13 おとなのよあそび
レクティタを怒らせてしまった翌日。
ヴィースは彼女に徹底的に避けられていた。
朝食の時間も、昼食の時間も、もちろん勉強する時間になっても。ヴィースはレクティタと話すどころか声をかけることすらできなかった。
それもそのはず、ヴィースがレクティタの視界に入った途端、彼女は野良猫が逃げるよう姿を消すからだ。
一体その俊敏さはどこからきているのやら、レクティタはあらゆるところに隠れた。ある時はベッドの下、ある時はリーベルの鍋の中、ある時は扉や天井、体格の良いリタースの背中に張り付き、ヴィースがいなくなるまでやり過ごしていた。
なるほど。お化けだと怖がられているアルカナが、レクティタを捕まえられないのも無理はない。ヴィースは一日中レクティタに翻弄され、疲れ切っていた。
「納得いきません。なぜ私がこんな目に……」
その日の夜、ヴィースはたまったもんじゃないと、同僚達に弱音を吐いた。食堂に集まっていた彼らは、酒を片手にトランプをしていた。机の上にはコインとつまみ。リーベルの足元には、いつもの大きな鍋壺が置かれており、蓋をするように布が掛けられている。
ウイスキーを瓶から直接豪快に飲み、フトゥが笑った。
「見事に嫌われたのう。いやはや、戦場では『灰の魔法使い』と恐れられているヴィースが、子供との鬼ごっこで負けるとは。愉快愉快」
「いひひ、僕はヴィースを擁護しますよ……なにせ嫌われ仲間ですから……ようこそこちら側へ、歓迎します。ひひっ」
「私は隊長さんと同盟結んでいるので、隊長さんの味方です~。女の子を怒らせる男の方が悪いに決まっているじゃないですかぁ。乙女裁判ではヴィースさんが有罪で~~す」
『俺は中立にしておこう。なんにせよ、早く仲直りしてくれ。知らない間に隊長が背中に引っ付いているのは心臓に悪い……』
各々好き勝手言いながら、彼らはトランプの山からカードを引いたり、逆にいらない手札を場に捨てたりしていた。
ゲームに加わっていないヴィースを気遣ってか、リタースがエールの瓶を渡してくる。彼は片手でそれを断り、「仲直りと言っても」と難色を示した。
「謝罪しようにも避けられているのですから、そう簡単にはいきません。見ていたでしょう、昼間のレクティタ隊長の逃げっぷり」
「ひひ……僕にはいつもあんな感じだよ……それはそうと、どうしてあんなに避けられているの? ただ怒らせただけじゃああはならないでしょ。ひひひ」
「……良かれと思って魔法を使って勉強の意義を説こうとしたのですが、逆に彼女の劣等感を刺激してしまったようで。私の失態なのは確かですが、納得できない……」
ヴィースは長く長くため息を吐いて、アルカナ以外の三人を妬ましげに見た。
「私の授業でダメなら、あなた達だって全員嫌われていないとおかしいではありませんか。特にフトゥとリーベルは私よりよっぽど無神経そうなのに」
「偏見がすごいのう」
「逆恨みとかみっともないです~」
『おそらくそういうところじゃないか、ヴィース』
リタースは器用にマスクの下で酒を飲んだ後、瓶を机の上に置く。
『何にでも理屈をつけようとするのは、子供相手には悪手だぞ』
「……適当に嘘を吐いて子供騙しをしろと? それこそ、隊長に対して不誠実なのでは」
『結論を急ぐのも悪い癖だな。正論で黙らせる前に、まずは彼女の話に耳を傾けろ、と言いたいんだ』
リタースはビシッとヴィースを指差した。酔っているのか、普段より早口である。
『言っておくが、隊長はヴィースが思っているより事を深刻に捉えていないぞ』
「えっ」
『もちろん、昨日のヴィースの発言で腹を立てたのは事実。が、彼女がお前を避けている一番の理由は、小言が嫌で逃げ回っているだけだ。お前は怒ると怖いからな』
「ちょ、ちょっと待ってください! そんなくだらない理由で、私を一日中避けていたんですか!?」
ヴィースは音を立てて勢いよく立ち上がった。てっきり、彼女の心の傷に触れてしまったから、嫌われたかと思っていたのに。まさか、小言が理由だなんて、知るわけないじゃないか。
ヴィースが呆然としていると、リーベルとフトゥがここぞとばかりに追撃してくる。
「そりゃあ、毎日じっとして机で勉強なんて、五歳の子供が我慢できるはずないじゃろ。せっかく息抜きに遊べると思ったら、そこでも勉強の話を聞かされるなんて、ジジイのワシでも嫌だわい」
「で、ですが、勉強は大事です。彼女のやる気を持続させるためにも、興味をもってもらわなくては……」
