力を得る代わりに次に負けたら消滅するという条件で闇堕ちをしたタイミングで数時間後の未来の自分がボコボコにされる記憶を手に入れてしまった
────これは……、この記憶は何ですの……?
『次に負けたらキミは消滅する。それでもこの力を受け入れるんだね? ヤミ』
「はい、邪神様……。彼女さえ殺すことが出来れば、私はそれでいいのですわ」
「はーっはっはっは! 私は闇の力を手に入れたのです! さぁ来なさい、ヒカリ! ぶっ殺して差し上げますわ!」
「ヤミ、悪いけどそうなったからには容赦はしないよ」
「ぐわああああああ!! その剣、まさか光の聖剣! 闇の力を得た私にとってはその剣の白刃は百毒に等しいというのに……、えっ? 再生封じの効果まで! 卑怯ですわよヒカリ!! まさか貴女が本当に光の勇者の末裔だなんて!」
「だから容赦しないって言ったじゃん。それにボクが光の勇者の末裔ってことは何回も言ってたよね? ま、冗談だと思ってたんだろうけど……。それにしてもどうしてキミは闇堕ちしちゃったんだ。うん、………………じゃあね、ヤミ」
「ヒカ…リ……。私死──── 」
「バカ……」
──────────はっ!夢ですわね!
いやー、焦りましたわ! まさかこの私が同級生でライバルのヒカリに勝つために、邪神に魂を売って『次に負けたら闇の力に飲まれて肉体が消滅する』という契約を結んだ上で闇の強大な力を得て、即座にヒカリに挑んだら彼女が光の勇者の末裔だったせいで致命的な相性不利でボコボコにされた上でぶっ殺されるなんてそんなことあるわけないですわ!
そうです、私は学園に飛び級で入学した秀才にして、学年トップクラスの実力を持つ魔術師であるヤミ・フォール!! そんな馬鹿みたいなことをするわけが無いですわ!
……あと何故か現状に至るまでの記憶が欠如していますわ!
ですので、とりあえず一度今の状況を考えてみる必要がありますわね……。あー、頭痛いですわ……。
──── 目の前を見ればこの世のものとは思えない歪さと美しさを併せ持つ不思議な石像、それ以外は『闇』としか形容できないような真っ暗な空間。そんな中に私は着の身着のままでポツンと立っている。
これも夢……? いえ、頭痛してますし夢では無いでしょう、多分。
となると……ふむ、この状況は察するに私、先日古書店で偶然見つけた、『封印されし禁断の闇の魔本』の最終章にあった儀式術式を友人にしてライバルのヒカリに負けた悔しさと深夜テンションと不断の努力から来る私の魔術知識の併せ技で学園の授業の事を忘れて丸一日を使い強引に解読した上で、何も考えずにそこに書かれていた術式を使用して現在いるこの場に転移した……、って感じですわね?
それで、目の前にあるのは恐らく邪神が封印されているという石像ですわね。文献と同じ形状ですわ。
あと、転移の術式は身体を再構成する術式である都合上粗悪な物だと記憶が欠如することもあるとのことですし、恐らくその影響で記憶が欠如しているのでしょう。……まぁそれは文献によれば時間経過で何とかなるそうですわね。
現状確認が大体済んだところで、ではあの白昼夢は一体? やけに情報量が多かったですし、このタイミングで白昼夢を見ることなんてまず無いはずですが。
──── この異常事態の中で先程見た白昼夢はもしや白昼夢では無いのでは? 伝承曰く、闇の魔法は極めれば時間の流れを操れるとのこと、つまりあの白昼夢の正体は闇堕ちした未来の私が今際に完成させた時間遡行魔法によって現在の私へと送られた記憶の転写……、ですわね?
ナイスですわ!未来の私!記憶を送ってきたタイミングから考えるに、今は恐らく契約前、ヒカリにぶっ殺される詰みエンド回避ですわね!
よし、このままあとはこの空間から帰る方法を考えるだけ、危なかったですわ〜、危うく人間社会からドロップアウトするところでしたわ。
『ボケーっとしてどうしたのだい、我が契約者、ヤミよ。今の君は闇の力を得た強き存在だ。さぁ、その力を解放してきなさい』
突然、石像から声が聞こえましたわね、完全に未来の記憶にあった推定邪神と同じ声でしたわ。いや、待ってくださいまし、いま契約者って……。闇の力を得たって……。
あ゛~~~、私契約済みですわね。
もう、未来の私の紙一重! なんでこんな時にやらかしますの!?
