2、投げ原風景
和やかな雰囲気のまま地元有力者との会食はお開きとなり、チャンネルクルーとも別れて車を走らせた。
お酒は飲んでいないが、その場の空気に疲れたのか思い出の姫神湖をもう一度見たくなったのだ。
「ふぅ〜、やっぱりああいう場は疲れるな…」
いままではそういったしがらみを振り払うように、次から次に競技を変えていった。
一貫して「投げ」る競技に拘り、それぞれの競技で記録を打ち立てては消えていく。
さぞ異端児に見えただろうな。
いや憎たらしい存在か。
一応現役のアスリートとしては退いている状態であるブロキャサーとしては、人と人との繋がりをも投げてしまっていては立ち行かない。
鬼プロデューサーの目もあるので最近はこういう食事会も多いのだが、疲れるし緊張する。
各種競技の世界大会のほうが遥かに楽と思えるな。
なんて考えてると夜の姫神湖に到着した。
木々のざわめきさえ聞こえない静まり返った湖は、時が止まったようにただそこにあった。
今日は満月。
空と湖面のまんまるの月は、どちらが本物か区別がつかないほどにひたすらクリアに輝いている。
幸せな日常が崩れ去り、俺の行くすえを決定付けたたあの日、あの時と同じだ。
「なんでお父さん、お母さんがいないんだよッ!」
小学3年生の頃、授業中に先生から両親が大変だから急いで帰るようにと言われた。
何が何だかよくわからないまま帰宅すると、見たことないほど多くの親戚や近所の人が集まっていた。
その中で面識があったおじさんから両親がともに仕事先で交通事故死したと報告を受けた。
混乱する俺をそっちのけで大人たちによる淡々とした話し合いが進んでいる。
なんでも死体にも会わせてもらえないような状態らしい。
何を問いかけても、何も叫んでも、誰もまともに相手をしてくれない。
誰も悲しんでいる様子が見えない。
静かな話し合いの中で俺一人が声を荒げ、暴れていた。
なにを人んちで話してるんだ!
お父さんお母さんをどこへやったんだ!
誰だお前ら!この家から出て行け!
ぴくりとも表情を変えない人々の中で唯一おじさんだけが悲痛な顔で俺のことを気にかけてくれた。
叫ぶ言葉がなくなり、ただ泣きながら奇声を発するだけとなった僕を残して、大人たちは去って行った。
疑うこともなく、両親がいつもそばにいると思っていた。
それがもういないというのだ。
両親に会いたいという気持ちと、自分の拠り所が崩壊した混乱と、何か隠されていた闇が顕在化したような恐怖が混ぜこぜになって押し寄せる。
それに抗うためには必死に声を出すしか僕には手段がなかった。
裏切られたんだ。全てから。
それからしばらく俺の記憶はない。
ただ一人、僕を気にかけてくれているおじさんは、お父さんのいとこであり近所に一人で住んでいる。
たまに遊んでくれる陽気なおじさんだ。
俺は祖父母をみたことがなく、話題にものぼったことがないので、親戚といえばこのおじさんただ一人だった。
「おい渉、お父さん、お母さんの葬式なんだから、手を合わせな」
白濁した意識の中、いつの間にかお葬式が始まっていたようだ。
空っぽの棺が二つ。二人の優しい笑顔の遺影。陰鬱なお経の声。
嫌だ。
お葬式なんかして、認めたくない。
両親が死んだって、ひとっつも認めない。
なんでみんな簡単に、勝手に認めてるんだ。
大声を出し、式をめちゃめちゃにしてやろうと暴れようとしたが、おじさんに羽交い締めされた。
おじさんの体は金属のように硬く、殴っても蹴っても噛み付いてもビクともしなかった。
俺はおじさんによって別室に閉じ込められ、そのまま式は行われたようだ。
暴れ、叫び疲れていつの間にか眠っていたようだ。
窓の外が真っ暗になったころ、おじさんが部屋にやってきた。
おじさんは無言で俺を車に乗せ、姫神湖まで連れて行った。
何かの象徴のように空と湖面に満月が寒々と光っている。
それにも無性に腹が立って、偽りの月のほうを石を投げて壊した。
壊しても壊しても、しばらくするとまた月は揺らめきながら蘇りやがる。
「くそっくそっ!」
狂ったように石を投げる俺を長い時間見守ってくれていたおじさんがポツリとつぶやいた。
「渉、お前は俺と一緒に暮らせ」
嫌だ!俺はお父さん、お母さんと暮らす!
そんな言葉は聞きたくない。
この石が全部なくなるまで月に向かって石を投げ続けてやる。
どのくらい投げていたんだろう。手の指の皮がめくれ血が流れている。
息が苦しくて、涙と鼻水と泥で顔をぐしゃぐしゃにして座り込んだ。
「おい渉、投げはそんなもんじゃねーぞ」
おじさんは喪服のスーツを脱ぐと無造作に放り投げた。
適当に平べったい石を拾うと振りかぶり、
「水切り」
シュンッと鋭い音を立てて湖面に投げた。
高速回転を続ける石は湖面を細かくバウンドしながら滑るように突き進んでいく。
湖面の月を真っ二つにしてもなお進み、ようやく石は慣性の力を失い静かに湖に沈んでいった。
「……す、すっげぇぇぇぇ〜〜〜〜!」
ようやく人間の言葉を発した俺を見て、ニヤリとおじさんは笑った。
「どうだ、すげぇだろ?」
「うん、すげぇ!」
「だがしかし、まだまだこんなもんじゃねぇ!」
「ぇええ〜!?」
おじさんはネクタイを緩め、腕まくりをすると、近くの人間の大きさ程に直立して岩にガッと組みついた。
何してるのおじさん?
しばらく押したり引いたりを試みているが、動きそうにない。当たり前だよそんな岩。
一向に動く気配がない岩にしがみつくおじさんにいたたまれなくなってきた…。
「おじさん、さすがにそれは無理じゃ…」
そう声をかけた時、おじさんの気合とともに石がゆらゆらと動きだした。
岩はリズム良く前後に動き、徐々にその動きが大きくなってきた。
なんかヤバいぞ、この動き…。
「天現捨投流 抱き巴天上投げ! どっせぇぇぇぇ〜いい!」
はぁぁぁ〜〜〜?
岩がおじさん側に倒れてきたので下敷きになるかと思いきや、その勢いを利用して共に倒れこんで岩を蹴り上げた!
人間大の岩がウソみたいに高く高く放り投げられ、水面に向かって飛んでいく。
ドッパァァーン!
水柱というか爆発したかのような勢いで水しぶきが起こり、湖のほとりにいた俺はもろに水を被ってしまった。
「ゲホッゲホッ…」
「はっはっはっはー!どうだすげぇだろ?これが投げってもんだぜ」
背中はドロドロで服はビリビリ。綺麗だった喪服は跡形もないが、やけにさっぱりとした良い笑顔で俺を見てきた。
「……すげぇ。すげぇよ!教えてくれ、おじさんのその投げを!」
「…簡単な道じゃねぇぞ?」
「どんな苦痛にも耐えてやらぁ!」
「わかった。これから俺のことはお師さんと呼べ。そんでお前は俺と一緒に暮らすんだ」
「わかった。お師さん」
と、まぁそれからおじさん改め、お師さんと暮らすようになったのだ。