9.早とちり
――その日は何かが起こる予感がしていた。
具体的に何かと聞かれるとドエムは答えに窮してしまうのだが、とにかく彼にとって何か重大な事が起きてしまう。そんな気配を朝からビンビンと感じ取っていた。
こんな事は常ならざる事で、何かよくない事でも起こるのかとドエムは朝からソワソワと過ごしていた。
「ドエム様? 何かございましたか?」
「当家の者がなにか粗相を?」
「……いや、何でもない」
ドエムの尋常ならざる気配にルクレツィアも、レイダル伯爵も気になって問い掛けずにはいられない程である。
恐らく生まれて初めて冒険者ギルドに赴くのが楽しみで落ち着かないのだろうと結論付けるが、何となくそんな答えではしっくり来ない。
「どうしたんだ? 早く行くぞ! ……チッ、なんで俺がコイツのお目付け役なんだ」
アレンに促されるまま伯爵邸を出て、そのまま街の中を歩き出す。
尋常ではない胸騒ぎにどうしても警戒せざるを得ず、道行く人々をじっと観察し、そしてさっと目を逸らされるという事を繰り返していた。
しかしながらドエムの予想に反し、結局冒険者ギルドに辿り着くまで何も起きなかった。
何かが起きるなら屋敷よりも外だろうと、アレンに怪訝な顔をされながらも気を張りつめていたのにだ。
肩透かしを食らった様な、梯子を外されてしまった様な……そんな妙な気分を感じながらも、ドエムは冒険者ギルドに足を踏み入れた。
朝からずっと妙に興奮しており、胸が緊張か何かで高鳴っていたというのに裏切られた……そんな気分だった。
だがしかし、何事もないのであればそれに超した事はない。
平穏無事に今日という日を終えられるのであれば、それはとても尊く素晴らしいものだとも思えた。
しかしながら油断していたドエムの前で事態は急変した。
小難しい受付嬢の説明を聞き終え、何級相当なのか試験を受けると承諾した――その時だ。
「お前マジでキモイのニャ!」
「やめてくれ! やめてくれ!」
試験の担当官を待つだけとなったドエムの耳に、そんな声が聞こえて来たのだ。
何やら人が争う声だったが、その内容がどうもおかしい……泣き叫ぶ成人男性の声と、怒鳴る様な複数の若い女性の声。
女性の方はまだ子どもと言っても良いような幼さを感じさせるものだった。
ドエムは朝から妙な緊張感と興奮に苛まれ、何処かフワフワとした夢見心地でもあった。
だからこそ、好奇心に負けてその騒ぎ声の方へとフラフラと引き寄せられてしまったのだ。
「あっ、おい!」
そこは冒険者ギルドの一階部分に広く設けられたフリースペース――冒険者たちが仲間を募ったり、メンバーと打ち合わせや情報交換を行う場だった。
そんなフリースペースの隅の隅の方で行われていたのは、十代前半から半ばくらいの年齢に見える女の子達のグループによる、寄って集っての一人の中年男性への暴行。
猫の様な耳や尻尾、兎に馬といった獣の特徴がある見た目――ドエムが初めて見る獣人の女の子達が臭いだの、キモイだの、生きる価値がないだの……心にくる様な罵声を浴びせかけながら、その中年男性に殴る蹴るの暴力を振るつ っている。
中年男性は自分の年齢の半分も生きてない様な少女達に暴行され、地面に蹲りながらみっともなくも情けない声を上げていた。
やめてくれ、痛い、お金はない……と、そう言いいながら両手で頭を庇っている。
それでも彼女達がその蛮行を辞める気配は一向にない。
その光景を見た瞬間、ドエムは自身の頭にカッと血が登るのが分かった。
自身の奥底から溢れ出る強い感情に、身体の震えが止まらない。
「お、おい? お前、大丈夫か?」
その様子にいつもはドエムに冷たいアレンも心配の声を掛けてしまう程だった。
しかし、その心配は無用の長物である。少女達が寄って集って中年男性を暴行するという現場を目にしたドエムの頭を占めるのはたった一つだけ。
――なにそれ羨ましい。
これだけである。ドエムは所謂ドMと呼ばれる人種。マゾヒストだ。
だからこそ、自分よりも遥かに歳下の少女達に暴行されていた中年男性に嫉妬を、ジェラシーを感じていた。
ドエムは自分の奥底から溢れ出る感情が求めるがままに突き動かされ、少女達と中年男性へと向かって叫んだ。
「――こらぁッ!! 君達ッ!! いったい何をしているのだッ!!」
少女達が一斉にドエムを睨み付ける。
挑発は大成功だった。
その後すぐに、ドエムと一番距離が近かった軽装の猫耳少女が口を開く。
「なんなんだテメェは?! 痛い目に遭いてぇのニャ?! あぁ?!」
――全くもって、その通りだった。
思わずその場で「はい! よろしくお願いします!」という言葉が喉まで出掛かりそうになりながらも、ドエムは鋼の精神でそれを堪え、どうにか止める事が出来た。
――服従するには、まだ早過ぎる。
確かに少女達のヘイトを中年男性から自らへと向ける為に挑発したが、何もさっさと服従する為ではない。
助けに入っておきながら、まだ何もしておらず、されていないのに、即座に服従なんてそんな事が許される筈がないのだ。
ドエムは当然わかっていた。こういうプレイでは最高の結果を得る為に、過程にも拘らなくてはならない事を。
気を抜けば膝を着きそうになる心の弱さを叱咤し、ドエムはその少女達に向けてさらなる言葉を発した。
「君たち! 弱い者を複数人な嫐るなど……いったいどういうつもりだ!」
ドエムは目の前に居る彼女達が明らかにイラついているのがよく分かった。
「どうしても暴力が振るいたいなら、この私にするがイイッ!!」
――挑発に見せ掛けた完全なる要求だった。
義憤に見せ掛けたプレイに獣人少女グループの一人である猫耳少女が拳を握り締めたのを、ドエムは決して見逃さなかった。
「なに意味わかんねぇ事を言ってんだよこのクソジジイ!」
――来るッ!!
