1.敗北を知りたい
勘違い物をね、書いてみたかったんだ……
ドエム・ブラットは敗北を知りたい――それもただの敗北ではなく、人生でたった一度しか経験できない敗北だ。
「ふっ、ぐぅ……!!」
前人未到の秘境にある世界最高峰の霊峰エレクティオンの麓にて、飛来したばかりで未だ赤熱している隕石を背中に乗せながら腕立て伏せを行い、苦悶の声を上げているこの男はマゾヒスト――世間一般で言うところの変態と呼ばれる人種だった。
彼の〝目覚め〟は幼少期の頃であった。悪戯をして叱られ、近所のお姉さんにお仕置きと称して初めてお尻をぶっ叩かれた瞬間である。
『やめっ、やめろよー!』
『今日という今日は許しません!』
普段は穏やかで心優しいお姉さんに力づくで組み伏せられたドエムは、友の前で臀部という自らの恥ずかしい部分を強制的に晒された事に抗議していた。
『ドエムっー!!』
一緒に捕まった友が、ガキ大将だったドエムの情けない姿にショックを受けた顔で声を上げる。
自らの信頼が失われていく感覚に、全身の肌が粟立つような気がした。
『こんな俺を見ないでくれー!!』
今までガキ大将として築き上げて来た地位と名誉が、友人達から勝ち取ってきた尊敬の眼差しが失意と涙に塗り潰されていく様がスローモーションのように流れていく。
普段の格好付けた自分と、今の状況の落差、それによって生じた友人達の心境の変化……それらがドエムの心に波紋を生じさせ、奥底に眠る何かを呼び起こす。
『反省――しなさいッ!!』
『や、やめろ! みんなが見て――』
そして力仕事なんて出来なさそうな細腕に似つかわしくない怪力で、思いっ切り自身のケツを叩かれた瞬間に彼は――ドエム・ブラットは扉を開いてしまったのだ。
『――おふぅ』
『ドエムッー!!』
お姉さんのその一撃は空を切り、着弾した衝撃は尻肉を波立たせ、その先のアビスホールを通して身体の芯まで貫いた。
赤く腫れ、熱を持った尻肉はお互いを刺激しまいと左右に開かれ、そして風通しのよくなったアビスホールを外気が撫でる。
正にその天を衝く衝撃に、幼きドエム少年はこの世の真理を知った。
『あぁ、ィイ――』
頬は上気し、口の端から涎が垂れ、何かをグッと堪えてやり過ごすように身体が小刻みに震える。
『ど、ドエム?』
――少年の性癖が壊れた瞬間である。
『やーい! クリスお姉ちゃんの行き遅れー!』
『ドエムゥゥウウッ!!』
それ以来ドエムはわざと自分よりも強い者、体格の大きな者を挑発してお仕置きされるという事を繰り返していた。
『貴方はッ! 何度! 言えば! 分かるの!』
『あっ! んっ! ひぎぃ! おほっ!』
何度もケツを叩かれても懲りないドエムに周囲の大人達は困り果て、友人達は英雄を見る目で彼を持て囃す。
自分よりも強大な相手に挑み、そして無様に敗北する事で彼が興奮していた事など知りもせずに。
『あの子はもう、本当にどうしようもないんだから……』
『ドエムお前やっぱすげぇよ! あの怪力女に何度も立ち向かうんだからよ!』
しかしそんな日々に〝渇き〟が訪れる――何度ケツを叩かれても満たされないのだ。
『? あれ、おかしいな……? なんでだろ……』
原因は薄々分かっていた……周囲の者たちと、ドエム自身の〝慣れ〟のせいだ。
『クリスお姉ちゃんのう〇こは八百屋の親父の腕くらい太いー!』
『……』
あぁ、またドエムか――そんな低い意識ではお仕置きも流れ作業となり、毎回同じ様に行われる温いケツ叩きではドエム自身も詰まらないというもの。
そんなものでは〝心〟が満たされない。魂は震えず、尻肉だって拗ねて深淵への道を硬く閉ざしてしまう。
『俺が抗うべき相手は、この街には居ない』
ドエムは幼くして旅に出た――更なる強者を、まだ幼い自分に手心など加えない卑怯者を、未知の快楽を求めて。
泣き崩れる母を背に、決して後ろを振り返らずに。
『おかしい』
しかしドエム少年の未知への旅路は早々に暗礁に乗り上げていた。