いや、でも一応まだ後戻りできる段階かもしれませんので確認しますわ!
「ええと、一応今一度邪神様と私が交した契約について確認してもよろしいでしょうか」
『うん、契約内容の再確認は大事だね。今一度説明をしておこう』
邪神(石像)が仰るからには、
・『私の身体は闇属性の性質を有した完全に新たなものとなった。元に戻すことは不可能。一応今まで使えてた魔法も使えるよ!』
・『それこそ勇者レベル(最上位)の光属性攻撃でない限り今の私の身体にダメージを通すことはできないだろう。仮にダメージを食らったとしても元通りに再生する』
・『この契約の場合の"敗北"の条件は致命傷及び戦意の喪失』
ふーむ、身体を作りかえたってことは後戻りできませんわね。となると、その再構成の際に先程までの一部の記憶が吹き飛んだってことでしょう。
────ところで私強くねーですわ?
闇属性の魔法は手数が増える上に防御手段が限られているため申し分無く強いですし、肉体的にもカッチコチになりましたわね。"敗北"に関しても裏を返せばどちらかが大丈夫ならセーフなので普通の人類種よりは死ににくそうですわ!
普通に考えて光の勇者クラスの存在以外にはまず負けませんわねこれ。
……未来の私はこの力を手に入れた上でヒカリ(光の勇者の末裔)に即挑んで致命的相性不利でボコボコにされましたが。
なんなら未来の記憶があるせいで今ヒカリと相対したら普通に致命傷を食らわせられるだけで死にますわ。心バッキバキですわ。
『考え込んでいるところ悪いけど時間だよ、我が契約者ヤミ。さぁ、元いた場所にお帰り、応援しているよ……』
ん? なんか視界が薄れてきましたわ! 邪神(石像)もフレキシブルに手を振ってお別れの挨拶をされてますわね、お返し致しましょう! いや、そんなことはどうでもいいですわ。というか、この感覚は転移術式では無い……、もしかしてこれ闇属性の時間跳躍術式では? ということは最終章のあの儀式術式はまさか使った本人を過去へ飛ばしその地点で全盛期邪神(勇者によって500年前に討伐された)(人の心を読む力を持つ)(近年の研究では宇宙人説がある)(対になる創造神の存在が近年科学的に否定された)の手で本人を改ぞ……。
──────はっ!! 夢ですわね!
どうやら私は自室で倒れ込んでしまっていたらしい。窓の外を見てみれば、もう朝になっているのかすっかり明るくなっている。
ゆっくり起き上がろうとすると後頭部になにやら違和感、どうやら本を枕にして寝てしまっていたらしい。まぁ、はしたないこと。
……いやー、しかし夢でよかったですわ。まさかこの私が同級生でライバルのヒカリに勝つために闇堕ちしたら(中略)ぶっ殺されるという未来が私に待ち受けているわけ……。
そう考えながら枕にしていたであろう本を見てみる。寝落ちする前にどのような内容のモノを読んでいたのでしたっけか……。
『封印されし禁断の闇の魔本』
──── そういえば先日買いましたわねこの本。
いや、でも買った時は中身を全く解読できなくてそのまま本棚に放置していたはず……。
その時のことを思い返しつつパラパラと頁をめくる。以前読んだ時と同じ、めちゃくちゃな文字と既存法則にあてはまらない文型の文字列が並んでいる。
ふむふむ、”前書き:この文章を読めているということはキミは邪神様と契約したということだ。新たなる同胞を私達は歓迎しよう” と。
「あら? 読めますわね。読めちゃっていますわね……」
あ゛~~~私、闇堕ちしてしまっていますわね。
つまり、先程の諸々は夢じゃありませんでしたわ。天丼ですわ〜!!
……ま、まぁたとえ私が闇堕ちしてしまったとしても、ヒカリと戦わなければいい話ですわ。……万が一のために、一応この『封印されし禁断の闇の魔本』はベットの下に隠しておきましょう。
そんな時だった。自室のドアがドンドンと何度も叩かれる。どうやら訪問者のようだ。まったく、ビビらせやがって……ですわ。
「ヤミ、起きてる? 体調大丈夫なら一緒に学校に行こう」
うげっ!? ヒカリですわ!!!
