冷静に聞いてください、奥様の命は後1……万年です

作者: デンスケ

 ロザリア・ヴィアリンド子爵令嬢と、ディラン・フォードシュタイン公爵令息の婚約から結婚に至る物語は、タルガット王国の歴史に刻まれる大恋愛だった。


 ロザリアはヴィアリンド子爵家の長女として生まれた。ただ、幼くして母を亡くし、父は葬儀の翌日には後妻を娶り、ロザリアの一月後に生まれたライアという少女を義妹として彼女に紹介した。

 それからロザリアは奪われる一方だった。母親の部屋は義母に乗っ取られ、彼女のアクセサリーは義妹のライアに奪われた。子爵令嬢としての予算も、必要な教育の機会も、全て。


 気が付けばロザリアは使用人以下の扱いを受け、実の親であるはずの父も使用人も誰も彼女を尊重せず、ぞんざいに扱った。


 そんな時にヴィアリンド子爵家に王命が下される。戦争に勝利し侵略者を退けた功労者、フォードシュタイン公爵の令息と娘を婚約させよと。

 だが、件の令息は英雄であると同時に残虐にして冷酷、常に血に飢えており捕虜を拷問し嬲る事を愉しむ猟奇趣味の持ち主と噂される人物だった。


 そんな男に嫁ぐなんて嫌だと泣くライアのために、ヴィアリンド子爵は一計を案じた。王命には「娘を」とあるだけで、「ライアを」とは書かれていない。ライアの代わりに、ロザリアをシュタイン公爵令息に嫁がせればいい。

 そうしてロザリアは僅かな荷物と一緒に馬車に放り込まれ、フォードシュタイン公爵家に運ばれた。そしてディランと出会うのだが、彼の噂は殆どが嘘だった。


 全ては、フォードシュタイン公爵家の政敵が戦場で数多の功績を上げたディランを妬んで流した悪評。そして、その悪評が実しやかに囁かれたのは、ディランがある事情から社交の場にほとんど出ていなかったからだった。


 ロザリアは、ディランが普段暮らしている公爵家別邸の近くで降ろされた。しかし、普段から僅かな食事しか与えられていなかった彼女は、別邸の門を叩く前にへたり込んでしまう。

 そこに従者と遠乗りに出かけていたディランが偶然通りがかり、行き倒れた彼女を助け別邸に運び込んだ。自分の婚約者だと気が付かないまま。


 そして二人は交流を重ね、ロザリアは噂とは異なる本当のディランに惹かれた。

 だが、ヴィアリンド子爵家の者達によって長年貶され貶められてきたロザリアは、自分のような者が英雄であるディランには釣り合わないと思い込んでいた。


 そんなある日、ロザリアは女神の加護を受けており聖魔法の素質がある事が判明した。ロザリアはいつか、本当にフォードシュタイン公爵家に嫁ぐはずだったのは義妹のライアである事が判明し、ディランとライアが結ばれたとしても生きていくために、出来ればディランに恩返しをするためにも、公爵家に仕える軍医達から回復魔法を学び始めた。


 だが、ロザリアが回復魔法を十分に習得する前に、フォードシュタイン公爵領の森にヒュドラが現れた。複数の首と毒牙、そして首を斬り落としてもすぐに新たな首を生やす事が出来る再生力を誇る大蛇の魔物に、最寄りの町は存亡の危機に陥る。


 精鋭の騎士団を率いて出陣するディラン。ロザリアは、軍医でも解毒する事が出来ない猛毒を持つヒュドラに挑む彼をそのまま見送る事は出来ず、無理を言って軍医達に混じって彼の後を追った。

 ロザリア達が戦場に着いた時、ヒュドラは既に退治されていた。ディランは次々にヒュドラの首を切り落とし、彼の配下の魔法使い達が首の切断面を焼いて再生を封じたのだ。


 だが、切り落とされた首の一つが突然動き出し、ディランにその毒牙を突き立てた。倒れるディランに、ロザリアは駆け寄った。そしてありったけの魔力を込めて回復魔法を唱えた。

