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水無月家の執事 with 雪乃様

 四度目ましてでございますね。

 水無月家の執事、園田充でございます。

 さて、本日も真尋様は神々のごとくお美しく立派であらせられる訳で御座いますが、夏休みが終わり、九月になって学校が始まりますと生徒会長である真尋様は大忙しで御座います。他の学校はどうか知りませんが、十月半ばの文化祭を区切りに真尋様は生徒会長という肩書を降ろしますので、最後のお仕事ということで目も回るような忙しさのようでございます。

 私立白凛学園は、生徒の自主性を重んじる校風でございます。流石に幼等部、初等部、中等部、高等部でその度合いは違いますが、高等部では生徒間のことは全て生徒会を中心として運営しています。ですので、生徒会の仕事は多岐に渡りまして、各部活及び同好会の部費の予算編成、講演会の企画、手配や準備、六月の体育祭、十月の文化祭などのお祭り等の企画・運営などなどです。真尋様は一年生の秋から生徒会長として生徒会のお仕事に精を出されております。

 いつもならば遅くとも七時には帰宅をなさる真尋様ですが、ここ連日は九時過ぎに帰宅し、朝早くにお出かけになられております。学園祭の準備が大詰めですし、引継ぎもありまして あれやこれやとお忙しいようです。帰宅は九時ですが、真尋様は遅くまで書斎で様々なお仕事を片付けておいでです。生徒会以外のお仕事も恐らく片付けておられるのでしょう。


「真尋さん、体を壊さなければいいですけど……」


 真尋様と生徒会への差し入れを作っていた雪乃様が心配そうにつぶやかれました。

 傍でお手伝いをしていた双子さんも茹で玉子の殻をむく手を止めて、哀しそうな顔をなさいます。


「……僕、もうずっとお兄ちゃんに会ってない気がする」


 真智様がしょんぼりと呟きました。真咲様に至っては、心なしか涙目です。雪乃様が菜箸を置いて、二人の頭をぽんぽんと撫でました。

 真智様と真咲様にとっては、真尋様は兄であり、父でもあります。雪乃様が姉であり、母であるように、二人にとって兄夫婦は親代わりといって差し支えありません。ですので、会えないのが寂しいのでしょう。九時というと良い子の双子さんは就寝しておりますし、朝は双子さんが起きる前に真尋様は出かけてしまわれますので、ここ一週間は会えておりません。

 それに昨夜は、真尋様のお父様、真琴様のお仕事の関係で真尋様はパーティーに行っていて、帰って来たのは日付を跨いだ後でした。流石に雪乃様もその頃には御帰宅なさっておりますので、真尋様のお迎えは私一人でした。真尋様はいつもと変わらないご様子でしたが、流石にその美しい顔にお疲れが滲んでいたような気がいたします。

 私は、そっとスマホを取り出して、とある方へとメッセージを送ります。すぐに既読がついて、お返事がきました。


『真尋くんも顔にも態度にも出さないけどイライラが絶好調だから、来てくれると有難いよ』


 返って来たメッセージに流石は一路様ですと感心しながらお礼の返事をして、しょげる双子さんと雪乃様に向き直ります。


「許可は取りました。これから真尋様のところに差し入れに行きましょう。そちらで皆で夕食を取るというのは如何ですか?」


 私の提案に双子さんの表情がぱぁっと輝きました。


「本当? お兄ちゃんの学校行って良いの?」


「お兄ちゃんに会えるの?」


「はい。真尋様もお二人の寝顔だけでは寂しいと今朝、おっしゃられておりましたのできっと喜びますよ」


「充さん、素敵な提案をありがとうございます。ならもっとおかずを作らなくちゃ、サンドウィッチとおにぎりももう少し作りましょうね」


 雪乃様の表情も華やいだものへと変わり、私も嬉しくなって笑みが零れました。

 それから皆さんと作ったおかずを重箱に詰めて風呂敷で包み、雪乃様とはしゃぐ双子さんと共に私は学校へと車を走らせたのでした。








「まあ、賑やかですねぇ」


「すごーい! 明るい!」


「ねぇ、お兄ちゃんどこ?」


 校門から中へと入り、雪乃様と双子さんを正面玄関前に下ろします。

 夜の七時過ぎだというのに校舎中に灯りが点いていて、校庭でも入場門のアーチの組み立てや教室では出来ないペンキ塗りの作業などが行われています。

 基本的にご令嬢やご子息と呼ばれるような方々が通う学校ですので、文化祭も非常に華やかでこの地域の名物であります。それに文化祭というものを通して統率力や企画力なども試されておりますので、生徒の皆様もはりきっておいでです。殆どの生徒さんが家からの送迎ですので、期間限定で八時半までは活動が許可されています。

 私は、少々お待ちくださいね、と声を掛けて車を駐車場に置き、重箱の風呂敷包みを片手に走って戻ります。するとお迎えに来て下さった一路様が「お疲れ様、みっちゃん」と迎えて下さいました。一路様が手配しておいてくださった来客証明書のカードが入ったそれを一路様から受け取り、首に掛けます。在校生の雪乃様以外は、部外者に当たりますのでセキュリティの関係上、必要なことなのです。


「一くん、お兄ちゃんは?」


「上に居るよ。まだ真尋くんには内緒にしているから、驚かせちゃおう」


 一路様が悪戯に笑うと双子さんは、こくこくと興奮気味に頷きました。


「雪ちゃんも差し入れ、いつもありがとね。すっごく楽しみにしてるんだよ」


「そう? 今日はいつもより多めに作って来たんだけど、それなら良かったわ」


「ねえ、一くん、早くお兄ちゃんとこ行こうよ!」


「早くお兄ちゃんに会いたいの!」


 双子さんが一路様の手を引っ張ります。一路様が、はいはいと笑って、こっちだよと歩き出しました。私と雪乃様もその背に続きます。


「私も本当は手伝えたら良いんですけど、真尋さんに無理をするなと言われているし、何より、ちぃちゃんと咲ちゃんにこれ以上寂しい思いはさせられませんしね」


 雪乃様がすれ違った生徒さんを見ながら言いました。

 雪乃様はお体のことがありますので、いつも一時間ほど学園祭の準備を手伝って帰宅なさいます。


「真尋様の仰る通りですよ。無理をなされてもしお体に何かあれば、それこそ双子さんも真尋様も困ってしまいます。私だって困ります。雪乃様には元気でいて頂かないと」


「ふふっ、ありがとう」


 雪乃様がふわりと優しく笑います。

 私は、真尋様の笑った顔も好きですが、それとは少し違った意味で雪乃様の笑顔が好きです。ふんわりと柔らかに花が咲くような笑顔は見ていると安心するのです。恥ずかしいのでご本人には言えませんが、私は雪乃様に理想の母親を見ているのです。流石の私ももう既に二十三ですので、真智様や真咲様のように無邪気に甘えることは出来ませんが、優しくて、あたたかくて、弱くて、それでいて強くて、私の知らない母という存在の理想が雪乃様なのです。多分、真尋様はそれに気づいていらっしゃると思います。でなければ、雪乃様と二人きりで男を留守番させるなど、あの方は絶対に許しては下さいませんから。私、自信を持って断言できますよ。


「雪乃様のクラスは何をなさるんですか?」


「私のクラスは、真尋さんのクラスと合同で、喫茶店をするんです。衣装は手作りなんですけど衣装係さんはデザイナー志望とかアパレル関係のお家の方が率先してなるんですけど、皆さん、真尋さんの衣装を作るのにかなり燃え上がっていますよ」


