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ホワイトデー記念

【愛の紋章】




 俺がこの村に来て2度目の春がやってきた。

 厳しい冬を体験した後だから、暖かくなってくる気温に気持ちまで高揚してくる。

 そんな中、まだ冬だった時に俺がポロッと漏らした『バレンタインデー』に興味を持った人虎さん達が、こぞって俺に贈り物をしてくれた。

 それは服だったり、獲物だったり、装飾品だったり、果てはお手伝いやマッサージなんかもしてくれた。

 村だけじゃなくて、離れの人虎さん達もみんなで作った石鹸や、木の実で作った置物をくれて、俺が感動の余り号泣してしまったのはまだ記憶に新しい。

 そんな心優しいみんなに俺ができることといえば、『ホワイトデー』にお菓子を配ることだった。


 ここにきて1年。

 今までの分の恩も込めて、日が昇る前から俺は黙々と石窯に向かっていた。

 辺りに立ち込める甘くていい香り。

 俺が作っているのは『ホワイトデー』のお返しといえば定番中の定番、『クッキー』だ。

 小麦粉と蜂蜜、バターを捏て寝かせて型がないから包丁で切って、石窯で焼きながらまた包丁で切って焼いて捏て切って焼いて…

 何回か繰り返すと、見たこともないくらい大量のクッキーが出来た。

 今度はこれを包まなくちゃいけない。

 干した葉っぱで数枚のクッキーを包んで、紐で十字に縛っていく。

 まるで昔話のおむすびみたいだけど仕方がない。

 台所の椅子に座って、ひたすら包みを量産していく。


 眠い…

 夜中に起きたからかなりの眠気と戦いながらも着実にできていく包みの山に、俺はある種の達成感を感じていた。

 ひとつひとつに感謝の気持ちを込めて、遂に最後の包みを作り終わると外はうっすらと明るくなり始めていた。

 良かった、間に合った…

 台所番のみんなの朝も早いから正直不安だったけど、俺はやり遂げた。

 ふぅっと息を吐き出していたら、扉を開けてコセンがひょっこりと顔を覗かせた。

 どうやら朝の支度の時間らしい。


「…あれ、ユウヤ早くない? てか、何この山…」


 作業台に所狭しと置かれた包みを見て、コセンの目が真ん丸になる。

 部屋を包む甘い香りに鼻をピクピクさせる姿は、俺よりもデカイ図体だというのに微笑みを誘う。


「これはお返し。この前『バレンタインデー』にいろいろくれただろ? 今日は『ホワイトデー』って言ってそのお返しをする日なんだ」


 とは言っても、この村には日付というものが存在しないから、みんながプレゼントをくれた日から数えて28日目の今日を勝手に『ホワイトデー』にしただけなんだけど。

 俺の言葉を聞いてコセンの尻尾が落ち着きなく揺れはじめる。

 全く、可愛いことこの上ないな。

 山の中からひとつ包みを手に取ると、コセンに向かって差し出す。


「洗濯手伝ってくれてありがとうな」

「うん! こっちこそアリガト、ユウヤ!」


 輝かんばかりの笑顔で包みを受け取るコセンに、やっぱり用意しておいて良かったと痛感する。

 それから続々とやって来た台所番のみんなにもお返しして、何処か浮足立ったまま朝食作りが始まった。

 パンと卵のスープ、ベーコンと大根の葉の炒め物という朝食に、今日はクッキーがつく。

 いつものように並んでいる村の人虎さん達一人一人にクッキーを渡して感謝の気持ちを伝えると、どんなに無愛想な人虎さんも一様に嬉しそうにお礼を言ってくれる。

 あー、どうしよう…俺が渡す側なのにスッゴク幸せだ。

 朝食を配り終えると、みんなが食堂でご飯を食べはじめるのを横目に今度は婆様達と一緒に離れに向かう。

 そこでも子供達や女性達に包み渡して回った。


「ありがとうね、ユウヤ。子供達もアタシ等メスも、ユウヤが作る『お菓子』が大好きだからさ」


 そう言って笑ったニザンさんに、俺の胸もほんのりと暖かくなる。

 幸せだ。

 村に戻ってハギルさんの屋敷で囲炉裏を囲んだ時に、残りのみんな、ハギルさんとナトリさんとラゼアさんにも包みを渡す。


