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 午後の昼も過ぎた時間。大人扱いはされどもまだ少年の歳の面影がはっきり残っているユーゴは、走っていた勢いを殺し分かれ道の分岐で止まって見失った目的の姿を探す。

 通る道は人が普段通る事のない場所ばかりだが、ギリギリユーゴが通れる広さはあった。


「ニャア」


 鳴き声が聞こえた方へ目を向ければ、少し先でユーゴを待つ猫の後ろ姿があった。

 錆色の毛の猫が、時々後ろの進み具合を見るように振り返り、「こっちだ」と言わんばかりに鳴いて自分の存在を報せる。そしてたまにどこの道が(ユーゴが)通れるかキョロキョロと見回しては思案して誘導する動作を見せるのだ。

 まるで体が猫なだけで、人間の思考を持っているようなその猫に今回頼る事になるとはユーゴも思ってもみなかった。だが現時点ではこれが一番可能性があったのだ。

 ユーゴはまた駆け出す。







 事の発端は街の自警団の詰所に一人の男が駆け込んできたことから始まる。

 彼はラズール男爵が納めるこの領で商いをする数少ない商人の一人だ。

 尋常じゃない様子で助けを求めてきた彼を、当時詰所で受付を交代していたユーゴが宥めて事情を周りにも聞こえるように説明させた。

 話を聞いたところ、商売敵だった男が破綻して店を潰してしまい借金返済の為に彼の子供を攫い身代金を要求してきたという。

 かなりの額を要求されたので準備に時間がかかることを利用して自警団に助けを求めに来たそうだ。

 話を聞いてすぐさま詰所にいた者達が動き、作戦会議を経て犯人宅へ突撃し、犯人はすぐ捕まえた。

 解決したかのように思えたが、事件は終わらなかった。

 失敗した時の腹いせにと、子供は別の場所に隠していたという犯人のせいで自警団は現在誘拐された子供の必死の捜索にあたっているのだ。

 犯人逮捕から2日たっても子供は見つけられていなかった。

 食べ物を支給していた犯人が口を噤んでいる今、子供に食事を与える者はいない。いつまでも見つけられなければそれは緩やかな死を意味する。

 犯人にも詰め寄り、職員で屈強な男たちが脅すなどして居場所を吐かせようとしたが、最後の意地で犯人も口を割っていない。

 緊急事態としてラズール領主にも掛け合い、自体に快く承諾を返してくれた領主協力のもと、現在は屋敷の警備員も加わって人界戦術で捜索している最中であった。


「くそっ、いったいどこにいるんだ⁉︎」


 その一人として街中を走り回っていたユーゴが、あまりにも手掛かりが出てこないまま時間が過ぎていく状況に焦りを滲ませた声で叫ぶ。

 話を最初に聞いた者としても、この事件の早期解決を願って協力していたのに、犯人の最後の意地にここまで手こずるとは思っていなかった。

 最初は昇進を夢見て自分の手柄とするためにせっせと動いていたが、もうそんなことより弱っているだろう子供のことだけが心配で仕方なかった。

 顎に伝う汗を乱暴に拭ってユーゴはまた駆けだす。もしかしてと浮かぶ場所を見つけては探し、当てが外れたらまた別の場所を考えて探すの繰り返しだった。

 今日で3日目。

 まだ9つだという子供からすれば、3日も飲まず食わずはかなり衰弱しているはずだ。

 捜索の範囲を決める会議を聞いている時間すら惜しいと飛び出してがむしゃらに探しているユーゴは刻一刻と過ぎていく時間に苛立ちと焦りばかりのしかかる。


「おい! なにか手掛かりあったか?」


 通っていた道の反対から捜索隊の仲間が駆け寄ってきてユーゴに尋ねた。

 それに力なく首を振る。

 向こうもそれだけで理解し、沈んだ面持ちでそうかと返す。


「そんなに広い街じゃねえのに、なんでみつからねえんだ」


 俯いたまま荒々しく呟くユーゴに、同じくわからない仲間は同意と共に首を振るしかできない。


「わからない。うまく隠してるってことなんだろうが、情報がどこからも上がらねえのがおかしいんだよ。商人たちは二人共ここらじゃ皆知ってる顔だ、そんなやつがいつもと違う組み合わせで歩いてたりしたら目が行くはずだぜ。なんで誰も見てねえんだ?」


