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■#06 小湊みかずき


 予期せぬ来訪者の訪問に、俺は一瞬トリップしかけた。なんと言っても『推し』がすぐ目の前にいるのだから。

 ナデシコの花のように紫がかった桃色の髪、水晶玉のように見た者を引き込ませる大きな紅桔梗(べにききょう)色の瞳、庇護欲を掻き立てる小さく華奢な体躯──その姿は間違いなく、幾度も画面越しに見た二次元側の住民そのもの。


 間違いなく、【V(バーチャル)tuber(アイドル)】そのものが俺のアパートの戸を叩いて、俺に引っ越しの挨拶をしに来たのだ。

 お前は何を言ってるんだ、と言われるかも知れんが現にそういう状況なんだから仕方ないだろう。

 『二次元が三次元(こちらがわ)に居る』

 これをどう表現したなら現実世界にいるキミ等に伝わるか……少なくとも、文字だけでその憧憬とこの時の心情を表すのは今の俺には不可能だった。

 だが人間とは面白いもので、人は目の前に何かしらの感情を(あらわ)にしている人間を見ると逆に冷静になるらしい。【謎の世界】【Vコンテンツの消滅】そして【推しそのものの娘が目の前にいる】──キャパの限界を越えていた俺ではあったが、引っ越しの挨拶をしに来ただけで天変地異にあったかのようなリアクションをしている娘を見て落ち着く事ができた。


「──あぁ、ご丁寧にどうも」


 娘のか細く消え入るような挨拶に、気づいた時にはこちらも当たり障りない受け答えをする。


「もしわからない事があれば、気軽に聞いてください」


 推しの反応も待たずに、口は更にフルオートで次の言葉を紡いだ。


「え………ぁ……ぁりがと………ござぃます……」


 瞬間的な静寂ののち──面食らったような表情をした娘だったがほんの少しだけ緊張を和らげたように見える。視線だけは変わらずに俺の顔の横にあるドアの蝶番辺りを向いていたが。


「…………ぁ…………ぁ…………………………………………」


 そしてそのまま、あちらこちらに視線を泳がせ始めた。吐息と間違われるような僅かな微声を伴いながら。


「どうかしました?」


 冷静沈着になっていた俺は彼女に問いかけた。もしも訪問者が陽キャだったら、俺も今の娘と同じようなコミュ障ムーブをかましていただろう。


「……………………ぁ…………………………………………ぅ」


 俺の問いにも、娘は嗚咽のような声を発するだけで何も答えない。その姿を見て、俺はどこか懐かしき既視感を覚えた。


 それは『推し』の初めての配信。

【V-tuber 小湊みかずき】の無言配信。

 言いたい事を言えず、それでもどうしてもなにかを伝える事を諦めきれない葛藤。


 きっと何か伝えたい事がある──そう感じた俺は彼女にそれ以上の問いかけはせず、ただ、待った。

 

「…………」

「………ぅぁ…………」


 そしておおよそ10分程の静寂を経て娘は、意を決したように後ろ手に組んでいた両手を前にして俺に何かを差し出した。

 小さい紙袋のようだが中身まではわからない。恐らく挨拶を兼ねた粗品のようなものだろうと脊髄が勝手に答えを導き出した。


「わざわざすみません……ありがと──」


 俺が紙袋を受け取ると──お礼を言うよりも早く、娘は一目散に自室へと戻っていった。というか、受け取った瞬間にはもう目の前から消え去っていた。瞬間移動か。

 それとも、今見たもの全てが夢幻かなにかだったのだろうか。


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──そして、前回の冒頭……つまりは現在に至りる。

 起きた現実を改めて脳が咀嚼(そしゃく)して震えた指でドアを閉めた。そして今こうして動揺を誤魔化すようにキミらに語りかけているわけだ。

 しかし、再び思考し始めるとまたもや答えの出ない謎に囚われた。


 手に持った紙袋──これだけが、この現実が夢ではない事を示しながら。


 あの娘は間違いなく『推し』の【小湊みかずき】そのものだった。

 容姿、体躯、仕草、挙動、声までもが以前の世界に居た『推し』本人だった。そもそもが自身の事を【小湊みかずき】と名乗っていたのだから議論を挟む余地すらない。

 だが勿論、よく似た別人──ただのコスプレイヤーであるという考えも否定はできない。それはそうだ、なんと言っても『推し』は【バーチャルアイドル】なのだから。その辺りを混同して夢と現実の境を違えるほどに俺は寝惚けてはいない。

【V-tuberとしての『推し』が消滅していたと思いきや、隣人として越してきた人物が『推し』でした】──なんて、ご都合主義ラノベタイトルそのままだ。


「やはり、まずは調べみるか……この世界のことを」


 もう日が暮れた夜を示しているのか……この世界の空は気色悪い紫色に変化していたが、絶望の深い(やみ)から少しだけ明るい桔梗(ひかり)を垣間見た俺は再度デスクへと着き、PCを立ち上げた。



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