両軍の夜
夜闇に、狼の遠吠えが響いている。
ガデル族の里は、険しい岩山に囲まれた谷の奥にあった。
いや、それは里と呼べるようなものではない。ナヴィラ族の美しい住居とは比べものにならないほどの、粗末な掘っ立て小屋。
張り出した岩盤を屋根の補助にしているから雨風はちゃんとしのげるが、家具や食料庫などもまともに存在しない。
そんなガデル族の集落、村人たちの家々から離れた大きめの家で、虎の毛皮を被った男が胸の傷の手当てをしていた。
男の名は、バルフ。若くしてガデル族の長を務める、武勇に秀でた偉丈夫である。
「……嫌なニオイがするな。いるなら姿を見せろ」
バルフがつぶやいた。
「おや、あいかわらず勘のよろしいことです」
部屋の片隅、濃密な影の中から、『探求者たち』の魔術師が現れる。
「お前らが渡した魔導具……あれはなんだ。理性まで失うとは聞いていないぞ」
バルフは魔術師を睨み据えた。
「おや、言っていませんでしたかね? くくく……それはうっかりしていました」
「うっかりで済むか! あのまま戦っていたら、戦士が全滅していたかもしれねえんだぞ!」
「そんなことはあり得ません。トーテムの加護を得たあなたたちは無敵……人間ごときに太刀打ちできるわけがないのですから。トーテムの力にすがりたいと願ったのは、あなた自身なのではないですか」
「そりゃそうだが、話が違う! 他に俺たちに話してないことはないだろうな……?」
「無論です。あなたたちガデルの民は、古来より続く『あのお方』の従者。『あのお方』への到達を願う我々にとっては、親族のような存在。盗人と戦う協力は惜しみませんよ……」
魔術師は口角をつり上げ、気味の悪い笑みを浮かべた。
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ナヴィラ族の里、その中央の屋敷では、賑やかな宴が催されていた。
歓待しているのは、長老とそこに仕える従者たち。
歓待されているのは、フェリスとアリシア、ジャネットにミランダ隊長。
次から次へと皿が運ばれてきては、フェリスたちの前にどんと置かれる。大皿に載っているのは、ナヴィラの豊かな自然を象徴するかのような大量の料理だ。
「あ、あの、こんなに食べきれないですけど……」
料理の山に囲まれ、もはやその内部に封印されかかっているフェリスが悲鳴を上げた。
「いいや、食べられるはずじゃ。育ち盛りなのだからな。里を救ってもらった礼、存分にしなければナヴィラの名が泣く」
長老は豪快に笑っている。
そこには、到着したばかりのときの敵意や警戒心は微塵もない。
「フェリス……と言ったな。お前の助けがなければ、数多くの戦士が今日の戦いで命を落としていただろう。ナヴィラを代表して、感謝申し上げる」
長老が深々と頭を下げた。
「い、いえっ、そんなお礼なんて! それより助けてくださいっ、もうお腹いっぱいですーっ!」
フェリスは切実に懇願するが、長老はその願いには応えてくれない。
「しかし、どうやってガデル族の連中を追い払ったのじゃ? 奴らの魔獣化を解いた術は、いったい……?」
「え、えと、よく分かんないですけど、きゃーって思って、えーいってしたら、どぱーんってなりました……」
「……成る程。まったく分からん」
首を傾げるフェリスに、首を傾げる長老。
誰もが当惑しかない。
「とにかく、今日はしっかり楽しむがいい。まだまだ料理は来るからな!」
「もう許してくださーいっ!!」
ナヴィラの心尽くしのお礼に、死にかけるフェリスだった。