水無月家の執事 in牧場
*園田さん視点
*何もかもファンタジーだと思って細かいことは気にしないでください。
*園田さんは今日も絶好調です。
三度目ましてでございます、水無月家の唯一無二の執事、園田充と申します。
本日は、夏休みに入り、双子さんが「遊びに行きたい!」と真尋様におねだりしまして、雪乃様と一路様も共に某県某所のとある牧場にやって参りました。
「お兄ちゃん! 牛! うしー!」
「でっかいでっかい!」
「ひゃー牛って思ってるより大きいんだねぇ!」
順に真咲様、真智様、一路様です。一路様は真尋様と同い年の筈ですが、真智様と真咲様に混じっていてもあまり違和感がありませんね。言うと怒られるので私は言いませんが。
「一くんたら、小学生みたいね」
「似たようなもんだ」
私は言いませんでしたが、そんな三人を眺める真尋様と雪乃様が言ってしまいました。一路様には幸い、聞こえなかったようでございます。
牧場は、気持ちの良い晴れ空が広がっていて、白い雲が眩しく、青々とした山々の鮮やかさが心地良いです。標高が高いですので、下界に比べると湿度も低く、温度もそこまで高くないので過ごしやすいです。とはいえ、雪乃様の具合が悪くなっては大変ですので私は雪乃様に日傘を差し掛け続けます。
「……園田」
「はい」
真尋様に呼ばれたら間髪入れずに返事をするのが私のポリシーです。
「やっぱりお前、俺の服を貸してやるから着替えて来い」
「そんな! 真尋様の服をお借りするなんて恐れ多い!」
「そうじゃない、お前が牧場で浮いているんだ。物凄く目立つんだ」
真尋様の頬が心なしか引き攣っておられます。
私は周囲を見回しました。牧場はふれあい体験も多く他にアスレチックなどもございますので、親子連れや若いカップル、学生のグループなんかも多いのですが、何故でしょう、我々の周りだけ人が居ません。遠巻きにひそひそしながらこちらを見ています。皆さん、過ごしたはしゃいだ様子で、まるで芸能人にでもあったかのような雰囲気です。
「あ! もしや真尋様と雪乃様がお美しいからでは?」
「馬鹿か! お前が執事服なんて着て来たからだろうが!」
真尋様が額に手を当てて項垂れてしまわれました。熱中症では困ると私は慌てて肩に掛けた鞄からお茶の入った水筒を取り出して真尋様に差し出します。真尋様は、はぁぁとため息をついてそれを受け取ると、ごくりごくりと飲みました。良い飲みっぷりです。真尋様は、雪乃様にも水分補給をするようにと水筒を渡して私を振り返ります。
「脱げ」
「嫌です。これは私の一張羅ですから」
「目立つだろうが」
「真尋様が美しいからいけないのです」
「真尋くん、無駄だって、無駄。みっちゃん、僕にもお茶頂戴」
一路様がこちらに戻って参りました。私は、鞄から一路様の分の水筒を取り出して渡します。一路様は、きちんとお礼を言って受け取りました。
「みっちゃんはそもそも執事服とジャージ以外に服持ってるの?」
「勿論でございます。真尋様が以前、買い与えて下さったものも真尋様のおさがりもございます」
「だからそれを着て来いと言っただろうが」
「嫌です。汚れたらどうするんですか!? 真尋様のおさがりは総て密封袋に入れて保管してあるんですよ!? 防虫剤の併用も勿論しておりますし、月に一度は陰干しもして、もしシミの一つでも……」
「もういい。お前は黙って執事服を着ていろ」
「はい。ありがとうございます!」
どうやら私の真尋様への愛をご理解下さったようです。私と真尋様は体格が殆ど一緒で変わりませんので、真尋様は私に着なくなった服をよくくださいます。真尋様だけではなく、双子さんもお洋服類はすべて奥様がデザインした一点ものです。奥様は世界を股に掛ける人気ファッションデザイナーですので一着のお値段だけでもかなりのものですが、真尋様はあまりそう言ったことに頓着いたしません。ですが、目だけは肥えていらっしゃるので、以前、休みの日に私が園田の両親の所に出かけようと珍しく私服(サマーバーゲンにて買い求めたTシャツ一枚500円、ジーンズ一本1980円)姿だった際に「そんな貧乏くさい格好で行くな」とおっしゃられて、私に服をくれるようになりました。一気に値段が爆上がりです。総額の桁が二つは増えた筈です。一般庶民より感覚が貧乏な私ですので総額の値段の高さに挙動不審にはなりましたが園田の両親が「良くしてもらっているのね」「おしゃれで良く似合っていますよ」と嬉しそうに褒めて下さったので、やはり真尋様は崇め奉られるべきお人だとその時は再確認いたしました。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
「あっちでね、乳しぼり出来るんだって!」
「ちぃちゃんも咲ちゃんもまずはちゃんとお茶を飲んで、汗びっしょりだわ」
雪乃様がくすくす笑いながら真智様の帽子を取って額に掻いた汗をハンカチで拭います。真咲様はリュックを降ろして、水筒を取り出して水分補給をします。双子さんは、雪乃様がお弁当を作って下さったのが嬉しくて嬉しくて、遠足用のリュックを背負っておられるのです。
ちなみに本日の双子さんのお召し物は、濃い目の青いジーンズに白い半そでTシャツ、腰には色違いでチェック柄のネルシャツを巻いています。真智様が赤、真咲様が水色です。お足元はメッシュの黒とグレーのスニーカーで外で遊ぶことを想定し、動きやすいアウトドアスタイルです。お二人は一卵性双生児で非常に仲がよろしいので、お揃いを好みます。世間では、双子コーデとかいうのでしたでしょうか? 兎にも角にも非常に可愛らしくていらっしゃいます。