「ラゼアさん、大きな獲物ありがとうございました」

「…別にチビスケのためだけに狩ってきたわけじゃねぇよ」


 素っ気なく言いながらもしっかりと受け取ってくれるラゼアさん。


「ナトリさん、珍しい香辛料をありがとうございました」

「ユウヤのためなら、人鷲族と交渉するくらい何でもありませんよ」


 にっこりと笑って受け取ってくれるナトリさん。


「ハギルさん、綺麗な織物をありがとうございました」

「……あぁ」


 みんな喜んでくれる中、ハギルさんだけは何処か沈んでいるようだった。




 みんなとの朝食が終わると、ハギルさんはナトリさんを連れて早々に執務へと戻ってしまった。

 食器を重ねて台所番のみんながいるだろう川まで運んでいる間中、不機嫌そうな悲しそうな…そんなハギルさんの横顔が脳裏から消えなかった。

 1ヶ月前にハギルさんから貰ったものは、染料で様々に染め上げられた糸で細やかに編み込まれた綺麗な織物だった。

 不思議な模様の織物は、今俺が使わせてもらってる部屋の壁に大切に飾られている。

 ハギルさんが落ち込んでいた理由は、実はわかっていた。

 だけど、流石にみんなの前でアレを渡すわけにはいかない。

 本当はすぐにでも渡してハギルさんの笑顔を見たかったけど、それじゃダメだってニザンさんに釘を刺されていたからなんとか堪えた。

 それはもう、かなり頑張って堪えたよ。


 台所番と一緒にみんなの食器を洗って台所に運び、その足で牧場に顔を出して放牧や掃除の手伝いをする。

 明日の分のパンを仕込んでから、畑で農作物の手入れや今日の分の収穫を手伝って、空いた時間は屋敷の掃除にあてる。

 夕方になれば夕飯の準備とパンの2次発酵を促し、並ぶみんなに料理を配って今度はハギルさん達も一緒に食堂でご飯を食べる。

 これが俺の一日なんだけど、今日はみんな口々にクッキーの感想を言ってくれる。

 あのラゼアさんでさえ美味かったって言ってくれたけど、ハギルさんは相変わらず元気がなかった。




 夜、温泉から帰るとすぐに布を持ってハギルさんの部屋に急いだ。

 この時間なら、ハギルさんは部屋で書き物をしているはずだ。

 小さくノックしてから扉を開くと、蝋燭に照らされたハギルさんの物憂げな顔があった。


「どうした、ユウヤ。お前から俺の部屋に来るなんて珍しいじゃないか」


 それでも小さく頬を緩めて俺を迎えてくれるハギルさんに、胸がぎゅうっと苦しくなる。

 俺は居ても立ってもいられずに部屋に入ると、床に座るのもそこそこに手に持っていた布をハギルさんに差し出した。


「あのっ、これ…ハギルさんに!」

「……これは…」


 ハギルさんが受け取った布を広げる。

 そこには白地に藍色で丸が6個描かれていた。

 小さな丸を囲むように、大きな丸が5個並んでいる模様は日本で言うところの梅の花を表している。


「これ、俺の家の……まぁ、紋章みたいなもの、なんです」


 この梅の花は俺の家の家紋だ。

 実はハギルさんから貰った織物は、代々ハギルさんの家系に受け継がれてきた紋章が描かれていたらしい。

 これを贈られるということは、『家族』として迎えられたことになるってナトリさんが言っていた。

 そしてその返事として、受け取った者は自分の家の紋章を家長に渡して正式に家族なるそうだ。

 日本で言うところの『養子縁組』みたいな物だと思う。

 ナトリさんにそのことを教えてもらってからというもの、俺は寝る間も惜しんで織物を作り続けた。

 昼の間に離れで教えてもらいながら織って、夜は昼にできなかった用事を済ませること幾日。

 不器用ながらもなんとか織り上がった布を、ようやくハギルさんに渡すことができた。

 クッキーを作り終えた時の達成感を上回るほど、俺は今満足感に満ち満ちている。

 なのに、ハギルさんは布を広げた姿勢のまま一向に動く気配がない。


「……あの、ハギルさん?」


 きっと喜んでくれるだろうと思ってたけど、もしかしたら遅かったのかな?