「雪ちゃんの衣装にも燃え上がってたよ、なんか真尋くんと対にして売上がどーとかこーとか言ってたけど」


 真尋様と同じクラスの一路様がくすくすと笑いながら言いました。

 白凛学園高等部はA~Gの七クラスがあります。FとGはスポーツ推薦クラスですが、A~Eクラスは学力で分けられています。真尋様も一路様も雪乃様も非常に優秀ですので、皆さん、Aクラスです。


「文化祭当日は、私が責任を持って双子さんをお連れしますのでご安心くださいね、あとカメラも」


「ええ。充さんが居て下さって、良かったわ」


 雪乃様は本当にお優しい方です。

 私はそのお言葉が嬉しくて、思わず笑みを零してしまいました。


「でもこうして雪乃様と学校に来るとあの時のことを思い出します」


「入学したての頃のこと?」


 一路様が振り返ります。私は、はい、と頷いて返しました。


「あら、もう忘れて下さいな、恥ずかしいわ」


 雪乃様が白い頬を赤くして眉を下げました。


「いやいや、あの時の雪ちゃんは格好良かったよ。ねえ、みっちゃん」


「はい。私、感動に胸が震えました」


 私は胸に手を当てて、あの時の感動を思い出して噛み締めます。


「何があったの?」


 きょとんとして双子さんが首を傾げます。大変、愛らしいです。すれ違う生徒達が「水無月会長の弟じゃないか」「まあ、可愛らしい」「お兄様にそっくりね」と興奮気味に囁く声が聞こえますし、皆様、目じりが下がっておいでです。分かります。


「雪ちゃんはね、入学した当初、真尋くんと雪ちゃんの関係を良く知らない人たちに絡まれたんだよ。真尋様に馴れ馴れしくし過ぎですわ!ってな具合でね」


「その時、雪乃様は毅然とした態度で一歩も引くことなく勝利を得たのですよ。とはいえ、関係を公表してから真尋様が一切の自重をなさらなかったので認知は早かったですが」


「お兄ちゃんは、昔から雪ちゃんだけが好きだよ。隙あらば雪ちゃんにチューしてるしね」


「うん。雪ちゃんがご飯作ってくれてる時もずっと見てるもんね。好きすぎて困るくらいに好きだよね」


 双子さんが、ねーと笑い合います。私と一路様は微笑ましく思いますが、雪乃様は真っ赤になって困られておいででした。真尋様の愛は、割と常に駄々洩れです。双子さんが真尋様と雪乃様が二人きりで真尋様のお部屋に居る時は、必ず大きな声で真尋様か雪乃様を呼んで、更に大きくノックをします。そうしないと色々と不都合が多いのです。


「いけないわね、私も大分、麻痺していたみたいだわ」


 雪乃様が赤くなった頬を冷ますように手であおぎながら言いました。


「もうこのお話はおしまい、ちぃちゃんも咲ちゃんも早く真尋さんのところに行きましょう」


「はーい!」


 双子さんは、くすくすと笑いながらも素直なお返事を返します。雪乃様は「もう」と怒るもその顔は笑っていて、白く細い手がくしゃくしゃと二人の髪を撫でました。

 私は、その細い背を追いながらあの時のことを思い出します。

 あれは、雪乃様が高等部に入学して間もない頃の話でございます。




***





「雪乃様、このところは本当に調子がよろしいようですね」


 リビングで本を読む真尋様とその隣で刺繍を嗜む雪乃様にお茶を出しながら声を掛けました。


「ええ。お蔭さまで、あのお薬との相性が良いみたい。真尋さん、充さんがお茶を淹れてくれましたよ、休憩しましょう?」


 真尋様は、本から顔を上げて、そうだな、と頷きました。お茶を差し出しますと、真尋様は礼を言って湯呑を受け取り、そのまま口をつけます。本に没頭しておられる真尋様を一瞬で呼び戻せるのは、雪乃様だけです。ちらりと真尋様の膝の上の本のタイトルを見ますと恐らくフランス語で書かれておりまして、よく分かりませんでした。

 お前も座れ、と言われて私ははす向かいの一人掛けのソファに腰を下ろしました。


「ああ、そうだわ。昨日、真尋さんの好きなミートパイを焼いたの。用意するから待っていて」


「あ、雪乃様、私が……」


「大丈夫ですよ、充さんは朝から働きっぱなしだもの休んでいてくださいな」


 ふふっと笑った雪乃様は、立ち上がりキッチンの方へと行ってしまいました。私が中途半端に上げた腰を持て余していると「座ったらどうだ」と微かに笑いを含んだ真尋様の声がして、私は渋々、腰を下ろしました。


「雪乃も無理なことは無理というから心配するな。パイをこちらに持ってくるくらいでは、倒れない」


「ですが……最近の雪乃様は帰りのお車でため息を零されますので」


「ため息を?」


「はい。最近の雪乃様は、本当に調子がよろしいようで真尋様もご存知の通り、週四日は学校に通えております。とはいえ、無理は禁物ですので週の内火曜と木曜の午後は早退していらっしゃいますが……こっそりとため息を吐かれるのです」


 真尋様の眉間にあからさまに皺が寄ってしまいました。これもとても珍しいことですので反射的にカメラを構えそうになってしまった私の右手を思わず左手で押さえ込みます。


「どうしたの、真尋さん、そんな難しい顔をして」


 戻って来た雪乃様がぱちりと目を瞬かせました。雪乃様の持つトレーの上には、美味しそうなミートパイとチョコレートパイが品よく並んだお皿が三人分ありました。私は手を伸ばしてそれを受け取り、テーブルの上に置きます。


「雪乃」


「はい、どうぞ。真尋さんは大きめのパイにしたのよ、これでお夕飯まで我慢してくださいね」


「雪乃」


「あら、もしかして真尋さんもチョコパイが食べたかったの?」


「雪乃」


「……もう、あのお話はおしまいって昨夜、約束したでしょう?」


 じっと雪乃様を見つめて譲らない真尋様に雪乃様が困ったように笑いながら真尋様の隣に座り直しました。


「俺は納得していない。君が勝手に終わらせただけだろう」


「真尋さんが心配するようなことは何もないのよ? 美月がいてくれますし、あちらの方々も面と向かって文句を言ってくるだけですもの」


「俺は君に害をなそうとする全てが嫌いだし、此の世から細胞一つ残さず排除したい」


 黒い真っ直ぐな眼差しはどこまでも真剣でした。真尋様のその言葉には、嘘偽りは一つもないのが犇々、いえ、ビリビリと伝わってきます。

 ですが、園田充、付き従うは真尋様と決めています。


「雪乃様、私も事情は知りませんが真尋様に全面的に賛成です」


「充さん、無責任なことを言っては駄目よ」


 もう、と怒られてしまいました。ですが、私は言葉を取り下げは致しません。

 私の大事な大事な主とその主が何より大事に想う方を害されたとあっては、成敗も辞さない覚悟です。

 雪乃様は私と真尋様が一歩も引かないと察すると困ったわぁとため息を零されました。


「本当に大したことはないのよ? 真尋さんが素敵な方なのは周知の事実だもの」


 どうして急に惚気られたのでしょうか。


「ただ、私と真尋さんの関係は公になっていないでしょう? それに中等部は私も殆ど通えませんでしたし、真尋さんは公立の別の学校に行っていたから知らない方も多いみたいで……どうも私が真尋さんを誘惑したとかなんとか誤解している方たちが少しいるだけなんですよ」