一路様は、髭の可愛いおじさんがプリントされた白の半そでTシャツにピンクのパーカーベスト、ベージュのサルエルパンツ、足元は赤のスポーツサンダルです。一路様の可愛らしいお顔に良く似合ったコーディネートです。手首の革製のブレスレットもですが、おでこを出して前髪を止める苺のヘアピンに遊び心を感じます。一路様は、イギリスとのクオーターで色素が全体的に薄いのでピンクも良く似合いますし、お顔立ちが可愛らしいので苺のヘアピンも似合うのです。
雪乃様のコーディネートは真尋様です。昨夜、真尋様がクローゼットの前で悩んでおられました。真尋様の部屋には何故か雪乃様のクローゼットがあるのです。
雪乃様は、柔らかなデニム素材の薄い水色のガウチョパンツに白のTシャツ、そしてローズピンクのニット素材のビスチェです。ガウチョパンツは同色の前で結ぶ大きめのリボンが雪乃様の細いウェストを強調していて、白いTシャツとローズピンクのビスチェは可愛らしさを添えています。ビスチェは最近の流行だそうで、真尋様はどこでこの情報を仕入れて来るのかは存じ上げませんがメンズよりレディースファッションに詳しいです。足元は踵の低いグラディエーターサンダルです。雪乃様の長い黒髪は、今朝、真尋様が嬉々として白いレースのリボンと一緒にゆるふわという感じに編み上げて、可愛らしくも清楚なヘアースタイルとなっております。真尋様が仕上がりに非常に満足そうでいらっしゃいました。
そしてそして! 我らが真尋様です! 真尋様はまるでモデルのような素晴らしいスタイルをしておられます! ここだけの話ですが、真尋様が私に下さるズボンの類は、少しだけ、本当に少しだけ丈が長いです。以前、それに気づいた雪乃様が、それからはさりげなく裾上げをして下さっているのです。真尋様が神様なら雪乃様は女神様ですね、納得です!(ちなみに、みっちゃんの脚が短いんじゃなくて、真尋くんの脚が長いだけだよ by一路)
話が逸れましたが、真尋様の本日のお召し物は、ツバが大き目の黒のキャップに細身のデニム、白のVネックシャツ、黒とブルーチェックのネルシャツを腰に巻いています。胸元には先ほどまで掛けていた黒のサングラスがぶら下げられています。雪乃様がコーディネートして下さったのですが、「双子ちゃんとお揃い要素を取り入れたのよ」と言っていた通りです。双子さんも「お兄ちゃんと一緒」とはしゃいでおられました。それに細身のデニムは真尋様の長い足が引き立てていますし、ぴたりとしたVネックTシャツは真尋様の引き締まった上半身を際立たせています。流石は雪乃様、素晴らしいです。そして、雪乃様とペアの月のネックレスもお似合いです。雪乃様のネックレスは星でくっつけることが出来るのだそうです。真尋様のイタリア土産だったと記憶しております。
そんな訳で、私が執事服でなくともこの御一行は目立つのでございます。真尋様と雪乃様はこの渇ききった世の中に降臨した神様と女神様ですし、一路様は可愛い系の美少年ですし、双子さんは天使で御座います。目立たない訳がございません。私の存在など霞んで見えている筈でございます。
さて、一行はそれから牛の乳しぼり体験に移動します。私は日傘を真尋様に任せてカメラを構えます。双子さんの可愛らしい笑顔や乳しぼりにわくわくしているお姿をメモリに残すのも執事たる私の重要な役目なのです。一路様もわくわくしていらっしゃる姿が、可愛らしいです。
「牛の乳って柔らかいんだね!」
「あのね、温かい!」
「わあ、お乳出た!」
三人は実に楽しそうです。その無邪気なお姿に見守る雪乃様と真尋様も雰囲気が非常に柔らかです。ちなみに一路様の映像及びお写真は、後日編集の上、海斗様にお渡しする手筈になっております。
乳しぼり体験が終わったら、お昼の時間です。ピクニック専用の広場がありますので、そちらに移動しますが双子さんがトイレを所望されましたので、少し寄り道です。
「じゃあ僕が連れて行くよ」
「私も少し失礼しますね」
そう言って一路様が双子さんを連れ雪乃様と共にトイレに行かれます。
「おい、園田」
すっと差し出されたのは真尋様のお財布でした。私はそれを受け取ります。
「そこの売店でフランクフルトを人数分と何か適当に見繕って来てくれ。ただ、アイス類は止めろよ」
「はい、かしこまりました!」
私はお遣いを言いつけられて、お財布を手に売店に走ります。荷物は真尋様にお任せします。売店は非常に混んでいて大きな荷物は他のお客様の迷惑になりますので。
この牧場では、ソーセージやハム、チーズなども独自で製造・販売しております。使用するお肉は勿論ですがハーブや塩と言った調味料にもこだわっていて、非常に人気が有ります。焼き立てをテイクアウトも出来ますのでピクニックのお供にする方も多いのです。
私はフランクフルトを人数分+二本とステーキと夏野菜のグリルセットを二つほど購入して真尋様の元に戻ると真尋様の周りに数人の女性が群がっておりました。大人のお姉さんといった雰囲気の女性グループが真尋様を取り囲んでおられました。真尋様の無表情がいつもより無表情です。腕を組んで見下ろしていますが、女性は全く動じていません。私なら、逃げ、いや逃げませんね、その無表情をカメラに納めます。ああ、真尋様は今日も本当にお美しい。