ヒカリ・ヴィクター、彼女は私の同級生であり、ライバルの少女だ。
彼女の年齢は私の四つ上の十六歳で、悔しいですが同性の私から見ても美しいと言わざるを得ない金の目と金色の髪を持っている美少女ですわ。
また、自称光の勇者の末裔(本当だった)らしく光属性の魔法なんかも使用することができ、私よりもほんの少しだけ強いですわ。
いえ、私が闇堕ちした以上私よりも『強かった』と言うのが適切でしょうか。力を得た今の私なら総合力でなら勝っているのかもしれません。
直接対決だと相性が文字通り死ぬ程悪いですが。
さて、そんな彼女は今、私の部屋にいます。
どうやら昨日『封印されし禁断の闇の魔本』の解読のために学園を休んだのを心配してくださったようで、わざわざ私の部屋まで出向いてくださったとのこと。
彼女にはまだ一応私が闇堕ちしたということはバレていないみたいですわ。
「ヤミ、体調崩してたんだ……。もう大丈夫なの?」
「もう完全回復ですわ! 授業にも問題なく出席できるかと」
──── 流石に『封印されし禁断の闇の魔本』の解読をしていた、とは言えないので体調を崩していたと誤魔化すことにしましたわ。
「ならよかった。…… 一応まだ熱が無いかボクが確かめるね」
「!?」
突然顔を両手で挟まれたかと思うと、ゆっくりとヒカリの顔が近づいてくる。クソっ、顔がいい……ですわ。
「えっ、ちょっと、何をなさるので」
挟まれた顔は動かすことができず、そんな中でもどんどんとヒカリは迫ってくる。もう既に吐息さえ肌で感じとれる距離。
せ、せめて目だけは閉じさせてくださいませ……。
ピト…っと"おでこ"に冷たい感触。
おそるおそる目を開けると目の前にはヒカリの顔。
「やっぱりまだ熱があるかも?」
「────ッ! もう大丈夫ですわ! 身支度をしますので部屋から出ていってくださいませ!」
あ゛ーーー、もう心臓に悪いですわ!!! 色んな意味で焦りましたわ!!!
最悪の場合、ヒカリの両手と口から光魔法ブッパされて物理的に脳破壊されるかもとか思っちゃいましたわ……。
可及的速やかに身支度を終えて部屋を出る。当然のように外ではヒカリが待っていた。
私が借りている部屋から学園まではある程度の距離があるが私は毎日歩いて通学をしている。当然、今日も歩きである。
「遅かったね、ヤミ」
「うるさいですわ! 淑女には時間が必要なのですわ!」
「ごめんね。いつもメイドさんにやってもらってるからそういうのわからなくて」
「嫌味ですの!? 」
「ご、ごめん。そういうつもりじゃなくて……。でもヤミは貴族だったよね。そういう人たちを雇ったり……」
「やっぱり嫌味で言ってますわよね!?」
ヒカリの実家であるヴィクター家は貴族では無いものの、この街では知らぬ人が居ないクラスの大商人の家、当然のようにお屋敷を持っていますし、使用人の方ももう沢山雇ってらっしゃいますわ。彼女の家に最初に行った時は空いた口が塞がりませんでしたわね……。
ちなみに、対する我がフォール家は代々魔術師として王宮に使えてきたエリートの家系でして、全盛期には王都近辺に肥沃な所領も持っていたらしいですわ。……全盛期は。
──── え? 今ですの?