「分かりました。この園田、真尋様と雪乃様の十五年分の愛の軌跡について白凛学園で講演をしましょう」


「充さん? 何を言い出しているの?」


「ゲストは一路で良いな。あ、海斗も呼ぶか」


「真尋さんが言うと冗談に聞こえないわ!」


「そうですね。一路様と海斗様もお呼びいたしましょう。話しか知らない私より詳しくお話してくれるはずです」


「なら、時塚さんにも来てもらうか」


 真尋様が真顔で言いました。時塚とは私が水無月家にお仕えするようになる以前、真尋様のお父様の代から水無月家で家政婦をして下さっていた方です。高齢を理由に時塚様は旦那様と共に田舎の方に引っ込みましたが、時折、こちらに遊びに来てくださいますので私も面識があります。


「いい加減にしてくださいな。あんまり変なことばかり言っているとお夕飯のおかわりを禁止しますよ?」


 夕飯を抜きにしないところに雪乃様の優しさを感じます。

 少なくとも夕食時に三回はおかわりをする真尋様が僅かに反応しました。真尋様は成長期真っ盛り、出会った時は私より頭一つ以上は小さかった真尋様ですが、今では拳一つ分ほどの差しかありません。そろそろ背が抜かれてしまうやもしれないですね。そうなったらお赤飯を炊きましょう。


「それに明日、代表の方と学園のカフェできちんとお話をすることになっているのよ。だから……」


「何時だ? 予定を空ける」


 真尋様がスマホを取り出して首を傾げました。スケジュールの確認をなさるおつもりでしょう。


「馬鹿おっしゃらないで。貴方が出て来たら厄介なことになるに決まっているでしょう」


 雪乃様が真尋様のスマホを奪い取って両手でぎゅっと握りしめます。


「そんなに私が信用ならないの?」


「……そんなことはない」


 雪乃様の上目遣いに真尋様が僅かにたじろぎました。基本的に真尋様は雪乃様に弱いのです。


「だが、君に何かあったらと思うと気が気ではない」


 真尋様が雪乃様の頬を手の甲でそっと撫でます。雪乃様は少しだけ困ったように笑いながらも幸せそうに目を細めてその手に自分の手を重ねました。手のひら合わせになった二つの手は、すぐに小さな手を大きな手が包むように握り返しました。真尋様は雪乃様の手を引き寄せるとその握りしめた手にキスを落とします。


「俺が嫌なんだ。君が傷つけられるかも知れないと分かっているのを見ているだけなんて耐えらない」


「我が儘な人ね、私の真尋さんは」


 真尋様の手を抜け出した雪乃様の手は、甘やかすように真尋様の頬を包み込みました。


「あと一年と少しで私は貴方のお嫁さんになるのよ。あの水無月真尋の奥さんになるんだから、これしきのことは自分で解決しないと」


「俺は君を俺だけの籠の中に閉じ込めて、ただただ甘やかしたいと思っているような狭量な男だぞ。危ないことはさせたくない」


「でも、貴方は私を閉じ込めはしないでしょう? だって私が知る中で最も優しい人だもの」


 くすくす笑う雪乃様に真尋様が拗ねたように唇を尖らせました。

 二人の瞳には最早、お互いしか映っていないでしょう。私は湯呑とミートパイを手に音もなく立ち上がります。そして、抜き足差し足忍び足でそっとリビングを抜け出しました。ああなるとイチャイチャし始めますので邪魔者は退散するのが正しい選択肢です。それに今は双子さんが日舞のお稽古に出かけていますので、真尋様が普段より自重しないと思われますので。

 

「アルバム整理でもしていましょうか」


 私は湯呑とミートパイを片手に自室へと足を向けましたが、来客を報せるベルがなり、私はタブレットを取り出して門に取り付けてあるカメラの映像を確認します。映っていたのは、着物姿の一路様でカメラに手を振っておられました。私はミートパイと湯呑を大きな花瓶の影に隠して慌てて玄関を出て門へと向かいます。

 一路様は門のセキュリティシステムに虹彩、指紋、声紋、とどれも登録してありますのでいつもは自由に出入りしておられますが時折、こうして中に入らず門のところで私を呼び出すことがございます。


「一路様、お待たせいたしました」


「ごめんね、呼び出しちゃって」


 一路様が申し訳なさそうに顔の前で両手を合わせました。

 一路様は、春らしい若草色の着物に藍白の羽織姿です。ふわふわの淡い茶色の髪もいつもはナチュラルな感じに整えられていますが、今日はきっちりとしています。これからお出かけになるのでしょう、後ろには一路様の家の運転手と一緒に車が待機しています。


「今日はイチャイチャするって昨日、真尋くんが言ってたからさ。今の時間、ちぃと咲もいないし」


「はい、現在進行形でリビングでイチャイチャしてらっしゃいます」


 私がふふっと笑いながら答えれば一路様は、やっぱりね、と苦笑を零しました。


「これ真尋くんに頼まれてたやつが漸く届いたんだ。渡しておいてもらえる?」


 一路様は懐から大きめの茶封筒を取り出しました。私は両手でそれを受け取ります。なかなかの厚みがあります。


「ありがとうございます。必ずお渡ししますが、先ほどイチャイチャし始めたばかりでお話の最中ですので少々、お時間を頂くことになるかもしれませんが……」


「あはは、分かってるよ。僕、これからお茶のお稽古に行くから二時間くらいは音信不通になるし。ねえ、真尋くん、説得に成功すると思う?」


 一路様がくすくすと可笑しそうに笑いながら首を傾げました。私は、少し悩んでから首を横に振りました。


「いえ、真尋様は雪乃様が相手ですと完全勝利を収めたことはございませんので」


「あはは、だね。どっちにしろ、僕も兄ちゃんも何かあったら協力するからって言っておいて。僕ら兄弟にとっても雪ちゃんは大事なお姫様なんだからさ」


 一路様は、ぱちりとウィンクを一つしますと、行ってくるね。と手を振って、すっと運転手がドアを開けた車へと乗り込みました。鈴木家の運転手さんとは顔見知りですので、私に会釈をしてくれた運転手の市村さんに私も会釈を返します。

 後部座席の窓が開いて、一路様が顔を出します。


「それじゃあ、よろしくね、みっちゃん」


「はい。あ、一路様、雪乃様がチョコパイを一路様の分もご用意していらっしゃいましたので、良ければ夕食の時にでもお越しください」


「本当? やった! ならお稽古終わったらすぐに行くね! あ、海斗兄ちゃんも一緒で良い?」


「勿論でございます。お待ちしております」


 私が笑顔で頷けば、一路様は「行ってくるね」と嬉しそうに顔を綻ばせました。窓が閉まりますと車はゆっくりと走り出してすぐに見えなくなりました。


「さて、雪乃様のミートパイを頂きながら、真尋様のお写真の整理でも致しましょうか」


 間違いなく至福の時間でございます。私は先日の入学式で生徒会長としてご挨拶された真尋様の堂々たるお姿を収めた写真をアルバムに加えられる喜びに胸を躍らせながら、家へと戻ったのでした。








「やはり、雪乃様には真尋様はどうやっても勝てないのですね」


「そんなことないわ。真尋さんが優しいから譲って下さるの、本当に我が儘なのは私なのよ」


 そう言って雪乃様は、のんびりと紅茶を嗜んでおられます。

 白凛学園の中庭には、カフェがございます。高等部は大学に次いで広い敷地面積を誇っておりますので、中庭もとても広いのです。ガラス張りのカフェの外に設けられたテラス席には、穏やかな春の日差しが降り注いでいます。私は雪乃様に日傘を差し掛けながら、お話をさせて頂いております。

