19 不測の事態(下)
「え、もしかして、これのこと言ってる?」
「はい。やぼようでちょっと登りたくて」
青年は驚いて背後を振り返ったあと、困ったように笑った。
「これはそう簡単に登れるものじゃないよ。それより、君一人なの? お父さんやお母さんは? もしかして迷子?」
「レクティタじゃない、おじーちゃんが迷子。だから、高い場所からおじーちゃんをさがしたいのです」
首を横に振り、レクティタは彼女なりの理由を話す。きっとそこまで距離は離れていないだろうから、見晴らしが良い高い位置から探せば見つかるはずだとレクティタは考えたのだが、曲芸師の青年は渋い顔をした。
「うーん、ちょっと君には危ないかな。代わりに俺が探してあげるよ、おじいさんの特徴教えて?」
「おじーちゃんを見つけるのはむずかしいよ。おじーちゃんはおじーちゃんだけどおじーちゃんじゃないから。おにーちゃんみたいなおじーちゃんなのです」
「はは、何言ってんのかさっぱりわかんね」
最近の子供は難しい話し方をするなあ、と青年はぼやき、レクティタを見る。断っても食い下がってきそうな彼女の気配に、彼はしばし迷った後、レクティタに告げた。
「わかった。じゃあ一回だけ棒を貸してあげる。登れなくても一回だけだよ。そのあと、憲兵さんのところへ一緒に行こうか」
変に駄々をこねられるよりさっさと諦めてもらった方が早い、と青年は判断し、レクティタに棒を渡した。
青年が芸に使用した棒は登るための取っ掛かりすらない、ただの伸縮式の鉄製の棒である。直径も青年の腕ほどの太さで、頂点に立ってもレクティタの小さな足すら乗り場がない代物。例え運動神経の良い子供でも、訓練なしでは半分も登れないだろうと、青年は高を括っていたのだ。
「俺が棒を支えておくよ。落ちても受け止めるから」
「ありがとうございます。では、おことばに甘えて」
レクティタはぺこりとお辞儀をした後、靴を脱ぎ裸足になった。早速足をかけ登ろうとする彼女の姿に、青年はこっそりため息を吐く。
(おかしな子に絡まれたなあ。まあ、これで諦めてくれればいっか……って)
青年は目を見開いた。レクティタが彼の予想を裏切って、するすると棒を登っていくからだ。
手と足を交互に動かし、上へ上へと難なく上昇する。重さを感じさせない素早い動きは、猫のような身軽さと、猿のような器用さを連想させた。
彼女の曲芸に通りすがりの人々が立ち止まり、歓声を上げる。青年が呆気に取られている間に、レクティタは棒の頂点へと到着した。彼女はこれまたバランスよく立ち上がって、ぐるりと街を見下ろした。
「むむ、おじーちゃん、いない」
レクティタは目を険しくし、遠くまでフトゥを探す。が、やはり少年の姿をした老人は見当たらない。レクティタはがくりと肩を落とした。
「どこいっちゃったんだろ、おじーちゃ――!?」
迷子になったのはあちらといえど、流石に心細さを覚えたのか、レクティタが服の下に隠しているブレスレットを不安げに握った時だ。
強風が吹き、レクティタの身体がぐらついた。油断していた彼女は、そのままバランスを崩し、棒から落っこちてしまう。女性の悲鳴が上がった。
「うわわわああああーー!! ……って、あれ。いたくない」
レクティタもまた悲鳴を上げ、地面への落下を覚悟して目を瞑った。が、予想していた痛みはやってこず、一瞬の浮遊感のあと、ボスっとくぐもった音が聞こえてきた。
驚いてすぐさま目を開ければ、曲芸師の青年がレクティタの顔を覗いてる。彼の腕の中にいるのだと、レクティタはようやく気が付いた。
「危ない危ない。大丈夫、怪我はない?」
「へいき、げんきいっぱいです。ありがとうございます、たすけてくれて」
「いやいや、俺の方こそいいものを見せてもらったよ。もしかして、こっそり魔法でも使った? さっきの俺みたいに」
青年はレクティタに靴を履かせてから、彼女を地面へと下ろした。その際、曲芸師は小声でレクティタに質問し、人差し指の先で小さなつむじ風を作る。
先ほどレクティタが覚えた浮遊感の正体は、曲芸師の魔法だったのだ。レクティタはうつむき、黒い水晶玉を握りながら首を横に振った。
「……レクティタ、魔力ない」
「ああ、そうなんだ。王国だと魔力が無いのは珍しいね。他国じゃそうでもないんだけど」
「そうなの?」
初耳の情報に、レクティタは聞き返す。曲芸師の青年は片付けをしながら、大きく頷いた。
「グラスター王国は大陸で一番魔法使いが多い国なんだよ。なんでか知ってる? この国は大昔、魔人と共存していたからだ」
「魔人? なにそれ」
「亜人の一種だよ。もう絶滅しちゃったけど。聞いたことない? 人狼や吸血鬼、魔女って言葉とか」
ふるふると否定するレクティタに、「じゃあ教えてあげる。いいもの見せてもらったし」と青年は片付けを中断し、語り聞かせた。