「お一人ですか? あたしたち、大学のサークルでBBQに来てるんですよぉ」
「良ければ、お兄さんもどうですかぁ?」
「お兄さん、もしかしてモデルさんとかですか? めっちゃ格好いいですねっ!」
媚びるような口調で女性が真尋様を誘います。
真尋様はお美しいので大人びて見えますが大学生の貴方方より確実に年下ですよ、と私は心の中で訂正申し上げました。真尋様は、すっと左手を上げました。そこには銀色に輝く結婚指輪がございます。
「妻と子供たちと来ている」
「ええーそれって、ナンパ対策でしょ?」
「まあ、私達の愛の結晶をナンパ対策だなんて、失礼しちゃいますね、あなた」
軽やかな声が割って入ります。お手洗いから戻られた雪乃様が真尋様に近付いていきます。真尋様の無表情が(分かる人には分かる程度ですが)緩みました。真尋様は痴女を除いた女性には手荒なことが出来ないので、これまでの経験上、こういった手合いをかなり面倒に思っている節がおありのようですので、ほっとされたのでしょう。
「子供たちは?」
「もう来ると思いますよ」
真尋さんが当たり前のように雪乃様の腰に腕を回して抱き寄せます。
「パパ!」
「ママ!」
双子さんが駆け寄って来て二人に飛びつきました。
双子さんは、真尋様や雪乃様がナンパされたり、絡まれたりするとこのようにパパママ呼びで二人を護るのです。つまり、よくあるお話なのです。
「もう、ちぃも咲もまだ手がびしょびしょなのに!」
一路様がハンカチを手に走ってきます。どうやら真尋様の危機に双子さんは手を拭くのも忘れて走って来たようです。取り囲んでいた女性は、雪乃様の登場時点で心が折れて、双子さんと一路さんが来るとすごすごと去って行きました。私とすれ違った折、「三人も子供いたじゃん」とか「奥さん超美人じゃん」とか「幸せ家族かよ、爆発しろ」とおっしゃられておりました。一路様がお二人のお子さんになっていたことは、黙っておきます。私は空気の読める執事なのです。
「園田、お前、見て居たらならさっさと助けに来い」
私が皆様の元へ戻ると真尋様に睨まれました。ゾクゾクします。
「ですが、以前、私がお助け申し上げた時、真尋様怒ったじゃないですか」
「それはみっちゃんが真尋くんが指輪見せて撃退しようとしてたのに、颯爽と現れて「この方は私の大切な方なのです!」とか言って誤解を招いたからだよ」
「ふふっ、確かその時、真尋さんと充さんが夫婦に間違われて、最終的に「差別とか偏見とかあるかもしれないけど、負けずに頑張ってくださいね! 愛を貫いて下さいね!」って言われたんですよね。私も一くんも近くで見ていて面白過ぎて出られなかったんです」
「お腹がよじれて死ぬかと思ったよ」
「……地獄だった」
一路様と雪乃様が可笑しそうに笑っておられますが、真尋様は遠い目をしていらっしゃいます。照れているんですね、私もあの時は照れてしまいました。
「お兄ちゃん、お腹空いたー」
「僕もうお腹ペコペコ!」
「ああ、そうだな。俺も腹が減った」
真尋様がひょいと私がお任せした荷物を持って歩き出してしまいました。私が持ちますと言っても無視です。酷いです。優しいです。大好きです。
ピクニック広場には芝生が敷かれ、所々に大きな木々が植えられて木陰が作られています。まだ昼には少し早い時間ですので、空いています。真尋様が荷物の中からピクニックシートを取り出して木陰に敷きます。雪乃様の為に真尋様はひざ掛けを持参しておりますのでそれを雪乃様のために座布団代わりに敷きました。
靴やサンダルを脱いで上に上がります。真尋様の隣は勿論雪乃様で反対側には、一路様が座りました。私は雪乃様の隣に失礼します。私と一路様の間には双子さんが並んで座りました。双子さんは、嬉しそうに鞄からお弁当箱を取り出します。私も先程、売店で買ったものを並べ、真尋様が荷物の中から雪乃様お手製のお弁当箱(お重五段)を取り出しました。それを広げれば、実に豪華なお昼ご飯です。
「いただきます」
真尋様の挨拶に皆が手を合わせて「いただきます」と唱えれば、賑やかな昼食の始まりです。
「お兄ちゃん、見て!」
「牛だよ!」
「おお、凄いな」
「雪ちゃん、器用だねぇ」
双子さんのお弁当の中には、ご飯と海苔で作られた可愛らしい牛さんが居ました。双子さんは大はしゃぎです。雪乃様は「喜んでくれて良かったわ」と嬉しそうです。
「ん、うまい」
「良かった。真尋さんの好物をたくさん詰め込んだから、いっぱい食べてね」
「ああ。ほら、雪乃も」
「真尋さんもあーん」
お二人は仲良く、あーんをしておられます。こういった場合、一路様が意地で真尋様の隣に座るのは「正面はダメージが大きすぎる」とのことです。私としては仲の良いお二人を見ているとそれだけで心もお腹も幸せでいっぱいになりますが一路様は胸やけがするそうです。
一路様も健全な男子高校生らしく良く食べますが、真尋様はその三倍は軽く食べます。あっという間にお皿もお重も空っぽになりました。一路様は食後のデザートにこの牧場の目玉商品のしぼりたて牛乳を使ったソフトクリームを食べていました。双子さんは二人で一つです。私と雪乃様は同じく目玉商品の一つ、手作りチーズケーキを食べました。ミルクの風味豊かなチーズケーキは非常に美味しかったです。雪乃様が残した分は、一路様が嬉々として引き受けていらっしゃいました。真尋様は甘いものを好みませんので肉の串焼きを食べていました。
