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2 異変

「ど……どういうことだ!? 一体何が起こったというのだ!?」


 最初に声を荒げたのはユージンだった。

 それを皮切りに晴れやかな空気は一変し、その場にいた兵士や侍女達からどよめきが聞こえ始める。


「ド、ドット様!? 御身体に異変は!?」


 司祭の身を案じる声で我を取り戻したドットは自らの両手を見つめたが、身体には特に異常はない。


『どういうことだ……!? もしステータスの通りなら、何故私は"立っていられる"のだ……!?』


 晴れの舞台とは違う理由で高鳴る鼓動を落ち着かせながら、ドットは状況を整理しようと試みる。

 今一度自らのステータスを確認するが、体力(HP)魔力(MP)を除く全ての項目が一になっており、その二項目のみはどちらも一〇〇となっていた。

 元々、ドットは武術、魔術、学問の全てを満遍なく教わっており、そのどれも疎かにしていなかったため、全ての数値が二〇前後程であり、それはこの城の守衛を任されている現役の騎士に迫るほどだ。

 しかしスキルを授かったその瞬間、その数値が全て一になっているのだが、ドットが最初に疑問を抱いた通り、数値と現状とで矛盾が生じており、ステータスの数値が一というのは乳飲み子のそれと同じであるため、もし数値の通りならば立っている事すらままならないはずである。

 それに体力一〇〇は平均的な働き盛りの村人の平均より多少足りない程度であり、逆に魔力一〇〇というのは非常に高く、駆け出しの魔導師はおろか中級魔法すらも使いこなせるようになった魔導師程の魔力量となる。

 そのせいで体力と魔力はえらく高いのにそれ以外の能力値は赤子同然という非常にちぐはぐな状態になっている。

 肝心のスキルに関しても、本来ならばステータスには名称と共にどのような効力があるのか記載されるのが通常なのだが……


《スキル:デバッグ DebugMode:Enable》


 と記載されているのみで肝心の内容に関しては一切分からない。


「だ、大丈夫だ……。身体には異常はない。だが……一体何が……?」


 ドットが司祭の言葉を聞いて受け答えをしたのを見て、司祭は少しだけ安堵の表情を見せる。


「こんな経験は私も初めてですので心配しましたが、お変わりないようで安心しました」

「安心? 安心だと!? この状況の何処が安心できるというのだ!!」


 司祭の言葉を聞いたユージンが今一度言葉を荒げながら立ち上がったため、すぐさま近くにいた兵士達がユージンを押し止めたが、激昂しているユージンは今すぐにでも司祭に斬り掛からんとしている。

 それを見て司祭はすぐさま頭を下げて謝った。


「大変申し訳ございません! 失言でした! ……ですが、現状を鑑みるにご子息の様子に変わりはなく、スキル名も見慣れないものであったため、恐らくは『ユニークスキル』の影響でステータスが全て一になっているのではないでしょうか?」

「『ユニークスキル』……? とはなんだ?」


 聞き慣れない単語にユージンの頭に上っていた血は多少下がったのか、一旦落ち着きを取り戻した。

 それを見て司祭は今一度胸を撫で下ろしながら、改めてユニークスキルについて語り始めた。


「ドット様のスキル名を拝見させていただきましたが、その名称は『デバッグ』となっており、私の知る限りでは一度も見た事の無い名称でした」

「御託はいい。その『デバッグ』とやらがユニークスキルだとして、何故倅の能力値が全て一にされているのかを説明しろ」

「明言できる事はございません。故にこれは推論ですが、千年の昔に世界で初めて魔王を討ち滅ぼし、封印したとされる『光の英雄』もユニークスキルを授かっていたとされます。同様に過去に同一の名称を冠する事の無い唯一無二のスキルであるユニークスキルは極稀に授かる者がおり、皆一様に大業を成したという文献を目にしたことがあります」

「説明になっておらん」

「ユニークスキルに関しては私もその名を聞いただけで実態がどのようなものかは存じておりません。ですがもしこれまでのドット様のステータスを基にして全てが一とされているのであるとすれば、現状も納得がいくかと思います」


 司祭の言葉を聞くとユージンは眉を(ひそ)めたまま自らの顎髭を何度か撫で、長く息を吐いた。


「確証は?」

「ありません」

「ありません。ではない。どうすれば貴様の言った事の確証が取れる?」

「帝都にある大聖堂であれば、ユニークスキルも含めたこれまで確認されたスキルを書き記した記録書である『神託の書』が全て存在します。同一の物は無くとも同じユニークスキルならば似たような事例は存在するかもしれませんので、全てのユニークスキルに関する神託の書を調べればあるいは……」


