっただの、傲慢な生き方をしていたから呪いで一人では何も出ない無能に成り下がっただの各々好き放題に言っているようだ。
「申し訳ありません」
「お前が気にする事ではない。だが、同時に未だお前の身に起きた事の謎が解けていないのも事実。噂の元凶の首でも刎ねてやれば下らん噂も立ち消えるだろうが……」
「そんな事の為に民の命を葬るなど!!」
「分かっている。好き放題言ってくれる恩知らず共へのただの皮肉だ。実際そんな事をしても現状は変わらん。恐怖で抑え込めば必ず不満が募る。故に今必要なのは公にできる『真実』だ」
「真実、ですか……」
「呼び出したのは他でもない。今のお前の状態を把握したい。その上で『ドット・ハロルドは尚も健在である』と民衆に見せつけられるパフォーマンスが必要なのだ」
そう言うとクレースはドットの現状についてを訪ねたため、知る限りの現状を伝えた。
「……つまり、演技であったとしても、捕物のような分かりやすい手段は取れない、か」
「ええ、細心の注意を払いながらラインハルト殿と何度か検証したのですが、例えラインハルト殿が戦闘態勢を取っていなかったとしても、攻撃する、若しくは攻撃される状況になるとステータス同様の状況になるため一切の状況判断が不可能になる上に、防御でもされようものなら放たれた矢のように吹き飛びます」
想像以上に深刻な現状を知り、顔を顰めたままクレースは暫く考え込む。
「ならば表立って何かをさせるのは控えた方が賢明だな。すまなかった」
「いえ、私こそ母上のお力になれず、不甲斐ないばかりです」
「私も現状に焦っているのは事実だ。知っているとは思うが、魔物の動きが活発になってきている。故に城内の兵士も最低限の護衛を残して殆どがユージンと共に最前線に身を投じている。不埒な輩が現れないとも限らない。場内といえど気を抜かぬようにな」
「承知しています。街道付近でもワーウルフ等の魔物の姿が散見されるようになり、冒険者への依頼が堪えなくなっているとか」
「そうだ。不安は心を邪な方へと煽る。お前の噂があっという間に広がったのもそのせいだろう。だからこそ民の心を落ち着かせたかったが……別の方法を考える他無いだろう。下がってくれ」
言われるままにドットは頭を下げてから執務室を後にしたが、現状に納得していないのはドット自身も同様だった。
ドットが生まれてから現在に至るまで、過去に街道や領地付近では魔物の発見報告は挙がっていなかったため、魔物が増加しているのは言うまでもないだろう。
恐怖が不安を煽り、不安が不満の元になっている以上、内政を執り仕切るクレースの憂慮すべき問題である事は間違いない。
戦うための力を失い、民の不安を拭いたくても自らがその元凶となってしまっている現状、目下の目標は一つでもいいのでステータス上の変化が現れる事だろう。
ステータスを伸ばす方法は大きく二つあり、一つは今現在ドットが実践している日々の鍛錬だ。
力仕事や勉学等、地力を伸ばすための行動を取っていれば、いずれ数値は上昇する。
しかしこの二週間、一日たりとも欠かさず対人を必要としない訓練のみに重点を置いて剣術に学術に努力を続けていたが、僅かばかりでも変わる兆しすら見せない。
『もしかすると、戦闘におけるステータスが現状なのならば、戦闘をしなければ変化が現れないのかもしれない……が、これ以上騒ぎを起こすわけにはいかない……。何か他に方法は無いものか……』
焦燥感に駆られそうになるが、心を落ち着けて木剣を無心で振り抜く。
「兄上~!」
「どうしたんだ? そんなに慌てて」
「違うよ! 成人の儀の後、一緒に狼狩りに行く約束をしてたじゃないですか!」
「ああ……すまない。すっかり忘れていた」
騒動のせいでドットは自身のスキルの検証に時間を費やしていたせいですっかり忘れ去られていたが、成人の儀の後、どんなスキルを授かったのかを披露してもらうために二人で狼狩りに行く約束をしていた。
式に出席していなかったカーマは事情を知らなかったため、ただただ約束をすっぽかされた程度の認識だったのか、怒っているような様子はあっても変に気遣うような様子は無かった。
『とはいえ……とてもではないが狼狩りなど出来るような状況ではない……どうするか……』
彼等の言う狼狩りとは領地の付近に出没する魔物、ワーウルフ狩りの事だ。
以前のドットとカーマの二人であれば余程の事が無ければどちらの方が多く狩れるか、という娯楽の一環として行えていた程度の事であったが、流石に今の二人では無理がある。
しかし、ドットは少し考え込んだ後、周囲を見渡してから何かを思い付いたのか、何度か小さく頷いてカーマの方へと向き直した。
「……いや、そうだな。色々と準備は必要だが、今から狼狩りに出掛けようか」