……政治の民主化が進み、貴族という称号が名ばかりのものとなってから数十年。その苦しい状況の中でおファック曽祖父がやらかしまして、我がフォール家は財産の殆どを失ったらしいですわ。
そして、そのおかげで我が家は端的に言うなら"没落貴族"となりましたわ……。
さらに、私が産まれた頃には父が残り少ない資産を食い潰した挙句失踪、母は私が七歳の頃に男を作って蒸発、私は昨夜闇堕ち、と踏んだり蹴ったりですわね。
はぁぁぁぁぁぁぁあ、つれぇですわ。フォール家滅亡へまっしぐらですわ。
「……いえ、これから私がフォール家を再興しますの! 学園で学び、国直属の官僚魔術師になって王都に御屋敷を建てますのよ! そしてゆくゆくは魔術及び政治的に影響力のある名家としてのフォール家を確立しますわ。そして私もゆくゆくはこの国を裏から牛耳るような超大物になりますの。そう、ならなければいけません。なるのです、ならn ひゃん!」
首の裏、うなじの辺りを何かが這う感覚。……これは指ですわね。
側に立ちながらその行為をした当人は私の反応が面白かったのか、少し笑いながらこちらを見ていますわ。
「ふふふ、自分の世界に入っちゃってたから。……本当に体調は大丈夫なの? 学園お休みする?」
「いえ、何も問題ありませんわ! もし仮に熱があったとしても二日連続では休めませんわ! 私は学び自らを高めねば」
「そうだね、ヤミは特待生として頑張ってるんだもんね。学費として私の月のお小遣いの十分の一以下のお金も払えないんだもんね……。うん、頑張って」
「てめぇぶっ殺しますわよ!」
いえ、キレてはいけません! ビークール、ビークール、コイツにキレても痛い目を見た上でぶっ殺される未来が訪れるだけですわ……。
「わ〜こわい〜。ヤミに殺されちゃう~」
そう言って私を揶揄っていたヤミが唐突に足を止める。
「ふむ、なるほど」
「どうしましたの? 急に怪訝な顔をされましたが」
「ヤミっぽい匂いが少しする」
「私が臭いとでも仰られてますの!?」
「違う違う、闇の匂い。それに別に本当に匂いがする訳でもないから。なんていうか、闇堕ちした人特有の気配?というかそういうの」
「へ、へぇ……。ソ、ソウナンデスノ」
マズい、闇堕ちしたことがバレそうですわ。最初特に何も言われなかったから私から言わなきゃバレないと思ってましたけど想定外というか凄まじくヤバいですわ。
「しかもこの気配の主は凄いよ。私でも一筋縄じゃいかなそうなレベルの濃厚な闇属性だ。もし人間で言うならヤミレベルの優秀な魔術師だね」
「……優秀。へへへ、そんな褒められても嬉しくはありませんわよ」
ふふふ、優秀、優秀……。優秀かぁ。私優秀ですからね……。褒められても嬉しくありませんわよ。
「殺意とかは感じないけど警戒するに越したことは無いね。一応ヤミは今日は一日ボクから離れないでくれるかな? 危ないし」
「いえ、結構ですわ。私は優秀な魔術師、自らで自らの身は守れますもの」
冗談じゃないですわ。こんなすぐに私が無意識に放っているだろう闇オーラに気付くような人の傍に一日中いたら否が応でもバレますわよ。
「でもヤミは病み上がりでしょ? 」
「それは……そうですが。それくらい大丈夫ですわよ! 私を何だと思ってますの?」
「……、いや、…………うん、そうだね。ヤミは優秀な子だね」
「何言い淀んでますの! 怒らないから言おうとしたことを言ってくださいまし! 気になりますわ!」
「……怒らないで聞いてね、私はヤミのことを……、犬だと思ってる。それもちょっと噛み付いてくる可愛いタイプのちっちゃいヤツ」
「────っ!!」
私キレましたわ! 完全にキレましたわ! ぶん殴りますわ!
「ちょっと、パンチするのやめてよ。怒らないって言ったじゃん」
「限度ってモノがありますわよ!」
「ところでちょっとパンチ力上がった?」
「──── ソンナコトナイデスワヨ。キノセイデハナクテ?」
「そっか、気のせいか」
あっぶね〜ですわ。こんなくだらないことで闇落ちバレするかと焦りましたわよまったく……。
でも闇堕ちバレたらどうしたらいいんでしょうね。ヒカリとは戦いたくないですから、逃げるしかないとしてどうすればいいのか。
未来の私は闇堕ちして即ヒカリを殺しに行きましたが今思うと無謀がすぎますわね。
というかこれからどうしましょう。匂いなるものが分かるのなら闇堕ちバレは本当に時間の問題ですわね。はぁ……、鬱い。
もうどうしようも無いのかもしれませんね……。このままだと学園にも通えなくなるかもしれませんし、頼れる人なんていませんし、私十二歳ですし……。
そう考えていた矢先、唐突にヒカリが足を止めた。幸い周囲に人はあまりおらず、通行の邪魔になることは無いようだ。
「どうしましたの、急に足を止めて……」
「ヤミは本当に強くなったね。」
ヒカリはおもむろに虚空から光り輝く剣、記憶で見た事のある『聖剣』を取りだした。
え?