それから一休みして午後は、手作り体験です。
真尋様は、非常に優秀で素晴らしいお方ですが、料理だけはさせてはいけません。私が水無月家の執事になった折、いつも微笑みを絶やさない雪乃様が真顔で一番初めに教えてくださった、水無月家の掟です。真尋様をキッチンにいれてはいけないというのもその時に教わりました。真尋様は、包丁さばきだけはプロ顔負けですが味付けなどの面においては、少し独特の感性をしていらっしゃいます。大雑把すぎるのと強い冒険心があのような悲劇を招くものと思われます。
ですので食の手作り体験は当たり前のように却下です。どんな被害が出るか分かりません。
革細工の手作り体験をしたいと双子さんがおっしゃられましたので、皆で革細工のクラフト体験をすることになりました。
丸太の山小屋風の工房で体験が出来るようです。工房の中は、木の香りがしますし、革や塗料の香りもします。革に刻印する作業過程で使う木槌の音がカンカンカンと賑やかです。
双子さんと雪乃様はキーホルダーを一路様はキーケース、真尋様は名刺入れを作ることにしたようです。私はカメラを回す係です。革細工を楽しんでいる場合ではありません。
双子さんはとても器用なので指導員さんに教わった通りに手際よく作っていきます。
「雪ちゃん、ここはこうだよ」
「あら、本当。ありがとう」
「ねえ、雪ちゃん、見てみて」
時折、雪乃様に教える姿も非常に微笑ましいです。天使と女神の戯れを映像に残せるなんて、文明の利器とは素晴らしいですね。
一路様は鼻歌を口ずさみながら木槌と刻印を刻むためのベベラやアンダーカットといった道具を華麗に操っておられます。真尋様も同じく淡々と手際よくこなされておりますが、正直、指導員さんが引いています。この二人、用意されていた初心者用のセットをサラッと無視して、壁に飾られていた道具を「これこれ~」とか言って勝手に使っているのです。何でも一昨年のイタリア旅行の際に向こうの職人の所で革細工を体験したそうですが、相変わらずお二人の能力は測り知れません。特に真尋様の手元の作品は、芸術作品張りの出来栄えです。多分、値段が付きます。幾ら出したら私に売ってくれるでしょうか。
一時間半ほどして、作品が完成しました。双子さんは、デフォルメされた動物の形にカットされたそれにそれぞれの名前を刻印したキーホルダー。雪乃様は、楕円形にカットされたモチーフに花の形の刻印を、一路様は幾何学模様があしらわれた素敵なキーケースを。真尋様は緻密な幾何学模様と複雑な花の模様が素晴らしい出来栄えの名刺入れを完成させました。指導員さんが「職人さんですか?」と真顔で尋ねたくなるお気持ち、お察しいたします。
最後まで一路様と真尋様のことを「職人では??」と勘ぐっていた指導員さんに見送られて、体験工房を後にします。
「園田」
「はい。いかがいたしました?」
「お前の分だ」
ひょいと投げられたそれを慌ててキャッチます。白手袋を嵌めた手を開けば、長方形の皮のキーホルダーがありました。シンプルな模様が縁にあしらわれ、真ん中に「M」というイニシャルが刻まれていました。
「ビデオ係りをさせてしまって、お前は体験が出来な」
「家宝に致します!」
私は嬉しさのあまりに叫びました。一体、何時の間にお作りになられたのでしょう。ああ、神様仏様ご先祖様、園田充、優しい主に出逢えて幸せでございます!
「額に入れて飾らせて頂きます」
「あらだめよ、充さん。革製品は、使えば使う程艶が出て味が出るんですよ。折角だから車の鍵にでもつけて普段から使った方が真尋さんも喜びます」
雪乃様のお言葉に私は、はい、と素直に頷きました。家に帰ったら革製品の手入れ方法を調べて準備しなければなりません。私はそれをハンカチに包んで胸ポケットにしまいます。ああ、幸せです。涙が出てまいりました。
「みーくんは、本当にお兄ちゃんが好きだねぇ」
「お兄ちゃん、みーくんがまた感動に泣いてるよ」
「放って置け」
そんな会話が聞こえてきますが、事実ですので否定は致しません。
私が鼻を啜っている間に、一行はふれあい広場に到着いたしました。ここでは兎やモルモットといった小動物を抱っこしたり、牧羊犬と触れ合ったり、羊や山羊の餌やり体験に乗馬体験もできます。
受付で荷物を預けてロッカーに入れて広場へと入ります。双子さんは、カピバラの方へ走って行き、犬好きの一路様は牧羊犬コーナーに、真尋様はうさぎが見たいという雪乃様に付き添ってウサギのコーナーへと行きました。私は真尋様に言われて双子さんの方へついて行きます。隣のコーナーですので双子さんたちの様子を写真に納めつつ、望遠レンズで真尋様たちの様子も写真に撮ります。
カピバラを間に挟んでしゃがんだ双子さんのショットは可愛さがあふれ出ていますし、ウサギを抱えて嬉しそうな雪乃様を見つめる真尋様の顔は慈愛に満ち溢れていらっしゃいましたし、牧羊犬の群れに襲われた一路様は手しか見えませんが犬たちは嬉しそうでした。一路様は兎にも角にも犬に好かれる体質なのです。スタッフさんが慌てて引き剥がそうとしますが、犬は離れません。一路様は犬に有効なフェロモンでも出ているのかも知れませんね。