 雪乃様がいらっしゃるテラス席もカフェの店内も大勢の生徒さんで賑わっています。


「それに私だって完全勝利とはいかなかったのよ。まさか交換条件が充さんを半径一メートル以内におくことだとは思わなかったわ。一くんだと思っていたのに」


「一路様も真尋様も会議に出席しておられますので、一路様は真尋様の補佐ですし、海斗様も書記ですから、抜け出す訳にはいかなかったのですよ。私では不安でしょうか?」


「まさか。充さんはとても頼りになるもの、日傘もありがとうございます」


「いえ。ですがお相手の方は、雪乃様をこんな日差しの当たる場所に五分と三十七秒もお待たせするなんて良い度胸ですね」


「彼女、日直さんで少々遅れるってわざわざ朝、教えてくださいましたから」


 雪乃様がくすくすと笑って、校舎のほうへと顔を向けました。

 雪乃様と同じ白凛学園の生成り色の制服に身を包んだ女生徒が数名、こちらにやってきます。先頭を歩く方が恐らくリーダーなのでしょう。学年で胸元のリボンの色が違うのですが、彼女のリボンは緑、真尋様よりも上の三年生です。ちなみに真尋様たち二年生は青、雪乃様たち一年生は赤です。彼女の後ろに居る方々は、青と緑が中心で赤は居ません。


「黛さん、お待たせいたしましたわ」


 そう言ってリーダーと思しき女生徒がこちらにやってきました。

 ゆるふわのパーマを当てた亜麻色の長い髪をハーフアップにして青いリボンが飾られています。白凛学園は誰から見ても清潔であることが最重要ですので、割と頭髪に関しては自由です。


「そちらの方はどなた? 来客証を首にかけていらっしゃるようですけど」


「ご挨拶を」


 雪乃様に促されて、私は日傘を片手に礼をします。


「私は、執事の園田充で御座います。雪乃様のお体が心配ですので、同席させて頂きます。とはいえ、口は一切挟まぬようにと厳命されておりますので、ただの日除けと思って下さって構いません」


「黛さん、具合がよろしくないの?」


「いいえ、大丈夫です。ただ少し心配性なだけですから。それより、どうぞお座りになって」


 雪乃様が穏やかに微笑んで、目の前の空いている席を手で示しました。


「執事さん、わたくしは、花王院綾女と申します。わたくしも気付かぬ内に黛さんに異変があったらすぐにでも口を挟んで頂戴。お体に障ったらいけませんから」


「かしこまりました。お心配り、痛み入ります」


 私はすっと頭を下げました。綾女さん、いえ、綾女様は雪乃様もおっしゃられていた通り、正々堂々とした素晴らしい淑女でいらっしゃるようです。綾女様は、失礼、と断って雪乃様の前の席に腰掛けました。

彼女の後ろについてきた五名の女生徒は綾女様の後ろに並びました。綾女様と同じ緑色のリボンが三人、真尋様たちと同じ学年の青色のリボンが二人、皆さん、背筋をぴんと正して立っています。

 ということは、紅茶は綾女様の分だけでよいのでしょう。私は日傘を雪乃様に預けて、隅に下がり紅茶の仕度をします。一路様や海斗様に教えて頂いているのですが、なかなかお二人の味に近付けません。

私は綾女様の前に紅茶のティーカップを置き、再び雪乃様から日傘を受け取り、彼女の背後に戻ります。


「まずは、水無月真尋様の公認ファンクラブ会長として会員が貴女に不躾な言葉を投げたことを謝るわ。本当にごめんなさい」


 綾女様は座ったばかりの椅子から立ち上がり、雪乃様に頭を下げました。雪乃様は、ぱちりと目を瞬かせて少し驚いておいでです。私もちょっと驚きました。彼女の後ろに並んでいた五人も驚きのご様子です。

 ファンクラブがあることは勿論存じ上げておりましたが、こうして目の当たりにするとすぐにでも加入したくなってしまいます。


「花王院さん、どうぞお顔を上げて下さいな。私、気にしていませんから」


 雪乃様に促されても綾女様は十秒以上は頭を下げて、ゆっくりと体を起こしました。


「一応、昨日、緊急のファンクラブ会議を開いて、今後一切、貴女に失礼なことを言わないようにと指導はしました。以後、このようなことがないように再発防止に努め、指導を徹底して参りますわ。ですが、それとこれとはまた別のお話だとわたくしは思っているのです」


「別の、お話?」


 雪乃様がきょとんとしておられます。 

 綾女様は、再び椅子に座り直しました。


「黛さん、貴女、三月の説明会の日に会長に声を掛けられて、その上、お姫様抱っこで医務室に運ばれたそうね」


「え、ええ。私、少々、具合が悪かったものですから」


 雪乃様が頷きまして、少し気恥ずかしそうにしながらも困ったように眉を下げました。

 三月の入学説明会という名の見学に来た際、生徒会のお仕事で登校していた真尋様派は目ざとく雪乃様を見つけて声をかけ、雪乃様の異変に関しては光の速さを誇る真尋様ですので雪乃様の体調が優れないことにもすぐに気づいて、問答無用で医務室にお運びしたそうです。とはいえ、雪乃様は、その……ええっと、まあ月の障りとでも言っておきましょうか。それで少し具合が悪かったそうです。あの日の晩、皆の前で恥ずかしかったわ、病気でもないのに、理由も聞かないで、と真尋様が雪乃様に怒られていましたが、真尋様はそんな雪乃様をキスで黙らせ、一切、反省はしておりませんでした。


「会長のような素晴らしい殿方にそのような形で助けられ、尚且つ、入学式で再会とあっては、貴女が勘違いなさるのも無理はありません。それに入学式の後もお優しい会長は、貴女を心配してお声を掛けて下さったのでしょう? 誰だって勘違いしてしまいます」


 一体、何の勘違いなのでしょう、と思わず私と雪乃様は首を傾げましたが、綾女様の後ろの五人は、うんうんと頷いています。


「だからと言って多忙な会長を見かける度にお声を掛けるのは、如何なものかとわたくしは思うのです」


 どちらかというと多分、真尋様が雪乃様を見かける度に声を掛けているのだと私は推測します。一路様が「真尋くんってば移動教室の時にさ、わざわざ一年生の階を通るんだよ」とあきれ果てていらっしゃいましたので。


「それに先週の水曜日、生徒会室にお弁当と思われるものを差し入れたそうね」


「水曜日……あ、ええ、持って行きましたけど、あれは」


「会長に食べ物を差し入れることは、学園全体の禁止事項になっておりますの。ですが、黛さんは入学したばかりでその規約を御存じなくても仕方がありませんので、一度は見逃しますわ。とはいえ、二度目は先生方に報告いたします」


 あれは真尋さんの忘れて行ったお弁当、という言葉は残念ながら綾女様の耳には届かなかったようです。先週の水曜日、部活の朝練の前に片付けなければならない仕事があると急いで出かけた真尋様は、雪乃様お手製のお弁当を忘れて行き、後から登校した雪乃様が真尋様に届けただけのお話なのですが。


「黛さん、会長はとても魅力的な方ですわ。神々に愛されているに違いないあの美貌も引き締まった素晴らしいお体も、それでいて文武に優れ、人の上に立つ素質もお持ちで、殿方としてとても魅力的な方ですから貴方が惚れてしまうのも無理はありませんわ」