 司祭の言葉を聞いたユージンはもう一度長い息を吐く。

 その表情は全く以て納得していないというものだったが、前例が無い以上それ以外の言葉は見つからないだろう。


「……いいだろう。ただし一週間だ。それまでに『デバッグ』の詳細を調べ上げて私に説明しに戻ってこい」

「承知致しました」


 結局その緊迫した状況が解ける事は最後までなかった。

 司祭はドットの授かったスキルの詳細を調べるために早急に帝都へと戻り、デバッグの詳細を調べる事となった。

 その場にいた他の兵士や侍女にも箝口令が敷かれた事もあり、とてもではないが祝いという空気に戻る事は無かった。


「父上、母上、この度は私のせいで大事な式を潰してしまい、誠に申し訳ございません」

「お前が謝る必要はない……。スキルとは天が与えた祝福……祝福……今となっては何とも憎たらしい響きだが、謝らなければならないのは私の方だ。司祭が授けた訳でも無いのに一方的に罵り場を乱してしまった。すまない」

「父上……」


 冷静さを取り戻したユージンは祝福という言葉を口の中で転がすように何度か呟き、そして深く頭を下げた。


「私もあまりの出来事に言葉を失って……。ごめんなさいドット。一番混乱しているのも貴方だと分かっていたのに私達の方がよっぽど取り乱してしまったわ」


 クレースも同じように自身が冷静さを失っていた事、そして式の場では同様のあまり掛けるべき言葉を見失っていた事を謝った。

 誰かが悪いわけではないが、かといって誰かに怒りをぶつけたくなる気持ちはドット自身も痛い程理解していた。

 結局その後に予定されていた会食も全て取り止めとなり、ドットも全く追いつかない思考や先の不安を拭うために足取り重く自室へと戻り、そのまま床に就いた。

 晴れの日が大事になってしまった翌朝、目を覚ましたドットは改めて自身のステータスをまじまじと眺めたが、やはり先日の出来事は夢などではなく現実だった。


『やはりあらゆる数値が一。にも拘らず目が覚めれば上体を起こせるし、こうして自分の状態をしっかりと把握できている……。やはり司祭様の言う通り、デバッグというスキルはこれまでの努力や経験が一に凝縮される祝福という認識で間違っていないのだろうか……?』


 しかし一夜明けた事で混乱していたドットの思考は晴れており、先日よりは肯定的に自身の身に起きた事態を捉える事ができていた。

 もし司祭の言っていた仮定が正しいのであれば数値上あり得ない状態になっていたとしても、それは同時に同じ鍛錬でも得られる恩恵が単純に十八倍になるという計算になる。


『分からない事に気を揉んでいるぐらいならば、行動し前を見据えるべきだ。今日の鍛錬をこなせばこのスキルの正体も分かるだろう』


 塞ぎ込むぐらいなら行動する。

 その考えは父親譲りであったため、見た目よりもドットは自身の状況に絶望はしていなかった。

 身体を動かす為に朝食を適当に放り込み、動きやすい軽装に身を包んでこれまでと同じように中庭へと向かう。


「ドット様! 御身体の方は大事無いのですか?」

「大丈夫だ。それよりもラインハルト、今日も稽古を頼む」

「承知致しました」


 昨日の一件は当然ラインハルトも知っているため最初こそドットの身を案じたが、何事も無く現れ、何時ものように身体を伸ばしているドットの姿を見て安心したのか、いつものように笑顔でドットの申し出を受け入れた。

 準備運動、素振りと何も問題無く行えていたため、誰もが先の事を忘れていた頃、異変は起きた。

 いつものようにそのまま打ち込み稽古を始め、手にした木剣をラインハルトへ向けて打ち込む。


『な……なんだ……!? 急に……意識が……!!』


 ラインハルトへ向けて木剣を振り下ろすと同時に意識が全く集中できなくなる。

 いつも行っている稽古であるはずなのに、今自分が何をしているのかすら理解できなくなった。


「……様!! ドット様!! しっかりしてください!!」


 意識が鮮明になったドットの視界に移り込んできたのは血相を変えたラインハルトの顔だった。

 急に意識が遠のいた以外は何事も無かったため、呼ばれた事に気が付いてすぐに上体を起こして周囲を確認すると、先程まで自分達がいた場所から数メートル離れた中庭の壁面のすぐ側まで移動していた。


「そんなに慌ててどうしたんだ……?」

「お怪我は!?」

「いや、見ての通り何ともないが……何かあったのか?」

「大変申し訳ございません!! ドット様の打ち込みを軽く押し返しただけのつもりだったのですが……まるで弦の切れた弓のようにドット様の身体が吹き飛んでしまい……」


 そう言われドットが後ろを振り返ると、その壁面はまるで投石器の攻撃でも受けたかのようにひび割れていた。


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