32、満月の姫神湖
大学2年の頃、俺はジャグリングを極めんと勉学をそっちのけで日々トレーニングに励んでいた。
ジャグリングは色々種類があるのだが、俺がやるのはもちろん投げ系のトスジャグリングだ。
どこの協会にも属していないが、仲良くなった海外のジャグラーの推薦もあり色んな大会に出たりしていた。
そしてついにオーストラリアで開かれる世界大会に出られることになり、猛練習をしていたのだった。
大会を控え忙しい日々を過ごしつつも、ジャグリングの練習の後には天現捨投流の秘匿道場に顔を出して投げ技の修練を積んでいた。
しかしそんな投げにこだわり、投げ技しか習得しようとしない俺のことを苦々しく思ったのか、親戚達が俺を糾弾することが多くなっていた。
俺的には宗家とか継承者とかなんてどうでも良く、外すなら外してくれと告げているのだが、そうはいかない理由があるらしく話し合いはいつも平行線のままだった。
お師さんはいつも投げ技以外も習得させようとはしていたが、基本的には俺の意思を尊重してくれていた。
そんな二十歳になる少し前。
お師さんは夜の姫神湖に俺を連れて行き、水切りをやって見せた場所の付近の岩に腰掛けた。
大事な話があるのは湖に向かう前から分かっていた。
流派の師匠として、親代わりとして長い時を一緒に過ごしてきたからな。
「渉、お前ももうすぐ二十歳になるな
もう全てを自分で決め、行動していける大人になる
我ら天現捨投流は知っての通り、殺人を目的とする危険な技を使う集団だ
乱世では重宝されてきたが、今では国からの厳しい管理を受けてる
流派の技を習うには国への登録が必須であり、一定以上の技術を習得した者は特殊公務員としての活動を課せられるんだ」
「えっ、お師さんも公務員なの?」
「そうだぜ、知らなかったのか?」
「全然」
「秘匿道場は金を取らないだろうが
どうやって収入を得てたと思ってんだ」
「た、確かに!」
「その特殊公務員になる、つまり国に首輪をつけられるかどうかの判断が二十歳から行われるんだ」
「俺、のことだな」
「そうだ
お前は投げ技しか習得してないが、流派の使い手としての能力は充分にあると判断している」
「お師さんはその公務員に俺がなるのは否定的なんだろ」
「……」
「その特殊公務員になれば何をするんだ?」
「詳しくは言えない
言えないが、望まないこともやらねばならん」
「…そうか
じゃ、特殊公務員にならないとしたら?」
「お前がもし特殊公務員にならないとなれば、秘匿道場へ通うことは許されないし、赤峰家から出なければならない
そしてもし、流派の技をもって悪事を成した場合は、流派の全ての使い手がお前の敵となり、始末するだろう」
「なにそれ、超怖いんですけど!」
「最悪の場合、な
まぁ今すぐに決めないといけない訳ではない
昨今の情勢を鑑みて、一般人が就職する時期だ」
「つまり大学生の間で決めろってことだな」
「だな
そして海外旅行とか留学した場合は、その分延長される
だから渉、ふらっと数年ほど海外に行ってきて良いぞ」
「は?」
「色んな文化を見てから決めても遅くはない
そのあいだ親戚連中は俺が抑えといてやる」
「……親戚連中もその特殊公務員なのか?」
「そうだ
国から我が流派へおりる予算取りもあるから、やきもきしてるのさ」
「なるほど」
「ちなみに公の名目は伝統芸能の保護、が目的の予算らしい」
「なんだよそれ……って合ってるのかも?」
「家柄的にはお前が行く行くは宗家代表になるんだが、お前が辞めるとしたら予算が付かなくなる恐れがある」
「それでか」
「お前の両親の件もあって神経質になってるのさ
そのお両親のことなんだが……」
「……俺の両親も特殊公務員だったのか?」
「そうだ
そして公務中に事件があって殺された」
「えっ?!交通事故じゃなかったのか?」
「…お前の両親はなかなかの使い手でな
至兄の射撃術は一族でもトップレベルだったし、明美さんのナイフ術もすごかったぜ!」
「ま、マジか!全くそんな風に見えなかったけど?」
「二人ともぱっと見は一般人のそれだったからな〜
だからこそ潜入とか、隠れ要人警護とかに駆り出されていた」
「そうなのか……」
「……ある日、俺に要人警護の仕事が依頼が入った
しかし既に別の仕事を受けていたんだ
お上の手違いだったんだな
それで親戚連中は協議をして至兄と明美さんのペアに仕事を振ったんだ」
「………」
「そしてそこで某国のテロに巻き込まれて……」
「……」
「だからお前の両親の死は俺にも責任がある」
「!」
「本当にすまなかった!」
頭を下げるお師さん越しに、満月が見えた。
今夜もあの日と同じように湖面は静かに月を映している。
お師さんが投げ飛ばした大岩はあの辺りに沈んでいるだろうか。
「………お師さん、それをずっと言いたかったんだろ?