そう確信した瞬間ドエムは目をカッ開き、歯を食い縛って猫耳少女のお仕置を待った。
そうだ、殴られた衝撃で気絶するなど今だけは許されない。
ご褒美を下賜されている最中に意識を失い、その全てを甘受できないなど、人生の損失という生温い言葉では言い表す事は出来ない。
そして鍛え抜かれたプロは、ご褒美を賜る瞬間を一分一秒たりとも見逃しはしない。
人から善意の施しを受けておいて、わざわざ目を瞑ったり逸らしたりする人が居るだろうか? 居たとしたらそいつは心にやましいモノがあるのだろう。ドエムの心は澄み渡っていた。
己の身に降り掛かる愛の拳を受け止め、またその瞬間を絶対に見逃しはしないと……そう、覚悟を決めたのだ。
さぁ、来るがいいと……自分にはご主人様の鋭い拳を受け止め、その最後の瞬間まで脳裏に焼き付ける用意があると……ドエムは目を限界まで見開き、腰を落として受け止める体勢に入った。
過酷な自然環境で鍛えた動体視力と、培った全ての技術を余す事なく発揮して完全なる受け入れ態勢を整えたのだ。
――ドエムは本気だった。
しかしながら事態はドエムが意図しない、想定外の方向へと動いていく。
自らの期待を裏切るように猫耳少女の口から飛び出た言葉に、ドエムは我が耳を疑った。
「な、なんだコイツ――隙がニャい!?」
そう言って、猫耳のご主人様は拳を構えたままドエムを睨み付けるばかりで一向に動く気配がない。
――ちょっと力み過ぎてしまったらしい。
ドエムは混乱の渦中にあった。どうしよう、どうしたら良い? どうしたらご主人様は自分を叱ってくれるんだ?
せっかくのこの大チャンス。一生に一度有るか無いかという千載一遇の好機を前にしてお預けなんて許される筈がない。
いや、もちろん放置プレイというのも大好物ではあったが、それは今回の趣旨に反する。
ドエムは自らが挑発した彼女達にお仕置をされ、服従を強いられたいのだ。
ドエムの頭の中は大パニック状態だった。
幼き頃、近所の山で急な便意に襲われた時以来の大パニックだった。
――気が付けばドエムは服を脱ぎ捨てていた。
タイミングを待っている猶予なんて無い、受け身の姿勢でばかりいてはダメだと……そう、判断したのだ。
譲って貰ったばかりの衣服を、自分の拘りの一つすら脱ぎ捨てて、産まれたままの姿を披露した。
「な、なな、なぁ……!?」
──極限まで鍛え抜かれた筋肉の鎧。
──余すところなく刻まれた凄惨な傷。
「お、お前はいったい……」
太く、硬く、限界まで圧縮された筋肉が一分の隙もなく凝縮された肉体。
一つ一つが致命傷になり得ると推測できる傷痕の数々。
目の前の男の素性がいよいよ分からなくなり、猫耳少女は数歩後退った。
「さぁ来い! 俺は丸腰だ! 君たちの全てを受け止めてみせよう!」
そんな様子にも気付かずにドエムは声を上げ続けた。
全てを受け止める等と、思い上がった自分を女王様に叱って貰いたいが為に。
「ほらほらどうしたァ?! (威嚇)殴ってみろッ!! (挑発)今さら怖気づいたのか?! (嘲笑)…………なぐってせみろぉ♡(懇願)」
――殴って欲しかった。
――蹴って欲しかった。
――縛って欲しかった。
衆人環視の中で威勢よく正義の味方面した自分の頬を叩き、頭をそのお御足で踏み躙り、恥ずかしい体勢で縛り上げて晒して欲しかった。
恥を晒した自分を、少女たちに寄って集って詰られ、その様を知り合いでもない大勢の人々に見られ嘲笑されたかった。
けれどもドエムのささやかな願いが、欲求が叶えられる事はなかった。
ドエムに助けられた形になった筈の、少女達の被害者であった筈の中年男性はドエムの女王様達を背に隠し、まるで化け物を見るかの様な目で彼と対峙したのだ。
そしてドエムの女王様達の様子もどうもおかしい……まるで彼に対して怯える様に肩を震わせて縮こまり、お互いに抱き合いながら、数分前まで自分達が暴力を振るっていた対象である中年男性の背後に隠れるではないか。
――これでは話が違う。
どうして、何がどうなったのか……ドエムにはさっぱり理解が出来なかった。
本当になぜ彼女達とあの中年男性がその様な行動をとったのか、何一つとして分からなかったのだ。
しかしながらそんな、怯えられる様な視線を浴びながらも思ってしまう。
――化け物を見る様な視線も良いものだと。
しかしそんな騒ぎも終わりを迎える。
ドエムの肩に、厳つい男性の手が置かれたのだ。
「ギルド内で君はいったい何をしているのかね?」
「ギルドマスター!」
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