それから暫く、一行はふれあい体験広場を満喫しました。小動物と戯れる双子さんの可愛さもリクガメにはしゃぐ雪乃様も馬を手懐ける真尋様も素晴らしかったですが、一番、注目を集めていたのは牧羊犬にもみくちゃにされていた一路様です。この一時間足らずという短い時間の中で八頭の牧羊犬を見事に手懐けておられました。今では一路様のハンドサインだけでお座り、伏せ、待て、お手、おかわり、仰向け、チンチン、ジャンプ、噛む、吼えるなどが出来るまでになっていました。ちょっとしたドッグ―ショーみたいになっていて、子どもたちが拍手を贈っていました。係員さんまで一緒になって拍手しています。
「一くんは相変わらず、躾が上手ね」
正直、躾が上手とかいうレベルではありませんが、当の一路様が「僕って昔から犬に好かれるんだよねぇ」と笑っておられるので私は、拍手を送るだけに留めます。
ふと何だかざわめきが広がって振り返りますと柄と頭の悪そうな若い男が三人ほどふれあい広場に入ってきました。柄と頭が悪いだけならだれも文句は言いませんが、男たちの据わった目や赤らんだ顔を見るに、どうやら酔っぱらっている様です。入り口付近にいた女性のグループに絡んでいます。受付の女性と男性のスタッフが慌てて駆け寄り、退出を言い渡しますが酔っ払いの馬鹿トリオは聞く耳を持って居ないようです。牧場内の別の場所で羊のショーが始まる時間ですので、ふれあい広場内は、入った時よりも大分、人が少ないとはいえ、迷惑なものは迷惑でございます。
「お客様、おやめください!」
「うるっせぇな! なあ姉ちゃん、それより兎じゃなくて俺達と遊ぼうぜ」
「俺達車で来てんだよね。ドライブ行こうぜ」
「あははは! 見ろよ、このヤギ! ほら紙食えよ!」
「餌以外のものを与えないでください!」
パンフレットをヤギに喰わせようとする男に係員さんが慌ててヤギを庇う様に間に入ります。確かにヤギは紙を食べますが、それは和紙などの限られたものだけであんなカラフルな印刷物を食べたら腹を壊します。
「園田」
「はい」
私はスマホを取り出して某所に電話を掛けます。真尋様が雪乃様を双子さんに任せて一歩を踏み出そうとした時、事件は起きてしまったのです。
係員の制止に苛立った馬鹿男Aがヤギや羊の餌の入っていた紙袋を入れるゴミ箱を思いっきり蹴り上げたのです。臆病な動物たちはその大きな音にパニックを起こしてしまいました。モルモットやウサギ、カピバラは丸まったり巣穴に逃げこみ、羊や山羊も囲いの中央に集まってめーめーと鳴きだします。ですが、一番の問題は、乗馬体験の馬でした。
「愛香!」
女性と男性の悲鳴が同時に上がり、同時にヒヒーンという馬の嘶きが響き渡りました。馬はその体の大きさの割にやはり草食動物ですので臆病な生き物です。大きな音に驚いて手綱を持っていた係員さんを振り切って走り出してしまったのです。その背には、小学校低学年のほどの女の子が乗っていました。馬は楕円形の運動場を縁に沿ってぐるぐると走っています。これが外へ飛び出れば誰かが蹴られるかもしれませんし、女の子が振り落とされるのも時間の問題です。係員が静止を試みますがなかなかうまくいきません。
「そこを動くな!」
その時、真尋様が駆け出しました。真尋様の怒声に台の上からその向こうに飛び込もうとしていた父親が動きを止めました。
そして、馬が丁度、乗り降りするための台に近付いた瞬間、その台を思いっきり蹴って馬の背に飛び乗ったのです。真尋様はすぐに体制を立て直し、女の子を左腕で抱き締めると手綱を華麗に操り、馬を鎮めます。馬はだんだんと落ち着きを取り戻し、徐々に速度を落としていきました。
「パパ! ママ!」
「愛香!」
「怪我は!?」
女の子が無事に両親の腕の中に帰れば、歓声が起きます。私もカメラを片手に大興奮です。真尋様は珍しく無表情に誰が見ても分かるように微かな笑みを浮かべて、少女が無事であったことに安堵しておられる様でした。真尋様の微笑みに周囲の人々が老若男女問わずに見惚れております。園田充、その気持ちが痛い程に分かります。
「そこのクズ、逃げられると思わないでよね」
一路様のにこやかな声に私はカメラを一路様に切り替えました。一路様はにっこり笑って手を上げました。その瞬間、犬たちが華麗に柵を飛び越えてそそくさと逃げ出そうとしていた男たちを取り囲みました。一路様は柵に手をついてひょいと飛び越えると再び犬たちにサインを出します。そうすれば犬たちは、牙を剥き出しにして唸り声を上げます。
愛玩動物と言われる犬ですが、やっぱり牙が有る以上は獣です。牙をむき出しにして唸る姿に三馬鹿トリオは顔を青くして足を止めました。三人で背中合わせになって、犬たちから必死に距離を取ろうとしています。
一路様は、ボーダーコリーの頭を撫でながら小首を傾げて愛らしく笑っておられます。
「犬って可愛いですよね。でも、この牙も顎も腕や足の肉を食い千切るぐらいは容易いんですよ。彼らは人間にとって忠実な友だけれど、決して侮ってはいけませんよ」
うふふと一路様はハンドサインで犬たちを操り、じわじわと男たちを追い詰めていきます。
不意に一路様は、一瞬だけ視線を逸らし、小さく頷いて犬たちを退かせました。男たちは、不意に出来た逃げ道にまんまと走り出します。その瞬間、パシーンッという乾いた音が響き渡りました。
「さあ、躾の時間だ。酒に飲まれて酔っぱらう様な阿呆共が。一から鍛え直してやろう」
ああ、真尋様ぁあ!!実に活き活きしていらっしゃいます!!乗馬用の鞭を片手になんとも愉しそうでございます!!(見る人が見ないと分からないけどね by一路)