「なら犯人の家の中じゃないのか? 隠し部屋とか、物置の中とか……」


「もう探してる。いなかったとさ。他にもヤツが使ってた店とか倉庫とかも全部探したが見つからなかったそうだ」


「そうか……」


 完全に手詰まりだった。それをわかっているから捜索隊のリーダー達も会議であの手この手を探っているのだ。

 もう間に合わないのではないかと呟く声もあったが、諦めずにユーゴはずっと探し続けている。

 だが人間には限界がある。

 ここ3日ろくな休憩も入れず走りっぱなしの身体は徐々に勢いを失くして疲労を訴えていた。

 仲間にもそれが理解できた。


「おい、探すのは大事だが少し休め。顔色が悪い」


「でも……」


「休むことも大事だ。2,30分でいい、そこに座って落ち着け」


 お節介なやつだと思いながら、ユーゴは指示に従った。

 座るとやはり疲れていた体が一気に疲労を訴えてきて、ずし、と体が重くなった。


「ほれ、飲め」


 仲間が腰に下げていた水筒をユーゴに手渡す。ありがたく受け取って飲んだ水の美味さが少し体に活力を与えてくれた。

 落ち着いたことで、焦ってばかりだった気持ちに余裕が生まれ、冷静になってまだ探してない場所、可能性がありそうな場所が他にあったか思い返す。

 休みながらも仲間と意見を交わし場所の特定をしていると、不意に「ニャア~」とユーゴには聞きなれた鳴き声が聞こえた。


「あれ? サビじゃん。どうしたお前」


 声のした方へ目をやれば、よく餌を求めて詰め所に出没する錆色の毛を持つ薄汚れた野良猫が自分の元へ寄ってくるのを捉えた。


「サビ? その野良猫のことか?」


 仲間は知らなかったらしく首を傾げた。

 ユーゴは頷く。


「ああ、毛が錆色だろ? だからサビ。いろんなとこで餌もらってるみたいで人懐こいんだ。よく詰め所にも餌くれってよってくるんだよ」


「ほう? 賢そうなやつだな」


「ああ、頭いいぞ。それに餌の恩返しなのか、たまにちょっとしたことで助けてくれるんだ」


 詰め所でのアクシデントでこの猫に助けられた時がユーゴにはあった。

 まあアクシデントといっても、金を落としてしまった、なんてことなのだが。

 本人以外に被害はないが、裕福ではないユーゴにとっては銅貨1枚も無駄にできないのだ。給料を確かめようと外で取り出した金が手から転がって、人では通れない住宅同士の間へ転がっていってしまったあの時の絶望は忘れない。

