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第八話:常夜の魔王

 城攻めは吸血鬼にとって厄介な任務だ。致命的な弱点を幾つも持つ吸血鬼にとって、準備万端で待ち受けられるのは非常に辛い。

 特に流れる水を渡れない、その上では力を失うというのは特別厄介な弱点で、強大な力を誇る吸血鬼がそこまで生き残っていない理由の一つにもなっている。


 他にも、砦や城、屋敷を攻める際特有の厄介ごととしては、招かれなければ侵入できないという弱点もあり、今回僕がミレーレに与えた任務の成否はその課題をどうやって解決するのかにかかっていると言えるだろう。



 ――そして、その面倒ごとにミレーレは力ずくで対応していた。



 豪快に木を引き抜き、弾丸のように飛ばす。大砲の砲撃にも劣らない速度で放たれた質量弾は堅固な防壁にぶつかり、古い砦を僅かに揺らし、流れる水で満たされた深い堀に落ちる。

 外壁の上には無数の兵が集まり、その暴虐に呆然としていた。破壊失敗を気にもかけず、次の木を引き抜くと、ミレーレが投擲を再開する。


 なんでもないものでも、吸血鬼の膂力で飛ばせばもはや兵器だ。シンプルイズベストとはこの事か。

 僕も堀に囲まれた城を攻めるとしたら悩んだ結果似たような手法を取るだろうが、彼女は本当に柔軟だ。


 どうやら本当に……手がかからないようだな。


 天高くを飛ばせていた蝙蝠を下降させ、ミレーレの頭に止まらせる。


「!? 兄様!?」


 不自然な蝙蝠の正体をすぐに看破したミレーレが喜色の籠もった声をあげる。



 小さく一声鳴かせると僕は、意識を、視界を、注意を、その『身体の一部を変化させた蝙蝠』から取り戻した。



 ほっと息を吐く。まだ頭の片隅には蝙蝠の視界がちらついている。



 吸血鬼の能力は便利で応用が効く。そして、それ故に同じ吸血鬼を相手に戦おうとするのならば勝敗は能力の習熟度で決まるだろう。

 センリを助けに行って逆に負けでもしたら格好悪い事この上ない。ミレーレに負けてばかりはいられない。



 と言っても、状況に進展はなかった。オリヴァーは一人しかいないし、僕の好みは降伏勧告する前に襲う事だが、後からセンリにつっこまれた時に言い訳できない。

 力の練習をしようにも、血の力は有限だ。今は仕方なくモニカから血を分けて貰っているが、センリとは質が違いすぎる。どうやら血の力を得るには人間の血が一番らしい。


 今のところ強制的に少数精鋭になっている白き子犬軍の役割は単純だった。

 モニカが調べ、オリヴァーが交渉し、ミレーレが脅す。僕は…………僕は?


 僕は、体操くらいしかできていない。


「駄目ですね、エンド様。人間達は疲弊していますが、さすがの彼等も武力の一つも見せずに降伏したりはしません」


「……次の交渉は僕も一緒に行こうかな……」


「!? こ、この時代、人間は夜に人と会ったりしませんぜ、エンド様」


 オリヴァーの怯えるような、呆れたような目つきは僕に、邪魔だからついてくるなと言っていた。相手がセンリだったらその意見も簡単に受け入れられるのに、何だろうかこの感じ。


