第2章 第9話 正義の在り様
景夜高校から徒歩三分。市街地から離れる方向に建てられた三棟の建物。それが弊校の合宿所だ。男子棟、女子棟、共同棟に分けられた建物は部活やクラス単位で申請することで使用でき、文化祭やゴールデンウィークなどのイベントの際によく利用されている。
生徒会も毎年ゴールデンウィークに一泊二日で親睦会のために利用しているそうだ。新入生との交流や生徒会への理解を含めるために寝食を共にするということらしい。他人事なのは僕も参加したことがないから。僕が生徒会に入ったのは去年起こった生徒会事変終了後の六月。故に手探りで行っていくしかない。
「これまでは新学期の申請なんかの対応が多かったけど、五月は月末に行われる新歓祭に向けての活動が基本になる。新歓祭は言ってしまえば文化祭の簡略化バージョンみたいな感じだね。一日だけ開かれる学内だけの文化祭。申請や精査も多くなってくるし、準備や当日の緊急対応も担当する。忙しくなるけどがんばろう」
ゴールデンウィーク中盤、五月三日の昼過ぎ。共同棟の一室で、僕は歌恋にこれからの活動を説明していた。説明の最中、天使モードの歌恋がゆっくりと手を挙げて質問する。
「ところで部外者が混ざっているようですが、それはいいんですかぁ?」
その質問に部外者の一人、広町さんが歌恋の隣の席で目を背けた。
「だ……だって部活決まってないし……暇だったので……」
「暇だったら勝手に参加してもいいのかなぁ?」
「まぁ僕が呼んだ……わけでもないけど……そんなシークレットな話でもないからさ……」
ホワイトボードにこれからの活動についてを書きながら場を収めようとするが、納得はしてくれなさそうだ。天使モードの笑顔がこいつ追い出せよと言っているようで少し怖い。まぁ広町さんとは反対の隣に座るあいつがいたらそうなるのも当然か……。
「……終冬。君は本当に出ていってほしいんだけど……」
「え~? だっておとちゃん天文部だからさ~夜まで暇なんだよね~」
「だからなんだよが過ぎるんだけど」
「それにさ~去年の親睦会の様子を知ってるのはおとちゃんだけでしょ~? むしろいてくれてありがとうございますじゃないの~?」
「……じゃあ去年は何してたの?」
「一日中みんなでゲームしてた~」
旧生徒会のどうしようもなさを恥ずかしげもなく語る終冬。シークレットな話をしているわけではないけど純粋にこの人には帰ってほしい。
「言っても無駄だろうけど終冬。部屋から出ていってもらえない?」
「言っても無駄だよ~? だってその子、蛇目歌恋ちゃん。なんか裏の顔がありそうだよね~? それを知りたいんだよね~」
終冬は自分を脅かすものが嫌いだ。それがたとえわずかな可能性であっても、その可能性が具体的に何かを把握しないと気が済まない。だから監視や盗聴を行い、自分を脅かす可能性を消している。その恐ろしさは旧生徒会が摘発されても数ヶ月は悪事の関与の証拠が出ず生徒会に居続けたほど。生徒会を追い出せたのは奇跡に他ならない。
そんな人間が歌恋を狙っている。僕の逆鱗に触れかねない生徒会室に何かをする可能性はほとんどないだろうが、隠して守り続けなければならない。歌恋の陽炎への想い、そして僕だけが知る本性を。
「伊月、調子はどうだ?」
終冬対策を考えていると、またしても部外者が部屋に入ってきた。まぁこの人に関しては部外者だと一様に切り捨てることはできないが。ちょうどいい。上手い具合にはぐらかされてきたし、ここで聞いておこう。
「陽炎。どうして広町さんに天文部を勧めた?」
バレー部の練習のために合宿所を利用していた陽炎。昼休憩だろうか、軽々しく僕の前に現れた陽炎に訊ねる。
「あ、きたきたきた~! 伊月くん怒ってるね~!?」
終冬がうるさいが、その通りだ。僕は怒っている。どう考えても広町さんを終冬に近づかせるのはおかしい。陽炎らしくない、他人を危険に晒す行為だ。もし適当な理由だったとしたら……。
「相性がいいと思ったんだ。門ちゃんと歌恋ちゃんなら終冬さんを止められると思ったし、今でもそう思ってる」
「そんなわけないだろ!? こいつは他人の不幸を喜ぶどうしようもないクズだ! どれだけ言っても反省しない本当の悪だ! なのになんで……!」
「仕方ないだろ。俺や今のお前じゃ終冬さんを抑えられないんだから。それにそんな反対してるんだったら二人を連れていかなければよかっただけの話だ。違うか?」
「それはそう……だけど……陽炎が言うんだったらって……」
「どうして俺の言葉を鵜呑みにしたんだろうな。まぁ大丈夫だろ。お前がその気になればいいだけなんだから。ごめん、門ちゃん。いこっか」
「ぇ? ぁっ、はいっ」
陽炎が広町さんを連れて部屋から出ていく。おそらく元から約束していたのだろう。女子バレー部も合宿を行っていたから見学の続きか。
「せんぱい……大丈夫ですか……? なんかいつもと違う感じですけど……」
「きゃは~~~~っ! そうそうその目! それを待ってたんだよ~! やっとおとちゃんに構ってくれる気になった~!?」
終冬が僕の前に立ち顔を覗き込んでくる。愉快そうで、躊躇いのない顔だ。終冬は自分を脅かしてくるものが嫌いだが、それはイコール怖がっているわけではない。自分の脅威を正しく認識し、自分が負けないギリギリで遊ぶのが好きなのだ。
「……終冬。出ていけ」
「……は~い」
僕の言葉にようやく素直に従った終冬がコンセントに触れてから部屋を出ていく。盗聴器を付けた……いや外したか。ここが僕と遊ぶギリギリのラインだと判断したのだろう。本当に腹が立つ。
「……せんぱい」
「暴力を振るっていいのは、悪役と正義のヒーローだけだ。だからこの前歌恋が終冬の椅子を蹴ったの……よくないと思う。今度謝っておいた方がいいよ」
悪が暴力を振るい、正義がそれを上回る暴力で制圧する。犯罪者と警察、個人と政府、怪人とヒーロー。それ以外の人間は決して暴力を振るってはならない。そのどちらかになる覚悟がなければ使ってはならない力。それが暴力だ。
「ふーん。だからあんなむかつくこと言われても黙ってるんですね。あの女にも、陽炎さんにも」
「……うん。終冬は当然として……陽炎も。僕なんかが何か言ったところで聞いてくれないしね」
さて、面倒なことは今は置いておこう。今日は親睦会。歌恋と生徒会についての話をしなくては。
「歌恋……」
「よし、作戦会議です! 言っても聞かない、暴力もダメ。だったら策を講じるしかありません!」
歌恋が僕の手からペンを奪い取ると、ホワイトボードに大きく文字を書きだした。そして書き終わると、その文字をそのまま読み上げる。
「かわいいは正義! なんかかれんの知らない話で暗くなっているのが気に入らない! かれんのかわいさで全員まとめて幸せにしちゃうぞ作戦! ですっ」
……あぁ。一番大事なことを忘れていた。正義は視点による。僕には僕が思う正義があるように、歌恋には歌恋なりの正義がある。
「陰気なのは素のかれんだけで充分です。サクッと解決して、楽しい合宿にしましょうね。せーんぱいっ」
僕の正義は一度崩壊した。その結果終冬は抑えが効かなくなり、陽炎も何か思うところがあるようだ。だから僕の正義ではなく。ここは歌恋の正義に乗ることにした。