 その救世主こそがこの猫だった。

 どこからかやってきてユーゴの気持ちを悟ったかのように、スルリと隙間へ入っていき「これだろ」とばかりに落とした銅貨をくわえて戻って来たのだ。

 転がらないようにそっと置いてひとつ鳴いてからまたどこかへ帰っていった猫に、ユーゴは翌日自分の昼飯を多めに分けてやった。

 聞けば職場の殆どの者がそういったことで何かしら助けられているようで、野良猫ながら自警団の皆からは可愛がられていた。

 野良だからどこにいてもべつに不思議でもないのだが、気疲れしている今会えたのはラッキーかもしれない。とても癒される。

 隣まで来て頭をぐりぐりと押し付けてくる猫の背を、ユーゴは優しい手つきで撫でて癒される。薄汚れているのに不思議と毛の触り心地はいい。

 猫も優しく撫でてくるユーゴに労わるようにひとつ鳴く。


「はは、お疲れ様ってか? ありがとうな。今日は誰に構われてたんだ? カッコよくしてもらって良かったな」


 猫の首には白いハンカチが巻かれてあった。

 ずいぶんと質のいいものに見えるが、この猫を可愛がっている誰かがつけてやったのだろう。

 茶とオレンジの間のような毛色のこの猫には白は目立ってカッコよく見える。


「もったいねえことするなあ、ずいぶん綺麗な布じゃねえか」


「それだけこいつを可愛がってるんだろうよ」


「俺には考えられねえな。大体こういったもんはそのうち鬱陶しくて勝手に外していくんだぜ、猫ってのは。ああ、ゴミになっちまうのがもったいねえ」


 野良猫に着けてやる神経がわからないと仲間が首を振るのを笑い、ユーゴは猫を構い続ける。

 だが仲間の言った通り、猫は首の布が嫌なようだった。撫でてほしくて頭を寄せて来たのかと思っていたが、未だ頭をこすりつけてくる。そして反応がないと足で何度も首の布をひっかこうとしているのだ。

 どうやら首の布が相当邪魔に思えるらしい。よく見ればハンカチの端がほつれて糸を何本かひきつらせていた。


「ほらな、こうなるんだよ」


 未だにもったいないと繰り返しながら、仲間がこれ以上ボロボロにならないようにハンカチを外してやるため、猫に近づき結び目をほどいてやる。

 ハンカチから解放された猫は首を振って伸びた後、ユーゴの隣でごろりと横たわってくつろいだ。その姿にユーゴは気づかなくてごめんなと謝罪する。


「やっぱり野良猫だから嫌なのかな? 首輪もすぐ外してたもんなぁ、そういえば」


「…………………おい、これ」


「ん?」


 すっかり気が抜けてほのぼのと昔の記憶を振り返っていたユーゴに、仲間の硬い声が届いた。

 ハンカチをじっと見つめる仲間はその目をユーゴに向け、無言でユーゴへハンカチを差し出した。

 意味が解らず差し出されたハンカチを見れば、開かれたそれには歪んだ文字が綴られていた。「助けて」と読めた。

 ぎょっとしたユーゴはひったくるようにハンカチを手にすると文字の書かれた部分を引っ張って凝視した。


『助けて』『暗い小屋にいる』『水車』『木がいっぱい』


 暗い場所の中で一生懸命書いたのだろう、字の間隔や大きさがいびつで読み辛いが、なんとか読める。


「これ、たぶん子供の字だよな?」


「だと思うぜ、大人なら暗いとこでももうちょっとマシなの書けるぞ」


「一気に何人も監禁されたりもしないよな?」


 互いに見交わして、これが確実に誘拐された子供のものである可能性を確かめてから、やっと手掛かりを手に入れたことに喜ぶ。


「サビ、お手柄だぞ! 明日は昼飯おごってやるからな!」


「てかそれより早く助けねえと。これだけでも大分絞れるが、それでも時間はかかる」


 水車というのは場所を大幅に絞れる手掛かりだが、街のところどころにいくつかはある。それをひとつずつ確認するのだから、時間はかかるのだ。

 ユーゴは仲間に頼む。


「隊長たちにも渡してそれらしいところ手分けして探してもらおう。悪いけどそれ届けて説明してくれねえかな? たぶん詰め所のメンバーはサビのこと言えば疑わないだろうし」


「いいけどよ、お前はどうすんだ?」


「探しにいくよ。サビ、こいつを着けてくれたやつのとこに案内してくれ、頼む」


 いつの間にか座った体勢で二人を見つめていた猫に、ユーゴはしゃがんで頼む。

 無茶苦茶な案にもう一人が愕然とする。


「マジか、お前……。いくら賢いからって」


「早く見つけてやりたいんだよ。可能性があるならなんでもやるさ」


「……無茶はすんなよ」


 とめる気はないのか、それだけ言って仲間はハンカチを手に詰め所へ走っていった。

 それに感謝してユーゴはもう一度猫へ頼み込む。


「サビ、一刻を争うんだ。俺を連れてってくれないか?」


 犬ならまだしも猫に案内などできないだろうと常識なら言うだろう、だがユーゴは、この猫なら可能な気がした。あの助けてくれた時のような、人間臭い動きを見せるこの猫なら。


「ニャア」


 一呼吸置いて、猫は鳴いた。

 トッ、と身軽な動作で走り出し、若干離れたところで止まってユーゴへ振り返った。


『着いてこい』


 そういっているような気がして、ユーゴは立ち上がり猫の背中を追いかけた。






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