76、異世界の街で街ぶら
私たち未だ見ぬ地平線が現在ホームとして設定しているのはオ・ジィオー王国に属するオウブルという城壁のある“街”だ。
オ・ジィオー王国は人の支配地域である大陸の南側に位置しており、オウブルはその中でも辺境よりの街だ。
辺境よりではあるが、緩衝地帯となっている終絶の地の影響で魔人との戦いが少なく、人々の活気に満ちた場所である。
城壁の前に広がるバラックを通り抜け、門を潜る。
門を通る際に衛兵による鑑定がかけられるので街の中は安全である。
Sランクパーティーともなると衛兵も顔を覚えてくれているから検査なしで通ることができる。
ゲストである投神殿は念のため鑑定はかけられたが、属性だけの判定だったようですんなりと通ることができた。
このオウブルで定宿として利用しているのは『白い砂浜亭』という冒険者専用の“宿”だ。
神によって“聖別”された宿であり、冒険者が眠ることにより回復でき、そして唯一レベルアップアップが行われる場所である。
私たちはこの長征で得た莫大な経験値があるので、ベッドから目覚めたときにレベルが10以上も上がっている可能性があるのだ。
レベルが上がり、新たな力が漲った身体で迎える朝は冒険者の最も嬉しい瞬間である。
「やっと帰って来たぜ!
とにかく寝よう!」
「レベルアップが楽しみにゃ」
「水浴び!ベッド!」
「明日から忙しくなるが、先ずは休息だな」
久しぶりの宿での宿泊にみな浮き足立っている。
調査依頼の事やヨゥトの事、死にかけた事は今は考えないようにしよう。
「皆、お疲れ様!
とにかく今日は寝て、明日のことは明日にしよう!」
「「「賛成!」」」
「それでは解散!」
皆は宿の受付に行き、個室に入って行った。
定宿として登録してあるから部屋に荷物も置いたままである。
私も今だけは全てを忘れて、久しぶりの水浴びを楽しもう!
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「なぜ俺は入ったら駄目なんだ?」
従業員の女の子の言葉は全く分からん。
他のみんなは奥に消えて行ってしまった。
何となく宿泊施設というのは分かるのだが、何故か俺だけ呼び止められたのだ。
みすぼらしい格好だからか?
料金先払いシステム?
でも他のみんなはお金を払ったようには見えなかったぞ。
従業員の女の子は俺に怯えているようだし、言葉が通じないからどうしようもない。
ここは引き下がるか…。
「悪かったね、お嬢さん」
俺はその宿らしき建物から出た。
夕方という時間帯だからか、多くの人々がせわしなく行き交っている。
「ここが夢にまで見た文明圏…」
ワープで連れてこられた時はびっくりしたが、念願の人々の生活の行われる場所に居ることが嬉しくて仕方ない。
この人の流れを見ているだけでも感動でガッツポーズをしてしまう程だ。
人々の服装は様々だが、衣を前で合わせて帯で留める感じが一般的なようだ。
日本やアジアで見られる巻き物系の造りと似ている。
袖がなかったり生地が薄かったりするのは、ここは気温が高い地域なのだろうか。
この世界の人々の顔は、前の世界におけるヨーロッパやアジア系、インド系などに見える様々な人種が入り混じっているようで、それに加えてウチの獣娘のように耳が猫のように大きい者や、イケメンエルフ、背が低いが筋肉の塊のような人々など多種多様な“人”がいるようだ。
見た感じでは互いに差別はなさそうで、みな活気に満ちて自分のすべき事に勤しんでいるようだ。
「良いな、この街…」
みんなの顔が活き活きとして、喧騒に包まれる街は見ているだけで楽しくなってくる。
俺もその雑多の音の一つに加わりたい。
お金はないが、先ずは見学だ!
俺はウキウキと人々の流れに乗って街を歩きだした。
人々の暮らしぶりは中世から近代という感じか。
でも21世紀の世の中でも、ここ以下の文明レベルの場所はいくらでもあったから一概には言えない。
建物は石造りの立派なものから、粗末なテントやタープなど様々で、商店や食事処などのお店が並んでいる。
久しぶりに手の込んだ料理の匂いにお腹がグルグルと鳴るが無一文なので干魚をしがんで紛らわす。
ここは市場か…?
簡易なテントがひしめく一帯に流れ着いた。
みんながテントで売られている商品を覗き込み、会話している。
お、武装した冒険者の御一行が何かを買っている。
お金のやり取りはなく、商品を受け取ったぞ?
商人は冒険者に対して怒るでも萎縮するないフラットな感じだから、無理やりではないのだろう。
ふむ。
他にも売り買いを見ていると、普通の格好の人でも金属製のコインを交わす場合と、会話だけで商品を渡す場合があるようだ。
謎だ。
気の良さそうなおばちゃんの店先に立ち、商品を眺めるついでに売買を観察しよう。
こういう見知らぬ文化圏では周りの人々の行動を真似るのが大事。
他の客の挨拶、交渉、売買の仕方…。
おっと、おばちゃんに話しかけられたぞ!