男たちは真尋様の雰囲気に圧倒されて、ずるずるとその場に座り込んでしまいました。真尋様は、鞭を楽しそうに弄びながら彼らに近付いていきます。
「す、すみませっ」
「た、たすけっ!」
「真尋さん」
雪乃様が真尋様に声を掛けました。三馬鹿トリオが縋るような眼差しを雪乃様に向けます。
断っておきますと確かに雪乃様は紛う事無き慈愛に満ちた女神さまですが、神というのは得てして優しいだけの存在では無いのでございます。
「教育することには反対しませんけど、ここは小さなお子さんも多いですし、それにちぃちゃんと咲ちゃんの教育に悪いです。他所でやって下さいな」
「ふむ、それもそうだ。君の視界にこんな汚物を置いておくのも癪だしな。おいそこの、これをそこの事務所に放り込んでおけ」
真尋様は唖然としていた男性係員を手招きすると男たちを連行するように言いつけました。逆らうという選択肢も与えられないまま、男性係員が男たちを引きずるようにして連行していきます。三馬鹿トリオは、酔いも醒めたのか赤ら顔を一転させた蒼い顔で借りてきた猫のようにおとなしく引きずられて行きました。
「園田!」
「はい。ミナヅキグループの御優待券の手配、整ってございます。それとお医者様の手配も致しました。あと十五分ほどで来てくれるそうです。警察の方にも連絡いたしまして、マスコミ対策も万全です。SNSなどへの書き込み管理体制の強化も通達いたしました」
「やればでき」
「それと録画もばっちりです!」
水無月家の執事である私に掛かれば、録画しながらの諸々の手配位容易いものなのです。
「お前を鞭で打つぞ」
「ご褒美です!! あ、いえ、痛いので遠慮します!」
「本音が駄々洩れだね。真尋くん、fight」
一路様のあんまり心のこもっていない応援が送られました。犬たちは一路様に褒められてご満悦のご様子です。
「お兄ちゃん、今日も格好良かったよ!」
「すっごい! お兄ちゃん、僕も乗馬頑張るね!」
双子さんが酷く興奮したご様子で真尋様に駆け寄ります。雪乃様も「素敵でした」と少しうっとりしながら真尋様を労いました。実に微笑ましいワンシーンですね。
その時、どたばたと騒がしい足音が聞こえて来ました。サンタさんみたいな見た目の白髪のおじさんと人の良さそうながっちりした体格のおじさんが走って来ました。オーバーオールに身を包んだお二人は、サンタさんの方は藁まみれ、もう一人は小さな仔山羊を抱えたままです。
「みな、みなっ、水無月様! ごあ、ごあい、いてっご挨拶が遅れまひて!」
どうやら舌を噛んだようです。
「まさか水無月様がいらっしゃっているとは露知らず、畜舎の清掃をしておりましてっ!」
「メイコ(山羊・雌・三歳)が体調を崩して、私がこの子の母替わりでしてっ!」
「落ち着け、牛飼園長、熊井副園長」
真尋様が苦笑交じりにお二人に落ち着く様に促しました。こちらのサンタさんみたいな風貌の方が牛飼さん。このミナヅキファームの園長さんで山羊を抱えている方が副園長の熊井さんです。
「つい今しがた酔っ払いが少々暴れてな」
「なっ、お、お客様にお怪我は!?」
「動物に危害は!?」
お二人は顔を青くして周囲を見回します。
「俺が対処した。怪我人はいないが、馬が暴れてな。あの子が大分怖い思いをしてしまった。それに他のお客様にも不愉快な思いをさせたことは、ミナヅキグループの者として詫びるべき事態だ」
「こ、この余分な脂肪を蓄えた腹を切ってお詫びを!!」
「だから落ち着け」
真尋様は呆れたように言って、私に向かって手を出しました。私はご用意しておいたマイクを真尋様にお渡します。真尋様は私が用意した台の上に立ちました。
「この度は、ミナヅキファームにお越し下さり、誠に有難う御座います。私は水無月真尋と申すものでこのミナヅキファームの……特別顧問です。折角のお客様の夏の思い出に水を差すような事態を招いてしまい、水無月の者を代表し深くお詫び申し上げます。今後、このようなことが無いように従業員一同、徹底してまいりますので、どうぞご寛容を賜りますよう伏してお願い申し上げます」
真尋様がすっと頭を下げました。私も懐にカメラを隠して深く頭を下げます。雪乃様や園長を始めとしたスタッフたちも同じように頭を下げておられました。数拍の間を置き、真尋様が顔を上げたのを合図に私達も顔を上げます。
「お詫びの印として、ミナヅキグランドホテルを始めとした、ミナヅキグループで使える優待券をご用意いたしました。ふれあい広場を出られる際に受付に居るスタッフよりご受納下さい。またお医者様の手配も致しました、ご気分が優れない方はすぐにスタッフにお申し出ください。この度は、本当に申し訳ございませんでした」
真尋様が再び深く頭を下げられました。
幸いなことに怪我をしたお客様はおりませんでしたし、ショーの時間だったためにふれあい広場内にいたお客様も少なく大きな騒ぎにはなりませんでした。皆様、快くお詫びの品を受け取ってくださいました。ナンパされていた女性たちはミナヅキグランドホテルのスイーツビュッフェ特別御優待券を貰えたことで寧ろ得をしたとおっしゃってくださいました。中には家族サービスに精を出していたミナヅキの社員もいて、真尋様がグループの総裁の息子だと気づいて慌ててご挨拶に来られた方が二名ほどいました。