「そういえばさ、ボクの一族が闇落ちした人に何をするかとかこれまで説明したことがなかったね」
「──── そうですわね」
「ボクの一族はさ、闇落ちした人を代々受け継がれてきた光の聖剣で殺さなきゃいけないっていう掟があるんだ」
「──── へぇ……。物騒ですわね」
「光の聖剣は凄いんだよ。相手が闇属性のなら必殺と言ってもいい程の力を発揮するし、闇属性の相手がどこにいるか、なんてこともわかったりする」
「ほへ?」
そう言って突如、ヒカリは私を路地裏へと引きずり込んだ。
えっ? やべーですわ百合乱ぼ……、いや、ヒカリが言っていたことが正しければ、コイツ最初から私が闇堕ちしていた事をわかっていた……!
「ちょっとだけ遅刻しちゃうかもな……。『光空間転移』」
あぁ、これは……、
──────── 目の前に広がるのはひたすらに真っ白な空間、地面も空も何もかもが真っ白で、果てしなく広大であること以外の情報量がまるで無い世界。
……詰み、ですわね。
目の前には先程と聖剣を持っている以外は全く同じヒカリの姿。本能がこの場から全力で逃げろと言っているが、理性と知識はどう足掻いてもヒカリの前、さらに言えばこの空間から逃げ出すことは不可能だと断言している。
「ヤミ……」
ヒカリが、どこか哀れむようなそんな目でこちらを見て私の名前を呟いた。
「せめて一思いにやってくださいませ」
「抵抗とかしないの?」
「心は既に折れてますもの。それに、未来の記憶、今ヒカリが使った魔術、この光属性の空間を複合的に見るに勝ち目がないことはわかってますわ。痛いのは嫌なので一瞬でお願いしますね」
「未来の記憶……、そっか、ヤミは優秀な魔術師だから闇属性魔術での記憶遡行をできたんだね。となると遡行する前のボクはヤミを……」
ヒカリが頭に手を当てる。どうやら何かを考えているらしい。
「どうしましたの? 早くしてくださいませ」
「……夢が、あるんじゃなかったの? ほら、フォール家再興のやつ」
「あぁ、死ぬ前に聞いておきたいことがあるってやつですか。どうせ死ぬならもう色々言ってスッキリしてしまいましょう。本心を言うなら、そんなことは、フォール家なんて私にはどうでもよかったのです」
「えっ……?」
「ヒカリ、気力に溢れていてポジティブで明るくて輝かしい未来を見ている、そんな女の子が急に闇堕ちすることって普通に考えて無いでしょう。私だってあんなフォール家再興計画なんて夢物語だってことは知ってますのよ。いつも馬鹿な事言ってたのはそうやっている方が色々考えなくて楽だからですわ」
ヒカリが驚いている。もしかすると想像だにしていなかったのかもしれない。
「あぁ、でもここに来たばかりの頃は本気で再興だのなんだのを考えていましたよ、飛び級で入学した麒麟児、齢十にして基本属性を全て扱うことのできる神童、天才、そんな風に言われ続けていましたからね。その上ひどく世間知らずときた。でも途中で気付きましたの、政治家も官僚魔術師も、所詮は世襲や既得権益だらけで後ろ盾が無く横の繋がりもない孤児同然の幼い私がここから参入することは不可能。没落貴族などという平民もどきには家の格なんてものも無く、例え仮に政治家や官僚魔術師になれたとしてもその中の下っ端で使い潰されるってのがオチでしょう。それに、武器である才能って面でも私を超える人間なんて何人もいますわ。例えばヒカリ、貴女みたいな人が」
「で、でもヤミはボクよりも四歳も年下なんだよ? 同い年だったら……」
「仮にヒカリと私が同じくらいの才能を持っていたとしましょう。同い年だとしましょう。仮に私の方が少し上だったとしましょう。それでも結局は家っていう最大の差があるでしょう。私が飛び級したのだって結局はまず今まで教育機関に通っていなかったから。貴族や裕福な家庭の方々は幼年期も独自の学び舎へ行きそこでコネクションなどを作りながら育っていくのでしょう。そんな中では飛び級なんてする必要はないですものね、どうせそんな奴らは私のことを影で貧乏だとか平民もどきだとか嘲笑っているんですわ。そいつらはどうせ私より魔術が下手でもいいポストにありつくんでしょう。