「あの、花王院さん?」


「ですがそれはわたくしも含め、多くの女生徒が貴女と同じ気持ちを抱えているのです。ですので、どうぞこれを」


 綾女様が手を挙げると青のリボンの黒いミディアムヘアーの女生徒が一歩前に出て、一枚の紙を綾女様に渡しました。綾女様は、ありがとう、と女生徒にお礼を言ってすっとテーブルの上を滑らせ雪乃様の前に差し出しました。私と雪乃様は、揃ってそれに視線を落とします。


『水無月真尋様ファンクラブ入会届』


 そう書かれておりました。私の分もくれませんか、と舌先まで出かかった言葉をどうにかこうにか私は呑み込みました。


「黛さん、わたくしたちはどれほど好きでも会長にお声を掛けたいのも、お弁当を差し入れしたいのもぐっと我慢をしているのです。それは全て会長に迷惑を掛けない為です。魅力的な方だからこそ、もしそれを許してしまえば彼の学園生活はままならなくなってしまいますし、要らぬ諍いが増えるばかりなのです。ですから黛さん、貴女もどうか会長を想う同志として、会長のために入会して下さらないかしら」


 綾女様が真っ直ぐに雪乃様を見つめて告げました。

 私は、真尋様がこのファンクラブを公認している本当の理由を理解いたしました。雪乃様が、正々堂々としたものだとおっしゃられた訳も。なんとなくですが分かったような気がいたします。綾女様が会長であるのならば、会員の方々も節度を持ちつつ、雪乃様に声を掛けたのでしょう。それは規律を教える意味もあったでしょう。ただ、恋という激しい感情が言葉に棘を持たせてしまったのかも知れません。

 雪乃様は、ファンクラブの文字を指先で撫でた後、顔を上げて綾女様を真っ直ぐに見据えました。


「花王院さん、貴女のお蔭で真尋さんは快適な学園生活を送れているのですね。中学校の頃よりもあの人が楽しそうに学校に行くわけが分かった気がいたします」


 今度は綾女様が雪乃様の言葉に理解できずに首を傾げました。


「貴女は、ファンクラブの校則に則って決して真尋さんの私生活を探ろうとはしなかったのですね。少し探れば、私が水無月家の隣に住んでいることは分かる筈ですから」


 綾女様が目を見開きました。


「折角、お誘いいただいたのに私はファンクラブに入ることは出来ません。だってあの人は、私を見つければ声を掛けずにはいられないし、私が声を掛けなければ拗ねてしまいますし、あの人が忘れたお弁当を届けてあげないとあの人は昼ごはん抜きになってしまいますもの」


「黛さん?」


「水無月真尋は、私のものなのなんです。髪の毛一本にいたるまで全部」


 雪乃様が艶やかな笑みを浮かべて宣言しました。

 綾女様はぽかんと口を開けて固まり、他の女生徒たちも一名を除いて、呆然としておられます。


「ど、どういう……」


「そのままの意味で受け取って頂いて構いません。ねえ、充さん」


「はい。勿論でございます、雪乃様」


 綾女様が私を見上げて眉を上げます。その顔には、疑問符が溢れ返っております。私は、陽の光が雲で遮られましたので日傘を閉じて頭を下げます。


「改めてご挨拶申し上げます。私は、水無月家の執事、園田充でございます。本日は、真尋様の命により私はここにおります。こちらの黛雪乃様は、私の主、水無月真尋様が幼少の頃から何より大事にしていらっしゃる方です。あの方は雪乃様のことに限っては、とても心配性なのですよ」


 私の言葉に綾女様たちは完全に固まってしまいました。

 ただお一人、綾女様に入会届を渡した女生徒さんだけ、此方を射殺すような目で睨んでいらっしゃいますが。


「そ、れはつまり……貴女は真尋様の恋人ということかしら」


 綾女様が呆然としながら雪乃様に問いかけます。


「ええ」


 雪乃様は、穏やかに微笑んで頷かれました。綾女様は呆然としておられます。まだ言葉の意味を理解し、信じることが出来ないのでしょう。


「証拠はっ」


 綾女様の後ろで此方を睨んでいた女生徒さんが声を荒げました。


「貴女が真尋様の恋人だという証拠はあるの!?」


「亜希子さん、落ち着きなさい。そんな大きな声を出すなんてはしたなくてよ」


 綾女様が窘めますが、亜希子さんというらしいその方は、雪乃様を睨んだまま瞬き一つしません。

 雪乃様は、それに動じた様子も無く、優雅に紅茶のカップを手にします。一口ほど飲んで喉を潤すと音もなくソーサーの上にティーカップを戻してテーブルの上に置きました。


「これと明確に見せられるものは、充さんしかいないわねぇ」


「はい、雪乃様。よろしければ、こんなこともあろうかと私、昨夜は少々夜更かしをしまして、真尋様と雪乃様の十五年に及ぶ愛の軌跡の講演プログラムを作成して参りましたので講演をこ」


「ごめんなさい、証拠は一つもないみたい」


 雪乃様は私の言葉を遮り、にっこりと微笑まれました。今日もお美しいその笑顔は、まるで女神様のようでございます。ゴーサインが出なかったので、私は懐から半分取り出したタブレットを泣く泣く戻しました。写真付きでその時の状況や真尋様が雪乃様に贈られたお言葉やお二人のお気持ち(私の想像)の解説までつけた力作ですので、あとで真尋様に見て頂こうと思います。


「なら信じられないわ! 真尋様は入学から一年間、誰の告白も受け入れることはなかったのよ! それに水無月グループを背負って立つことになる真尋様の伴侶になる方が、貴女のような欠陥品な訳がないわ!」


「亜希子さん!」


「充さん、待て、ですよ」


 声を荒げた亜希子さんとそれを窘めた綾女様に目もくれず、雪乃様は私を振り返って、穏やかに微笑まれています。私は咄嗟に振り上げそうになった日傘を持ち直し、取っ手を腕にかけて小さく頭を下げて一歩下がりました。


「亜希子さん、貴女は少し頭を冷やして……」


「私、知っているのよ。黛さん、貴女の体、欠陥だらけだそうね。二、三年前には死にかけたそうじゃない。それで中等部も碌に通えなかったくせによく進学できたわね」


「真尋さんは、教えるのも上手なのよ」


 雪乃様は、のんびりと答えます。それがますます気に喰わなかったのでしょう、亜希子さんは眦を吊り上げて、わなわなと握りしめた手を震わせました。真尋様や雪乃様、双子さんに一路様や海斗様、と顔面偏差値が随分と高い方々を毎日見ていると鈍くなってしまいがちですが、亜希子さんもそれなりにお綺麗な方ですが、怒りに歪んだ顔はあまり美しいとは言えません。


「黛さん、あまりに突然のことで流石のわたくしもどう対処したら良いか分からないのだけれど……本当に会長と貴女は恋人同士なのかしら? 真尋様はそのような存在を仄めかしたこともありませんし、水無月の後継者である会長にそのような方がいるなどと聞いたことはありませんの」


 綾女様が慎重に言葉を選びながら疑問と動揺をその目に滲ませて首を傾げました。


「ふふっ、そうですね。確かに証拠がないままだと私の言葉は妄言と取られても仕方がないです。聞いたことがないのは、真尋さんがむやみな詮索を嫌ったからです。花王院さんが気にかけて下さったように、私はあまり丈夫ではないので、真尋さんが私に類が及ぶのを嫌がったんですよ。でも、半年ほど前に出会ったお薬が私の体と相性が良いみたいで、こうして高等部に通えるようになったものだから、私が公表しようと彼に言ったんです」