 その時、奇跡は起きた。辺りは神々しくも温かな光に包まれ、兵士達の負傷は癒え、ヒュドラに荒らされ立ち枯れていた森の木々は新たな葉を芽吹かせ花を咲かせた。


 そしてディランの体からヒュドラの猛毒は消え、傷跡すら残さず治っていた。

「ディラン様、愛しています。あなたの妻になれなくてもいい。お願いです、生きていてください」

「……リア。そんな事は言わないでくれ。俺は、君以外の誰とも結婚したくない。俺が妻にしたいのはこの世でただ一人、君だ」


 そう告白し抱きしめ合う二人を公爵家に仕える騎士達の誰もが祝福した。

 それからロザリアが自身の正体をディランに告白し、ディランも自身の出自が庶子であり、本来公爵家を継ぐのは暗殺された兄だった事を明かした。


 ディランはロザリアと正式に婚約し、彼女の名誉を取り戻す事を決意。兄が生きていた頃は庶子が目立つわけにはいかないと避けていた社交の場に出る覚悟を決めた。ロザリアも、彼を公爵夫人として支える決意を新たにする。

 そして二人は出席したタルガット王家主催のパーティーで、ライアではなくロザリアと婚約した事を公にするつもりだった。


 だが、そこでどういう訳かヴィアリンド子爵と義母、そして義妹のライアも出席していた。本来なら、子爵以下の下級貴族には招待状が送られていないはずなのに。

 実はロザリアをライアの代わりにフォードシュタイン公爵家に嫁がせた直後、ヴィアリンド子爵領を天災が立て続け襲ったのだ。王国からの復興支援制度を利用する事が出来たが、今までの義母と義妹の散財がたたって領地経営に支障をきたすようになってしまった。


 その苦境をどうにかするために、フォードシュタイン公爵家からの援助を引き出そうとしたのだ。


 だが、愛する人を得て自信をとり戻したロザリアと、彼女を守ると決意を固めているディランにヴィアリンド子爵が太刀打ちできるわけはなかった。

 王家主催のパーティーで騒ぎを起こしたとして、ヴィアリンド子爵と義母、そして義妹は連れていかれ、公爵令息の婚約者に危害を加えようとした容疑で騎士の取り調べを受ける事になった。


 そこでロザリアの父はヴィアリンド子爵家に婿入りした男爵家の次男であり、義母は子爵家に仕えていた侍女であったことが明らかになった。

 タルガット王国の法では、貴族の後継者は血統主義に乗っ取って決定される。それによればヴィアリンド子爵家の後継者は、子爵家の血を継ぐロザリアの母の子、つまりロザリアでなければならない。


 ディランは父親がフォードシュタイン公爵家の正当な血筋であったため、庶子でも現公爵が王家に書類を提出し承認されれば公爵家の跡取りとして認められる。だが、ライアの父は入り婿で母は父の家に仕えていた侍女だ。子爵家の血は一滴も入っていない。彼女はどう足掻いても、子爵家の跡取りになる事は出来ないのだ。


 正当な跡取りを冷遇し、その資格が無い娘を跡取りにしようとしたロザリアの父と母は、ヴィアリンド子爵家の乗っ取りを企てたとして牢に繋がれ、生涯自由の身になる事は無かった。ライアは何も知らなかったため減刑されたが、修道院へ送られる事になった。

 そしてヴィアリンド子爵の爵位と領地は、正統な後継者であるロザリアが嫁ぐフォードシュタイン公爵家が管理する事になった。


 ディランとロザリアはパーティーの半年後結婚式を挙げ、国王夫妻を始めタルガット王国中から祝福され正式な夫婦となった。


 その一カ月後だった。ロザリアが倒れたのは。







「ディラン様……あまり心配しないでください。私なら大丈夫ですわ」

 ベッドに横に横たわるロザリアの様子は、ディランの目には大丈夫には見えなかった。

 高熱が出て、身体中が痛むせいで動く事が出来ず、食欲が減退してただでさえ華奢だったのにやつれてしまっている。


「リア、君のために心配するのは俺の権利だ」

 ロザリアを愛称で呼びながら、ぬるくなった布を魔法で冷やし、彼女の額に置き直す。こうする事で、自分の魔力が彼女に伝わり回復の一助になるのではないか。そんな根拠の無い思い込みに縋るほど、ディランには打つ手が無かった。