はぁ……。というか、そういう家と才能両方併せ持ってる奴筆頭はヒカリ、貴女でしょうに。あぁ、苛立ってきましたわ。光の聖剣なんて大層なものを受け継げていいですわよね、生まれながらにして何をすればいいのか決まっていていいですわよね、両親が居ていいですわよね、頼れるものが自らの頼りない才能ばかりじゃないっていいですわよね、正しくいられる心の余裕があっていいですわよね! 最初はもう闇堕ちする以上どうにでもなれ、世界の敵のような存在になるなら私よりも恵まれてる貴女を今の段階、私と辛うじて同等の地位にいるこの段階で殺して溜飲を少しでも下げてから私も死ぬって覚悟でしたのにあんなのはズルいですわよ。あのとき完全に心が折れましたわ。今までの努力に死を条件にした強化まで加えて尚、全く届かないなんてあんまりじゃないですか。どうすればいいんですか。答えてとは言いません。貴女を本気で責めたいわけでもありません。才能があった分私も他の人よりも幾分が恵まれていたってこともわかってます。それでも私は貴女がひどく羨ましい、妬ましい、全部奪ってしまいたい。でも、そんなことを、友人の貴女のことをそんな風に考えてしまう才能も人としても何もかもダメな自分のことを考えると消え去ってしまいたくなるのです。はぁ……。何言ってるんでしょうね私」
言葉が喉の奥から尽きることなく出てくる、涙が溢れてくる。息が苦しい。それでも言葉を繋げることができていたのは今まで続けてきた詠唱の練習の成果だろうか。
「思ってたことを色々と吐き出せて少しスッキリしましたわ。ほら、さっさと私を殺してください。ちょっと色々と急ぎすぎたせいで疲れましたの。丁度いいタイミングですわ」
「……」
「掟があるんでしょう? こっちも今後地獄に来るであろう両親を酷い目に合わせる魔術を考案しなきゃいけないので早くしてください」
「……じゃあさ、最後に一つだけ聞いていいかな、ヤミは本当に今、"死にたい"なんて思ってるの?」
「当たり前でしょう!」
「だったらどうして記憶を一度過去に送るなんてことをしたの?」
「それは ────」
「勿論ボクに殺された時と今の気持ちは違うんだと思うよ。あくまで記憶を引き継いでいるだけだろうし。それでも、その時のヤミが"死にたい"って本気で考えてたら記憶なんて送らないよね? なら、似た状況の今のヤミも本気で"死にたい"なんて考えているとは思えない」
「ヤミが小さいのに人一倍頑張ってたことをボクは知ってるよ。無理をしてたことも……。それはまぁボクが思ってたよりもずっと深刻だったけど、それでも今ならわかってあげられる。本当に頑張ってたんだね。えらいえらい」
ヒカリは私の頭に手を乗せ、優しく撫でた。 こんなふうに褒められたのは生まれて初めてだ。
実にありふれた、凡百で短くてこの世界で同じようなことを言われた人は何人もいたであろう、そんな言葉。
ただ、そんな言葉がわたしの心をひどく強く打った。
いけない、何度も拭き取った筈なのにまた目が滲んできた。
「お父さんとお母さんにもう一度会いたい、ベットで一日中寝てたい……、まだっ、まだ死にたくないよ……」
涙が止まらない。息が詰まる、膝から崩れ落ちる。目を擦っても擦っても視界がぼやけている。今から自分を殺そうとする相手の前ということはわかっているのに、覚悟していたはずなのに、なのに死にたくない。
その時ばかりは私はただの十二歳の少女に戻れた気がした。
「──── よく言ってくれたね」
ヒカリが私のことを抱きしめる。
優しく、ギュッと、聖剣を傍らに置いた上で私の目線に合わせて屈んでくれている。
暖かい。とても安心する。私の背中に置かれていたヒカリの手がその場を離れ、ゆっくりと首に伝っていく。
縊り殺されでもするのではないかと一瞬思ってしまいましたが、その手つきは優しく……。ゆっくりと、ゆっくりとなぞっていくような、壊れ物を触るような、そんな風で。
そのどこか夢を見ているような状態の中でカチッと妙な音が私の首元で鳴った。
「え……?」
あれ? 力が抜けていく……。何これ、何これ、何これ?