何か返事せねばなるまい。
「こんにちは!」
「…こんにちは」
よし、第一関門突破。
「あんた、何のγ⊆βΑΩを∉Ψ∟∃⊆してるんだい?」
はい、分かりません!
でもこの場面的には、お前は何を買うんだ?ってことだろう。
「これは、いくらだ?」
適当に店に売られている細い木の枝の束を指差した。
さっき別の人が買っていったからだ。
「ひ、νω∩⊄Ωだよ」
おばちゃん、笑いをこらえてるね…。
やはり俺の言葉は一応伝わるが、笑ってしまうほどの滑稽なもののようだ。
だが、困ったぞ。
数字がわからん。
前の世界ではどこに行っても通じたアラビア数字も使ってないようで、手書きでも伝わらない。
イチかバチかだ。
「これでどうだ?」
俺はリュックから小さめの小石を取り出して、おばちゃんに渡す。
おばちゃんはジロジロと小石を見たあと、何か早口で喋っていたが一切聞き取れず。
石を返してきた。
残念ながらこれでは変えないようだ。
でもおばちゃんはしきりに左の一角を指差して、そこに行けというような感じだ。
よく分からないけど行ってみるよ。
「ありがとう」
「…プッ、アハハハハッ」
最後に堪えきれずに笑いだしたな、おばちゃん…。
でも悪い気はしない。
おばちゃんからは侮蔑も恐れも感じない、カラッとした笑いだった。
小石を出されるのはよくあることのようだった気がする。
とりあえずおばちゃんの指差した方向に行こう。
ゴールが何か分かってないのだが。
しばらく進むと少しテントの無い開けた場所に出た。
石造りの立派な建造物がある。
宗教施設のようで、静々と人が出入りしている。
服装も聖職者っぽい人が比較的多い気がする。
興味深いのでちょっと入ってみようか…。
おっと、ここで前の世界で色んな国を放浪した時に得た心得を思い出そう。
それは『浅い知識でその国の宗教、政治、歴史に首を突っ込むな』である。
それに触れるのはその国に長く暮らし、しっかりと文化への理解を深め、自分のスタンスを確立してからではないとトラブルが発生するのだ。
会話もままならない状態で宗教に関わるのはNGと判断。
鎧美女チームのいないお一人様状態では尚更である。
華麗にスルーだ。
「おや?」
その宗教施設の手前の公園のような場所に女神像がある。
どことなく鬼プロデューサーの冷たい…いえ、クールビューティーなお顔立ちでございます。
その手前に人だかりがあり、音楽が聞こえる。
誰かが楽器を演奏して歌を歌っているのだ。
海外ではよくあるバスキングをしているのだろう。
後ろ姿で顔は見えないが若い女性が独りで演奏しているようだ。
その美しい歌声は魔声帯の音も交わり、複雑な多重音を奏でながらもどこか懐かしさを感じさせるものだ。
そして感情を掻き立てるように掻き鳴らされるギターのような楽器。
悲しい曲なのか楽しい曲なのか分からないが、聴衆の心を揺り動かして、静かに演奏が終わっていった。
女性の演奏者は女神像に向けてお辞儀する。
大きな拍手が起こる。
女神像に向けて歌っているかたちをとっているのか。
数十人の聴衆は笑顔で女神像の前にコインを置いていった。
演奏者はそれを全て回収し、そのあと改めていくつかのコインを捧げた。
前の世界のテレビの芸能人のように美しい女性だ。
「これだ!」
急に大声を上げた俺にその女性はビクッと身を竦めた。
「あ、ごめんごめん」
お金を稼ぐ手段が俺にはあったことを思い出して、興奮してしまった。
お許しください、美しいお嬢さん。
前の世界で大学生の頃、ジャグリングにどハマりしてオーストラリアで開かれた世界大会に出場したのだが、その大会終了後に有り金を全部詐欺にあって盗られてしまった。
お師さんに貰った金や大会の賞金まで全て無くなって途方に暮れていたのだが、それ見かねた大会出場者の知り合いがオーストラリアならバスキングで稼げるぜと誘ってくれたのだ。
事前に市役所に登録が必要なのだが時間がかかるということなので、許可証のいらない地域を巡って一緒にジャグリングを路上で披露した。
いや〜あの時はウケたね!
組んだ彼は英語が堪能でトークが面白いし、俺は技術担当的な役割で毎回多くのお客さんが集まってくれた。
お陰で結構な額のお金を稼げたし、そのバスキングの最中に出会ったのがアボリジナル・オーストラリアンの師匠なのである。
人生って何が起こるか分からないよね。
この女神像の前でバスギングをするのにも許可がいるのかもしれないが…。
まぁ怒られたら謝ろう!
綺麗な歌うたいの女性が女神像から退く。
次にパフォーマンスをする人はいないようだ。
なら俺が投げさせてもらおう。
「ショータイムだ!」