「私が、回復魔法を、ちゃんと唱えられたら……」

 ディランと出会ってからロザリアは回復魔法が使えるようになった。その力は高く、重傷者を一瞬で全快させ失った目や四肢さえも再生させる事が出来た。

 だが、ロザリアが病に倒れると魔法が使えなくなってしまった。彼女は自分自身の病を癒す事が出来なくなってしまったのだ。


「気にするな。重い病に侵されると、魔力を上手く制御できなくなり、そのせいで魔法が使えなくなる事はよくある事だ。俺にも覚えがある」

「でも……私が倒れている間に、重傷を負った人が……」

「今は自分の体を癒す事だけを考えてくれ、リア」


 結婚と同時にフォードシュタイン公爵家の家督を継いだディランは、ロザリアのために出来る事は全て行った。公爵家に仕える者だけでなく、国中から魔術師や神官、薬師を呼び寄せ彼女を診察させ、高名な錬金術師が作成したエリクサーを購入した。

 だが、どんな回復魔法の使い手もロザリアを癒す事が出来ず、エリクサーも効果を出せなかった。


「大丈夫です、ディラン様。私、ディラン様と出会ってからずっと幸せなのです。ですから、こんな病気へっちゃらです」

 しかし、ロザリアは挫けていなかった。悲壮な顔つきのディランの手を取り、逆に彼を励まそうとする姿は健気で慈愛に満ちていた。


「そうだな、その通りだ。あと何日かすれば隣国のナベリウス高司祭殿がやって来て、診察してくれるそうだ。今度こそ、大丈夫だ」

「ナベリウス高司祭……確か、私の魔力を測定してくださった方ですよね?」

「そうだ。彼は隣国でも大神殿長に次ぐ回復魔法の使い手。きっと今回もリアを助けてくれるはずだ」

 その時、扉をノックする音と来客を告げる執事のバスマンの声が聞こえた。


「失礼します、旦那様。隣国からアルベール・レイ・ナハト大神殿長様が参られました。是非、奥様を診察させてほしいと」

「そうか、高司祭殿が――待て、大神殿長? 高司祭ではなく?」

「はい、アルベール・レイ・ナハト大神殿長様です」

「な、何故この大陸の神殿の頂点、地上で最も女神に近い方が!? 国賓待遇で迎えねばならない方が、直接我が屋敷に!?」


「はい。証の宝冠をお持ちだったので、ご本人に間違いありません。

「分かった。お通ししろ」

「畏まり――」

「申し訳ない、勝手に入らせていただきました」

「っ!?」


 バスマンの背後に、いつの間にか法衣の上に外套を羽織った小柄な老人が佇んでいた。深い皴が刻まれた顔は見るからに好々爺といった風情だが、彼がただの老人で無い事は頭に乗せた代々の大神殿長が受け継いできた宝冠が物語っている。


 アルベール・レイ・ナハト。もっとも女神に近い聖人とされる、現大神殿長である。


「よ、ようこそいらっしゃいました、大神殿長殿。お迎えの用意もせず申し訳ありません」

「いいえ、先ぶれも出さず押しかけたのは私の方ですから」

「ところで、まさかお一人で?」

「ええ、私一人です。馬に回復魔法をかけながら、七日七晩走らせてここまで来ました」

「馬を……七日間……ずっと」


 そう言えば、アルベール大神殿長が勤める隣国の大神殿とこのフォードシュタイン公爵家の屋敷は、それぐらいの距離だったなとか、回復魔法をかけながらとはいえ良く馬が保ったなと思った。