何かが足りない――どれだけ多くの大人を挑発し、どれだけ制裁されても相も変わらず心が満たされないのだ。
愛ゆえに、まだ彼が更生できると信じていたがゆえにお仕置きをしてくれていたお姉さん達とは違い、他所の子どもに対して何の手心も加えられず行われる暴力に何かが欠けている気がしてならないのだ。気持ちいいのは気持ちいいけれど。
『……』
ドエム少年は失意の中で自問自答した――己に何が足りなかったかと、何を欲しているのかと。
『ママー! あれなにー?』
『おい、ありゃどこの子だ?』
『君! 危ないから降りなさい!』
『面白い奴が居るぞー! 石投げろ石ー!』
大きな町のド真ん中で座禅を組み、地元民から迷惑そうな顔で見られながらの瞑想によって答えは出た――それは〝真の敗北〟だと。
『これだ! 俺の求めていたもの!』
『うおっ!? 急に叫びやがる!』
ならば先ずは己を鍛え上げなければなるまい――勝利する為ではなく、敗北する為に。
ドエム少年はその短い人生で色んな大人を見てきた。中には行儀の良くない者も居り、そんな人物は得てして自分を大きく見せるものだ。
やれ自分はなんちゃら流を修めているだの、やれ自分はほにゃらら道場で鍛えていただの、やれ自分は元傭兵で実戦経験があるだの……そういった類いの脅し文句。
――あれは敗北への前フリだったのだ。
彼らの様な「自分は鍛えていて、とても強いんだぞ」という発言は「私は貴方に無様に敗北する用意があります」と言っているのと同義なのだ。
――彼らはただ敗北するだけの雑魚ではない。
きちんと努力をして、培ってきた実力と自尊心に泥を塗られる準備をする者こそ真の強者、真のマゾ。質の高い敗北への前フリ。
――自分もそうあらねばならない。
『き、君! その先は本当に危険だぞ!』
『安全な修行など、楽に手に入る力なぞ存在しない』
『!』
ドエム少年は質の高い敗北を、全力を尽くしてもなお理不尽に蹂躙される様な敗北を経験する為、徹底的に一切の妥協なく狂気とも言える修行を開始した。
まだ一桁の年齢でありながら親元どころか人類の生存圏から離れ、食事は全て自給自足のサバイバル。
朝起きたら山の周囲を一周し、朝飯前に周囲を走った山をサンドバッグにする。
昼食までに山頂を登り、山頂で昼食を食べたら夕食まで下山する。もちろん毎日違う道を使う。
夕食を食べたら岩の上で就寝時間まで瞑想である。虫に刺されようが、毒蛇に噛まれようが、猛獣から襲撃されようが組んだ座禅は解かない。
物足りないと感じたらまた新しい山へ――前よりも大きく、過酷な環境の山を基準に修行を再開する。
そんな生活を十五年も続け、彼も二十二歳――流石に伸び悩んでいた。
「これでラストッ――!!」
降って湧いた隕石の熱が完全に冷めるまで継続していた腕立て伏せを止め、背に乗せていた巨石を大地に下ろした彼の顔には悲しみの感情が浮かんでいた。
隕石衝突の爆発で大地が捲り上げられ、ところどころが高熱でガラス状となっているクレーターの中心で一人呟く。
「……そろそろ頭打ち、か」
限界まで己を鍛え上げた。妥協は一切ない。
それでも今居る場所が、この世界で一番過酷で大きな山である事を知らない彼は、想像以上に早く来た自分の限界に失望を隠し切れなかった。
彼はもっとダンディで渋みのある四十代くらいになるまで修行を続けるつもりだった……頼れる大人が守るべき者の目の前で敗北するのも、それはそれで気持ち良さそうという理由からだが。
「もう、俺は……これ以上は強くなれないのか?」
答えの分かり切った疑問は風に吹かれて消えていく。
変態として一段も二段も成長したドエムは自嘲の笑みを漏らし、そして決意に染まった顔を上げた。
「ならば往こう――〝真の敗北〟を求めて!!」
これはドM過ぎて自らが蹂躙する側に回ってしまい、なかなか最高の敗北が出来ずに悔し涙を流しながら周囲を勘違いさせていく一人の変態――英雄の物語である。
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