「真尋様は大分、渋っておられましたけど……」


 私は苦笑交じりに呟きました。雪乃様が、可笑しそうに「そうね」と頷きました。


「でもあの人、渋っておきながら移動教室の時、わざわざ私の教室の前を通るのよ。それで私が声を掛けないでいるとあからさまに拗ねるの。バレていないと思っているのかしら」


 真尋様、雪乃様にバレバレですよ。


「それに隠したいって言う割に、お昼は一緒に食べたいとか一緒に登下校したいとか無茶を言うんですもの」


 雪乃様が困った人よね、とため息を零されました。


「だから、一緒にお昼が食べたいなら、公表しましょうって昨日、言ったんですよ。そうしたら渋々、了解してくれて。花王院さんとこうしてお話することになっていたから、本当のことが言えて良かったです」


 綾女様は、事が事だけに処理しきれていないようで、言葉を探しているご様子です。


「ば、馬鹿みたいっ。そんな嘘をよくもぺらぺらと……っ!」


 亜希子さんがわなわなと震えながら言いました。彼女の声が大きいので、だんだんと人だかりができ始めてしまっています。


「何をもって俺の雪乃を嘘つき呼ばわりしているんだ」


 低く良く通る声が聞こえて、顔を向ければ、ざっと人垣が割れて一路様と海斗様を連れた真尋様が颯爽とこちらにやってきました。今日も輝いておられます。私には後光が見えます。ああ、真尋様は今日も素敵です。


「か、会長……っ」


 綾女様が驚きながら立ち上がりました。真尋様は周りの人間には目もくれず、雪乃様の下に直行しました。


「雪乃、大丈夫か」


「お話をしていただけですもの」


「もう、雪ちゃん、聞いてよ。真尋くんったら雪ちゃんのところに早く行きたいからって会議を三日後に延期させたんだよ。信じられる?」


「まあ、真尋さんたらあれだけ駄目よって言ったのに」


「問題ない。どのみち三日後にもう一度やることになっていただろうからな」


 そう言いながら真尋様は私が用意した椅子を雪乃様の隣にぴったりとくっつけて腰を下ろしました。


「そうそう。あんな穴だらけの企画書なんか通る訳ないっつの。あ、みっちゃん、俺、ミルクだけね」


「みっちゃん、僕は、いつも通り、砂糖とミルクをたっぷりね」


 海斗様と一路様も近くのテーブルから椅子を引っ張って来ると真尋様と雪乃様の後ろに席を確保しました。一路様は早速、カフェのメニューを開いてどのケーキを食べるか悩み始めています。


「それで、花王院先輩、今日の夜に貴女にメールを送る予定だったが会議が延期になってこうして時間が取れたので直接言っておく」


 真尋様が雪乃様の肩を抱き寄せました。


「雪乃は正真正銘、俺の恋人だ。今まで彼女の体のこともあって隠してきたが……一緒に昼飯が食べたいので公表することにした」


「真尋さん、せめて最後まで本音は隠して下さいな。あと学校で肩を抱くのは駄目って言った筈です」


「それは公表する前の話だろう?」


 ぺしりと手をはたかれた真尋様が渋々手を引っ込めました。ですがその手はテーブルの下、雪乃様の膝の上で雪乃様の手を握りしめました。基本的に真尋様は雪乃様が隣に居る時は、どこかしらに触っていたいと堂々とおっしゃる方ですので致し方ありません。仲が宜しくてようございます。


「真尋くん、学校でイチャイチャするのは駄目だって、あ、すみません、苺のショートケーキ一つ」


「そうそう。イチャイチャするのは家だけにしないと駄目だろ。俺は、このチョコレートケーキを」


 ご兄弟がウェイターさんに注文をしながら言いました。半分こしようね、と一路様はご機嫌なご様子です。兄馬鹿を自他ともに認める海斗様は「勿論」と嬉しそうに頷いておいでです。

 私はほのぼのした気持ちで春の空を見上げましたが、ふと綾女様たちが静まり返っているのに気付いて顔を向けますと綾女様を始め、ファンクラブの方々は、心ここにあらずと言ったご様子でした。

 雪乃様だけの言葉なら疑うこともできたのでしょうが、当の真尋様ご本人が登場して宣言なさってしまったので嘘だと信じることも出来なくなってしまったのでしょう。


「あ、あの、会長……ほ、本当のこと、ですの?」


 綾女様が辛うじて我を取り戻して、そう尋ねました。


「何がだ?」


 真尋様は、コーヒーを飲みながら首を傾げました。真尋様は紅茶よりもコーヒー派です。園田の両親は喫茶店を営んでおりますので私はコーヒーを淹れる方が実は得意なのです。


「ほ、本当に黛さんと恋仲、なのですか?」


「見ての通りだ。証人が欲しいなら一路と海斗で良いだろう?」


 真尋様が後ろをちらりと見ましたが、ご兄弟は運ばれてきたケーキに夢中でこっちに興味を示しておりません。ここのカフェには専属のパティシエさんがいて、かなりの腕前なのです。


「いつからですか……いつからっ、私達はもう二年も貴方をお慕い申し上げているのにっ」


 亜希子さんが涙目になりながら言いました。


「いつからと聞かれれば、それはきっと彼女が産まれたその日からだろうな。物心ついた時には、俺は雪乃が好きだったからな」


 さぁぁと春の風が中庭に入り込んで来て、木々を揺らしました。真尋様は、カップをテーブルの上に戻すとブレザーを脱いで雪乃様の肩に掛けました。私もすぐにひざ掛けを取り出して、雪乃様にお渡しします。


「黙っていたことは悪かったと思っているが、極々プライベートなことで尚且つ、俺は彼女を害されるのがこの世で一番、不愉快なんだ」


 冷たい声と言葉が同じくらいに冷たい微笑みと共に落とされました。先ほど、雪乃様に暴言を吐いた亜希子さんが顔を青くして震えだしてしまいました。綾女様も心なしか顔色がよくないような気がいたします。真尋様が怒ると空気がびりびりしますし、殺気と威圧感がぐっと強くなりますからね。私はゾクゾクしますが。真尋様、本日も素敵です。


「真尋さん、私、気にしていないわ。だから怒らなくていいのよ」


 雪乃様が自分の手を握る真尋様の手にもう片方の手を重ねて宥めるように撫でながら笑い掛けました。

 ですが、どうやら真尋様はその怒気を引っ込める気は更々無いようです。一路様と海斗様は、あーあと言いながらケーキを食べています。


「よくもまあ……欠陥品とは随分と、無礼極まりない言葉を投げつけてくれたものだな」


 亜希子さんがガタガタと震えながら身を縮こまらせました。


「真尋さん、私は優しい真尋さんの方が好きなのに……あんまり怖いと倒れそうだわ」


 一瞬でした。一瞬で真尋様が怒気を引っ込め、冷笑をいつもの無表情に戻して、雪乃様の肩を抱き寄せました。亜希子さんのことなどすぐに意識の外に放り投げてしまわれました。