「この度は、お嬢様に大変怖い思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「い、いえ、貴方のお蔭で娘は無事でしたし……悪いのはあの酔っ払い共ですから」
「そうです。娘を助けて下さって、こちらこそありがとうございました」
ご夫婦が真尋様に頭を下げて感謝を述べられました。真尋様は「当然のことをしたまでです」と謙虚なお答えを口にし、お二人に顔を上げるように促しました。
真尋様は、父親の首にしがみついて泣いている女の子に声を掛けます。
「愛香さん、怖い思いをさせてしまって本当に申し訳ありませんでした。馬は臆病な生き物で、大きな音が苦手だからあの男の人の所為でとても驚いてしまったんです」
すんすんと鼻を啜りながら愛香ちゃんが顔を上げました。
「君に怪我が無くて、本当に良かった」
「……おにいちゃん」
「ん?」
「たすけて、くれて、ありがと」
か細い声でお礼を口にした女の子に真尋様は、長い睫毛をぱちりと瞬かせた後、ほっとしたように表情を緩められました。愛香ちゃんがその笑顔の綺麗さにびっくりして固まりました。凄く分かります。真尋様が笑うとちょっとこの世のものとは思えない神々しさがありますよね。
「時東様、愛香さんの夏休みの思い出がこんな恐怖に塗れたものではお客様の笑顔を第一に考えるミナヅキグループとしてあってはならないことです。その思い出が楽しく幸福に彩られることを願っております。ですのでどうかこちらをお受け取り下さい。これは某ランドのお城の中にある特別ルームの宿泊券です」
ちなみにこの特別ルームに一般の方が宿泊出来る可能性はほぼゼロです。ミナヅキグループだからこその特別待遇ですね。電話一本でOKなのです。真尋様は、愛香さんのポーチや靴下、髪飾りがその城のお姫様のグッズであることに気付いて、このお詫びの品をご用意したのだと思われます。
ご夫妻は、そこがどれだけ特別なところかご存知の様でぽかんと口を開けて固まっておいででした。一時、都市伝説みたいに話題になりましたからね。
「これなーに?」
愛香ちゃんが、大好きなお姫様の絵が描かれたチケットに興味を示します。真尋様のサイン入りですよ、羨ましいですね。
「これは、愛香ちゃんが一日だけ特別な魔法でお姫様になれるチケットだよ」
ひょっこりと現れた一路様が、優しい笑顔で愛香ちゃんに言いました。
「本当?」
「ああ」
愛香ちゃんは、真尋様が頷くとぱぁっと顔を輝かせて、笑って下さいました。
それから真尋様は、時東様に名刺をお渡しし、何かあったら遠慮せずにすぐに連絡するようにと告げてふれあい広場の外までご家族を見送られました。
帰りの車の中は、とても静かです。双子さんがはしゃぎ疲れて眠ってしまわれたからです。雪乃様も真尋様の肩に寄り掛かって眠られています。
あの後、真尋様は恐縮しっぱなしの園長さんと副園長さんに落ち着く様に声を掛け、ふれあい広場を閉じるように指示を出し、スタッフたちに動物たちのケアを徹底するように言いました。三馬鹿トリオは……そうですね、皆様のご想像にお任せいたします。
「今回は、あれでしょ。真琴さんに頼まれたんでしょ? 視察に行って来いって」
一路様が牧場で買った生キャラメルを食べながら言いました。真琴さん、とは真尋様のお父様のお名前です。
本日はリムジンで参りまして、広い後部座席はコの字型になっております。奥の角に真尋様と雪乃様が並んで座り、それぞれのお膝を枕に双子さんが眠っておられます。一路様は、真尋様の正面に座っておいでです。あ、私は勿論、運転席で御座います。
「クソ親父は、何かと俺に言いつけるんだ」
真尋様は、ため息交じりに言ってタブレットを操作します。おそらく、報告書を作成しておられるのでしょう。
「とはいえ、牛飼も熊井も、というか、ファームそのものには重大な問題は無い。スタッフの対応もはきはきとして丁寧で気持ちが良かったし、動物たちも健康そのものだった。牧場内も掃除が徹底されていたし、売店での販売物の値段も質も適正だった。多少の改善点はあるものの、これと言った問題は見当たらなかった。あの酔っ払い共はイレギュラーだったが、スタッフの対応も適切だったと言えるだろう。ショーの時間で広場内に人が少なかったのも幸いした。とはいえ、園長達にはもう少し、落ち着きと言うものを持ってもらわんとならんが、あと暴れ馬の制御方法を見直さないとな」
真尋様が苦笑交じりに肩を竦めました。
真尋様は、日頃からこうして父であり、ミナヅキグループの総裁であるお父様のお仕事を手伝っていらっしゃいます。先日の白凛学園の件もこれに含まれます。お父様は真尋様が会社を継ぐことを期待しておいでですが、当の真尋様は独立することを希望しておいでですので、旦那様としては悪あがきのようなものでございましょう。旦那様も真尋様が自分の意見をそうそう変えないのをご存知ですから。
「今回も真尋様のご活躍、この園田、感動で胸がいっぱいで御座います。一路様、また後日、私が編集した真尋様の格好いいシーンを一緒に鑑賞致しましょうね」
「え、結構で」
「一路様と真尋様の魅力を語り合えることが、私のささやかな楽しみで御座いますので!」
「一方的にみっちゃんが喋ってるだけだけどね!」
一路様が何か仰いましたが丁度、工事現場の横を通ったためにその騒音にかき消されて聞こえませんでした。きっと、楽しみだと頷いて下さったのでしょう。一路様の期待に応えるためにも早速、今夜にでも編集に取り掛からねばなりません。