「ところで、奥方様を診させていただいてもよろしいかな? 賜った神託に応えたいのです」

「お願いします!」

 ハッと我に返ったディランは後ろに下がり、アルベール大神殿長にロザリアが横になっているベッドまでの道を空けた。


 そう、ディランにとって最も重要なのはロザリアだ。大陸全土に渡る宗教指導者がやって来た事や、その理由が女神から神託を受けたかららしい事は一先ず置いておく。


「失礼します、フォードシュタイン夫人」

「お初にお目にかかります、大神殿長様。このような姿で申し訳ありません」

「どうかお気になさらず。御身に触れる事を許していただけますか?」

「はい、もちろんです。でも、どうして大神殿長様は――」

「本当に、お気になさらず。楽にしてください、私の事もアルベールと呼び捨ててください」


 大神殿長はまるで一介の使用人のように、恭しくロザリアに膝を突き、横になったままの彼女の手に触れた。

 ロザリアも本来国賓として遇するべき聖人の態度に困惑したが、それを改めて問う前に部屋が明るくなった。何事かとディランが見ると、ロザリアの胸元が優しく輝いている。


「おおっ、これは……やはり……!」

 いったい何が起きたのかとディランとロザリアが戸惑っていると、大神殿長は深く頷くと瞼を閉じ、ロザリアの手を触れた時と同じ丁寧さで放した。


「公爵殿、落ち着いて聞いてください。奥方様の余命は一……」

「くっ」

 厳かな口調で語られる大神殿長の言葉に、ディランは足元が崩れるような衝撃を受けた。自分の人生を鮮やかに変えてくれた、世界で最も愛おしい人の余命を聞かなければならない。彼女が生きられるなら、自分はどんな事でもやるというのに、その方法はないと告げられる時が迫っていた。


(俺が挫けてどうする! 辛いのはロザリアだ!)

 辛い思いをして来た少女だったロザリア。まだ二十歳にもなっていない、結婚したばかりのディランの最愛、唯一の人。

 彼は、彼女を幸せにすると誓った。


(誓いを全うするのだ、ディラン・フォードシュタイン! リアが生きられるのが後一カ月、一週間、一日だとしても! 残りの時間を全て彼女のために使い切るまで、俯いている時間はない!)

 精神力で衝撃に耐える、覚悟を新たにした。そんなディランの耳に、大神殿長の宣告が響いた。


「奥方様の余命は、一万年です」

「うぅ、そうか、残りたった一万年……ん? 一万、年?」

 噛み締めるように下された宣告を繰り返すディランだったが、瞼を瞬かせて大神殿長に聞き返した。今、一日でも一年でもなく、一万年って聞こえたが聞き間違いかと。


「それは本当なのですか、大神殿長様!?」

「申し訳ありません、ロザリア様。私の力ではどうにもできません。あなたの余命は、一万年です」

「聞き間違いではなかったようだな」

 目に涙を浮かべて聞き返すロザリアに、様を付けて大神殿長は再度余命を宣告した。ディランは自分の耳がおかしくなったわけではないと分かり、ほっと安堵した。


「大神殿長様、妻の命に別状が無い事は喜ばしいのですが、高熱や節々の痛みはどうすれば?」

 安堵はしたが、ロザリアが苦しんでいることに変わりはない。それについて尋ねると、大神殿長は静かにうなずいた。


「あと数日、長くとも一週間以内に治まり、奥方様は以前よりも遥かに偉大な存在となるでしょう」

「そ、そうですか。それは何より?」

 ディランは最愛の妻が後一週間以内に偉大な存在になると告げられ、どんな顔をすればいいのか分からなくなった。自分は症状が回復するか尋ねたつもりだったが、何か間違えただろうかと、内心首を傾げる。


 そんなディランと二度目の余命先刻から一言も発していないロザリアの困惑に気が付いたのか、大神殿長は説明を始めた。


「今、ロザリア様を苦しめているのは病ではありません。例えるなら筋肉痛……いえ、成長痛です」

「成長痛というと……成長期の子供の手足が痛む、あれでしょうか?」

 幼児期から成長期の子供の、脚に起きる症状だ。多くは膝だが、太腿や脛、足首等個人によって悼む場所は変わる。痛む期間も人それぞれで、長い場合は一年ほど続く場合もある。しかし、症状は一過性で治療の緊急性も低い。