「だから話を聞けってリタースさんが言っているんじゃないですか。隊長さん、ああみえて学習意欲は高いんですよ? 彼女の語彙が増えているのがその証拠です~」
フトゥやリーベルの言葉に同意するよう、鍋壺がガタリと揺れた。が、ヴィースは最近のレクティタを思い出すことに気を取られて気づかない。
確かに、このところ妙に大人ぶった発言が多かったような。いやいや、とすぐにヴィースは首を横に振る。
「リーベルが隊長に変な言葉を吹き込んでいるだけではありませんか!」
「子供の語彙力は大人に依存しますからね~。お喋りも大事です。机の上で読み書きを習うのだけが勉強じゃないでしょ?」
「そ、それは……」
ヴィースはうっと言葉を詰まらせる。思い返せば、ヴィースはレクティタに読み書きばかり押し付けていた。仕事の傍ら勉強の面倒を見る都合上、あまり彼女と会話もしていなかった。
二人の言い分にも一理ある。自分の指導は五歳の子供には厳しすぎたのかもしれない。だが、この歳から怠け癖を付かせるのも……と、思い悩むヴィースに、今まで黙っていたアルカナが口を開いた。
「ひひ……今更な疑問なんだけど。なんでそんなに隊長に肩入れしているの、ヴィース」
「は? 突然何ですか、アルカナ」
「いひひっ。だって、自分の子供でもないのに、そんな責任を負う必要ある? ……隊長が読み書きできずとも、僕達は困らない。必要になるのもサインぐらいだ。極論、名前だけ書ければいい。ひひ……どうしてそんな教育熱心なのさ」
「そんなの、もちろん――」
ヴィースは一度口を閉じたあと、目を伏せて答えた。
「まだ子供だからですよ。血の繋がりなんて関係ない。親代わり何ておこがましいこと言いませんが、せめて、将来困らない程度の教育を施すのが、ここで出会った大人の務めというものでしょう」
お節介ですけど、と最後に付け加え、ヴィースは黙る。アルカナは「ひひ」と短く笑った後、手札を机に広げた。
「スペードのフラッシュです」
「チッ。4のスリーカードじゃ」
『エースのフォーカード』
「うわぁ~~~! フルハウスなのに負けました~~!」
「え、この流れで私の話無視するんですか」
ヴィースの突っ込みにも構わず、順に手札を公開していきゲームの勝者を決めた。リーベルが机に突っ伏し、リタースがくいくいと人差し指を動かす。フトゥとアルカナは渋々コインを差し出し、リーベルはわざと投げて渡した。それを器用にキャッチし、何回か手の中で遊んだ後、今度はリタースが親指でコインを弾いた。行先は、ヴィースの胸元である。
反射的に受け取れば、リタースが食堂の扉を指差した。
『ヴィース。俺の部屋から酒を取ってきてくれないか。棚に置いてある』
「これはその駄賃ってことですか? 副隊長をお使いさせるとはいい度胸ですね」
『部屋には作った菓子もあるから、勝手に食べていいぞ』
「……はぁ。わかりましたよ」
一体何を企んでいるんだが、と愚痴を零しながらヴィースは席を立つ。机から離れていく彼に向かって、アルカナが名を呼んだ。
「ひひ、ヴィース。真摯で真面目なのは、君の長所だよ……ちょっと頭が固すぎるのがたまにキズだけど」
「何が言いたいんです?」
「ひひひっ。嫌われ仲間からの忠告……建前も大事だけど、素直さはもっと大事。特に隊長相手にはね……ふひひ」
「………」
「きっと、ちゃんと話せば仲直りできるよ、ひひ」
ヴィースは食堂を出ていく前に、隊員達を見渡した。同僚達は皆、温かい目で彼を見ていた。
ヴィースはそんな彼らに向かって、フッと笑った。
「なんかいい話になっていますけど、元はと言えばあなた達のせいでは?」
「それは言わないお約束、ひひひ」
*****
「……行きました?」
『ああ、足音はしない。もう出てきていいぞ、隊長』
ヴィースが食堂を出てしばらく経った後、リーベルが鍋壺の布を取った。中には、レクティタが膝を抱えて座っていた。
「………」
レクティタが鍋壺から頭を出す。そのままのそのそと鍋から出て、匿ってくれた大人達を見上げた。
「話は聞いていたじゃろ? 隊長、これでもヴィースはまだ怖いか?」
「……ううん」
ゆっくりと、首を横に振る。「仲直りしたいか?」とフトゥが問えば、レクティタがスカートの裾を握り、こくんと頷いた。
『俺の部屋は二階の突き当りにある。一人で行けるか?』
「うん、へいき」
レクティタはとことこと小走りで、扉に駆け寄った。
「ありがとー、みんな。引き続き、おとなのよあそび、楽しんでね」
そう言って、レクティタは食堂を出て行った。
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