「その昔、人間以外にも人型の種族がいっぱいいたんだ。でも、もうほとんど絶滅しちゃって、今は知性のない人外である『魔物』しか残っていない。学者達は、滅んだ彼らを今の人間と区別するため『亜人』って名前を付けた。魔人は、亜人の中でも魔法の祖と讃えられるほど、偉大な種族だったんだよ」
「むかしの人は、魔人に魔法をおしえてもらったってこと?」
「その通り。この国は魔人の子孫だと言っても過言じゃない。実際、ほとんどの国民が魔人の血を引いているらしいしね。王族や貴族はその中でも魔人の血が濃いと言われている。魔人の復活を研究している魔法使いもいるって話だ。まあ、たくさんの人が魔法を使えるせいで、他国じゃありえない制限も多いんだけど」
「かってに魔法をつかっちゃダメなほーりつとか?」
「そうそう。そのせいで俺みたいな芸人は商売上がったりだ。魔法を使った見世物の方が、もっとがっぽり稼げるんだけどね」
親指と中指をくっつけて丸を作り、青年はいたずらっ子のように笑った。レクティタも「お主もわるよのう」と手の甲で口元を隠し、調子を合わせる。
そんな二人の背後に近づいてくる人影に気づかないまま、青年は仕事道具を几帳面に袋にしまい、腰に手を当てた。
「さてと。おじいさんも見つからなかったし、約束通り、憲兵さんのところへ向かおうか」
「いいや、その必要はないぜ」
馴れ馴れしく肩を叩かれ、曲芸師の青年は驚いて振り返った。いつも間にかガラの悪い男三人が後ろに立っており、レクティタを指差す。
「俺はその嬢ちゃんと知り合いだ。爺さんのところまで俺らが案内する」
あからさまに怪しい風貌の男達に、青年は咄嗟にレクティタを背に隠した。ちらりと視線を送れば、レクティタは困惑した顔で首を横に振った。
「レクティタ、こんなゴロツキ顔、知らない。あやしい。ふしんしゃ、かくてい」
「おうおうひでぇこと言うな嬢ちゃん。わざわざ俺らが爺さんのところまで連れて行ってやるっていうのによ」
「つーことで、憲兵のところまで行く必要はねえ」
「あとは俺らに任せておけよ、な?」
じりじりと近づいてくる男達に、レクティタはまずいと考え、庇ってくれている青年を見上げた。
「お兄さん。さっきはありがとうございました。レクティタ、キケンを察知しましたので、にげます」
「え、ちょっと」
「では!」
レクティタはくるりと背を向け、その場から逃げだした。レクティタは金髪を揺らし、猫のように人混みの中を走って行く。
ゴロツキ達が怒号を上げて追いかけようとするのを、青年はほぼ迷わずに、彼らの足を引っ掛けた。ゴロツキ達が転んでいる隙に、走ってレクティタの後を追う。
いくら運動神経の良いレクティタといえど、まだ子供だ。大人の足の速さには勝てない。青年はあっという間に彼女に追いつき、スピードを落とさずレクティタを後ろから抱き上げると、脇に抱えてそのまま走り続けた。
「うわあ、お兄さん!? どうしたのですか? まさか、お兄さんもいたいけなレクティタをゆーかいしようと……」
「結構余裕あるねキミ!? こんなの助けるの当たり前だろ! こっちなら駐在所より知り合いの店の方が近いし、とりあえずそこに匿ってもらう――うわっ!」
突如ナイフが目の前に表れ、青年とレクティタを襲う。咄嗟に突風を下から発生させ、ナイフの軌道を逸らし避ける。振り返れば、ごろつきの一人が何本ものナイフを宙に浮かせていた。あれが彼の魔法なのだろう。他の二人の姿が見えないのに嫌な予感を覚えていると、誰もいない場所でゴミがぐしゃりと踏まれた。
レクティタが「どっちもよこ!」と叫ぶと同時に、青年は足の裏に風を纏い、真上に飛んだ。彼らがいた場所に二本のナイフが空を切る。青年達が建物の屋根に登れば、舌打ちと共に透明になっていた二人のゴロツキが姿を現した。
高所に逃げたレクティタ達をすぐには追いかけられないのか、下から「回り込め」と怒鳴る男の声が聞こえてくる。曲芸師の青年がごくりと唾を飲んだ。
「あ、あぶなかった……こええぇぇ……」
「かんいっぱつでした。色々とごめいわくをおかけします。えっと、げーにんのお兄さん」
「ハハハ、ご丁寧にどうも。でも芸人は俺の名前じゃないから」
青年は脇に抱えていたレクティタを、右腕に座らせるように抱き直した。きらきらと宝石のように輝く青い瞳に、汗で化粧が崩れた青年が映る。
「俺の名前はアヴェンチュラ。覚えておいて」
空いている左腕で化粧を拭い、青年は素顔を晒した。
「アヴェンチュラ・デュオ・シルヴィウス。こう見えて偉い人の弟なんだ。もしはぐれたら、俺の名前を出して、近くの大人に助けを求めなさい。絶対助けてくれるから。あ、普段は呼びづらいからヴェンでいいよ。よろしくな、レクティタちゃん」
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