首輪? いや、触れている肌の感覚からして恐らく布製、チョーカーの類だろうか。とにかく、なにか良くないものであることは分かる。
「安心して、ヤミ。別に死ぬわけじゃないから。……いや、ヤミならそれがすぐにどんなものか分かるよね。そういうこと」
「ふむふむ、魔獣に取り付けるマジックアイテムを応用して効果範囲を拡張、闇堕ちした人間に取りつけることができるようにしたもので、取り外そうとした時、もしくはこのアイテムの元の所有者もしくは対になるアイテムを持っている人物、今回の場合はヒカリが信号を送ることでこのアイテムを付けられた人が光魔術によって死亡させられる……。と、こんな感じですわね。何やってくれとんじゃ!?ワレェですわ!? アホちゃうんか?……ですわ」
「良かった、泣き止んだね」
ヒカリが聖剣を謎空間にしまいながらそう言った。えっ、コイツ、えっ?
「別の方向性で泣きそうですわよ!? 倫理観とか人道とか道徳とか、そういうのって無いんですの? まぁ問答無用で殺されるよりはマシだとは思いますけれども……」
「ごめん、……実はヤミに一つ謝っておきたいんだけどね、光の勇者の一族の掟って闇堕ちした人を全員殺さなきゃいけないってわけじゃないんだ。あくまで"人に害を与える"闇堕ちした人を殺さなきゃいけないってだけでさ。闇堕ちしちゃったけど人に害を加えるつもりのない人にはそのアイテム付けて終わりなんだよね」
あー、なるほど。つまり記憶を送ってきた私は本気でヒカリを殺しに行ったからそのまま返り討ちにされたけど、今回は完全に心バッキバキで人に害を与えないであろうと判断されたからセーフと。
「さっきの掟云々はヤミを驚かすくらいの気持ちで言ったんだけど……。本当にごめんね? 正直ヤミがあそこまで追い詰められてるなんて思ってなくてね。軽いノリで闇堕ちしちゃったのかと思ってた……」
「闇堕ち自体は割と軽いノリでやってしまったので当たらずとも遠からずというか……。ところでこれから私はどうなるのですか? やはり退学からの投獄などでしょうか」
「いや、別になんとも。そのチョーカーを付けてるってことはもうボクが『ヤミはもう安全だよ』って証明しているのと同義だからね。でも悪いことしたら即首チョンパだよ」
「あっ、そうなんですの……。結構物理的な光魔術でぶっ殺されますのね」
首に手刀を当ててスパッと切り落とすポーズをするヒカリ、ビビる私。
「……そういう感じになりますのね、退学とかは無い……ですが、私は故郷に帰ることにしましょうかね。なんかもう学園で魔術を学ぼうと思えなくて。あぁ、でも監視とかされるんでしょうし特定の街とかにいなければならないのでしょうか」
「それはダメだよ」
「え?」
「監督責任ってのがボクにもあるからね。ヤミにはボクの目につく場所にいてもらわなきゃ」
「いやいや、別に私は何もしませんわよ? それに、なんでチョーカーを付けた本人が直に対象を監視するんですの? 非効率なシステムにも程がありますわ」
「……嘘つく理由もないから言うけど、本当ならその首輪を起動できるアイテムのは国が管理することになってるんだよ」
そりゃそうでしょうね。監視なんて闇堕ちした人を捕えられるような魔術師にやらせる仕事ではない。
「ただ、その上でボクはヤミをボク自身が監視することにしたんだ」
「なにゆえ!?」
非効率の極みでは無いこと!? それに私一回別の世界線とはいえヒカリをぶっ殺しに行ってますのに!