 この1ヶ月で家族にする気がなくなったとか…

 ハギルさんを信じてないわけじゃないけど、虎は猫の仲間だし気まぐれなのかも知れない。


「それ、いらないんだったら俺…」


 ハギルさんと家族になれないのは残念だけど、無理強いだけはしたくない。

 広げられている布を受け取ろうと手を伸ばしたら、凄い勢いで取り上げられてしまった。


「………あれ?」

「誰がいらんと言った! ユウヤ、お前…いいのか? 紋章を俺に渡すということは、それまでの家族から離れ俺の家族になるということだ」

「わかってます」


 ハギルさんが布をぎゅっと握り締めて、その手に自分の額を押し付ける。

 まるで何かを耐えるようにきつく目を閉じて、耳までペタンと伏せている姿は、俺には泣いてるみたいに見えてそっと膝でにじり寄った。


「ハギル、さん…」


 微かに震えている肩に手をかけた瞬間、瞬きをする間もなく強い力で掻き抱かれていた。

 背中と腰に回る逞しい腕と頬に感じるサラリとした髪の毛。

 俺の肩口に顔を押し付けているハギルさんは、猫のような仕種で額を擦り付けてくる。

 それは人虎さん達にとって親愛を表すスキンシップで、俺も気持ちを込めてハギルさんの髪の毛に頬を擦り寄せた。

 すると身体に回された腕にギュウッと力が込められる。


「ユウヤ…ッ、ユウヤ、ユウヤ…! 俺にこんな感情を与えたのは、誰でもないお前だ。もう返せと言われても、返してはやらん…お前を離しはしない!」


 抱き締めてくる腕の強さにハギルさんの想いが伝わってくるようで、俺の胸も喜びに震え堪らず逞しい身体を抱き締め返した。

 金色の耳が震えている。

 尻尾までもが俺を逃がさないとばかりに腰に巻き付いてくる。

 全身で俺への愛を打つけてくるハギルさんが可愛くて、愛しくて…

 じんわりと視界が涙で歪みはじめる。


「……ハギルさん、大スキ…ッ」


 髪の毛にグリグリと頬擦りしていると、不意に浮遊を感じて次の瞬間床に押し倒されていた。

 重力にしたがって目尻から流れ落ちる涙を、ハギルさんの唇が丁寧に吸い取ってくれる。

 身体を起こしたハギルさんを見上げると、俺の顔を外界から遮断するように金色の髪の毛が零れおちてくる。

 蝋燭の炎に照らされた長い髪の毛がキラキラ光っていて幻想的だ。

 なんて綺麗な生き物なんだろう…

 こんな綺麗な人の家族になれるなんて夢みたいだ。

 片肘を床につき俺の髪を掻き上げながら、ハギルさんはもう片方の大きな掌で頬を包み込んでくる。

 その優しい感触に俺の身体から力が抜けていくのを確認すると、今度はゆっくりと顔を近付けてきた。

 鋭い金色の瞳にはいつもの理性的な色はなく、何処か切羽詰まったような色がゆらゆらと揺らめいている。

 そっと静かに合わせられた唇はまるで儀式のようにすぐ離れたけど、続けざまに与えられた口付けは貪るような荒々しさで舌を捩り込み、絡め取っては吸い上げ口腔を荒らし回る。

 呼吸さえも奪うような口付けに熱くなっていく身体が、冷たい床と触れ合いジンジンと疼きにも似た感覚を呼び起こす。


「ん、ぅ…っ…、ふ…!」


 唇に軽く立てられた牙にゾクッと背筋を震わせていると、脇腹から上着をたくし上げてハギルさんの手が肌をなぞりながら入ってくる。

 いつもならひんやりとしたハギルさんの掌が、今は燃えるように熱い。

 角度を変えて繰り返される深い口付けに翻弄されながらも、俺は必死にハギルさんの服を握り締めた。

 熱い、

 苦しい、

 気持ちいい、

 愛おしい。

 荒々しい仕種で服を脱がせていく指先。

 俺が声を上げる度に小さく動く丸みを帯びた耳。

 蝋燭の明かりに浮かび上がる締まった身体。

 太腿を撫で上げる太い尻尾。

 俺を真っ直ぐに見詰める欲に濡れた金色の瞳。

 ハギルさんの全てが愛おしくて堪らない。


「ユウヤッ、ユウヤ…ッ…不安だった、ずっと。家族になりたいと思っているのは俺だけかと…。俺と同じように菓子を貰う他の者達に、仲間にさえ醜い嫉妬を感じた。こんな俺だから、ユウヤは返事をくれないのだと…」