 そんな知識がディランの脳裏を過る。そう言えば、私も子供の頃急に膝が痛くなって、乳母に湿布を貼ってもらったなと、思い出もついでに過っていく。


「私、これから更に背が伸びるのですか? もう十八になりましたのに」

「ロザリア様、これから成長するのは背ではありません。存在です」

「ソンザイ?」

「貴女のみに起きているのは……そう、定命の存在からの存在進化、神へのランクアップです」


「存在進化、ランクアップ?」

 ぼんやりしていたディランは、妻と大神殿長の会話から彼女の身に何が起きているのか聞いたが、すぐには理解できなかった。


 言葉自体は彼も知っている。通常ではありえない変化を伴う成長の事だ。

 存在進化するのは多くの場合魔物だが、女神の眷属である天使や聖獣、ドラゴンの身にも起きる現象であるとされる。

 タルガット王国にも、過去にある王子の愛馬がペガサスに存在進化したという逸話が伝わっている。


 しかし、人間が存在進化するなんて聞いた事が無い。


「公爵殿、ロザリア様は特別な存在なのです」

「それは分かっている。彼女程愛らしい女性は、他に存在しない」

「いえ、そう言う事ではなく……ロザリア様は女神様に深く愛されたお方。その身に宿った加護により、人間から神々の領域に至ろうとしているのです」


「リアが、神々の領域に!? 出会った頃から常々女神のようだと思ってはいたが……」

「私がこうして参じたのも、女神様から『自らの身に何が起きているか知らず、迷う愛し子に道を示せ』との神託を賜った故なのです」

「では、本当にリアはこれから女神に……そして一万年生きると?」


「はい。まずは女神の眷属として一万年程生き、我々定命の者には想像もつかない時の果てに再び存在進化し、新たな女神となられるでしょう」

「確かに、俺には想像もつかないな。だが、良かった」

 リアが死ぬわけではなくて。今度こそディランは心から安堵した。


「そんなっ! 私は嫌です! どうにかならないのですか、大神殿長様!?」

 しかし、ロザリアは嘆き涙をはらはらと零しながら大神殿長に縋った。

「も、申し訳ありません、ロザリア様。人類の力ではどうしようもありません」

「どうしたんだ、リア。もう心配する事はないのだぞ」


 狼狽える大神殿長とディランに、ロザリアは言った。

「私は一万年も生きたくありませんし、女神様にもなりたくありません! だって……ディラン様が亡くなった後そんなに長い間、一人で生きていくなんて辛すぎます!」

「リア……!」


 ディランにとってロザリアが最愛であるように、ロザリアにとってもディランは最愛の人だった。不幸な境遇から自分を救ってくれた恩人であり、心を捕らえて離さない恋人。そして、これから一生を共に過ごす唯一の伴侶。もちろん、将来死別する事が避けられないのは理解していた。今日も、ディランを残して儚くなる事を恐れ、内心では震えていた。