「花王院さん、亜希子さん、皆さんもごめんなさい。真尋さんったら私のことになると導火線が本当に短くて……」


「い、いえ……悪いのはすべてわたくしたちですもの。会長がお怒りになるのは御尤もですわ」


 綾女様が蒼い顔で首を横に振りました。


「黛さん」


 綾女様が雪乃様に向き直ります。


「あの、わたくしも急なことで受け止め切れていないの。また後日改めてお話をさせて頂けないかしら」


「話すことなど何もないだろう。雪乃に非常に不愉快な言葉を吐いたんだ。ファンクラブも解散の上、」


「真尋さん、黙っていてくださらないともう二度と行ってきますのキスをしてあげませんよ」


 にっこりと笑った雪乃様に真尋様がものすごい勢いで口を噤みました。流石は雪乃様です。真尋様をこうも上手にコントロールできるのはこの世で雪乃様を置いて他には存在しないでしょう。


「花王院さん、ファンクラブはどうぞ継続してくださいまし。お話も皆さんのお心の整理がつきましたら幾らでもお受けいたします」


 雪乃様は気遣うような眼差しを綾女様に向けました。


「好きだと慕う想いも、その恋をした気持ちも泡沫のように消えはしませんもの」


 雪乃様は、ポケットから取り出したハンカチを綾女様に差し出しました。綾女様は我慢しきれなかったのか、ぽろりと涙を零されました。亜希子さんに至っては、ぼろぼろと泣いていて、他のメンバーの方々も彼女の肩をさすりながらも涙をこらえておいでです。

 綾女様は、雪乃様の差し出したハンカチを受け取ると目元に当てて、唇を噛み締めました。涙を止めようと試みているのでしょう。

 これは私の推測でしかありませんが、きっと真尋様のファンクラブの方々(男性も多いそうですが)は、アイドルを追いかけるような気持ちも楽しさもあったでしょう。手に入らないからこそ、平等で、平和だったのです。だからこそ恋い慕うその想いを抑えることが出来ていたのかも知れません。亜希子さんのように本気で真尋様に恋をしていた方だって、きっと大勢いるのです。


「……何よっ」


 亜希子さんがぼろぼろと泣きながら雪乃様を睨み付けました。


「何よっ、貴女は真尋様に愛されているくせにっ、私達の気持ちなんて分からないでしょうっ!? 上から目線の優越感に塗れた言葉なんていらないわ!」


「……おい、お前」


「ええ、知りませんわ」


 低く唸るように口を開いた真尋様の言葉を遮って、雪乃様がきっぱりと切り捨てました。流石の真尋様も少し驚いておいでです。二つ目のケーキを注文していた一路様と海斗様も驚いたようにこちらを振り返っています。かくいう私も驚きました。


「私、失恋をしたことなんて一度も無いもの」


「未来永劫あるわけないだろう?」


 真尋様が何を当たり前のことをと言わんばかりに首を傾げました。雪乃様は、真尋様のその言葉に幸せそうに微笑んで、再び亜希子さんに向き直りました。


「この人、私がいないと生きていけないの」


 雪乃様は穏やかに微笑んだままそう告げました。


「なのに私の体は貴女の言う通り、欠陥品で思い通りにならないことばかり。……私は恋を失う気持ちは知らないわ。でも貴女だって、私がいないと生きていけない愛する人を置いていかなければならないかもしれない私の気持ちなんて、分からないでしょう?」


 雪乃様が小首を傾げて、困ったように眉を下げました。


「私、誰かに、例えば貴女たちに認めてもらおうなんてこれっぽっちも思っていないの。私の命の時間は多分、人よりも短いものだから。そんなことに気を回して時間を消費するのは勿体無いもの。この人とお昼ご飯を一緒に食べている時に邪推な質問や邪魔をされないために恋人だって宣言したいだけなの」


 亜希子さんは呆然と雪乃様を見つめていました。


「真尋さんは立場のある方だから、色々と言われることはとっくの昔に覚悟しているし、これまでも色々とあったわ。だから欠陥品なんてありきたりな言葉じゃ、私は傷つかないし、怒る気もないの。だって傷ついている暇があるなら、怒って貴女を憎んでいる暇があるなら、私は真尋さんを愛していたいもの」


 そう言い切った雪乃様は、私が知る誰よりも強く美しく、気高い女神様のようでした。

 真尋様がそんな雪乃様を愛おしくて仕方がないといった眼差しで熱く見つめておられます。雪乃様は、そんな真尋様に愛情たっぷりの微笑みを返して、最後にこう言いました。


「私の恋は、いつだって命懸けの全力勝負なのよ」





***




 結局、その後、ファンクラブの方々は後日改めて雪乃様に謝罪をなさいました。無論、雪乃様はそれを快く受け入れて、それまでのことも含めてすべてを赦しました。ちなみに、私は「貴方は同類だと思うのですけれど」と綾女様に勧誘され、ファンクラブに加入することが出来ました。私は家での真尋様のご様子をファンクラブの皆様からは学校での真尋様のご様子を情報交換し合っております。実に有意義です。

 そして、あれから一年が経ち、綾女様が卒業した現在はあの亜希子さんが会長となってファンクラブを取りまとめておいでです。

 ひと悶着あった亜希子さんですが、あの事件以降、凛として気高い雪乃様に女性としての憧れを抱き、今では真尋様と雪乃様の大ファンになってしまい、真尋様と雪乃様の幸せを最優先事項としてファンクラブを運営なさっております。

 真尋様と雪乃様は校内でいちゃついてばかりいるのですが、それがあまりにも幸せそうだからか、或は、あまりに自然だからか全校生徒の皆さんが、真尋様と雪乃様の関係を認めていますので、雪乃様は真尋様の奥様扱いだそうですし、そうした意識があるからか雪乃様のお体のことにもファンクラブを筆頭に生徒の皆さんがとても気にかけて下さるそうです。


「それでね、それでね、先生がいいよって言ってくれたの」


「だから僕と咲で頑張ったんだよ」


「そうか。流石は俺の弟達だ」


 真尋様に頭を撫でられて双子さんは太陽みたいな愛らしい笑みを零します。

 夕食を終えると生徒会室の隣にある真尋様の私室で水無月兄弟と雪乃様が食後のひと時をのんびりと過ごしておられます。

 雪乃様と双子さんの来訪に真尋様はとても喜び、普段の二割増しで穏やかな微笑みを浮かべて、とてもご機嫌です。他の生徒会の皆様も差し入れをとても喜んでくださって、五段の重箱はあっというまに空になってしまいました。

 二人掛けのソファに並んで座る真尋様と雪乃様、その間には真咲様がいて真智様は真尋様の膝の上にいらっしゃいます。二人とも久しぶりに会った真尋様にあれこれと一生懸命、話をしていて真尋様は時折、相槌を打ちながら双子さんの話に耳を傾けておられます。

 先ほど、食事の時に話しておられましたが来週の後期予算会議が終われば真尋様も大分仕事が減るそうです。白凛学園は、二期制ですので今月で前期が終わり、来月の十月から後期になります。この予算会議がなかなか曲者だそうですが。

 ふと私の懐でスマホが震えて、私は「失礼いたします」と一言告げてから私室を後にして廊下に出ます。


「みーくん、こっちこっち」


 振り返れば一路様が居ました。手には真尋様の鞄を持っています。


「多分、ちぃと咲が駄々こねるから、そのまま帰っていいよって真尋くんには言っておいてよ。今日も大体の仕事は終わってるしね」


「よろしいのですか?」


 私はぱちりと目を瞬かせながら鞄を受け取ります。


「いいのいいの。今日はもう無理矢理にでも休ませちゃってよ」


「あの」


「ん?」


「真尋様、何か……ありましたか? その昨日、少しご様子が……昨夜は日付を跨いだので雪乃様も帰って来たときはいらっしゃらなかったので」


 私の言葉に一路様はふっと小さく苦笑しました。。


「流石はみっちゃんだね」


 一路様の琥珀色の瞳がドアの向こうに向けられました。薄く開けたままだったので、中から賑やかな笑い声が聞こえて来ます。私は一路様をじっと見つめて言葉を待ちます。一路様はドアの向こうを見つめたままです。