「ハギルさん……」


 俺の顔を挟んで両肘をついているハギルさんの顔が、苦しそうにクシャリと歪む。

 間近にある泣き出しそうな顔を、無意識のうちに両手で包み込むようにして撫でていた。

 そこに擦り寄ってくるハギルさんの姿に胸が苦しくなってくる。


「…俺は、ハギルさんと家族になりたい。ハギルさんの、家族にしてください」

「有り難う、ユウヤ…。俺達人虎は親兄弟の絆さえ薄い…だが、俺はお前が何よりも愛しい。狂おしいほどにお前だけが…」


 覆い被さってくる重み。

 肌と肌が合わさる心地良い温もりに、俺はハギルさんに身を任せた。

 俺は今日、ハギルさんの家族になった。




 一夜明けると、村は大賑わいだった。

 ハギルさんの家族になったことで、俺は正式に人虎一族の仲間入りを果たしたからだ。

 秘密にしておいてくれって言ったのに、離れから一気に噂が広がったらしい。

 朝食の時みんなに報告しようと思ったのに、夜明けと共に村中の人虎さん達が屋敷に集まって口々に祝いの言葉をくれた。


「ユウヤッ、おめでとう!!」

「これでユウヤも立派な人虎一族ですね」

「ハギルが嫌になったら、いつでも俺が村の外に連れてってやるぜ」

「ありがと、みんな」


 一人一人の言葉が擽ったい。

 隣に座ってるハギルさんは上機嫌に尻尾を緩く揺らしながら、人虎さん達の言葉ひとつひとつに頷き返してる。

 威厳に満ちた態度と可愛らしく揺れる尻尾のミスマッチ具合が、恐縮していた俺の身体から余計な力を取ってくれる。

 綺麗だけど可愛い人。

 カッコイイけど愛らしい人。

 俺の好きな人。

 俺の家族。


「どうした、ユウヤ。まだ身体が辛いのか?」


 ジッと見詰めていたのに気付いたのか、ハギルさんが俺の腰を撫でてくれる。

 気を使ってくれているのは嬉しいんだけど、こんなことされたら周りに昨日何があったか丸わかりだよね…これ。


「発情期と重なってしまったからな、加減ができずにすまなかった」

「ハッ、ハギルさん…!」


 ハギルさんの露骨過ぎる言葉に、周りの人虎さん達が囃し立ててくる。

 コセンは顔を赤らめ、ナトリさんは苦笑を浮かべ、ラゼアさんは機嫌が悪そうだ。

 そんな周りの様子に憤死しそうになっていると、ハギルさんが何を思ったのかぎゅっと抱き締めてきた。


「ちょっ、ハギルさん! みんなが見てますってば!!」

「可愛過ぎるお前が悪い。そんなに顔を赤くして、誘っているのか?」

「な…ッ!」


 ぎゅうぎゅうと俺の顔を胸に押し付けてくるハギルさんの言葉に、今なら恥ずかしさで死ねる自信がある。

 せめてもの救いは周りの人虎さん達の顔が見えないことくらいだ。


「ユウヤ、二人きりになるまで我慢してくれ」


 激しく勘違いしているハギルさんだけど、こんなところも可愛いって思ってしまう俺はもう末期なんだろう。

 仕返しとばかりに金色の尻尾を握ると、面白いくらいにハギルさんの身体が跳ねる。

 周りはいつにない長の姿に腹を抱えて笑い、ハギルさんも決まりが悪そうに眉を寄せている。

 人の良い人虎さん達。

 何だかんだ言って認めてくれているナトリさん、コセン、ラゼアさん。

 俺をみんなの仲間にしてくれたハギルさん。

 暖かい人達に囲まれて、俺は幸せだ。


 祖父ちゃん、祖母ちゃん、父さん、母さん、兄ちゃん。

 俺はこっちで幸せに暮らしてるよ。


「ユウヤ、早く二人きりになりたい…」


「…もうっ、ハギルさんのバカ…」




【end】

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