 だがこのままでは僕は何もやらずに配下達を働かせるだけの人になってしまう。


 本当だったらミレーレと一緒に城攻めをするはずだったのだが、一人で済むならば一人で攻めてその時間何かしらした方が効率的だ。


 センリと最速で会うためには何をするべきか? 僕は腕を組みしばらく考え込んで、頷いた。


「………………うーん、時間あるし、武器でも作ろうかな」


「…………はい? 何を言ってるんですか?」


 僕達の目的は配下を吸収する事だけではない。彼等を戦わせセンリの所に行くのが白き子犬軍の悲願である。


 脅しに屈するような奴らは皆大して強くないだろうが、弱い配下でも適当な武器でも持たせておけば少しはマシになるかもしれない。


「武器って……確かに世間は武器不足ですが、エンド様、鍛冶に心得が?」


「鍛冶にはないけど、魔法にはあるよ」


 傍らに置かれた虚影の魔王――ジェット・ヌーマイト・ブラクリオンが遺した漆黒の剣に触れる。

 黎明の剣。触れる者全てを呪うが故に僕が眠っている間誰も持ち去れなかった曰く付きの魔剣だ。そして、彼を倒した僕のみが使える剣でもある。


 この剣はジェットが大地の魔法で生み出した代物だ。



 ただの魔法でこれほどの剣を生み出すなど今でも信じられないが――僕が彼から受け継いだのは武器だけではない。



 吸血とは、ただの栄養補給ではない。血を体内に入れるのは――力の継承なのだ。

 かつて僕は最初にセンリを吸血した時、彼女が持っていた正の気配と多少の耐性を引き継いだ。ロードの幻に噛みついたあの時、僕はまだ下級吸血鬼ですらなかったが、彼の記憶を受け継いだ。


 ロードが設計した呪い。『吸呪(カース・スティール)』は吸血の発展系だ。

 全ての魔に連なる存在が棲まう宮殿の王。僕に彼の力が流れ込んだ時、僕は彼の記憶を追体験した。虚影の魔王の魂は未だ僕と共にある。


 手のひらで、石造りの壁に触れる。追体験したと言っても、今の僕ではジェットの力は十パーセント程しか使えない。



 だが、十パーセントもあれば十分だ、石造りの壁が粘土のように蠢き、手の中に一振りの石剣を生み出す。造形も強度も黎明の剣よりも遥かに劣るが、まぁないよりはマシだろう。



 焼き付いたような色の刃は術で石材を圧縮したが故。剣を受け取ったオリヴァーが刃渡りを見て感心したように唸った。


「うーむ……やや重いが、魔族ならば振るうに問題ないでしょうな」


「金属があれば金属製も作れる。ジェットみたいに大地から成分を吸い寄せて武器を作ったりはできないけど……」


 あの域に達するには繊細な術の構成と大地への深い造詣、そして何より、狂気的なまでの飢えが必要だろう。彼は狂うほどに希ったからこそ、一つの魔導の深淵に辿り着いた。恐らく僕がその域に達する事は永遠にない。


 だが、交渉の道具には使える。武器があれば木っ端のような魔族でも使い物になるだろう。リーチが伸びる分素手で戦うよりはマシだし、ただの石剣と比べたら手も加えている。


 どうだろうか?


 視線を向けると、オリヴァーはしばらく武器を軽く振ったりして思案げな表情をしていたが、納得したように大きく頷いた。


「…………恐ろしい力だ。ぶつを見せりゃ協力関係くらい結べるでしょうな。最低限、軍と呼べる程度の人数くらいは必要ですが」


「ミレーレ次第か……」


 人間の街は最初のターゲットにするには弱すぎるし、こちらは四人しかいないのだ、いくら強くても舐められる可能性が高い。

 常夜の魔王の軍は弱いが数はそれなりにいる。彼らを支配できれば最初の足がかりになるだろう。逆に、追い詰めてもどうにもならなかった場合は作戦を考え直さねばならない。


 吸血鬼は動ける時間が短すぎる。



「じゃあ武器を作ってくるよ……」


「では、俺は武器を運ぶ準備を整えておきます。馬でもいればいいんですが……はぁ。あいにく馬も不足していますし、しばらくは俺が荷車を引くことになるでしょうねえ」



 オリヴァーが肩を落とすと、情けない表情で部屋を出ていった。白い子犬軍が大きくなったら将軍にでもしてやるとするか。








§ § §






 身体が、まだ病に蝕まれる前、自由だった頃のように――いや、それ以上に動く。兄様はよく体操をしているが、ミレーレにはその気持ちがよくわかった。

 病にかかり数年しか経っていなかったミレーレでも喜びが色あせないのだ。文字通り死ぬまで無力感を味わったという兄様がそれ以上の喜びを抱いているのは間違いない。



 血の匂いに、戦いの気配に、途方も無い高揚を覚える。見上げるような砦。そこから差し向けられる無数の殺意にも恐怖は感じなかった。


 頭の上では兄様が放った蝙蝠がきいきい鳴き声をあげている。今宵は満月ではなかった。吸血鬼が力を十分に発揮する時ではないが、十分だ。


 吸血鬼の五感は許容情報量が多い。

 闇の中でも昼間のように見えるが、燃え盛る炎に目がくらむ事はない。針が落ちた音を聞き取れるが、轟音で耳が潰れるわけでもない。風の流れすら感じられる程敏感だが、刺激に弱いわけではない。