何か言いたくても言えないことがあるのは気付いてた」
「あ、あぁ…」
「俺も言えなかったことを言うわ
流派の指導者としてだけじゃなく
家族として、いままで育ててくれてありがとう」
「……何だよ!渉!
俺はお前に一発殴らせてやるつもりで来たのによっ
逆に感謝されると調子が狂うじゃねーか!」
「ケケケケッ」
「でもよ、俺もお前に感謝してるよ
至兄たちが殺られて、俺は敵を討ちに行くつもりだった…
某国に乗り込んでな
行ってたら生きては帰れなかっただろうがな
それを思いとどまらせたのは、お前の存在だ
至兄に言われてたんだ
もし何かあれば渉を頼むってな
悲しみで壊れそうなお前を置いて、自分だけ目的を果たして終わりじゃ、至兄に怒られちまう
だからお前を育てるって決めた
小学生のガキを男手ひとつで育てる術は知らなくて、流派の師匠としてしか接することはできなかったが、お前は逞しく育った
その成長をみるのが、いつしか俺の最大の喜びになっていた
殺伐とした世界に生きてきた俺に、こんな生の世界があると気づかせてくれたお前に、俺は感謝してもしきれない。」
「お師さん………
珍しくよくしゃべるな!」
「ここいまマジメな話しー!」
「じゃお師さん一発殴らせろ」
「やっぱナシ!」
「何でだよ、殴らせろ!
大人のくせにウソつくな」
「うるせぇ未成年!
殴りたかったら、実力で殴ってみな!」
「…やったろーじゃねーか!」
そのあと俺はボコボコにされたあげく、湖に投げ込まれたのであった。
……あの野郎!
両親の死の真相を教えてもらい、お師さんとの間にあった最後の見えない壁のようなものがなくなったような気がする。
しかし同時に両親を死においやることになった流派の在り方に対する疑念が生まれた。
流派の使い手として生きるなら国に所属、自由に生きるなら流派や家を捨てなければならない。
流派を投げ捨てるのは簡単だが、生命をかけた両親の人生を否定することにならないか…
自由に投げて生きることに傾いていた俺の心に迷いが生まれた。
俺はどうして投げたい?
何を投げたい?
投げを始めたときは両親への想いが投げ原動力だった。
辛い現実を投げたかったのかもしれない。
しかし真相を知ったいま、俺の投げへの向き合い方が変わっていく気がする。
そんな俺にお師さんは考える時間を与えてくれようとしている……。
甘えさせてもらおうか、ボッコボコにされたしな!
そうして俺はオーストラリアの世界大会後、放浪の旅にでるのであった。
……若かったな。
いやいやまだギリ20代だけども!
まだまだ若造だし?
俺は世界を旅し、アボリジナル・オーストラリアンの師匠やモンゴルの先生に出会って、自分の小ささを知った。
投げの弱さを知って心が折れそうになった…。
その度に俺は、俺の投げこんなもんじゃねー!と奮起してきた。
お師さんや両親が受け継いできた技はスゲーんだって、証明したかった。
そしてそれはいつしか、流派の外にあっても示すことができる、と思うようになった。
そのきっかけを与えてくれたのがエムブロであり、鬼ブロデューサーとの出会いだったのだ。