「俺が仕事を手伝ったところで、父が帰って来られる時間が然して延びる訳じゃないが……俺や雪乃は、あくまで兄や姉であって、父や母の代わりにはなれんからな」
真尋様が膝の上の真智様の頭を撫でながらそう零されました。
真尋様は、いつもご自分のことより雪乃様、そして、真智様と真咲様のことを優先させます。双子さんが生まれてからずっとそうなのだと以前、雪乃様がおっしゃられておりました。
「そうでもございませんよ」
私は丁寧にハンドルを操りながら首を横に振ります。
「旦那様と奥様が拗ねてしまわれますので、申し上げませんが……真智様も真咲様も実のご両親以上に真尋様と雪乃様を慕っておいでです。こう言ってしまうのは、薄情かも知れませんが、生みの親より育ての親という言葉も御座います」
「……そうだねぇ。真琴さんたちが帰って来た時、ちぃも咲もどっか他所他所しいところあるしね。真琴さんに対しては特に。お父さんとお母さんっていうのは頭では分かっていても年に数回しか会わないんじゃ、毎日一緒に居る真尋くんや雪ちゃんの方が好きーってなっちゃうよね」
一路様がしみじみと双子さんを眺めながら言いました。
「……父も母さんも夫婦仲が良いのは確かだが……ああして年がら年中、世界中を飛び回って、家に殆ど帰らず、折角こうして産んだ子供の成長も碌に見られず……そうまでして仕事をして何になる? 俺だったら雪乃と共に我が子の成長を見逃すことなく傍に居て、同じ時を過ごしたい。真智や真咲だって、無邪気な子どもで居る時間は短いんだ。真智は家に父が居ても学校から帰ってきて俺の所に一番に来て話をする。母さんと雪乃が居るところで転んだ真咲は、腕を広げた母さんじゃなく雪乃を呼んで、彼女に抱きついて泣く。この二人は、父と母が居ない寂しさを知らない。居ないことが当たり前で、寂しいと思わなくなっている。俺が旅行に出かける度に泣く癖に両親が再び出かける時は泣いたことも無い。俺や雪乃が居ない事の方が、寂しいんだ」
真尋様の声は淡々としておられました。
「社員の生活を守ることも上に立つ人間の大事な役目だ。それは間違いない。彼らが働いてくれることで、俺達はこうして豊かな生活が出来る訳だからな。だが……本当に大事なものをこうして蔑ろにしてまで、何を守っているつもりなんだろうな俺達の両親は」
真尋様は、奥様とは双子さんが生まれるまで親子としてはうまくいっていなかったと以前、教えてくださいました。旦那様とは確かに親子であったけれどそれは普通の父子に比べれば、酷く冷めたものだったとも。おそらく、真尋様は無意識でしょうが、奥様のことは「母さん」と呼ぶのに旦那様のことを「父さん」と呼ぶことはあまりありません。そう呼ぶほどの思い出が無いのです。真尋様は、人より優れた頭脳を持つが故に非常に大人びた子供で、聞き分けの良い子供でしたから旦那様はそれをありのままに信じ込んで、幼い頃の真尋様の寂しさに気付かなかったのでしょう。気付かないふりをしたのでしょう。
「大事なことほど、人は見逃してしまいがちだからね」
「……ああ、そうだな。近くにあるものは、よく見えないのと一緒だな」
そう告げた真尋様は、一体どんな表情をしておられたのでしょか。その声に僅かに滲んだ寂しさに私は、ルームミラーを見ることが出来ませんでした。
それからお二人は暫く仕事のお話や生徒会のお仕事のお話をしておられましたが、次第に一路様の返事がおざなりになり、いつしか一路様も眠ってしまわれました。車内はとても静かなものです。
「真尋様」
「何だ?」
真尋様は人前では滅多に寝ませんので、こういう時もまず寝ません。ですので、お声を掛ければすぐにお返事がありました。
「真智様と真咲様は、とても幸せだと思います」
「……何故?」
「愛し、護ってくれる人が傍に居ることは、子どもにとってこの上ない幸福です。私は生憎と幼少期にそれを得ることは叶いませんでしたが、今はこうして真尋様や雪乃様を始めとする皆様と過ごす日々に途方もない幸福を感じております。愛される幸せを、許される喜びを、真尋様は私に教えてくださいました。真智様と真咲様もそれはきっと同じで御座います。愛されているお二人は、天使のように可愛く無邪気で、真尋様と雪乃様と共にある時、その笑顔には一欠けらの不安も僅かな陰りも御座いません。それは真智様と真咲様が十分な愛情と安心の元に過ごされている何よりの証で御座います」
ふっと鼻で笑ったような小さく息の抜ける音が聞こえました。それは馬鹿にしたようなものでは無くて、何だか困ったもののように私には聞こえました。
「……慰めてくれているのか?」
「いいえ、そんな恐れ多い。ただ、第三者として客観的な意見を述べただけで御座います」
「そうか、良く出来た執事だな、お前は」
その声が酷く柔らかくて私は思わず口元に笑みを描きました。
「私は、水無月家の執事で御座いますから」
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ここまで読んで下さって、ありがとうございました!!
このシリーズは園田さんが書きやすくて書きやすくて、本編の合間合間に書いているのですが凄く筆が進みます。
園田さんは、人柄はあれですが、執事としては優秀ですし、人の痛みが分かる人です。
(但し、一路の話は聞いていない)
本編は鋭意執筆中です。もうしばらく、園田さんにお付き合いいただければ、幸いです。