「理由は幾つかあって、まず、友達の生殺与奪の権利を他人に握られるのが嫌っていうのが一つ目。二つ目はなんかヤミの心が割とヤバかったから友達として可能な限り傍にいてあげようと思ったから、三つ目はヤミを学園に行かせてあげたいから、四つ目はヤミがペットみたいで可愛いから」
「おい……ですわ」
ペットて、というかさっき『犬みたい』って言った時もしかしてこのチョーカーを着けた姿を想像して言ってましたの? やっぱぶん殴るべきでは?
「五つ目は……、いや、言わない方がいいね。うん、そんなことより学園だ。早く行かないと遅刻しちゃう『回帰』」
これは先程のこの空間に転移してきた時の光魔術と同じモノ……。ふむ、転移と言うより正確に言うと超加速によって擬似的な時遅化現象を起こしながら特殊空間を形成し、あたかも転移したように見せ掛k……。
目の前が光に包まれ────気が付くと元いた路地裏に帰ってきていた。
「ほら、早く学園に行こう」
ヒカリが私の手を取って歩き出す。一歩踏み出せば先程まで歩いていた大通り、朝の陽射しに照らされて活気に溢れるその道が、いつもよりも綺麗に見える。
「えっ、ちょっと、待ってくださいまし。私まだ貴女と一緒にこれから学園に行くなんて言ってませんわよ」
「まだそんなこと言ってるの? コレが思春期ってやつか……」
は? 思春期? このヤミ・フォールがそんなホルモンバランスの乱れごときであれほどまで気に病んでいたと?
……まっさかー、そんなことあるわけないでしょう!!
強い力で引っ張られながらそう思っていると、私の手をヒカリが強く握った。
「ねぇヤミ、キミがこれから生きていて良いことが沢山あるって保証をすることはできないし、ここから後悔することが沢山あるかもしれない。それでもさ、ボクに騙されたと思って少しだけ生き延びてみない? きっと今日一日くらいは楽しいよ」
「それは……、そうですね。ではもう少しだけ頑張ってみますわ。精々頑張って私のことを騙してくださいね、ヒカリ。でもダメだったら責任は取ってもらいますわよ? こんな首輪では無く貴女の手で……、ね?」
「|はいはい、善処しますよ。それじゃ、学校行こっか。このペースで歩いてたら遅刻しちゃうから走るよ!」
ヒカリが私の手を引き、凄まじい速度で走り出す。
あっ、この女、魔術で肉体を強化してますわね! 私の十二歳児ボディのことをなんだと! このままだとヒカリが涙ポロポロの跡がある息ゼーゼー首輪付き美少女を侍らすヤベー女扱いされますわ!!
「えっ、ちょっと待ちなさい、私貴女ほど体力もフィジカルも無いのですわ、それにこれは貴女の名誉のためにも言ってますの……、いや、私全然走れてますわね! これが闇堕ちの効果! これが無敵の肉体……! これが力……!」
「ふふっ……」
あっ! 今ヒカリに鼻で笑われましたわ! ぐぬぬ……。
走って走って走って、もう少しで学園に着く。時間は全然余裕そうだ。
そんなタイミングで私は握っていたヒカリの手を離し、立ち止まった。
そしてヒカリに向けて指を差して宣言する。
「時間は大丈夫そうですわね……、ヒカリ! 今日は情けない所を見せましたが、学園でこれから学んで学んで学び尽くしていつか貴女を超えてみせますわ! あの時殺しておけばよかったと思わないでくださいませ! 」
「走っている間に吹っ切れたんだ。やっぱり運動って大事だね」
「人の話をちゃんと真面目に聞いてくださいませ! そこはなんか、こう、『ボクを超えてみせろ!』って言ったり、不敵にニヤッって感じに笑っておいたりするところでしょう」
ヒカリがすっごく面倒くさそうな顔をしている。ロマンとかお約束とかそういうのわかってないですわね……。
「ま、まぁでも今日の事はとても感謝してますわ。ヒカリ、本当にありがとうございます」
口から出たこれまた安っぽく凡百な、されど本心から来るお礼の言葉。
あまりにもそれが私の柄に合わないからかヒカリが笑って、それにつられて私が笑って。
……二人で笑いあっていたら何だかすっかり今日という日が楽しくなっていた。
感想等頂けますと作者がとても喜びます