 その心配がなくなった事は良かった。だが、自分が存在進化をして女神の眷属となっても、ディランは人間のまま。どんなに健康に気を使っても、後百年は生きられないだろう。

 彼が亡くなった後も約九千九百年も生きなければならないと言われたのは、ロザリアにとって死を宣告されたも同じ事だった。


 その事に思い至ったディランは、先ほど安堵した自分がどれほど身勝手だったのか思い知った。何故残されるロザリアの気持ちを考えられなかったのかと、自分を叱責する。

「リア、すまない。だけど、嘆かないでくれ、俺は残りの人生の全てをかけて、君の中に一万年経っても色あせない思い出を作って見せる。

 それに――」


 ロザリアの手を取り、彼女の宝石のように澄んだ瞳を熱いまなざしで見つめてディランは誓った。

「俺は何度生まれ変わっても、必ず君に恋に落ちる。だから、また会える」

 女神は、魂は輪廻転生すると説き、愛の尊さを教えている。その女神の眷属となるロザリアへの誓いなら、きっと人知が及ばぬ死後の世界を越え、来世まで届くだろう。


「ああ、ディラン様。でも、それではディラン様の人生を縛る事に……」

「構わない。君と永遠に在る事が、俺の願いなのだから」

 見つめ合うディランとロザリア。二人の愛の純粋さを目にした、大神殿長や執事のバスマンを含めて全ての存在が胸を打たれた。


 そう、全ての存在が。


「こ、これはっ!?」

 突如、空から神々しい輝きが降り注ぎ、大神殿長を包み込んだ。

「女神様から、お言葉を預かりました。ロザリア様を愛する者……この場合は公爵殿の同意があれば、公爵殿を女神様の眷属の眷属へ引き上げる……存在進化が可能であると」


「女神様の眷属の眷属?」

「はい、形式的にはロザリア様に仕える存在の事ですが、ぶっちゃけるとロザリア様と同じ時間を生きる人類を超越した存在に至れるという事です」

「ぶっちゃけると……」

 ディランは目まぐるしく進む状況に理解が追い付かず、呆然としたまま大神殿長の言葉を繰り返した。


「ディラン様!」

 しかし、ロザリアはしっかり理解していたようで、彼の手を力強く握り返した。どうやら、一週間どころか既に存在進化の症状は治まりつつあるようだ。


「私達一万年後も、ずっとずっと一緒ですね!」

「え、あ、ああ、ずっと一緒……リア、ちょっと待ってくれ!」

 ロザリアの手から自分の手に熱が伝わり、視界が光に満ちていく。


「こ、心の準備を――あぁーっ!?」

 そしてディランは、ロザリア以上の高熱と節々の激しい痛みを味わい、一週間程動けなくなったのだった。







「そんな事もあったな。あの後は大変だった」

「嫌ですわ、ディラン様。五千年も前の事を……あの時の事は、私も反省していますのよ」

 あれから五千年の時が過ぎた。タルガット王国は共和国と名を変え、首都を何度か遷都したりしつつ存続している。女神の神殿では女神様に加えてロザリアとディランも信仰されるようになり、二人の大恋愛は神話として語られえている。


「旦那様、奥様、お茶のお代わりはいかがですか?」

 穏やかな声に振り返ると、そこにはポッドに次のお茶を淹れた執事のバスマンが控えていた。

「いただくわ、バスマン」

 彼はバスマンの子孫でもなければ、同じ名前の天使でもなく、五千年前から二人に仕えるバスマン本人である。主人夫妻を敬愛していた彼を含めた数人の使用人達も、ディランに続いてロザリアによって引き上げられ存在進化を果たしたのだ。


 そして人類を超越した執事は、今も変わらず主人夫妻に仕えている。


「五千年か。確かに、あれから色々な事があったな」

 夫婦と一部の使用人が人類を超越したフォードシュタイン公爵家は、三十年程地上に留まって領地を治め、ディランの親類から後継者を選んで教育した後、女神のいる神界へと居を移した。


 聖人認定された事で先に住人となっていたアルベール前大神殿長と神界で再会し、初めて女神に拝謁を果たした。そして、ロザリアは女神の教え子となって次代の女神となるための修行を始め、ディラン達は彼女を支える事になった。


 それからかつて世界を滅ぼそうとした邪神が復活しそうになったり、ロザリアと同じように女神の加護を受けた少女を守るために陰ながら見守ったり、異世界からこの世界を侵略するために現れた魔王と戦ったり、この世界を滅ぼそうとする大魔王を退けて異次元の彼方に放逐したり、この世界を生贄に新たな世界を創造しようとした超魔王を封印したり……色々な事があった。

「魔王、来過ぎじゃないか? どれだけこの世界に執着してるんだ」

「次は極魔王かもしれませんな」

「やめろ、バスマン。縁起でもない」


「私としては、極魔王より旦那様と奥様のお子が見たいのですが」

「バスマン、お前は何時から俺達の祖父になった」

「そうよ、バスマン。旦那様と話し合って、子供は私が一人前の女神になってからって……うっ!」


 ロザリアが突然呻いたと思うと、カップを取り落とした。

「どうした、リアっ!? まさか――」

 急いで彼女を抱き起したディランは、既視感を覚えていた。五千年前も、こんな事があったような気がしたのだ。


「だ、大丈夫よ、あなた。ただ……私が女神に存在進化する時が来たみたい」

 その予感は的中していた。

「やっぱりそうか。予定の半分で女神に存在進化するなんて、流石俺のリアだ」

 そう話している間にもロザリアの体から神々しい輝きが放たれ、それは次第に明るさを増していく。


「じゃあ、子供の名前を考えておいてね」

「わ――」

 ディランが返事を言い終える前に、温かな輝きが神界を包んだ。その輝きは地上からも見る事が出来たという。


 こうしてロザリアは新たな女神となり、ディランと共に新しい世界を創世するのだか……それはまた別のお話。

数ある作品の中からこの作品に目を止め、読んで頂きありがとうございます。宜しければ作品の評価を頂ければ幸いです。