5.ルクレツィア
「こんなものか……」
ドエムは落胆していた。遂に最高の敗北が出来ると上がったテンションに比例してその落差も大きくなる。
相手が大袈裟に出した切り札に至ってはつい三日前の夕飯だった。これでは腹は満たされても心が満たされない。
「ど、どなたか存じ上げないが助かった……その、感謝する」
ドエムの呟きにハッとして衝撃から戻ったレオノーレが恐る恐るといった様子で声を掛ける。
その声に振り返ったドエムの視線に、負傷した仲間達を回収しようと動いていた騎士達の動きが、蛇に睨まれた蛙の様に固まってしまう。
「いや、好きでやった事だ」
「……ふっ、志が高いのだな」
勿論ドエムの「好きでやった」という発言に未知の快楽を求めていた以上の意味は無いのだが、レオノーレは人助けは当然だと考える高潔な人物だと受け取った。
真正面から自分の性癖を褒められた気がして恥ずかしげに頬を掻くドエムの様子に、肩の力が抜けたレオノーレは改めて素直に感謝の言葉を述べる事にした。
「この度は窮地を救って頂いて誠に感謝している」
「気にするな」
とは言いつつもドエムは少しばかり落ち込んでいた。
流石に修行を終えてすぐに、街にも行かずに最高の敗北など出来る訳がなかったと、こんな人里離れた場所に強者など居る訳がないと。
しかしそんなドエムの様子が気になったレオノーレが口を開く。
「何やら浮かない顔をされてらっしゃるが、何か失礼な事でも言ってしまっただろうか?」
「あぁ、いや、違うんだ……ただ彼らの事が、な……」
それだけを言ってドエムは自分を期待させるだけさせておいて、なんの快楽も与えずにくたばった者たちを見渡した。
「……なるほど」
それだけでレオノーレは全てを察した――たとえ敵や、悪人であろうと、戦いが終われば死者を悼んでしまう性分なのだろうと。
勿論ただの勘違いである。ドエムは勝手に期待して、勝手に失望して落ち込んでいるだけなのだから。
「それでは俺はここで失礼する」
ここに自分の求める敗北は無かったと、やはり大きな街に行かねばなるまいとドエムはレオノーレ達に背を向ける。出来れば、せめて、助けてお礼として衣服を頂戴したいが、とてもそんな雰囲気でもない為だ。
引き留めたいが、何処かホッとしたような雰囲気を出す部下達に躊躇った彼女の代わりにまだ幼さを残した少女の声が響く。
「――お待ちください!」
「姫様!?」
ドエムが振り返った先――馬車の扉を開き、自分の足で大地に降り立つ銀髪の少女は真っ直ぐにドエムを見詰めていた。
毛の一本一本が透けて見えるような銀髪は木々の木漏れ日を反射して艶を放ち、長く曲線を描く睫毛に縁取られた瞳は真珠を嵌め込まれているかの様に薄く虹色に輝く。
小さくもふっくらと輪郭の、桃色に濡れた唇を見れば彼女の栄養状態が好ましい事が分かる。
日焼けもシミも無い真っ白なキャンパスを連想する白い肌を覆い隠してしまう袖の長い豪著な衣装を見れば、彼女がやんごとなき身分の者であると容易に察する事ができた。
まだ成人もしていない十代半ばと思われる年頃のその少女は、実年齢に似合わない強い意志と覚悟を秘めた目でドエムに語り掛ける。
「私の名前はルクレツィアと申します――流れの聖騎士様、どうかお礼をさせて下さい」
「聖騎士?」
ドエムから疑問の声が漏れる。確かに物語の聖騎士ポジションで敗北したいとは思ったが、自分は聖騎士なんていう大層なものでは無いと。
(聖騎士と言えば国の偉い人……だとか何とか、子どもの時にクリスお姉さんから聞いた覚えがあるな……なんでも、難しい試験を突破する必要があるとか? そんなものは受けた覚えもない)
そんなドエムの反応に困惑したのはルクレツィアとレオノーレの方である。何故ならドエムが纏っている毛皮はどう見ても聖獣のモノであるからだ。
聖獣の毛皮はあらゆる魔術を散らし、決して刃は通さず、そしてどんな環境だろうと最適な体温を保ってくれる伝説の素材である。
しかしながら聖獣は人類が勝てる存在ではないし、そもそも聖獣に挑もうとする頭のおかしい人間は居ない。
そして禁域の更に奥――霊峰エレクティオンの麓の周辺にしか聖獣は棲息していないとされ、出会う事すら困難な存在である。
そんな聖獣の毛皮を手に入れるには前人未到の禁域を踏破し、その奥に坐す霊峰エレクティオンの守護聖竜の元で修行に励み、彼らに認められて初めて聖獣の死後に譲り受ける事が出来るとされていた。
それを纏った者こそ真の聖騎士であり、現在の形骸化した名ばかりの者たちとは似ても似つかない。
だからこそルクレツィアは問うた――「そちらの毛皮は?」と。
当たり前の顔でドエムは答えた――「見ての通り」だと。
ルクレツィアとレオノーレはお互いに顔を見合わせて頷き、聖獣の毛皮を見た事のない他の騎士達は困惑する。ドエムは自らの恥ずかしい格好を直接指摘されたと勘違いして興奮から頬を染めた。
この場の誰もが、守護聖竜がドエムという理解できないこの世のバグから逃げ回っていた事も、たまに狩れたらラッキー程度の認識で聖獣がドエムにしばき倒され、彼が暮らしていた小屋にその毛皮が大量に乱雑な状態で置かれている事など知る由もなかった。
「真の聖騎士様、どうか私達と一緒に来て下さいませんか?」
「それは――」
願ってもない事だと、十数年前の記憶を頼りに街を目指すのも不安があったドエムが頷こうとした瞬間に「私は反対です!」という鋭い声が響き渡る。
「そんな素性も知れぬ原始人を引き入れるなど危険です!」
「アレン」
ドエムが声の主へと視線を向ければ、そこには同僚に肩を貸されながらも何とか二本の足で立ち上がる騎士が一人居た。
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