 つまり、完璧だ。弱点は無数にあるが、情報をしっかり取り入れ注意すれば奇襲を受ける心配はない。


 兄様は己の身が傷つくことを厭わずに戦い続けてきたらしいが、ミレーレはまだそこまで達観してはいなかった。

 そして、身体が傷つく事への忌避感が、闘争本能に頭に血が上った時にも常に頭の片隅にあり、水を差している。


 降り注ぐ矢による迎撃を軽やかに回避し、樹木の砲弾を投げつける。石を組んで作られた城壁は堅固だが、こうしていればいずれは崩れるだろう。



 ミレーレが狼に変身していないのは、人型の方が小回りが利くというのもあるが、相手を殺しすぎないようにするためだ。

 本拠点を探し回るために街を幾つも潰し、少し殺しすぎてしまった。人数が減ってしまえば相手を配下に組み込んだ時の旨味も少なくなってしまう。対『常夜の魔王』作戦での反省点の一つだ。


 このまま木を投げ続ければすぐに堀も埋まり相手も絶望し音を上げるはず――夜が明けるまではまだしばらくあるが、なるべく早く帰りたい。


 火矢が放たれ、木に突き刺さる。森を燃やし投げるものを減らして時間稼ぎするつもりだ。

 姑息な手だ、ミレーレは燃え盛る木を引き抜き、少しだけ高めに投げた。燃え盛る木が外壁の向こうに消え、悲鳴が風に乗って聞こえてくる。


 そろそろ相手もミレーレの目論見は気づいているはず。


「兄様、そろそろ弱点をついてきますか?」


 ミレーレの戦術は全て兄様から聞いた話を元に構築している。想像するのは得意だった。ベッドの中にいる間にできることはそれくらいだったから――まさかそれが戦闘に活かされる日が来るとは思わなかったが。


 問いに対して、頭の上の蝙蝠がきぃきぃと鳴く。その余りの可愛らしさに、ミレーレは思わずうっとりと相好を崩した。


 身体の分割変身は、まだミレーレには出来ない。ミレーレと兄様では階位が違うというのもあるし、経験不足というのもあるだろう。

 常夜の魔王を倒した暁には蝙蝠を一匹借りるというのもいいかもしれない。身体を分割で借りるだけなので兄様本体が弱体してしまうだろうが、ミレーレでもたった一人で砦を攻める事ができているのだ。兄様ならば問題ないだろう。