 昨夜、真尋様の帰宅は日付を跨いだ頃で御座いました。夜、双子さんや雪乃様が家にいて真尋様が留守にする時は、私は家に待機するように命じられておりますので、いつも大抵一緒に居る一路様の家のお車で真尋様は御帰宅なさいます。昨夜は確かとある企業の開業何周年だったかのパーティーで真尋様は父の真琴様と一緒に出席なさったはずです。一路様もお父様のお仕事の関係で、お母様のエレナ様とお兄様の海斗様と一緒にパーティーに行っていました。ですが昨夜、真尋様はお父様とではなく、一路様の家の車でもなく、どういう訳かタクシーで帰宅なさいました。


「昨日、運悪く会っちゃったんだよね……昴流(すばる)さんに」


 私の息を飲んだ音が静まり返った廊下にやけに大きく響いたような気がしました。

 一路様がゆっくりとこちらに顔を向けます。


「違う階のホールで別のパーティーだか記念式典だかやってて、こっちのパーティーに昴流さんの上司の知り合いがいたとかで挨拶に来て、偶然」


「向こうは知っていたのでは?」


 意図せず険しくなってしまった私の声に一路様は、困ったような曖昧な笑みを浮かべて肩を竦めました。


「最初に気付いたのは、真琴さんでね。僕と海斗兄ちゃんと真尋くんは一緒に居たんだけど、教えに来てくれて、パパとママも帰っていいよって言ってくれたから、僕ら三人は昴流さんに見つかる前に会場を出たんだけど、わざわざエントランスにまで来て、少し話をしたんだよ。その時は普通だったんだけど去り際に真尋くんに何か言ったらしいんだよね」


「何を」


 一路様は首を横に振りました。


「そこまでは分かんないよ、僕も海斗兄ちゃんにも聞こえないほど小さな声で言ったんだ。それで真尋くんが怒って殴ろうとしたのを海斗兄ちゃんが押さえて、昴流さんは嘲笑うみたいにさよならって言って戻ってったよ。それで真尋くん、目茶苦茶機嫌悪くなってホテルの前に停まってたタクシーに乗ってどっか行っちゃったんだ」


 私は体の横でぐっと拳を握りしめました。

 “昴流さん”とは、雪乃様の実のお兄様に当たる方です。雪乃様と十歳ほど年が離れておりまして、既に黛の家を出てどこかで一人暮らしをしているそうですが真尋様とは昔から犬猿の仲なのです。いえ、犬猿の仲なんて可愛い言葉では片付かないほど相性が悪いのです。


「真尋くん、昴流さんのことだけは雪ちゃんにだけは絶対に言わないからね。だから今夜は、ゆっくり休ませてあげて」


「……かしこまりました」


 私が頷くと一路様は、ほっとしたように表情を緩めました。

 私は頭の中で家に帰ってからのことを考えます。まず真尋様にお風呂に入って頂いてその間に真尋様のご夕食をお作りしましょう。差し入れは差し入れで双子さんと雪乃様は兎も角、真尋様には物足りない量だったはずです。あ、書斎に鍵をかけるのを忘れてはいけません。書斎に逃げ込まないように退路を断って、黛家には私から連絡して雪乃様には今夜は当家に泊まって頂きましょう。双子さんは間違いなく真尋様から離れませんので真尋様をベッドに連行してくれるでしょう。あとはそこに雪乃様さえいれば、どうにかしてくれるはずです。


「よし……あ、申し訳ありません」


 一路様を置いてけぼりにしてしまったことに気付いて私は慌てて謝罪しました。

 すると一路様は、くすくすと笑いながら口を開きます。


「みっちゃんが居てくれて本当に良かったよ。流石は水無月家の執事さんだね」


「はい、ありがとうございます」


 そのお言葉はとても光栄でそして嬉しいものです。一路様に限らず、真尋様も雪乃様も双子さんも度々、そう口にして下さいますがその言葉にどれだけ私が救われているのか、皆さんには想像もつかないでしょう。


「園田」


「はい」


 真尋様がひょっこりと廊下に顔を出されました。


「そろそろ雪乃たちを連れて帰ってくれ。俺も九時までは……」


「だーめ。真尋くんは今日はもう帰るんだよ。じゃあ、よろしくね、みっちゃん」


「はい。畏まりました。一路様もほどほどに」


 一路様は「はいはい」と笑いながら手を振って隣の生徒会室に入って行きました。すぐに内側からガチャリを鍵を掛ける音がしました。


「おい、一路!」


 真尋様が呼びかけますが一路様は応えません。


「生徒会室にも入れませんし、潔く帰りましょう、真尋様」


「そういう訳には……」


「真尋さん、たまには帰ってゆっくり休みましょう?」


 雪乃様が双子さんと一緒にこちらにやって来て真尋様を見上げました。


「お兄ちゃん、一緒に帰ろ?」


「一緒にお風呂入ろう?」


 双子さんが真尋様に抱き着いて上目遣いに見上げます。真尋様は、うっとたじろいで少し気まずげに視線を泳がせました。家事以外は何でも器用にこなす方ですが、変なところが不器用なのです。

 すると雪乃様がすっと背伸びをして真尋様の耳に口を寄せてひそひそと何かを告げました。すると真尋様の無表情がぱぁっと分かりやすく輝きました。


「よし、帰ろう」


 流石は雪乃様です。真尋様が一瞬で意見を翻しました。雪乃様は何を言ったのかは皆様のご想像にお任せいたしますが、真尋様が非常にご機嫌だということだけはお伝えしておきます。


「最後にクラスの方に顔だけ出してくるから、先に車に行っていてくれ」


「お兄ちゃん、僕も一緒に行って良い?」


「僕も行きたい!」


「ああ、いいぞ。園田、雪乃を頼むぞ」


「はい、お任せくださいませ」


 私が頷くと真尋様は両腕に双子さんをそれぞれぶら下げるようにして歩き出しました。


「……真尋さん、昨夜、あの人にでも会ったんでしょう?」


 雪乃様はだんだんと遠ざかっていく真尋様の背を見つめながら言いました。私は何も言えずに目を瞬かせることしか出来ません。


「ふふっ、相変わらず隠し事が下手なのよ。バレバレなんだもの」


 そう言って、雪乃様は可笑しそうに笑いました。


「そう、ですね……真尋様はいい加減、雪乃様に隠し事をするのは諦めた方が宜しいかもしれませんね」


 思わず私もくすくすと笑いを零してしまいました。雪乃様も、ふふっと笑って真尋様の私室のドアの鍵を閉めると「行きましょう」と反対側へと歩き出します。私も雪乃様の背を追って歩き出しました。

 翌朝、無表情があからさまにご機嫌な真尋様の隣で雪乃様も穏やかに微笑んでおられたのは言うまでもない話で御座います。





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ここまで読んで下さって、ありがとうございました!!

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久々の執事さん、書くのが楽しかったです♪


次のお話も楽しんで頂ければ幸いです!

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