 そんな事を考えたその時――不意に強力な魔力の流れが視界を過ぎった。

 昼間のように見えていた世界がまるで帳を下ろしたかのように一気に暗闇に包まれる。


 意識が落ちたわけではない。手足はあるし、風が頬を撫でる感触もある。という事はこれが――。



「常夜の魔王が、常夜と呼ばれる……所以」



 吸血鬼に並の魔術は効かない。という事はこれはミレーレではなく、周囲の世界そのものに作用する類のものなのだろう。

 ジリ貧だと察して、打って出てきたのだ。目を開けているのに外が暗いというのは、人間だった頃以来の感覚で、どこか新鮮だった。


 気を引き締め直すミレーレの聴覚が、風切り音と足音を捉える。


 なるほど、自軍は見えるのか。聞いたことのない術だが、元々魔法というのは個人の資質に大きく影響されるものである。


 ミレーレは少しだけ軽く見てしまっていたが、恐ろしい王だ。人間ならばどうしようもないだろう。人間ならば。


 高速で飛来する矢を耳と風の気配だけで回避する。視覚が閉ざされていても、吸血鬼の五感ならば相手の場所を察する事は容易い。


 もちろん、見えない状態で近接戦闘する自信だってある。ミレーレ・ノアは――昏宮の王の第一位の吸血鬼なのだ。その王の名に泥を塗るつもりはない。


 神経をいつも以上に研ぎ澄ませ、襲撃者の位置を察知する。足音はほとんどしない。おそらく、ダークエルフだろう。

 だが、問題はなかった。ミレーレの聴覚は針の落ちる音すら聞き逃さないのだ。



 ダークエルフ達がミレーレを取り囲んでくる。


 音。匂い。肌の感覚。全てを使ってその動きを察知しようとしたその時――ミレーレは思い切りくしゃみをした。



 それはありえないはずだった。吸血鬼はくしゃみなんてしない。

 ほぼ同時に襲いかかってくるダークエルフ達を前に、もう一度くしゃみをする。我慢する余地がない。ふと頬に生暖かい感触がして、触れる。

 水だ。いや――涙だ。ミレーレは今、涙を流している。しかも――滝のように。


 振り下ろされる剣を、ミレーレは混乱の極みにありながらぎりぎりで回避する。だが、掠ってすらいないはずの肌にぴりりと痛みが奔った。



 それで、ミレーレは全てを察した。この現象は――。




「にんにきゅしゅんッ!?」


「同胞の仇だ、吸血鬼ッ!」



 見えない、しかし鋭い斬撃を身を低くして回避する。剣から飛んだ何かが肌に付着し、激痛が奔る。

 頭が戦意とは異なる、奇妙な熱にくらくらした。目が痛い。ミレーレは初めてなりふりかまわず回避に奔った。


 剣は、銀製ではない。そもそも銀の剣なんて希少品、もうこんな田舎にはほとんど存在しない。致命傷ではない。


 だがこの人達――剣に、にんにくの汁を塗ってる。


 完全に意表を突かれた。敵が使ってくるなら、銀か流れる水だとばかり思っていた。まさかにんにくとは――。


 以前、兄様が真剣な顔で言っていたのを思い出す。



『ミレーレ、僕達の相手は皆弱点をついてくる。戦闘の時は気をつけるんだ。十字架の剣とか色々信じられない事をやられたよ。下手をすれば、十字架状に切ったにんにくを剣として使ってくる可能性すらあるよ』



 その時のミレーレは冗談だと思いくすくす笑っていたが、冗談じゃない。



 この男たち――剣士の誇りが欠片もない。




 銀の剣とか、銀の矢ならわかる。それがにんにくを塗るだなんて――。



 吸血鬼の弱点は幾つも存在するが、弱点と一口に言っても、その間には重みというものがある。


 にんにくは紛れもなく吸血鬼の弱点だが、致命的な弱点ではない。

 にんにくの汁を塗った剣で切りつけられても激痛が奔るだけで、再生を阻害されたり死んだりしない。銀とは性質が違うのだ。


 だが、それでも――間違いなくそれは最低の攻撃だった。嫌がらせだ。


 涙と鼻水を流し、必死に呼吸をしながら攻撃を回避する。降りかかる痒みと痛みに集中できない。力が入らない。


 初めての体験に頭がぐちゃぐちゃになる中、飛来する銀の矢の気配だけを本能で察知し、回避する。



「効いている、効いているぞッ! 畳みかけろッ!」



 頭をまるごと取り替えたい気分だ。体内を全て水で洗い流したい気分だ。ミレーレが一体何をやったというのか。


 ミレーレはその時、初めて兄様が吸血鬼も楽じゃないと言っていた理由を理解した。正々堂々戦って欲しいと、ミレーレは思った。


 上から凄まじい刺激臭を放つ何かが落ちてくる。音と空気からその形を把握する。


 紐でつなげたにんにくだ。酷すぎる。




 くしゃみをしながら転げ回るミレーレに、ダークエルフ達が奮い立ったように、刺激臭のする武器を振り下ろしてきた。

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思わぬ反撃を受け、苦戦を強いられるミレーレ。

その前に、常夜の魔王に入れ知恵をした真の黒幕が現れる。




「世間知らずだな、吸血鬼。我らハーフ・ガーリックを知らぬとは!」







次話、迫りくるにんにくの亜人、リターンズ! お楽しみに!

※予告は実際の内容とは異なる場合があります







/槻影

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